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『青い蛙(8)』『裕福な扉(4)』『狐と葡萄(イソップ物語より)(6)』

『青い蛙』


 トイレのスモークガラスに雨蛙がへばり付いているのを見つけた。

 真っ青な雨蛙だった。

 窓を開いて、直に見てみようと鍵を開けた。

 蛙は、三階からだというのに、迷うことなく宙へダイブしていった。


「本当だって。今朝見たんだもん。真っ青な蛙。すごく綺麗だった」

 朝、学校に登校して、友達に興奮しながら喋った。でも、反応は全然よくなかった。

「ありえねえって。直哉の見間違いだよ」

「違うって。本当にいたんだって」

「馬っ鹿だなあ。蛙だったんだろう? 普通に考えて青いはずがないじゃないか」

「でも居たんだよ。青い蛙が居たんだよ」

 どれだけ真剣に話しても相手にしてもらえなかった。それどころか、真剣になればなるほど嘲笑の色は濃くなっていってしまった。

「……本当に、居たんだよ」

 先生が教室に入ってきて、僕たちはそれぞれの席へと戻っていく。小学五年生にもなれば、早い子はちょっとした反抗期の入り口に立っている時期だ。静かにするように注意する先生を無視して、女子のグループが騒いでいた。

「静かに。静かにしなさい。前原さん、あなたたちのことですよ」

 机に肘を突いて、雨が燻る窓の外を眺める。どうせ、いつもと同じでつまらない連絡事項だ。からかわれて不機嫌になっていたこともあって、僕は聞き流すことに決めていた。

 代わりに、目を向けた校庭の真ん中で咲いた一つの傘に目を奪われてしまった。黒くて大きい、大人の傘。まるで巨大な烏がグラウンドに落ちてしまったかのような様子に、僕は釘付けになってしまっていた。

「というわけなので、皆さん、十分に注意するように。分かりましたね」

 適当な返事が教室の中に溢れかえる。対照的に、おそらく打ち付ける雨の音しかしていないだろうグラウンドの人物は、楽しそうに傘を回し続けていた。

「……さん。篠崎さん! ちゃんと聞きなさい」

 先生の叱咤が飛んだ。急に名前を呼ばれたせいで、僕は膝を机の裏に打ち付けてしまう。周囲に笑いの渦が巻き起こった。

 かっと熱くなった顔をみんなに見られたくなくて俯いた。ちらりと、覗くように目を向けたグラウンドには、もう誰も立ってはいなかった。


 一体誰だったんだろう。朝グラウンドに立っていた人物のことが気になって、授業に身が入らなかった。そのため、何度も先生に怒られた。その都度、青蛙の呪いだと言って馬鹿にしてくる友達が煩わしかった。

 放課後。家に帰ろうと、玄関の傘立ての中に持ってきた傘を捜していたときだった。見覚えのある大きな黒い傘を見つけた。

 瞬間、僕の身体はがちっと硬直してしまって、周囲の音が嫌に大きく流れ込んできた。皮膚がなくなって、身体と外気の境界がなくなったような感覚だった。手にしていた外履きを靴箱に仕舞うと、帰宅するのは止めにした。

 傘の所持者が誰なのか、確かめたくなった。

 僕は靴箱に背中を預けて廊下に座り込んだ。やってくる高学年の生徒達が傘立てに近づくたびに、黒い傘を手にしないか注意深く見張り続けていた。

 黒い傘は、なかなか手にとって貰えなかった。もしかして、生徒のものじゃないのかもしれない。もしくは、どこかから誰かが盗んで来たものなのかもしれない。時間が経つにつれて、僕の考えはどんどん弱気になっていった。

 そのうち、外も暗くなってきてしまった。残った傘は十数本。来た時には溢れんばかりに傘が差し込んであった傘立ては、すっかり淋しい姿に変わってしまっていた。

 本当に、誰のものでもないのかもしれない。無駄な時間を過ごしてしまったなと、ため息を吐いたときだった。ひとりの女子生徒が玄関に近づいてきた。

 見知った顔だった。確か、美術クラブに入っている山際さんだ。去年、ずっと同じクラスだった。山際さんは、廊下に座り込んだ僕の姿に気が付くと、ぱっと表情を輝かせて声をかけてきてくれた。

「久しぶりだね、直哉君。何してるの?」

「久しぶり。ちょっと人が来るのを待ってたんだ」

「待ち人がいるんだ。羨ましい」

「やめてよ。そんなんじゃない」

「どうだか」

 言って、口元に手を当てた山際さんは、去年とどこも変わっていないように見えた。大人っぽくて、ちょっと意地悪な女の子。不思議な魅力を持ち合わせていた。黒目がちな瞳に見つめられると、どういうわけか心臓がバクバクし始めてしまう。僕の口は、言い訳でも言うように、本当のことを口走っていた。

「僕はただ、黒い傘の持ち主が見たかっただけで……」

「黒い傘?」

「うん。あの黒い傘。朝学活が始まってた時間なのに、グラウンドで見たような気がしたから」

「へえ。私、見られちゃったんだ」

「えっ」

 驚き俯いていた顔を上げると、蟲惑的に微笑んだ山際さんの瞳と目が合った。心臓がぎゅっと掴まれたような感覚になる。破裂しそうだと思った。僕はどうしちゃったんだろう。訳が分からなくなった。

 抱いた混乱など気にも止めないで、山際さんはひとり黒い傘へと近づいていく。手に取り振り替えると、意地悪そうに笑って口を開いた。

「ねえ、直哉君。この傘の秘密知りたくない?」

「……傘の秘密?」

「そう。持ち主である私だけが知ってる傘の秘密よ。知りたいでしょ」

 頭が勝手に頷いていた。満足そうに微笑んだ山際さんは、じゃあこっちにきてと僕を手招きすると、外へと出て行ってしまった。

 慌てて僕も後に従う。玄関の前で傘を開いていたいた山際さんは、更に僕を手招きしていた。

 訳も分からないままに、どぎまぎしながら僕は山際さんに近づいてく。大きな一つの傘の中に二人で肩を寄せ合った。

 秘密を打ち明けるからなのだろう、少し興奮した様子で山際さんが言った。

「ね、このまま上を見上げてみて。そう、まっすぐに」

 どうせ黒い傘の裏側しか見えない。思いながら見上げた僕が見たのは、雲ひとつない澄み切った青空だった。

「えっ。なにこれすごい」

「でしょ? これはね、魔法の傘なの。雨の日に差すと、傘の裏側にだけ青空が出る。最近ずっと長雨でしょ? 今朝は久しぶりに青空が見たくなっちゃってさ」

「だからグラウンドに立ってたの?」

「そう。お陰で怒られちゃったけど」

 舌を覗かせた山際さんの表情は、とびきり可憐に映った。再び雨の中の青空を見上げながら、山際さんが口を開く。

「青って、綺麗な色だよね。深くて、透明で、清々しくて。一番好きな色なんだ。だからこうして快晴の空を見られるのはとても幸せ。ずっと、雨ばかりだったから憂鬱になってたんだけど、今なら大丈夫なんだ」

「――僕も、青色好きだよ」

「本当に?」

「うん。今朝は青色の蛙も見ちゃったし。友達は誰も信じてくれなかったけど」

 馬鹿馬鹿しいことを言っている。どうせまたからかわれるだろうなと思って頬を掻いていたら、突き刺さる視線を感じた。

「それ、本当?」

「本当って、何が?」

「だから、青色の蛙がいたってこと」

「うん。本当だよ。トイレの窓ガラスに張り付いていたんだ」

「すごい!」

 言って、山際さんは瞳をきらきらを輝かせ始めた。

「すごいすごい! とってもすごいよ。いいな。羨ましいな。私も見てみたい」

「信じてくれるの?」

「嘘なの?」

「違うけど……」

「ならすごいよ」

 まっすぐな言葉が温かかった。

「すごい、かな?」

「うん、すごい。珍しい。私も見てみたい」

「さっきからそればっかりだね」

「だって、本当に羨ましいんだもん。だって、青色の蛙でしょ? すごく綺麗だと思うんだもの。私ね、綺麗なものって大好きなの。本当に大好き」

 決して僕に向けられているのではないのだけれど、大好きの一言に、胸が高鳴ったような気がした。

「……今度見つけたら、絶対に捕まえるよ」

「うん。約束だよ」

「約束」

 僕たちは笑い合って、もう一度青空を見上げた。広がる快晴の紺碧はどこまでも澄んで、透き通っているように見えた。


(おわり)


 ★ ☆ ★


『裕福な扉』


 気が付いたら不思議な部屋に立っていた。

 目の前には扉が二つ。

 にこやかな笑みを湛える爽やかな青年と、体調の優れない中年女性がドアノブを握っていた。

 女の人の窪んだ目が気味悪かった僕は、青年に近寄って声をかけた。

「ここはどこですか?」

「ようこそ。ここは裕福な扉です。どうぞ、お通りください」

 そう言って、青年は扉を開き僕をくぐらせた。

 目の前に広がる、ついさっき見たばかりの光景。

 青年と女性とがそれぞれのドアノブを握る部屋に辿り着いた。

 わけの分からない僕は、再び青年に声をかける。

「ここはどこですか?」

「ようこそ。ここは裕福な扉です。どうぞ、お通りください」

 そう言って、青年は扉を開き再び僕をくぐらせた。

 目の前にはついさっき通り抜けたばかりの光景が広がっていた。

 三度同じことが続いた僕は今度こそ事情を確かめようと勇んで青年に近づいた。

「どうしてあの女性は体調が優れないのですか?」

「ようこそ。ここは裕福な扉です。彼女は貧しい扉の担当なので、あのような姿になっているのです」

「助けてあげないのですか?」

「私は扉を開けることだけが仕事ですので」

 苦笑して、青年はまた僕を扉の奥へと向かわせた。

 四度目に辿り着いた部屋には、少し変化があった。

 ずっと立っていたはずの女性が、膝を折っていたのだ。

 姿を気の毒に思いながらも、僕は青年に近づいていく。

「辛そうですね、彼女」

「ようこそ。ここは裕福な扉です。仰るとおりですね。可哀想です」

 会話をして、再び扉をくぐった。

 次の部屋で、女性は床にぐったりと倒れていた。

 手だけが執念深くドアノブを握っているのが印象的だった。

 向けられる、鋭い眼光が怖かった。

 僕は青年に声をかける。

「彼女、怖いですね」

「ようこそ。ここは裕福な扉です。貧しいと心まで荒んできますからね。仕方ないことですよ」

 そうして僕は、再び背中を押されて扉をくぐった。

 彼女は、徐々に衰弱しているようだった。

 扉をくぐるごとに身体は痩せ細り、嫌な臭いを発するようになってきていた。

 気の毒に思いながらも、僕はずっと青年がノブを握る扉へと足を向ける。

 とうとう女性の手がノブからも離れてしまったのを見たとき、初めて声を荒げた。

「どうして彼女を助けてあげないのですか。あなたはずっと同じ部屋にいるのでしょう?」

 問い掛けに、青年は一層浮かべた笑みを深くさせて返事を述べた。

「ようこそ。ここは裕福な扉です。あなたはお優しい人ですね。思うのならば、声をかけてあげたらよかったのに」

 言葉に、僕はすっと腹の底が冷えていくのを感じた。

「あなたは私がずっと同じ部屋にいたと言いましたよね。でも、それはあなたにしたって同じだったのではありませんか? ずっと同じ部屋を通り抜けてきていた。なのに、どうして私にばかり近づいてきたんです」

 それは、と反論を試みた僕を片手で制して、青年は穏やかな笑みを浮かべる。

「いいんですよ。仕方のないことなのです。何もあなたが悪いことをしたわけではないのですから。哀れみを覚えるのは自由です。 助けてあげてと声を大きくするのも自由です。あなたは何も悪くありません」

 口にして、青年はゆっくりとドアノブを捻った。広がる朗らかな花園に僕の心は一転、好奇心を押さえきれなくなってしまう。

「どうぞお進みください。ここは裕福な扉なのです。あなたにはそれを享受するだけの価値がある」

 背中を押されて僕は扉をくぐった。

 胸いっぱいに芳しい香りを溜め込んで周りを見渡す。

 荒廃した大地の中、僕が立つ周辺だけが、生き生きとした緑に覆われていた。


(おわり)


 ★ ☆ ★


『狐と葡萄(イソップ物語より)』


 流れの激しい小川の畔を、さもしそうに腹部を擦る狐が歩いていました。

 もう何日もしっかりとした食事にありつけていません。水で空腹を誤魔化す毎日に飽き飽きしていました。

 ふと、引き付けられるようにして対岸に目が移りました。丸々と膨らんだ果実をひとつだけ実らせる葡萄の木が起立しているのに気が付きました。

 お腹が空きすぎて朦朧とし始めていた狐は、もう食べたくて食べたくて仕方がありません。けれど、勢いよくうねる小川を挟んでいるためにどうすることもできませんでした。

 何か手立てはないものかと、しばらくの間辺りをうろうろ歩き回りましたが、結果は芳しくありません。やがて、忌々しそうに葡萄を睨みつけるや、悔しそうにぼやきました。

「どうせ酸っぱかったに違いない」

 がっくりと項垂れると、再び畔を歩き始めました。

「やあやあ狐さん狐さん。どうされたんですか、そんな生気のない顔をして」

 唐突に、藪の中から長い長い蛇が現れました。興味深そうに鎌首をもたげる姿に、狐は悄然と口を開きます。

「お腹が減っているのです。葡萄を見つけたのですが、どうしても取れなくて。でもいいのです。どうせ食べられたものではなかったでしょうから」

 そう言って、対岸の葡萄を見つめました。

 物欲しそうな眼差しの中に浮かんだ自嘲にも似た暗闇に胸を打たれた蛇は、分かりました、と一言口にすると、するすると小川に入っていきました。

 蛇は急流の中をいとも容易く泳いでいきます。あっという間に対岸へと辿り着くと、そのまま葡萄の木を登っていきました。

 垂れ下がる葡萄の許まで辿り着くと、眼下で見上げていた狐に向かって大きく声を張り上げます。

「狐さん狐さん、この葡萄が食べたかったんですよね」

「ええ、ええ、そうです。持ってきてくれるのですか?」

「もちろんですよ。あ、でもその前に確認させてください」

 何をするのだろうと、狐は不思議そうに首を捻りました。が、蛇が行ったとんでもない行動を目の当たりにすると、俄然いきりたってしまいました。

「やい、このクソ蛇め。なんてことをするんだ。俺の葡萄を食べるなんて。ただじゃおかないぞ」

 声に、果実の一つを口にするやびりりと震えた蛇は、何一つ反応を返しませんでした。

「こら、クソ蛇。聞いているのか。早く降りて来い」

 言って投げられた石ころに、驚いた蛇はようやく我に返りました。

「狐さん狐さん。悪いことは言いません。この葡萄は諦めた方が身のためですよ。あなたの言ったとおりだった。とてもじゃないけれど食べられたものではありませんよ」

「うるさい。さっさとそこを離れろ。俺の葡萄に近づくな、クソ蛇め」

 癇癪を起こしてしまった狐に、蛇の言葉はもう届きませんでした。

 飛んでくる石ころや木の枝に恐れをなした蛇は、するすると葡萄の許から降りると、そのまま対岸の奥へと消えていってしまいました。

「なんて蛇なんだ。優しくする振りをしておいて自分が食べるだなんて」

 憤りをあらわにした狐は、もう葡萄が食べたくて食べたくて仕方がありませんでした。この場を離れた隙に、蛇に食べられてしまうと考えただけで頭が沸騰しそうになりました。

 しかしながら手段がありません。どうすればいいのかしばらく悩んだ末に、決心を固めました。不慣れにも関わらず、小川に向かって勢いよく飛び込んだのです。

 ざぶんと浸かった途端に呼吸が苦しくなりました。鼻も耳も水に侵されていきます。もがく手足は僅かな抵抗しか生んでくれません。早々に急流に押され始めてしまいました。

 このままでは死んでしまうかもしれない。

 思った狐は、恐慌をきたしながらも死に物狂いで手足を動かし、やっとのことで対岸へと辿り着くことに成功しました。

 噎せ返り、疲弊した体をしばらく野に預けてから木に登ります。目前に迫った葡萄に手を伸ばすと、とうとう念願の果実を口に含めるようになりました。

 これで、少しはお腹がいっぱいになる。満足し、捥いだ果実を噛み締めたときでした。電流が走ったかのような酸味が、口の中いっぱいに広がったのです。

 堪らず狐は葡萄を吐き出してしまいました。舌は痺れ、視界はちかちかと瞬いているようです。ここで同じ景色を見ていたのであろう蛇の言葉が思い出されました。

 ――狐さん狐さん。悪いことは言いません。この葡萄は諦めた方が身のためですよ。あなたの言ったとおりだった。とてもじゃないけれど食べられたものではありませんよ。

 その通りだったのです。蛇は、何も意地悪がしたかったわけではありませんでした。本心で狐のことを思い、優しさから諦めるよう諭してくれていたのです。

 狐はもう一度葡萄を口に含みました。毛が逆立つような酸味が、電流となって体を駆け巡りました。そのあまりの味に、両目からは涙がこぼれてきます。

 でも、それでも狐は次々と葡萄を口の中に含んでいきました。

「美味しい。美味しいなあ」

 口にする狐の目から溢れる涙の理由は、何も葡萄が酸っぱいからだけではないようでした。


(おわり)



後続の二編は某所にも貼り付けました。


以下愚痴の様な駄文。

目下書かねばならない文章にまったくやる気が出ません。どうしたものか。

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