『Round1(9)』『モップVSフライパン(9)』
無茶をしてみました。見事散りました。おそらく、今までの短編とはとても毛色の違う二作になっていると思われます。アクションものはまた書いてみたいです。
『Round1』
森の中だったのが幸いした。平野であの女と戦っていたら、おそらく出会った時点で負けが確定していただろう。荒い呼吸。焦げた腰布。巨木の陰に隠れた短髪の少年は、じっと耳を澄まし、近づいてきているのであろう敵の足音に細心の注意を払いながらそんなことを考えていた。右手に握った刃渡り十五センチほどの短刀がかすかに震えている。名をリウイをいうその少年は出来る限り気配を消しながら、冷静に初戦を分析しようとしていた。
初太刀がまずかった。あんなにも愚鈍に敵に突っ込むなんて、油断しすぎていた。侮っていたのだ。ついさっきの自ら行動の拙さに、リウイは思わず出そうになった舌打ちを堪える。くそ、あんなの狙ってくださいと言っているようなものじゃないか。が、でも、とリウイは考える。
「でも、いくらなんでもあの速さはないだろうよ」
気配を探りながらそう呟き、おめおめと逃げてきた敵の攻撃を思い返す。魔法使いだということは知っていたのだ。遠距離からでも攻撃を受けるだろうということも。でも、それでも、自分の速さを持ってすればすぐに倒せると思っていた。魔法を放たれる前に懐に飛び込めるはずだった。速さだけなら自信があったのだ。なのに。
「詠唱破棄ってレベルじゃねーぞ、あれは」
思い返して恐怖がよみがえる。出来るだけ近くから飛び出したのに。リウイを目視した相手が手を上げると、いきなり宙にぼんと火球が姿を現したのだ。まだ相手に辿り着いてもいなかった。逃げるしかなかったのである。
「あらぁ? こんなところに隠れてたの」
声がして、リウイはびくりと肩を震わせる。しゃがみこんでいる木の陰の前方。馬鹿みたいに巨大な古木の枝に、女がひとり腰掛けていた。服の両裾に、三連続に繋がれた大きなリングが取り付けられている。何かの魔道具か衣装なのか。リウイには判別できなかった。だが、腰掛けるその彼女こそ、リウイが先ほど逃げてきた敵、巷で魔女と呼ばれ恐れられている人物であった。
そんあ相手が今また再びリウイの前に姿を現した。樹上の魔女は愉快そうに微笑を湛え、樹下のリウイはにわかに引き攣った笑みになる。魔女の周りの空間が歪み始めていた。
「やっべっ!」
リウイが立ち上がるのと同時に、魔女の周りに火球が生じた。
「薙げ」
一声の後、人の頭ほどもある火球がリウイを追尾し始める。全速力で森の中を逃げるリウイは、走りながら周りを見回しどこか隠れられそうな場所を懸命に探した。背中越しにごうごうと唸る炎の熱量が伝わってくる。もうダメかと諦めかけたその時、右側に小さなくぼみを見つけた。ぎりぎり、攻撃を受ける寸前になんとかそのくぼみへと身を隠す。
しばらくしてから爆音が轟いて、衝撃波が辺りに走りわたった。恐る恐るくぼみから顔を上げたリウイが見たのは、森の中に場違いにぽっかりと抉れた地面だった。
――こっえええええええええ!
戦慄し、リウイはあの魔女を倒すなんて依頼を受けたことを激しく後悔した。
――あんの酒場の馬鹿じじいめ。何がそんなに強くないらしいだ。大魔導師レベルの魔法使いじゃねえかよ、馬鹿野郎!
胸の中でリウイは朗らかに微笑んでいた酒場の店主を罵倒する。こんな化け物みたいな奴が相手だと分かっていたなら絶対に断っていたのに。
「あら、鬼ごっこはもうおしまいかしら?」
そんな声を背後に聞き、リウイの思考は即座に停止する。ぎこちなく振り返った。十メートルほど先の地面に、魔女が立っていた。サドスティックな笑みを湛えて、その周囲には先ほどの火球が五つほどゆらゆらと浮んでいる。全身から血の気が引く音を、リウイは確かに聞いた。
「あ、あのー、見逃してもらえたりなんかは……」
「だめ」
にっこりと絶望に落とされる。
「あんた、どうせギルドの遣い者でしょう? あたしの命を狙ってる。そんな奴を生かして帰すと思う?」
「さ、さあ。俺、命狙われたことなんてないし、よ、よく分かんないなあなんて」
「あら、それは幸せなことね。素晴らしいわ。でも、あたしは狙われてるから――」
ゴウッと、魔女の周囲の火球が、その炎を猛らせた。リウイの表情はますます引き攣り、女の笑みは更に濃く暗くなる。
「死んでちょうだい!」
「やです!」
再びひとつの火球がリウイを襲った。リウイは素早く辺りを見渡し逃げ切ることが不可能なのを認識する。相手との距離がそれほどないのである。この期に及んで逃げるなど土台無理な話だった。ならばどうするのか。リウイは強く迫り来る火球を睨み返すと、右手のナイフを握り締め魔女に向かって踏み出した。
――まずは一個目!
火球がリウイの顔面に向かって直進してくる。それを、大きく踏み出すのと同時に、異様に深く腰を落とすことによっリウイはやり過ごす。
――次!
続けて飛んできていた火球を、まずは上体を右に傾けて左腕の辺りに飛んできていたものをつ、更に傾けて腹の辺りに飛んできていた火球をかわす。そのまま勢いを殺すことなく右手を地面につけて、右斜め前方、側転のような形で前へと出て魔女との間合いを詰めた。が、相手の懐まではまだまだ遠い。素早く、魔女よりも早く思考を進め身体を動かし、距離を縮めていく。後ろで火球のひとつが爆発した。もうひとつはリウイに向かって軌道を修正したようである。が、先に進んだリウイと通り過ぎた火球との間には、絶対的な開きが出来上がっていた。
「ちっ」
ここに来て、魔女は自らの攻撃に誤りがあったことを悟った。リウイを舐めすぎていたのだ。攻撃もしないで逃げてばかりいたのだから、これだけ至近距離なら絶対に外さないだろうとたかを括ってしまっていた。だから出来るだけなぶるようことが出来るように、一弾ずつ分けて攻撃したのだ。だが、それを避けられた。目の前の少年はあの距離での攻撃を避けることが出来る使い手だったのだ。
――侮った!
背後にまだ残っていた二つの火球を左手を見る見るうちに近づいてくるリウイに向けて同時に放つ。続けて更に三つの火球を生み出した。
「死ねええええええ!」
先んじていた二弾をすぐさま追わせるようにして、決して逃げ場などないように三つの火球で追い討ちをかける。五つの火球は衝突し、質量を増し、闘牛ほどの大きさとなってリウイを襲った。大地を深く振動させる地響きと轟音とを生じて、森の一角が焼け落ちた。
息を少し弾ませて、魔女は粉塵が舞うその先を見つめていた。辺りには一瞬にしてそのエネルギーを放出した熱の余波がまだ残っており、焼け焦げた草木からは焦げ臭い臭気が漂っていた。
ゆっくりと煙が晴れていく。おそらく死体もろとも焼け焦げて消し炭になっているだろうが、確認しないことには安心できなかった。魔女は内心、リウイがまだ生きているのではないかと思っていたのだ。
踏み出そうと、前方に体重をかけた時だった。
「動くな」
魔女の背後から声がした。
「動いたら殺す」
先ほど、情けない声で助けを請っていた人物とは思えない、冷徹な響きを含んだ声だった。
「やっぱり、生きてたのね」
そう、立ち止まった魔女は語りかける。その声にはほんの少しだけ安心したような響きが込められていた。
「ふふ」
「何が可笑しい」
「いやあね、久々だなあって。こんなに強い相手が現れたのは何時以来だろうって思ってね」
その言葉にリウイは違和感を覚える。まるで追い詰められている焦りがないのだ。どこかがおかしい。そんな嫌な予感がとっさにリウイを飛び退かせていた。
右足を何かが掠めた。リウイが着地するのと同時に、鮮血が噴出す。驚き目を向けた魔女の周りには、無数の刃が旋回したいた。魔女がにやりとグロテスクに笑う。身体が震えた。リウイは魔女に背を向け全力で走り出す。その背後で刃が爆ぜた。
木が断たれる。巨木が、岩までもが音さえなく、あっけなく切り刻まれていく。距離をとり振り返ったリウイは、目の前に広がる光景に戦慄した。魔女を中心に、円を書くようにして周りにあった一切のものが切り刻まれ原型を無くしてしまったのだ。
「ふふ。改めましてこんにちは。あたしは旋刃の魔女アーチェカ。よろしくね」
言って、避難したリウイに向かって綺麗に微笑みかける。
「へ、へえ。やるじゃんか……」
離れた場所でリウイも汗じとで微笑んだ。
(おわり?)
☆ ★ ☆
『モップVSフライパン』
非常事態だ。美樹がキレた。モップ片手に、執拗に俺に攻撃を仕掛けてくる。突き突き突き、突きの連打。的確に顔面を狙ってきている。当たったら、たぶん顔面陥没は間逃れない。容赦の欠片もない攻撃を、俺は何とか見切り続けている。自分で言うのもなんだが、結構すごいと思う。
「しっ!」
……あっぶねええええええ!
い、今のは危なかった。もうちょっとで当たってた。てか、髪の毛はらりって。
「ね、ね、ちょっと美樹ちゃん、ちょっと落ちつこうかあああああ!?」
「うるさい」
「っぶねええ! 本当に! 死ぬって。俺死んじゃうって!」
「構わん」
「構う!」
「死ね!」
「やだ!」
こんな奇妙な押し問答を繰り返しているのは家庭科室だったりする。どうしてかって? 二人とも掃除当番だったから。いやあね、本当は俺と美樹ちゃんと二人でしなくちゃいけないんだけどさ、この前俺サボったんだ。無断で。そしたらこの始末。
「さっさと死ね!」
「やだ!」
もうね、奇跡! アンビリーバブル! 何回避けてるんだろう。壁に押しやられてるのよね、俺。だからもうバックも出来なくて。どうにかこうにか避け続けてる。
で、そんな俺と美樹ちゃんなわけだけど、どういうわけかギャラリーがいたりする。教室の窓からちらほら覗いてる奴がいるんだ。そいつらの非情なこと。みんなして「やれやれやれ!」って。絶対「殺せ」って漢字を当てるんだと思うんだ。まったく、どこの宗教団体ですかここは!
「私は仕事を投げ出す人間が大嫌いなんだ。謝るならともかくへらへらと口を利きやがって」
「だから、それについてはもう何度も謝ってええええええ」
「許さん」
やばい。なんかもう本気でやばい。奇跡ってさあ、続かないもんなんだよ。じゃないと奇跡じゃないもの。だから、このままだと本気で当たる。俺の顔陥没する。それは困る。まだ怪我などしないまま青春をエンジョイしたい。……こうなったら奥の手しかない。
「み、美樹ちゃん。俺、そんな美樹ちゃんの怒った顔も大好きだよ」
ゴッと鈍い音が耳の隣でした。恐る恐る見ると、壁にモップの柄が突き刺さってた。
えええええええええええええええええええええええええええ!
ねえよ。ねえよねえよねえよ! コンクリートだぜ? ありえねえって。ありえねえって! あ、でも攻撃が止まったのか。チャンス! 逆鱗誘発作戦、どうにかこうにか成功みたいだ。
「……って」
「へ?」
動こうとしたら、美樹ちゃんの小さすぎる声が聞こえてきた。
「……ざけやがって」
俺はさ、避けるのすごかったじゃない。だから、結構野生の勘って言うの、それが発達してると思うんだ。で、今さそんな野生の勘が最強最大の警告を発してるわけなんだよね。そりゃあもう動くことすらままならない警鐘。やばい。やべえぞおめえって全身が伝えてくるの。
「ふざけやがって!」
目の前にいたのは般若だった。
「ふおおおおおおお」
腰を抜かしたお陰で、死は間逃れた。頭にコンクリート片が落ちてくる。どうやらさっきまで俺の顔があった場所にモップが突き刺さったらしい。舌から見上げる美樹ちゃんの表情が、もうマジでやばい。
「もういい。殺す」
言ってモップを引き抜いた。すっげえええ笑顔だった。もう惨めでもなんでもいい。俺は床を這うと、運よく流しに乾かしてあったフライパンを手に取った。振り返る。同時に豪速の突きが迫っているのが分かった。無我夢中でフライパンを前に出す。
ガキンって硬い音がして手がしびれた。何とかフライパンで突きを受け止められたみたいだ。
「小賢しい」
言って、美樹ちゃんが再び突きを放つ。
「ふぉおおおおおおおおお」
何かとにかく叫びながら俺もフライパンを構える。硬い音が何度も響いて、その度に俺の寿命がちょっとづつ伸びていった。
が、このままでは終わらないことは目に見えている。鬼神と化した美樹ちゃんを倒さない限り俺に明日はない。未来もない。命危ないのだ。そう理解して、俺は一気に後ろに下がった。そしてフライパンを両手でしっかり握り美樹ちゃんと対峙する。
観客からどよめきが起きた。馬鹿野郎ども、ちょっとは助けてくれ。おおっと、見れば美樹ちゃんも怒涛そ攻めを少しだけ休めて俺の出方を探っているようである。
少し、ほんの少しだけ(裁縫の針の穴くらい)余裕が出来た俺は、ふうと大きく息をついて、美樹ちゃんに話しかけることにした。何とか最後の説得を試みなくてはならない。
「美樹ちゃん。あの、こんな時に言うのもあれだけどさ、その本当にごめん。悪かった。全部俺が悪かった。許してもらえるとは思わないけど、本当に俺反省してるから。本当にごめんなさい。許してください。ごめんなさい」
何度この言葉を口にしたのだろう。美樹ちゃんの怒りを納めるために。一度とたりとも成功しなかったけど。
「言いたいことはそれだけか」
案の定今回もダメでした!
ぎろりと見下すような目をしている美樹ちゃんはまるで魔王みたいだ。ぜってえ勝てねえ。勝率は一ミクロンもねえ。だって俺勇者じゃねえもん。よくて酒場で仲間になる遊び人Aだ。一番最初の村でぐうたら寝てるような役柄だもの。絶対無理。涙目になりながら、俺はぎこちなく美樹ちゃんに頷く。言いたいことというか、俺に出来ることは美樹ちゃんに謝ることしかないから。
「そうか。なら――」
美樹ちゃんがモップを引く。突きの準備をしている。やべえ。ぱねえ。今までと気迫が違う。絶対めちゃくちゃ速いのがくる。避けられるわけがない。察し、俺はない脳みそで必死に考える。生き残る方法を。遊び人が魔王に勝つ方法を。
「逝ね!」
モップが動く。もうダメだ。もうダメだ!
「俺、美樹ちゃんのこと大好きでした!」
思わず目を閉じて叫んでいた。どうせ死ぬんだ。最後に告白しときたかった。……でも、出来ることなら生きて付き合いたかったなあ。美樹ちゃん、本当はかわいいんだ。普段冷たそうな印象しかないけれど、本当は優しくて、笑顔がとってもきゅんとくるんだ。俺だけが知ってるんだ。だから好きになった。好きになってた。じゃなかったら家庭科室の掃除なんて絶対しなかった。嫌いだもの、掃除なんて。男友達と一緒につるんでひとつの掃除場所ジャックして、サボった方が楽だもん。でも、美樹ちゃんが家庭科室を頑張るって、半ば押し付けられるようにして(誰も手を上げなかった)立候補したから、俺も手を上げたんだ。それにこの前休んだのも、本当は美樹ちゃんにプレゼントを買うつもりだったからだ。だって今日は美樹ちゃんの誕生日だから。美樹ちゃんに、大好きな美樹ちゃんにプレゼントを渡したかった。
………………ん?
あれ? まだ痛くない。
そろそろそろーりと目を開いてみた。で、びびった。本当に目の前で、顔面すれすれでモップが止まっていた。
ねえよ。ねえよねえよねえよ! マジぱねえよ!
とたんに心臓がバクつき始める。汗がどっと噴出した。
「ねえ。それって、本当?」
細い声が聞こえてきた。どうやら美樹ちゃんである。でも、声の主であるはずの目の前の美樹ちゃんは、先ほどまでの剣幕はどこへ行ってしまったのか、俯いてしまっていて、表情がまったくといっていいほどに分からない。俺はとにかく猛烈に頷いた。首が痛くなるくらいに。
「本当。本当すぎるくらいに本当。マジぱねえ」
要らないことまで口走った気がするけれど、まあ気持ちは伝わったと思う。伝わってなければ困る。本当に。そしてしばらくの沈黙。いきなり、美樹ちゃんがかっと顔を上げた。真っ赤になっている。口がへの字になっている。どうした? 何が起き――
「馬鹿あああああああ」
声と同時にモップが俺の顔面に食い込んだ。鈍痛。激痛。赤くなる視界。サヨナラ、マイライフ。サヨナラ友たちよ。遠ざかる意識。聞こえてくる恥ずかしがる美樹ちゃんの声ととたんに慌てだしたギャラリーの声。聞きながら俺は遠くへ旅立った。
(おわり)