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『ビターブラック(8)』『とびきりのゆめ(3)』『友情と温もりと性同一性障害(2)』

三つ目、『友情と温もりと性同一性障害』は小説家になろう秘密基地にてお題を貰って書いたものです。

『ビターブラック』


 朝食はバナナと牛乳。どんなに寒くたってコーヒーは飲まないことにしている。面倒だから紅茶も嫌いだ。だからまだあまり黄色くなっていないバナナを二本と、冷蔵庫から取り出したばかりの冷たい牛乳を一杯だけ流し込んで、私は仕事へと出かける。日に日に冬へと向かっている薄暗い朝は、ほうと息を吐くと白く湯気が立ち昇る。吹き抜けた風が寒くて、思わず首を竦めてしまった。肩を抱きながら、会社に向かって歩き始める。今日も一日が始まる。

 電車と言うのは、思った以上におかしい乗り物であると思う。いや、電車に限らずバスもそうなのだけれど。人は、ある程度人が多いと、とたんに無口になる。騒がない方がいいことだと思っているのだ。無論、そのこと自体は正しいことだと思っている。私だって、ただでさえ狭苦しい車内の中、どこそこと関係なく騒いでいるような輩がいたら腹が立つ。

 でも、と思うのだ。でも、だからと言って何十人もの人たちが肩も触れ合うような密度で集まっているのに、ただの一言も喋らないまま無言で揺られている状況が居心地がいいかと言われるとそうでもないような気がする。もちろん、密集しているストレスはある。鞄があたったり、背中から押されたり。でも、それよりも決定的に音が足りないのだ。電車の走行音だけで誰もが誰かに無関心。田舎は静かで暮らしやすいとか何とか言うけれど、地方出身の私から言わせてもらえば、都会の方がうんと静かだと思う。静か過ぎるから、小さな物音がうるさく感じるだけなのだ。

 つり革に揺られながらそんなことを考え、目の前に座る人物が広げた新聞を見ていた。また、どこかで偽装があったらしい。大きな写真には、肌色のてかてかの頭が写し出されていた。どこもかしこも偽装ばかり。偽装大国日本。でも、本当はみんな分かっているのではないだろうか。偽装があった方が安心できる。楽だし、取り繕うことも出来る。本音は辛いのだ。本気は疲れるのだ。もちろん、だからと言って他者の不利益を生み出すことを容認できるわけでもないけれど。

 視線を上げると、真っ黒な窓に私の顔が映っていた。無表情で愛想のないつまらない顔。地下鉄は見たくもない顔を見なくてはならないから嫌いだ。本当に。本当に嫌いだ。

 各駅停車。激しい人の入れ替え。私は人ごみに押されながら、今日も電車に揺られている。


「先輩、ちょっと聞いてくださいよー」

 姦しい後輩というのは面倒な来客の次ぐらいに苦手だ。

「この間、男の人に言われたんですけどね、受付嬢ってそんなに持たないんですって。ひどいと思いませんかぁ? わたしたちだってそんなこと気が付いてるって言うのに。頑張ってるのになあ。どんなに気持ち悪い人でも笑顔を見せるのって大変なんですよねー。ねえ、そうですよね。もう、本当に困っちゃうなあ。今日も朝からメイクしてぇ、ご飯もほとんど食べないままやって来てぇ。満員電車に揺られて、もう朝からくたくた。本当に大変ですよねえ」

 返事など、ひとつもしていない。ただ適当にごくたまに頷いていただけだ。この姦しい後輩は、極めて自分勝手に話を進める。ただの独り言を、誰かに聞いてもらわないと気が済まない性質らしいのだ。その聞き手となるのは、当然のことながら同じ受付を担当している私となる。誰も愚痴っぽい独り言など聞きたくないのに。聞き始めこそ適当に頷いたりはしたが、もう無視することにした。

 が、だからと言ってこの後輩の気が悪くなるようなことはない。本当に、ただ独り言を誰かに聞いてもらいたいだけなのだ。困った奴だと思う。ぺらぺらと口の止まらない後輩を見ながら、ため息が落ちた。

「あんた、あんまり喋り続けるとさんまみたいに喉しわがれちゃうよ」

 制服に着替える。

「へ。さんまってお笑い芸人のですかぁ? やだなあ、嫌ですよそんなのぅ。もう」

 言いながら、ぺちゃくちゃと喋り続けている。どうせなら本当にしわがれてしまえばいいのではないだろうかと思った。


 会社はそれこそどの部署であっても面倒なものであるが、そんな例に漏れることなく窓口も面倒な仕事であると思う。イライラしている先方や、妙になれなれしい同僚、うるさい後輩と三方を囲まれながら笑顔を振り撒かなければならないからだ。どんなに嫌であっても決して表情を崩してはならない。演技のようなものだと思う。そして、そんな演技はもう板についてしまった。簡単に人を騙すことが出来るような気がする。

 そんな私が、あまり好きになれない。

 意見を言うことも、本音をこぼすことも、どうしても怖くなってしまった。別に仕事が原因ではないのだろう。仕事が、そんな私の性質にあっているだけなのだ。隠し通す心。物事は流れに乗っていただけの方が楽で安全なのだ。意見を言わなければ、気が付かなければそれはそのまま。平穏に生活が出来る。

 そんな自分が嫌いなのだ。


 坂崎さんとのことは、だから本当はどう思っているのか分からない。私が彼のことを愛しているのかとか、求めているのとかよく分からないのだ。ただ、彼が求めたから応じた。私からは何のアクションも起こさなかった。

「どうしたの」

 滑らかなシーツを背中に感じながら目を閉じていたら、覆いかぶさる彼がそんな風に聞いてきた。目を開くと、彫りの深い彼の表情が心配そうに歪んでいた。

「なんでもない」

 答えて私は彼の首に腕を回し、そのまま引き寄せてキスをした。彼の薄い唇をこじ開けるようにして開かせ、奥に蠢く熱い塊に舌を這わせる。熱が身体を潤し、全身が弛緩していくのが分かった。同時に、頭は嫌になるくらいに冴えて冷めていく。

 私は、彼を求めているのか。彼の愛情を受けるだけの想いを抱いているのか。相応の、想いを。

「やめろ!」

 離されて、怒鳴られた。びっくりした。温厚な坂崎さんが、本気で怒った表情をしていた。私の腕は彼の方に向けられたままどうすることも出来ず固まっている。

「……今日の早苗は違う。こんなの俺は嫌だ。こんな早苗は嫌だ」

 言って、彼はベッドから離れてしまった。シャワーを浴びて、着替えて、「ごめん」と一言。言って帰ってしまった。私の部屋から帰ってしまった。残された半裸の私。呆然とベッドの上で上体を起こすしかなかった。

 何がいけないのだろう。何が足らないのだろう。私が演じるのが悪いのか。演じ、本音を明らかにしないのがいけないのか。

 でも、と知らず知らずの内に頬が冷たくなった。

 でも、私は私の気持ちが分からないのだ。正直なところ、演技なのか演技じゃないのか、それすら分からない。板につきすぎてしまって、本当の私が見つからなくなってしまったのだ。

 のっそり起き上がってシャワーを浴びに行く。後頭部に温かな刺激を受けながら涙を流し、そういえば坂崎さんは結構自分勝手にここを出て行ったなと思った。ごめんと謝ったくせに、勝手にシャワーを浴びたりして。結局、彼もただ求めているだけなのかもしれない。内心なんて関係なくて、見えるのは表面だけ。表面だけ求めて、私とあっているのかもしれない。

 髪をタオルで拭きながらキッチンに立った。ポットの残りを確認してコーヒーを作った。出来るだけ苦く。濃いコーヒーを作った。砂糖は入れない。ポーションも落とさない。ブラックのまま胃に流し込む。真っ黒になればいいと思った。

 そして温もりが名残のように残るベッドにもぐりこむ。シーツを首筋まで引っ張って、縮こまって、目を閉じた。

 また朝が来る。朝食はバナナと牛乳。いつもどおりの日常を越えて、また日は巡る。


(おわり)


 ☆ ★ ☆


『とびきりのゆめ』


 真っ白い少女は、真っ白に染まった部屋でいつもベットに横になっていなくてはならなかった。風が窓のカーテンを優しく撫でる日も、雨が窓の外を灰色に染める日も、風ががたがたと窓を揺らす日も、伸びやかに青空に鳥が飛んでいる日も、少女はどんな時もベットに横たわっていなくてはならなかった。

 また、少女は、毎日いくつもの薬を飲まなくてはならなかった。白い錠剤や、青色のカプセル、黄色っぽい粉薬など、ひっきりなしに薬を嚥下しなくてはならなかった。苦くて、気持ち悪くなって、毎日意識が朦朧としていた。少女はいつも窓を見てはここから逃げ出したいと思っていた。そんなことは、叶うわけがないにも関わらず。

 少女は軟禁されていたのである。真っ白な部屋。ベットと小さな机と椅子と窓だけがある素っ気なさ過ぎる部屋にである。そこに少女は閉じ込められ、毎日のように訪れる白衣の男から薬を投与され続けていた。

 もう、私はダメなんだと、真っ白な少女は、真っ白な部屋の中で深く絶望した。何度も何度も絶望したために、少女の胸の内だけが黒く澱んでいた。

 そんなある日のこと、いつものようにベットの上で目覚めた少女は声を聞いた。

「夢はお好きかい?」

 その声はどろりとぬめりを帯びながら少女の耳に届いた。常人ならばその声色を聞いただけで怖気が走り、恐怖のあまり戦慄してしまったことだろう。それほどまでに異様な声色であった。だが、少女は違った。真っ黒に絶望していた。だからその声に返事をした。うん、夢は何よりも大好きよ、と。

「とびきりのゆめをみたくはないかい」

 どろりと絡みつく声が再び少女の耳元でした。少女はとびきりのゆめという言葉を聴いて、自由に平原を駆ける己を想像し力なく微笑んだ。そして、見たいけれど、と小さくこぼした。

「ミサセテアゲルヨ」

 え、と少女は目を見開いた。久方ぶりに大きく目を開いて外界を認識した。そこには変わらず白い部屋が広がるばかりである。声の主などどこにも見えない。なのに、少女は少なからずの期待を込めて声を出していた。

「見ることが出来るの?」

「あア。君サえ望メバ今スぐにデモ見さセテあゲるヨ」

「本当?」

「アあ」

 少女が嬉しそうに答えると、声は目を閉じるように指示を出した。ベットに横たわった少女は、この部屋に来て始めて心からわくわくしていた。何が起きるんだろう。本当に素敵な夢を見ることが出来るのだろうか。思い、閉じた瞼の暗闇に、やがて小さく光が灯り始めた。

「サア、向こウ側へ」

 広がる思い描いた平原に向けて、少女は満面の笑みで駆け出した。

「そシて、サヨウなラ」

 声が小さく響いた。


(おわり)


 ☆ ★ ☆


『友情と温もりと性同一性障害』


 友情というのは、時として鋭利なナイフになることがある。あの頃、自分の気持ちを扱うのに精一杯で、誰かの心なんてうまく感じ取れなかった俺は、そんな鈍色の凶器を知らない間に振るっていたのだ。

 薄暗い病室の一室、冷たくなってしまった掌を握りながらそう理解した。手の中の俊の指は細長く柔らかなものになっていた。

 俊はよく笑う奴だった。同じサッカー部に所属していて、下らないことで笑いあう友達だった。俊がいるだけで毎日が楽しかった。でも、そんな俊が実は俺に好意を持っていたなんて、ちっとも気が付かなかった。

 性同一性障害。

 そうなのだ。俺はいつも取り返しがつかなくなってからしか気がつくことが出来ない。小さかった頃授業で絵を描いた時も、初めて女子に告白した時も、その時にはもうどうしようも出来なくなっていた。女子の心は決して俺には傾かなくなっていたし、色を乗せた絵はもう元には戻らなくなっていたのだ。出来上がった澱んだ色の海は、俺に警句を発していたのかもしれない。

 永遠に温もりを失った友達の手を握りなが思った。横たわる俊の逞しかったはずの身体は、ほっそりとした曲線と小さな膨らみを湛えるものに変わっていた。

 その表情は本当に女性のように繊細で。

 俊は苦しみもがいていたのだ。にこやかに笑い合っていたあの日々の裏側で。どうしようもない異変を、誰にも打ち明けることが出来ないままに。

 涙が落ちた。俺は久々にかつての友と合い、そして静かに泣いた。


(おわり)

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