『石ころの示すこと(5)』『秋の坂道(2)』『狂言(2)』
後半二つは秘密基地の即興小説スレにて書いたものです。
『石ころの示すこと』
「さみしい」
夕方、朱色に染まる土手を散歩していたらそんな声を聞いた。立ち止まる。見下ろしてみれば、足下に石ころがひとつ転がっていた。丸でも三角でも四角でもない石ころ。言葉にするのならば“石ころ”の形をした石ころが足下に転がっていた。
「さみしい」
声がする。どうやら発信源は足下の石ころみたいだ。私は屈み込み石ころを掌に乗せて、
「どうした、何がさみしいんだ」
と、尋ねてみた。
「さみしい」
「ん、お前がさみしいのは重々分かった。だけど、その原因が分からなければ何もしようがないんだ。だから教えてくれ。何がさみしいんだ」
「……さみしい」
ため息が出る。石ころは、どうやらさみしいとしか喋られないようだ。余程混乱の最中にあるのか、はたまた本当にさみしいしか声に出せないのか。
判別はしないものの、このまま土手に捨てていくのも、なんだかわだかまりが残る。気持ちよくないのだ。関わりを持たねば、このような想いを思い患うこともなかったのだろうが、関わってしまったものは仕方がない。石ころを片手に私は土手を歩き出した。
石ころは存外うるさいものであった。ちょうど十歩。歩くごとに「さみしい」とぼやくのである。半ば本気で川に向かって投げてやろうかと思ったくらいだ。辛気臭いぼやきほど苛立つものはないのだと、私は学習した。
然るに、石ころを投げ捨ててよかったのである。私には相応の理由が出来ていたのだから。それにも関わらず、私が石ころを投げ捨てなかったのには理由がある。声だ。石ころがぼやく「さみしい」の声色が、どうにも私の心を捉えて放さなかったのである。
「さみしい」は、時として秋の夕暮れを憂うように舞い飛ぶアキアカネのように私を揺さぶり、またある時は冬の明月のように私に突き刺さった。儚い、凛と透き通った「さみしい」は、どうにもこうにも私の感情を震わせ、加護の手をさしのべなくてはならないような気持ちにさせていたのである。
歩きながら、私はいつの間にか石ころを強く、両の手で握り締めていた。石ころはまるで氷のように冷たく、温めたそばから温もりが溢れているかのようだった。心細さがその冷たさに現れたいるようで、しゅんと心が細くなったような気がした。
そんな私と石ころに変化が訪れたのは、おおよそ二十分ほど土手を歩いた後だった。そばの草むらに奇妙な石が立っていたのである。大きさはおよそ一メートル強。上の方に穴が空いていた。何かを入れてくれと言わんばかりの穴であった。
立ち止まるや否や、にわかに石ころが騒ぎ立て始めた。狂ったように「さみしい」を連呼し始めたのである。
「もしかして、この穴に入りたいの?」
「さみしいさみしいさみしいさみしいさみしいさみしいさみしいさみしいさみしいさみしいさみしい!」
私は少し考えて、石ころを穴に入れてやることにした。石ころもそれを望んでいるみたいだし、何よりそれが正しいことのように思えた。
握り締めていた石ころをそっと穴の入り口にはめ込む。案外奥が深そうなので、とんと押してみた。途端に中にいたたしい何かに急速に吸い込まれるかのようにして石ころは姿を消した。それは本当に一瞬だった。それでいてあまりにも当然のこととして目の前で起きた。
おっかなびっくり、石に耳をそばだててみる。穴の奥からはもう「さみしい」と聞こえてこなかった。
私は土手を歩きながら考える。果たして、あの石ころは何だったのだろうと。あの奇妙な石は何だったのだろうと。
見れば、足下には石ころが転がっている。もう声など聞こえるはずもない。そもそも、石ころから声など聞こえるはずなどないのだ。
まったく訳が分からない。
うーんと唸ってから、とにかく石ころを力強く蹴飛ばしてみた。力を入れすぎたためか、それほど大きくは飛ばなかった。
ため息が出る。石ころひとつに何を悩んでいるんだと、馬鹿らしくなった。ふうと、風がそよぐ。見上げた空は綺麗に朱ていて、伸びやかに広がり続けていた。
奇妙なことが起きても太陽は沈み、また一日は始まるのだ。夕日を見たら、どうしてかそんなふうに思えた。
傍らを、小さな男の子と手を繋いだ母親が通る。にこやかに会釈をくれた彼女に、私も自然と会釈を返した。
土手はもうそろそろ終わりに近づいている。
(おわり)
★ ☆ ★
『秋の坂道(即興小説スレより)』
唐突に坂道を転がり降りたくなった。いや、坂道と言うよりも土手の傾斜といった方が正しいのだろう。犬のジョンの散歩に来ていた河川敷で、すぐ手の先にある坂道、おっと訂正、土手を無性に転がり降りたくなった。
それは文字通りの意味でである。駆け下りるとかじゃなくのだ。まるでボールが坂道を転がり落ちていくように、私はでんぐり返しでごろごろと転がり落ちたかった。
おそらく痛いと思う。もちろん二重の意味でである。土手には、草に覆われて見えないものの石が転がっているだろうし、周りには行き交う人々がいるのだ。私は肉体も精神もずたずたになってしまうのだろう。
でも、そんなの関係ねえ!
見れば、足元ではジョンが秋の野花を嗅いでいる。名前は知らない。分からない。きっと名前なんてないのだろう。ちっぽけな花だった。花粉が鼻に入ったのか、ジョンはくしゃみをした。
そんなジョンが愛おしくて、そっとまあるい頭に手を添えた。そしてリードを手離す。行ってくるよ、わたし! ちょっと決意を固めてみた。
しゃがんで、頭の横に手を開いて、姿勢を整える。あとは勢いに任せて転がりだすだけだ。準備万端。さあ行くぞ! と体重を移行しようと思ったところだった。後ろから声がかかった。
「姉ちゃん、何してんの」
振り返れば、そこにはだらしなく制服を着崩した弟が立っていた。じと目で私のことを見つめている。ひくひくと痙攣する唇で何とか返事をした。
「転がろうと思って」
弟はふーんと言うとおもむろにしゃがんで、私が手放したジョンのリードを拾った。そしてそのまますたすたと立ち去っていってしまった。
…………無視ですか。ああ、無視ですか、そうですか。
奇妙な体勢で準備したまま、ほろりと涙が流れた。馬鹿みたいだ。本当に馬鹿みたいだった。夕日は綺麗でいつもよりも大きく見えた。
(終わり)
★ ☆ ★
『狂言(即興小説スレより)』
「例えばよ、どこかの山奥に水面を秒速十メートルで走る老人がいるとするじゃない」
「いないよそんな老人。どこにも」
「例えばの話よ。で、そんなことを出来るわけが、なんとか拳っていうすごい武術の達人だからなの。だから水面を走ることが出来るし、手で剣を曲げたり鉄を切ったりする技も扱えるわけ」
「そんなこと出来やしないけどね」
「つれないわねえ。例えばって言ってるでしょ」
「ぼくは今そんな状況じゃないから」
「まあ、いいから聞きなさい。とにかくそんなすごい老人がいたとするわけよ。本当、誰にも負けやしないわ。人類最強の人間よ。でも、そんな老人でも飛んでくる核ミサイルには負けてしまう。儚いと思わない?」
「……まあ、ねえ」
「私は黙祷を捧げるわ」
「で、その話には一体何の意味があるのかな?」
「ん。決まってるじゃない。今のあなたのことを説明しただけよ」
袋小路の部屋の中。ぼくの目の前には包丁を持った早苗がいる。
「ね、人間って無力だよねえ」
ぐにゃりと笑う早苗を見て、掌がじっとりと汗をかいていた。
(終わり)