『まこちゃん(4)』『幼児化(4)』
『まこちゃん』
まこちゃんはそれはそれはやんちゃで元気すぎる男の子だった。毎日必ず幼稚園で誰かとケンカをしては、いつも相手を泣かしていた。腕っ節もさることながら、その速さもぴか一だった。そんなんだか母親は度々幼稚園に呼び出されることになった。ぺこぺこと低頭し続けた母親は、しかし一度もまこちゃんを怒るようなことはなかった。
というのも、まこちゃんのけんかにはいつも何かしらの筋が通っていたのだ。傍目に見ても相手が悪いことが明白なことが多かったのである。とはいえ暴力は暴力。振るった力は往々にして返ってくるものである。まだ幼いが故に、その反動を受け止めきれないまこちゃんに代わって、母親は毎日頭を下げ続けていた。
そんな折である。まこちゃんの母親が病に伏した。若いにもかかわらず、白血病を発症してしまったのだ。医師は家族に、長丁場になると思われますが頑張っていきましょうと言った。声色は硬かった。
その後、ベッドに横たわる機械に繋がれた弱々しい母親の姿を見たまこちゃんは、ぐっと唇を噛んだ。
その夜、まこちゃんはひとり押入れから引っ張り出した落書き帳におまじないを書いていた。どうか、お母さんを助けてください。何にもいらない。何でもあげます。だから、お母さんを助けてください。頭の中で強く念じながら、ぐりぐりと落書き帳に何かを書き続けていた。
しばらく続けていたら、ぼん、と音がして落書き帳から煙が上がった。そこには牛の顔をした人物が浮んでいた。
「お前の願い、しかと聞き入れた」
そう深い声色で牛は呟いた。
「だが、どのような願いであっても、叶えるには代償が必要だ」
にやりと口を歪めて、牛はまこちゃんの身体に腕を突っ込んだ。ごそりごそりと、身体の中が気持ち悪い。まこちゃんは涙を浮かべながら、しかし懸命に耐えた。これでお母さんの病気が治るなら、何でも耐えてやると思っていた。やがて、腕を止めた牛は、まこちゃんの中から何かを掴み取っていった。
「お前の願い、叶えてやろう」
言って、牛は唐突に消えた。
後日、まこちゃんの母親は前日の診断が誤りであったかのように全快していた。顔色もよく、脈拍、熱など全てが平常値だった。医者は意味が分からないと言ったように、カルテを投げ出し、しかし穏やかな笑みを浮かべてよかったですねとまこちゃんの家族に声をかけてくれた。
やがて、まこちゃんと母親が面会できるようになる。病室に入るや、ベットの上で身体を起こした母親に気が付いたまこちゃんは元気よく駆け寄った。母親もまこちゃんをぎゅうっと抱きしめた。二人の抱擁は長い間見つからなかった宝物を見つけた子供のように、無邪気で純粋だった。
この後、まこちゃんがケンカをする回数はめっきり減ってしまった。周りは驚いたものの、穏やかなまこちゃんにすぐに慣れていった。
まこちゃんは牛に闘争心を奪われてしまったのだ。牛は闘争心を得た代わりにまこちゃんのお母さんを快方に向かわせた。そう言うわけで、まこちゃんの母親は元気になったのである。
まこちゃんは代わりに大切なものを守ってもらった。大好きなお母さんである。元気になったお母さんが帰ってきたまこちゃんの家には今日も笑顔が絶えない。
(おわり)
★ ☆ ★
『幼児化』
「存在を重んじない奴は大っ嫌いだ」
よっちゃんはそう言って手にしていたスコッパを砂のお山に投げつけた。折角高く盛り上げた砂山がざらりと形を崩す。これからトンネルを掘ろうと思っていたのになと、崩れ果てた砂の塊を見てぼんやり思った。
「どうしたの」
先生が慌てて駆け寄ってきた。ぼくたちの間に立って、しきりに顔を覗いてくる。心配そうに歪んだ眉毛に、どうしようもなく謝りたくなった。
「そうくんが自分なんていなければいいって言ったんだ。みんなに迷惑かけてるからいないほうがいいんだって」
「まあ。どうしてそんなことを言うの」
驚いた先生がじっとぼくだけを見ながら問い掛けてくる。その向こう側には厳しい表情をしたよっちゃんがいる。二つの異質な視線を受け止めるのはとても居心地が悪かった。
だからぼくは何も言わないまま、もう一度砂山を作ることにした。バケツに運んできていた水を両手ですくって砂に振り撒く。黒っぽく滲んだ砂をスコッパですくって盛り上げる。そうやって、また一からお山を作るのだ。
突然思いっきり砂を投げつけられた。
「洋介くん、何するの!」
「バカ、そうくんのバカ。そうやって何からも逃げて、いつも隠れて。そうだからキミはダメなんだ。そうだから全然ダメなんだ」
「こら、洋介くん。言いすぎです」
「バーカ。バカそう。もうお前なんか知らないからな」
頭の上で交わされた会話と、遠ざかっていくよっちゃんの足音を聞きながら、毛の間に詰まってしまった砂の感触が気持ち悪かった。ざらざらしてて、頭の中にゴミが入り込んだような気分だった。手で払うとぱさぱさとたくさんの砂が落ちていった。それでもまだ残っている。ぼくの頭の中にはたくさんのゴミが残っている。
でも、このままでもいいかもしれないと思った。今のぼくにはちょうどいい。ふさわしいと思った。ぼくは再び砂を弄り始める。水をかけてはすくって形を整える。結構時間がかかる作業なのだ。
「壮一くん」
柔らかい声がして、温かな掌がぼくの頭を触った。辛抱強く頭の中の砂を払ってくれる。ぼくはスコッパを動かし続ける。
「ねえ、先生。ぼくたちはいつになったら普通になれるのかな」
言葉だけが自然とこぼれだしたような声だった。ぼくのであってまったく別物の声。びっくりしたぼくは、慌てて両手で口を塞いだ。見上げた先生の表情はとても淋しそうだった。
「あなたたちはなにも考えなくていいの。大丈夫よ。時間が解決してくれるわ」
その声はとても優しく響いたはずなのに、ぼくの心臓をぐさりと突き抜けていった。どうしてなのだろう。涙で目の前が滲み始めていた。
違うんです、先生。違うんです。
声がする。ぼくの知らない、でも一番近しいと思える声。ずっとずっと深いところから、擦れて聞こえてくる野太い声。泣いているみたいだ。先生の掌は温かくて、深いところから浮んでくる声は淋しくて、ぼくはもうどうにかなりそうだった。肉体は機械的に砂を穿り返すだけだった。
違うんです、違うんです。ぼくは本当にいてはならないんです。こんなところにいても同じなんです。ぼくはとても臆病でどうしようもない人間だから。
砂を盛る。幼児用のスコッパはぼくの手に平にはかなり小さい。砂を盛る。月日を誤魔化すように。砂を盛り続ける。
(おわり)