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『れじすたー(5)』『三角関数(5)』

『れじすたー』


 その日一日の売り上げがどうもおかしいことに一番最初に気がついたのは、レジ打ちのアルバイトだった。

 いわく、どう考えても数字が合わないのだとか。売り上げとレジ内のつり銭との動きがどうもちぐはぐなんだと、共にレジ打ちに入っていたパートのおばちゃんに漏らしていた。

 ある日、短い時間をやりくりして瑣末な昼食を取っていた店長はおしゃべりなパートのおばちゃんからことの顛末を聞き、血相を変えてアルバイトも元へと詰め寄った。経営不振に喘ぐ昨今、どれほどの無駄も見逃すことが出来なかったのである。

 店長は狭いレジの中へ入るや否や、じろりとアルバイトを見回して低くどすを聞かせて事の次第を問いただした。

「おいお前、もしかして銭をくすねてたりしてへんろうな」

「なんや、いきなり狭いとこ入って来てからに。阿呆なこと言わんといてください。おばちゃんから聞いたんかしりませんけど、くすねた奴が誰かに白状しるはずあらへんでしょうに」

 言われて見ればそれもそうかと店長はたじろき、確かにそうかもしれんと納得した。が、問題は残ったままである。どうして金額が合わないのか。店長は頭を捻った。ほや、それなら聞き込みしてみたらいいんやないやろかと閃いた店長は、早速他の社員やパートのおばさん方に聞いて回ってみたが何も情報は得られなかった。

 結局アルバイトが入っているレジに再び帰ってきたのである。

「ありがとうございましたー。あ、店長。あれからなんか分かりましたか」

 聞いてきたアルバイトに店長は頭を振って返事をする。深いため息がひとつ出た。

「まったく、あんたが犯人やったらどれほどよかったことか」

「それひどいんちゃいます。って、店長。レジん中入らんといてください」

「まあ、ええやないか。そやけど、どうして金がのうなるんやろ」

 身体が引っ付いてしまう距離で唸る店長に、一応アルバイトもどうしてだろうと考えてみたが何も分からなかった。そもそも店長がうざったくなってきていた。

 その時である。がたがたとレジスターが音を立て始めた。飛び上がって驚いたのは店長である。

「おい、どないした」

「わかりまへん。なにもさわっとうないし、俺のせいじゃないですよ」

「お前のせいかどうかはどうでもいい。なにがおこっとるんじゃと聞いとるんや」

「だからわかりまへんて」

「壊れたんかいな」

 ああ、また問題が増え寄った。店長は頭を抱えたくなった。なしてわしん店ばかりこないなことになるんやと、アルバイトの背中をどつきたくなった。が、振りかぶった右手を背中に叩きつける前に、デジタル画面に映ったへんてこな顔に気がついた。

「なんやこれ」

「さあ、わかりまへん」

「お前、さっきからわからんわからんって、どないな阿呆なんや」

「そんなこと言ったって、わからへんことはわからへんのやからしゃあないやないですか。それとも店長、店長はなんかわかってはるんですか」

「わからんから聞いとるんやないか」

「補遺なら店長やって……ん、なんや読めそうですよ、これ」

 そう口論になりそうになりながらもアルバイトが指差した画面には、カタカナで何やら文章が浮かび上がっていた。

『イヤア エライ スイマセンナア サイキン コウウン ガ コロガッテナカッタモンデ ツイツイ カネッチュウ イチバン ワカリヤスイ シアワセ ヲ クラワシテ モロウトリマシタ』

「なんや、これは」

「だから、わかりまへんて。店長こそさっきからなんなんですか。なんやなんやと、どないな混乱してはるんですか」

「しゃあないやないかい。初めてのことなんやから。混乱しん方がおかしいっちゅうもんやで。お、なんや出てくるな」

 レジスターはがたがたと音を立てて、レシートを吐き出した。アルバイトが破り、手に取る。二人覗き込んだ紙切れにはへんてこな人物が映されていて、下に「すんまへんなあ」と書かれていた。

 店長とアルバイトは、ぽかんと至近距離で顔を合わせた。頭上には疑問符がぴょこぴょこと飛び回っている。じっくり互いの顔を見つめてから、二人はまたレシートに向き直って「なんやこれ」と見事に声を合わせた。

 そんな二人の間をびゅうといきなり風が吹いた。思わず目を閉じた二人が再び目を開けた時、手にしていたはずのレシートはがひらひらと宙を飛んでいってしまっていた。狭いレジカウンターの中にひしめくように入った店長とアルバイトは、舞う紙切れをぼうと見るしかなかった。

 これの後、アルバイトによれば売り上げがおかしくなることはなくなったらしい。が、店の経営は一向に楽にはならなかった。

 そんなわけで今日も店長は頭を抱えている。

「もうたたもかな」

 最近多くなってきた店長の口癖である。


(終わり)


  ☆ ★ ☆


『三角関数』


 男は横越のことを好いていた。人格がどうとか人相がどうとかではない。一個人として、恋愛の対象として男は横越のことを好いていた。ずっとずっと長い間胸にその思いを秘め続けていたのだ。

 だからその日、男の胸中が溢れてしまったのはどうしようもないことだったのかもしれない。

 横越は夕焼けに照らされた帰路の途中、男に告白された。お前のことが好きだと。愛していると。これまでに幾度となく笑い励ましあい、帰路を共にしていた同じく男である友人から告白されてしまった。

 当然のことながら横越は慌て戸惑った。いきなり何を言い出すんだこいつは、と目の前で真摯に自分のことを見つめている男の頭のことを心配してしまったほどだった。だが見つめてくる瞳に冗談の色は伺えない。横越は男の告白が真実であるということを悟った。

「……ごめん。お前の想いには答えられない」

 沈黙を破ったのは、そんな横越の一声だった。横越には男色なんて趣味はなかったし、好きな異性がいたのだ。

「綾瀬か……」

 そう男が呟く。横越は一体どんな顔をしたらいいのやら分からなかったが、事実であったので頷くことにした。

「あんな女……あんな女のどこがいいんだよ!」

 男が吠える。

「俺の方がお前のことを知っている。お前の好きな食べ物も好きな本のジャンルも音楽も、もちろん嫌いなものだって綾瀬なんかよりも知ってる。あんな女よりもお前に尽くすことが出来るんだ」

「でも、お前は男じゃないか」

 熱くなる男に横越が至極冷静に、かつ冷酷に反論する。男同士、愛情を深めることなど出来ないと。男は顔を真っ赤にして目に涙を溜めると、ぐいっと横越の方へ歩み寄った。殴られるか、と横越は覚悟を決め目を閉じたが暗闇の中で感じたのはまったく異質の感触だった。目を開けば、男は横越の服の裾を掴んで縋り付くように跪いていた。男が涙声で横越しへと懇願する。

「お願いだ。お願いだよ横越。俺を好きだって言ってくれよ。愛してるって言ってくれよ」

「……僕は鈴丘のことが好きだよ。いい奴だと思ってる。でも、それは友達としての想いだ。恋愛感情なんかじゃない」

「横越、横越」

「しつこいぞ」

 横越は一喝すると、男の手を振り払って一人歩き始めた。その背後で男がしくしくと泣いている。その咽びに横越の胸はちくりと痛んだが、同時に大きな決意が生まれていた。綾瀬に告白する。男とは言え、俺は一人の人間の告白を断ったのだ。けじめをつけねばならないと思っていた。


 翌日。横越の目の前には綾瀬が立っていた。

「綾瀬。俺、お前のことが好きだ。大好きなんだ。愛している」

 横越はじっと熱を込めて綾瀬を見つめた。見つめなければならないと思った。と言うもの、横越の頭の中では、奇妙な数式が出来上がっていたのだ。つまり、自分はあいつからの告白を断り、あいつの告白を失敗させたのだから、俺のこの告白は成功しなければならないと。そうでなければあいつの想いが無駄になってしまうと。なんとも自分勝手で独善的な思考が形成されていたのである。

 だから横越の視線にはいつも以上に熱が篭っていた。想いが詰まっていた。気味が悪くなるくらいにぎらぎらと脂ぎっているような視線だった。そんな視線が辛いのか、綾瀬はこそこそと手を揉み続けていて、いかにも居心地が悪くて堪らないと言う風体を顕にしていた。

 やがて、綾瀬は意を決したようで、動かし続けていた指先を止め、真正面に横越の視線を受け止めた。そして、その小さな唇を気丈に動かしたのである。

「ごめんなさい。私あなたの想いには答えられない」

 綾瀬の鈴のように鳴り響いた可愛らしい声が、長らく続いていた沈黙を破った。

「私、好きな人がいるから」

「鈴丘か……」

 そう横越が呟く。伏せ目がちに綾瀬がぎこちなく頷く。

 横越は、予想していた答えだとは分かっていつつも、目の前が真っ暗になるような衝撃を感じていた。鈴丘は俺が好きで、俺は綾瀬が好き。そして綾瀬は鈴丘が好きなのだと言う。何の悪夢なんだろうと思った。

「分かったよ。分かった。分かったよ、綾瀬」

 そう力なく呟いて、横越はその場を後にした。遠ざかっていく男の小さな背中を見送りながら、綾瀬はひとつの決意を固めていた。つまるところ、鈴丘に告白するのである。

 傾いた太陽が、街を紅に染めていた。


(おわり)

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