4月24日――剪定
4月24日。日曜日。
僕が氷雨さんと一緒に暮らしている家は広い。
何せ道場まで付いている武家屋敷だ。どうして氷雨さんがこんな家を所有しているのか気になりはするものの、以前お爺ちゃんと一緒に住んでいた家にも道場はあったので、そういうものなのだろうと納得している。
もちろん世間一般の家には道場なんかねえよというのは理解している。
でもまあ僕はともかく氷雨さんは世間一般に分類される人じゃないので、納得しても問題ないはずだ。
「ふう。掃除終わりっと」
そんな大きな家だから、氷雨さんが居なくなってしまうと酷く寒々しく感じる。
物音がしないからひとりごともよく響く。そのなんとむなしいことか。
「……何だかんだで甘えちゃってるのかなあ」
寂しいと思っている自分に気付き、そんな言葉が漏れた。
相手が自称幼馴染のお姉さんとはいえ、肝心の僕がそのことを覚えていない以上他人に等しい。というか血縁関係がない時点で完全に他人だろう。
にもかかわらず氷雨さんに甘えてしまっているのは、彼女のお節介のやきかたが上手いのもあるけれど、どこかで僕自身が孤独を感じているのが原因かもしれない。
だから今の家族ごっこを受け入れて生活している。
「まあそんなこと言ったら氷雨さん怒るんだろうけど」
そして実際に言って怒られることを期待している自分も居るあたり、我ながら気持ち悪い甘えっぷりだ。
けれどそこは母親も女兄弟も居なかった、灰色な少年のささやかな希望だと見逃してほしい。
僕だって思春期の男子だ。身近に気さくで優しいお姉さんが居たら慕うに決まってる。
「さて。今日はどうしようかな」
部活にも入っていないし、休日だからといってやることもあまりない。
ならば昨日中途半端に終わった街の探索を続けようか。
そう結論して僕は掃除用具を片付け出かける支度を始めた。
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街に出て来てまず思ったのは、そういえば昨日黒猫を追いかけて辿り着いた神社は何だったのかということ。
あの後結木さんに出会ってすぐに立ち去ったのでよく中を見る暇もなかった。
どうせだから参拝でもしておこう。そう思い昨日の記憶を辿って神社へと向かったのだけれど。
「にゃー」
「……」
何か鳴いてた。
いや「にゃー」と鳴いてるのなら猫だろと普通は思うだろうけれど、その声は可愛らしいけれど猫の声じゃなかった。
「にゃー? にゃうなあ。にゃにゃー」
見た目はクールな銀髪美人が、地面に寝転がっている猫をしゃがんでもふもふしながらにゃーにゃー言ってた。
というか結木さん。どっから見ても結木さん。
「にゃうにゃうにゃにゃー?」
いや待て。
よく聞いてみれば「にゃー」のイントネーションが毎回微妙に違う。
もしかすれば結木さんには「猫と話す異能」がある可能性も。
「にゃーにゃー……ああもう可愛いなあ」
あ、ないわ。
あの蕩けきった顔は完全にただの猫好きだ。
一方撫でられている黒猫は結木さんのちょっかいも気にせずぐでんと寝転がっている。
こっちはこっちでクールだなあ。
「……!」
ここで撫でられていた黒猫が僕に気付き、ピンと耳を立てながら僕の居る神社の入口へと顔を向ける。
「ん? どうしたにゃ……」
「……」
つられて結木さん僕に気付く。そして猫に手を伸ばしたまま石化。
うん。そりゃそうなるよね。
さて。これで逃亡は不可能になったわけだけれど、どうしよう。
恐らく、というか確実に結木さんは気が強い。下手に気遣っても反発するに違いない。
ならここは堂々と、何もやましいことなんてないと言わんばかりの態度を取るべきだろう。
「……猫と話してるとにゃあにゃあ言っちゃうよね!」
「悪かったね猫と話しててッ!」
怒られた。
おかしい。僕は何を間違えた。
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「で、何でアンタが此処に居るんだい?」
「何でと言われても」
むしろ何で結木さんは神社で猫撫でながらにゃーにゃー言ってんだと聞きたいところだけれど、聞いたらまた怒るだろうから聞けない。
「昨日ずかずか入ってきたのに、ここの神様に挨拶してなかったから、参拝でもしとこうかなって」
「アンタ信心深いタイプなの?」
「いや、そこまで気にするタイプでもないけど。ここ稲荷神社みたいだし」
稲荷神はご利益はあるけれど機嫌を損ねれば祟ると言われている。
まあ別に稲荷神じゃなくても祟るときは祟るのが神様だし、稲荷神が祟るのは俗説だとも聞いたことがあるけれど。
「それなら大丈夫だと思うよ。私子供の頃からこの辺に住んでるけど、ここの神様が祟るなんて聞いたことないし」
「そうなの?」
結木さんの言葉を証明するように、黒猫が呑気にくあーっと口を大きく開けてあくびをする。
「それにここって稲荷神社だったのかい? 狛犬しかいないよ?」
「はい?」
そう言いながら結木さんが指さした方向を見れば、確かに境内のわきに大きな狛犬が一体だけ居た。
あれ? 確かにここの神社をネットで調べたときは稲荷神社だったのだけれど。
それに仮に稲荷神社ではなかったとしても、何故狛犬が一体だけなのか。
これでは阿吽ができないではないか。
「……よく分かんない神社だなあ。祭神とか分かる?」
「さあ? お婆ちゃんとかは『おしゃかさん』ってよんでたけど」
「わけがわからないよ」
神社なのに何故お釈迦様なのか。神仏分離される前は一緒に祀られていたのだろうか。
しかし地元民でも知らないとなると、ネットなんかで調べても何も出てこなさそうだ。
見たところ神主さんとか管理者の類も常駐していないみたいだし、神社のいわれを聞くこともできない。
「まあいいか。参拝参拝」
「じゃあついでに私も」
僕が財布から小銭を取り出すのを見て、結木さんも隣に並びながら財布を取り出す。
「……」
そして財布の中にあった五円玉を全て賽銭箱へと入れると、パンパンと柏手を打ち挨拶を済ませた。
「そういえば結木さんの異能って、手を合わせると発動するってことでいいの?」
参拝も終わりさてどうしようかと思ったのだけれど、ふと柏手絡みで結木さんの異能を思い出しそう質問する。
「多分ね。どこまで治せるのかとかは確認したことないけど」
「ああ。それはそうだろうね」
仮に重傷者を治すような機会があったとしても、実際に治してしまったら傷が消えたと大騒ぎだろう。
現代社会は本当にそういった出来事を隠蔽しづらい。
「あと二回に一回は絶対に失敗するね」
「確率は半分ってこと?」
「いや。確率とかじゃなくて、一回成功したら次は失敗、その次は成功、そのまた次は失敗って交互になるんだよ」
「ああ。そういうこと」
それはまた妙な制限だ。
もしかして溜めが必要で、一回目はチャージで二回目で発動とでもなっているのだろうか。
「まあ平和な能力でいいんじゃない。カトリックあたりに知られたら奇跡認定されそうだけど」
「何その面倒くさそうな認定」
再び黒猫を撫でながら嫌そうな顔をする結木さん。
ここでまったくありがたがる様子がないのが正に日本人と言った感じだ。
「そういえばこの子結木さんの飼い猫?」
昨日は警戒心たっぷりだった黒猫がされるがままなのを見て、僕も手を伸ばしてみる。
しかし昨日の態度は何だったのか、黒猫は寝返りをうって腹まで見せてくれている。
「いや……。うちのアパート、ペット飼えないんだよ」
「ああ。猫好きなのにそれは辛いね」
「……」
僕の言葉に微妙な顔で沈黙する結木さん。
これはきっと「誰が猫好きだ」と反論しかけたけれど、猫語喋ってたのを見られたから説得力がないと自覚して飲み込んだのだろう。
「でもこいつまだ小さいのに親猫とか見当たらないでしょ? だから気になってさ」
「ああ。そういえば」
昨日も怪我をしていたし、心配になるもの当然だろう。
一方の黒猫は再び大口を開けてあくびをしている。呑気だなあ。
「だからアンタ飼えない?」
「うわあ、直球だ」
会話の流れから遠回しに飼い主探しを手伝わされるのかと思ったら、こちらをダイレクトアタックしてきた。
一方黒猫は起き上がって僕の足にゴスゴスと頭突きを始めた。
もしかしてこれは甘えているのだろうか。
「あー、ちょっと保護者に聞いてみるから待って」
「聞いてくれるんだ」
僕の答えに意外そうに驚く結木さん。
まあ猫は昔飼っていたことがあるし、もしかしたら氷雨さんが猫好きという可能性もある。というかあの人自身が気まぐれな猫みたいだから気が合うに違いない。
「うーん。出ないなあ」
氷雨さんの携帯へと電話してみたものの、コール音は鳴りやまずしばらくして留守番電話へと切り替わった。
仕事中なのだろうか。
「ごめん。まだ仕事が忙しいみたい。明日には帰ってくるはずだからそれまでには分かると思うけど」
「アンタの親何の仕事してんの?」
「国家公務員」
嘘は言ってない。ついでに親はいないけどいるとも言ってない。
別に僕自身は気にしてのだけれど、親がいないと言うと大抵可哀想なものを見るような目をされて面倒くさいのだ。
姿見くんなどは言っても向こうからつっこんだ話をしてこないから話したけれど、まだ結木さんがどんな人なのか分からないし、家庭の事情をわざわざ説明する必要もないだろう。
「じゃあ連絡先教えてくれる? とりあえず今日は私がこいつ預かっとくから」
「了解」
言われるがままに携帯を取り出し番号とアドレスを交換する。
そして交換した後気付いたけれど、氷雨さん以外の女の子の連絡先を登録したのは初めてだ。なんてことはないはずなのに、自覚すると何だかむずむずしてくる。
「どうしたの?」
「いや。学校の人と連絡先交換したの初めてだなって」
咄嗟に出た言葉は嘘ではなかった。
何せ今のところ近づいてくるのは姿見くんと仲辻さんくらいだ。
姿見くんとはまだ休日に会うほど仲がいいわけではないし、仲辻さんにいたってはこのままフェードアウトしていく可能性が高い。
そう考えると結木さんの連絡先ってかなり貴重なのではないだろうか。
結木さん自身学校には友人とか居ないみたいだし、レア度跳ね上がりだ。
「ああ。まあ去年あんなことがあったからね。みんな怪しいやつを警戒してんでしょ」
「あんなこと?」
あの学園は訳ありだ。そう僕は聞かされている。
それを僕は異能者が出やすい土地にあるということだと思っていたのだけれど、最近事件でもあったのだろうか。
「聞いたことないの? 去年生徒会の副会長だった女子が行方不明になったんだよ。同じ時期に何人も事故や病気になってて、呪いだとか噂がたってノイローゼになった子もいたらしいよ」
「呪い……ね」
普通ならただの偶然か集団ヒステリーで片付けられるだろう。
しかしあの学園――実際に二人も異能者が居た学園の出来事だ。
異能絡みの事件もしくは事故が起きていても不思議ではない。
しかし気になるのは、何故それを氷雨さんは僕に教えてくれなかったのかということ。
「その行方不明になった女子の名前とか分かる?」
「確か……もとひとかやって言ったっけ。漢字までは知らないけど」
「もとひとかや……」
舌の上で転がすようにその名前を反芻する。
聞いたことのない名前。しかしそれがとても懐かしいもののような気がした。