5月28日――そして誰もいなくなった3
気付かなかったと言いながら、まったく動揺した様子もなく斎院先輩は眼鏡越しに僕を見ていた。
相変わらず何を考えているのかよく分からない。
見た目も態度も、この人は実直だ。例え真実を語ることをしなくても、嘘を並べ立てることもしないだろう。
しかしだからこそ、その姿が陽炎のようにとらえどころがない。
偽りのないその姿こそが偽りに見えるのは、それを見ている自身が歪んでいるからだろうか。
「その顔だと大体の話は聞いていたらしいな。それで、何を聞きたい?」
「聞いたら話してくれるんですか?」
「ああ。結局明確な契約はしなかったからな」
確かに。僕を巻き込みたくない氷雨さんに対し、斎院先輩は最後までその方針に従う旨を口にはしなかった。
だからと言ってあっさりとそう口にしてしまえるあたり、やはり安易に信じるのは危ういかもしれない。
「学内で起きてる件っていうのは?」
「表向きは病欠ということになっているが、一年生を中心に十人以上が意識不明になっている。うち一人は今朝目が覚めないまま息を引き取った」
しかし聞けばまたしてもあっさりと、とんでもないことを斎院先輩は口にした。
「……大事件じゃないですかそれ?」
「ああ。今までの俺たちの小競り合いが茶番に思える事件だ。しかし未だもって犯人も原因も分かっていない」
「先輩たちの仲間の仕業ではないんですか?」
「少なくとも俺は把握していない。それに被害者が一年生だけということを考えれば、犯人も一年生。つまり最近になって目覚めた新しい異能者である可能性が高い」
「なるほど」
去年輪人迦夜が行方不明になった時点で、斎院先輩たちは表立って動くのをやめた。
ならその後新しく異能者が現れても把握してないというのは本当だろう。実際姿見くんや結木さんのことは最近まで知らなかったようだし。
「調べるか? 下手をすれば意識不明者の仲間入りになるかもしれない。それを彼女は望んでいなかったようだが」
「ええ。でも自分から首を突っ込まないと、後からもっと酷いことになりそうな予感があるんですよね」
今だって何もせずに帰ろうと思ったら、それだとまずいことになりそうだと過去視で見えたからここに居るわけだし。
多分逃げようと思っても結局巻き込まれて後手に回るとか、そんな未来でも待っているのだろう。
「ほう?」
僕の言葉に、斎院先輩は静かに目の色を変えた。
ほんの僅かな、些細な変化だ。だがそれまでどこか諦観を帯びていた斎院先輩の静の気配が、興味という明確な動のそれへと変わっている。
「そういえばおまえの異能が何なのか聞いていなかったな」
「……僕は異能は持ってませんよ」
少なくとも今になっても誰にも話していない。
だから僕が異能に目覚めたと知っている人は居ないはずだ。
「……そうか」
(え?)
僕の言葉を聞いて、斎院先輩があからさまに気落ちした。
いや。表情は相変わらず変わりない。ただ纏っている空気が微かに変化したのだ。
何だ? 何故僕が異能を持ってないと聞いて斎院先輩が落ち込む?
輪人迦夜の代わりにならないからか? 異能があれば彼女の代わりになれる?
いや、そんな都合よく僕が輪人迦夜の代わりになれる種類の異能に目覚めるわけが……。
「じゃあ。また来週学校で。お互いにせいぜい気を付けるとしよう」
「……」
そう一方的に告げて斎院先輩は踵を返す。
その背に声をかけようと口を開きながら手を伸ばし、しかし何を言えばいいのか分からず、未練がましく伸びた腕を下した。
・
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「というわけなんだけど、どうしたらいいと思う?」
「知るか」
次の日。
日曜日ということで昨日と同じようにストリートマジックをしていた姿見くんに、どうしたものかと相談してみたら一言で話を終わらされた。
「……少しは考えてくれてもいいでしょ」
「むしろ何で俺に聞くんだよ」
「一番蚊帳の外にいるから」
要は第三者的な立場からの意見がほしいのだ。
そういうと姿見くんは訝し気に片目を歪めながら僕を見てくる。
「姉貴分のことは信用してないのか?」
「人間としては信用も信頼もしてるよ。公人としては信頼してないけど」
僕を危険に近づけたくないのは本当だと思う。
しかし上司の髭ロン毛曰く僕は餌だ。完全に安全圏に引き戻すことは氷雨さんの立場的にできないだろう。
あと地味に情報封鎖するのもやめてほしい。
今回の件もそうだけれど、以前頼んだ輪人迦夜の写真や情報はいつになったら渡してもらえるのだろうか。
「じゃあおまえはどうしたいんだ?」
「え?」
「だから。何をすべきかじゃなく、何をしたいんだおまえ。何でヤバいと分かってんのに餌役続けてんだ」
「……」
何故?
確かにそうだ。僕にはそこまでして危険の中に身を置く理由がない。
いや、あるにはある。
僕の家族。お爺ちゃんに僕を預けた、僕を捨てた父だ。
依頼を受ける際に父を探してほしいと、ほとんど思い付きで条件として提示した。
けれどその程度だ。退けない理由にはならない。
人探しなんてわざわざ異能対策課を通じて国に依頼しなくても、興信所にでも頼めばいい。
それなりに値がはるけれど、バイトでもすれば十分出せる金額だ。
実際ヤバいことになるなら逃げるつもりだった。
なのに何で僕は逃げられるうちに逃げずに、こうして自分から首を突っ込もうとしているのだろう。
そう考えて思い出したのは、一番最初に命の危機を感じたあのときのことだった。
「……恐かった。でもそれ以上に助けたかったんだ。僕を傷つけ(殺し)て泣いていた結木さんを」
僕の危機感が足りなかったせいか、結木さんに殺されるというあり得なかった過去の数は膨大だった。
異能に目覚めたばかりだということもあったのだろうけれど、僕の頭が負荷に耐えきれず焼き切れそうになるほどに。
そしてその中で、必ず結木さんは我に返り自分の罪に耐えきれず泣いていた。
そうだ。確かに僕は膨大な過去の中で己の無力さを思い知らされた。
けれど同時に感じ取ったのだ。
何もできずにただ泣いている彼女を見ていることしかできない無念を。
そして許せなかった。
彼女をそんな所へ追い落としたものが。
「救いたい。手を伸ばしたい。誰かが傷ついて泣いてる姿なんて見たくない」
何て子供じみた英雄願望だろう。
お節介にも程がある。
一人の人間にできることなんてたかが知れている。きっとそういった理不尽に折り合いをつけるのが大人になるということだろうに。
「見て見ぬふりはできる。だけどそれでも救われなかった人が居るという現実は変わらないんだ」
そんなのは嫌だ。僕はそんな事実を無視できるほど大人じゃない。
そして何よりも。
「降って湧いたような力で調子に乗ってるような連中が気に食わない。少なくとも結木さんを操ってたやつは殴らないと気が済まない」
だからそれまで逃げるわけにはいかない。
大義や高尚な理由なんてなくて、僕が背を向けない理由はそんな子供じみた意地だった。
「ふーん。まあいいんじゃないか。ガキらしくて」
そしてそんな僕の頼りない立ち方を、姿見くんは他人事のように気負いなく肯定した。




