5月11日――フォーリンラブ8
「さてどうしようか」
壁に背を預けつつ、扉を両手と片足で支えながら考える。
幸い飛んできた物は着弾すると同時に勢いを失った。
今も扉越しにこちらへ来ようと圧力はかけてきているが、人間の力で十分に抗える程度のものだ。
例えるなら満員電車で圧迫されている程度だろうか。田舎育ちなもので満員電車なんてものに乗ったことはないけれど。
「そう。支えられるのがおかしいんだよね」
今の僕は氣で力を強化していない。本当にその程度の力しか今はかかっていないのだ。
標的にぶつかった瞬間に力を失うのかと思ったけれど、今もそれなりの力でぐいぐいと押してきてる。
さらに気になるのは、飛んできた物が加速したということだ。
普通に考えれば飛んできた物体は空気抵抗で失速する。なのに今まで飛んできた物体はむしろそんな物理法則を反転したように徐々に加速しながら飛んできた。
物理法則を無視していると言えば質量もだ。
普通軽いものと重いものを同じ速度で飛ばそうと思ったら、重いもののほうが力が必要となる。
だが叶先輩の異能で飛んでくる物体は全部そろえたように同じ速度だ。なので重い物体ほど止めるのが厄介になっている。
異能だから物理法則なんて適応されないと言われればそれまでだけれど、それならそれで別の法則の下に動いているはずだ。
「うふふふふ。諦めたのかしら?」
そうやって壁と扉の間に挟まれたまま考えていると、再びスピーカーから叶先輩の声が聞こえてきた。
この人はこの人で今の状況をどうやって見てるんだろう。
まさか監視カメラでもついてるのだろうかこの学校。
「ちょっと質問いいですか?」
「あら。何かしら?」
ダメもとで聞いてみたのだけれど反応があった。
もうどうやってこちらの声を拾ってるのかとかは考えないでおこう。
「僕と仲辻さんはただの友人ですよ」
「え? そうなの?」
何か普通に驚かれた。
まさか本当にそこが理由だったのか。
じゃあ結木さんと帰った場合に狙われたのは何でだ。
「でも男女の間に友情なんて生まれないって言うじゃない」
「男女の関係を何でもかんでも恋愛に結び付けるのは、欲求不満なせいらしいですよ」
というか親友レベルならまだしも、異性の友人関係なんてそこらじゅうにあるだろうに、何でそんな言葉が真理のように話されているのだろうか。
まあ僕も思春期だし、まったく下心がないとは言い切れないけれど。
「……そうなの」
「そうそう」
そしてこんなにあっさり丸め込まれる叶先輩は、人として大丈夫なのだろうか。
「じゃあ私って欲求不満?」
伝聞じゃなくてアンタの経験則かい。
「さあ? 輪人さんが居なくなって寂しかったから、似てる僕と重ね合わせて嫉妬したんじゃないですか」
話しつつもどうしたものかと考えるのはやめない。
ふと視線を横にずらせば、脇腹のあたりに湯呑がひっついていた。
この湯呑もしつこい。
というか体にあたっていたのか。他のものの勢いが凄すぎて気付かなかった。
「……」
なんとなく、扉を片手で支えなおしその湯呑を手に取る。
やはり弱いながらも僕に引き寄せられるように力が加わっている。
手首のスナップだけで投げてみれば、最初勢いよく飛んでいったものの徐々に減速し、そして完全に制止すると今度はこちらへと加速しながら帰ってくる。
「……」
今の動きに覚えがある。
少し考えれば分かった。真上にボールを投げた時の動きだ。
真上にボールを投げても、重力に引かれて減速し落ちてくる。
当たり前だ。現代の子供ならリンゴが落ちるところを見なくても知っているだろう。
するともしかしてこの湯呑の動きは僕に向かって「落ちてきた」のか?
他の飛んできた物体も、飛んできたのではなく僕に目がけて落ちてきている?
「……なるほど」
ようやく合点がいった。
そして一度仮説が立てば疑問だった部分にも納得がいく。
質量に関係なく同じ速度なのは「飛んでいる」のではなく「落ちている」から。
物体が落ちる速度に質量はほぼ関係ないし、距離があるほどに一定の速度まで加速する。
あり得なかった過去での長距離狙撃にも納得だ。
あの距離を「落ちてきた」ならそれはさぞ加速がついていたことだろう。ビルから何か落としただけで、それが頭を直撃して死亡事故になることだってあるのだから。
しかも僕目がけて勝手に落ちてくるから、ろくに狙いなど定めなくても勝手に当たる。
そう言う意味では遮蔽物の多い場所にいることを心がけていたのは間違いではなかった。
この異能の影響を受けたものは僕目がけて落ちてくるのだから、障害物がなくて距離があるほどに厄介な能力となる。
逆に言えば落ちてくるものとの距離が開いていなければ、いくらでも対処可能だ。
今のように一度受け止める羽目になっても、余程の大質量のものでないかぎり対応できる。
しかし僕が引力の中心なら、作用反作用とか他の物理法則どうなってるんだろう。
僕は地球みたいな大質量の物体じゃないから、位置エネルギーやら運動エネルギーの総和がおかしなことになるはずなのだけれど。
それこそ異能に常識は通じないということなのだろうか。
「さて、それが分かったところでどうするか」
今のところは対処可能だが、使い方によっては厄介なのは変わりない。
それこそ大量の刃物でも出されようものなら、距離がなくてもハリネズミにされて死ぬだろう。
僕の硬功は叶先輩と違って刃物を弾くような変態的な領域へは至っていない。
「やっぱり接近戦か」
異能の正体は分かっても、対処法は大差ない。
叶先輩が打撃では沈まないほど硬い以上、密着して締め落とすしかない。
ならあとは僕目がけて落ちてくる物にどう対応するか。
「……やってみるか」
頭の中でプランを組み立て動き始める。
やるだけやってみてダメなら別の方法を考えよう。
現時点では長距離からの狙撃はないだろうから、殺される心配もほぼない。
「ハアッ!」
氣で身体能力を強化し、引き寄せられている物体を遠くへと蹴り飛ばす。
そしてそれらが戻ってくる前に駆けだして、階段目がけて走り出した。




