4月23日――尻尾1
4月23日土曜日。
休みだというのに5時に目が覚めてしまったのは、お爺ちゃんと一緒に暮らしていた頃の生活習慣が原因だろう。
お年寄りの朝は早い。でもお爺ちゃんの朝が早かったのは多分年齢関係ない。
何せ起きるなり早朝稽古開始だ。
弟子である僕も当然それに付き合い、寝坊など生まれてこの方したことがない。
軽く身支度を整えると道場に赴き、引き戸を全開にして空気を入れ替える。
「あ、おはようございます氷雨さん」
「ふあぁ……おふぁよー」
道着に着替えて軽くストレッチをしていると、同じく道着姿の氷雨さんがあくびをしながら道場に入ってきた。
寝ぼけ眼ながらもきっちり同じ時間に起きてくるあたり、氷雨さんもなんだかんだ言って武道家なんだなあと思う。
まあそれでも朝に弱いのか、朝食を食べてコーヒーを飲むまでは目はほぼ閉じたままだけれど。
「じゃあ準備運動終わったら言ってねー。相手したげるから」
「はい」
そう言って立ったままコテンと首を傾ける氷雨さん。
この状態で組み手をやっても避けるし反撃してくるのだから、この人も大概おかしいと思う。
これもある意味常時戦場の境地と言えるのだろうか。
「……いきます!」
軽いストレッチを終え、宣言と同時に掌底を放つ。
さて。今日は何本取られるかな。
・
・
・
ずっと一緒に暮らしていたお爺ちゃんが死んだのは、半年ほど前のことだ。
朝になっても起きてこないので様子を見に行けば、布団の中で冷たくなっていた。
慌てて近所のかかりつけの医者に連絡し、あとはお爺ちゃんの知り合いへの連絡やら葬儀の準備やらで大忙しだ。
忙しいは心を亡くすと書くけれど、本当に忙しくて悲しんでいる暇などなかった。
「志龍。私今日の晩からしばらく帰らないから」
そして悲しみがぶり返す前にやってきたのが氷雨さんだったわけだけれど、この人はこの人で色々謎が多い。
普段は家でぐうたらしているのに、突然こうやって何日も何処かへと出かけたりする。
恐らくは所属している怪しげな組織とやらの仕事なのだろう。
どんな仕事をしているのかはほとんど知らないけれど。というか知らないほうがよさそうだと僕の勘が言っている。
「分かりました。お昼ご飯はどうします? 僕は朝から出かけるつもりですけど」
「適当に食べるからへーき。私が居ないからってごはん抜いたりしないようにね」
「しませんよ」
「よろしい」
そう言うと味噌汁を飲み「うーん。朝はやっぱりこれよね」とご満悦な氷雨さん。
うちの朝食はごはんとみそ汁に卵焼きという定番に、昨日のおかずの残り物まで並んだりと結構がっつり食べる。
本日も卵焼きのとなりには餃子がいくつか転がっている。
朝から肉を食べるのは無理だという人も居るらしいけれど、僕も氷雨さんも普段から体を動かしているせいか揃って胃は丈夫で健啖家だ。
氷雨さんが居なくたってごはんを抜くはずがない。
「帰るのはいつごろになりますか?」
「うーん、月曜日の昼くらいかしら。晩御飯は私が作っとくわよ」
「分かりました」
とりあえずこの週末は氷雨さん抜きでの休日となるらしい。
――この時はまだ、氷雨さんの不在が致命的な事態を招くとは思ってもいなかった。
・
・
・
「うーん。意外に本数少ないな」
停留所の時刻表を見て独り言が漏れる。
まだ商店が開き始めたばかりの時間。僕は何をするでもなく町中をぶらついていた。
引っ越してきたばかりの街。まだ地理に不案内な僕は探検気分で家を出た。
しかしいざ中心市街地へと着いて停留所で時間を確認すると、自宅方面へと通じるバスは一時間に一本しかないときた。
しかし他の場所へのバスは普通に何本もあるので、これは僕が住んでいるところがこの田舎町でも有数の田舎だというだけだろう。
「まあいざとなれば歩いて帰れる距離だけど」
何十分かかるかは分からないけれど、別に急ぐ用事もない。
帰りは時間が合えばラッキーくらいに思っておこう。
「さて」
とりあえずは街の中心のアーケード街まで行ってみよう。
そう思いながらしばらく歩いたところで、思いがけない光景に遭遇した。
「じゃあ次は。どなたかここから一枚引いてもらえますか?」
大通りから一つ道を入った路地。
ちょっとした人だかりがあるので気になって見てみれば、一人の少年がトランプを手に何やらやっていた。
小さな机にカードやコイン。
ストリートマジシャンというやつらしいけれど、それだけなら珍しいなと思いながら通り過ぎただろう。
「姿見くん?」
愛想よく笑いながら手品を見せているのは、クラスメイトである姿見くんだった。
観客の一人からカードを受け取ると、手にした山の中へと無造作に入れている。
「こうやって指で弾いてやると……はい。こうしてさっき中に入れたはずのカードがなんと一番上に!」
姿見くんがデッキの一番上のカードをめくって見せれば、観客たちから拍手が巻き起こる。
まさか姿見くんにこんな特技があったとは。
おひねり箱があるのを見るに小遣い稼ぎの一環なのかもしれないけれど、手捌きを見るに一日二日の練習でできるものじゃない。
観客が選んだカードを当てる。
カードを裏返したと思ったら、もう一度裏返すと別のカードになっている。
観客に好きな数字を言ってもらうと、その数字のカードがポケットから出てくる。
一部は注意深く見ていればそのトリックを見抜けたけれど、半分以上はさっぱりだった。
「じゃあ最後に。今から三つ数えて指を鳴らすと――このトランプが一瞬でケースの中に戻ります」
最後と言われてハッと我に返る。
普通に面白くて見入ってしまった。手品というのはタネがあるものだと思っていたのだけれど、先ほどから姿見くんがやっているのは話術で観客の意識を誘導したり、一瞬でカードを入れ替えたりと技術の塊だ。
一体どれほどの時間をかければこれだけの技術を得られるのだろうか。
「では……ワン、ツー、スリー!」
そう言って姿見くんが指を鳴らした瞬間――机の上に置かれたトランプの山がこつぜんと消えた。
・
・
・
「こんにちは姿見くん」
「ん? おお青葉じゃん。見てたのかよ」
観客が離れ後片付けを始めた姿見くんに、僕は声をかけた。
姿見くんは一瞬驚いたように目を見開いたけれど、すぐに見慣れた笑みを浮かべて手を振ってくる。
「悪い。歩きながらでいいか」
「分かった」
道具を茶色いクラシックバッグに詰め込むと、姿見くんは歩き始める。
路地裏だというのに小さな商店が多く人通りも多い。
なるほど。こういうところに穴場のお店とかがあるのかもしれない。
「姿見くん手品できるんだね」
「ん? ああ。最初は見様見真似だったんだけどな。暇つぶしに練習してたらできることが増えてって、まあそんな感じだ」
「へー凄いね」
本当に。本人は暇つぶしなんて言っているけれど、それだけであの技術は身に付かないだろう。
だけど――。
「最後にやったやつ。アレ、手品じゃないよね」
最後に姿見くんがやったトランプの瞬間移動は、手品なんて子供騙しではなかった。
「は? 何言ってんだ」
姿見くんの足が止まる。
言葉通りに、何を言われたのか分からないとばかりに顔をしかめている。
「僕は目がいいんだ。あの瞬間。確かにトランプは移動じゃなくてその場から消失してた。早業だとかタネがあるとかいうレベルじゃない」
「……」
僕の言葉に姿見くんは何も言わない。
ただその顔から、表情が消えていた。
「単に移動したんじゃなくて、一瞬で消えて一瞬で現れた。そうまるで――」
――物理法則を無視したみたいに、トランプの山はテーブルの上からケースの中へと瞬間移動した。
「……」
姿見くんは何も言わない。
ただ感情の見えない表情で、ずっとこちらを見つめている。
「スリーカウントで――おまえは俺に疑いを持たなくなる」
「え?」
一体何を。
「ワンツースリー!」
疑問を発する暇も与えず、姿見くんはカウントを終え、右手の指を鳴らした。
「……」
「……」
お互いに無言で見つめあう。
熱くもないのに額に汗が流れるのを感じる。
やられた。完全に油断していた。
友人だから危害は加えられないだろうと楽観視していた。
そりゃそうだ。姿見くんが何らかの異能を持っていて、それをバラしたくないなら口を封じるに決まってる。
うかつに話なんてするべきじゃなかった。
「……あれ?」
そう後悔したのだけれど、どうもおかしい。
先ほど姿見くんは「おまえは俺に疑いを持たなくなる」と宣言した。
恐らくはそうやって宣言してカウントを終えるのが彼の異能の発動条件なのだろう。
だが僕は姿見くんに対する疑問をまだ抱いている。
「驚いたか? まあこの通り。人間には効かない中途半端な力だぞ」
「……」
悪戯が成功した子供のように笑う姿見くん。
いや、というか完全に悪戯だった。
「脅かさないでよ。心臓止まるかと思ったし」
「なんでそこまでビビってんだよ。実際これ手品の代わり程度にしかならないぞ。『大金が手に入る』とか『爆発が起こる』みたいなでかいこと宣言しても何も起きないし」
「そうなんだ」
それはまた使い辛そうな異能だ。
しかし物体の瞬間移動はできるのに爆発は起こせないってどんな基準なんだ。
「というかそんなあっさりバラしていいの?」
「ん? ああ。むしろこの妙な力に気付く人間が居ないかと期待して、最後だけ使ってたんだよ。他に似たようなことできる人間いねーのかなと思って」
「なるほど」
どうやら氷雨さんの言っていた、突然異能に目覚めた手合いらしい。
そしてその異能を自覚して、同類を探すために敢えてそれを見世物にしていたと。
「気付いたのは一ヶ月くらい前かな。しかしよりによって最初に見抜いたのがおまえで、しかも何か特殊能力があるとかじゃなくて自力かよ」
「あー……」
確かに見破ったのは自力だけれど、異能に似た力を使えるのは言わないでおくべきだろうか。
さっき不意打ちくらったばかりだし、まだ何かあるかもしれない。
「知り合いにそういう力に詳しい人が居るから紹介しようか?」
「マジか? その知り合いも変な力でも持ってんのか?」
「うーん。持ってると言えば持ってるんだけど」
氷雨さんが使っている氣は、出力がぶっ飛んでいるけれど一応僕と同じ武術という技の範囲内だ。
それなのに氷雨さんが異能に詳しいのは、彼女がそういった人間を専門とした対異能機関に属しているから。
聞いただけで胡散臭い組織だけれど、一応どっかの省に属する国家公務員らしい。
まあ実際に異能という力が実在する以上、それに国が対応するのは当然なのだろう。しかし未だ異能というものに馴染みがない僕にはピンと来ない世界だ。
しかもこの街に来て最初に出会った異能者は、本人が手品師な上に異能も手品紛いときた。
もしかして炎を操るとか衝撃波を放つみたいな分かりやすい異能の方が少ないのだろうか。
「一応国家公務員らしいし、異能者を保護してるみたいだから信用はできると思う」
「話を聞いてると胡散臭すぎてまったく信用できないんだが」
「胡散臭い力持ってる人に言われても」
実際一連の会話も、傍から見たら痛い人たちの会話にしか見えないだろう。
俺の右手が目覚める的な。
「いや……すまん。やっぱ信用できないわ。おまえの方から実際その異能者とやらがどんな扱いになるのかとか聞いてみてくれないか?」
「うん。分かった」
そう言って判断を保留した姿見くんだけれど、一応僕自身のことは信用してくれているらしい。
友人だからと偽りなく腹を割って話したのは正解だったということだろうか。
「ところで、その力って何処までやれるかとか把握してるの?」
「ん? ああ。今のところ分かってんのは、とりあえず人の意思を曲げたり操ったりするのは無理だったな。さっき言ったみたいに爆発起こすとか、何かを取り寄せるとかも難しい。何というか……『こんなこと起こるはずがない』と思われると上手くいかない感じか。そのせいかしらんが手品に見せかけると高確率で上手くいくな」
「なるほど」
恐らく先ほどの瞬間移動は、散々手品を見せられた後に「トランプが一瞬で移動します」と宣言されたから、観客たちもそれを素直に信じて成功したのだろう。
そして先ほどの「おまえは俺に疑いを持たなくなる」というのは、僕がその宣言に抵抗の意思を持っていたから失敗した。
何というか、世界を騙してるみたいな印象を受ける異能だ。
もし制限が「人の意思に反することはできない」ならば、手品師であり、ある意味騙すことに長けた姿見くんの資質に適した異能なのかもしれない。
「あとは意思を曲げるんじゃなくて思考を誘導する程度とか、確率操作の類は上手くいくことが多いな」
「へえー……え?」
思考の誘導と確率操作?
「まさか……ジャンケンの勝率が異様に高かったのって……」
「……」
僕の疑問に急に無表情になり目をそらす姿見くん。
イカサマじゃないだろうと思ってたらやっぱりイカサマだった。
「じゃあ、俺はまた別の場所でマジックやるからこれで」
「うん。月曜日を楽しみにしとくね」
そそくさと逃げる姿見くんに笑顔で「覚えてろよ」と言っておく。
もうネタは割れたわけだし。次から姿見くんの僕に対する異能の効果は大きく下がることになるだろう。
とはいえ、姿見くん家の家系が苦しいのは事実なのだろうし。
おごると言っても素直にきかないだろうし、水筒にコーヒーでもつめて持っていくようにしようか。
そんなことを考えながら僕は街の探索を続けた。
マジック(種も仕掛けも)
姿見公一の異能。
起こしたい現象を宣言しスリーカウントの後に指を鳴らすことで発動する。
姿見単独では僅かな思考の誘導や確率操作程度のことしかできないが「観客」が彼の宣言を信じることによってより大きな現象も操ることができる。
志龍は「世界を騙す能力」と評したが、ポジティブに解釈すれば「人の信じる力を集めて奇跡を起こす能力」と言える。