5月10日――フォーリンラブ2
「……夢?」
先日と同じようにもがきながら目が覚めた。
夢だと判断したのは、それが僕自身の昨日の記憶と剥離していたからだ。
昨日僕は誰とも出会わず一人で帰った。
仲辻さんとは靴箱でも会わなかったし、帰り道で狙撃もされていない。
「あーまた来た。そういうことか」
しかし今この瞬間にも「在り得なかった過去」が次々と頭の中に流れ込んでくる。
些細な誤差はあるが大まかな流れは一緒だ。
仲辻さんと偶然会って一緒に帰るか、服装検査にひっかかって結木さんと帰りが一緒になるか、あるいは一人で寂しく帰るか。
そして一人で帰った場合は、今ここに居る僕のように何も起こらず平穏無事に一日を終えているが、仲辻さんか結木さんと一緒に帰った場合は狙撃されている。
基準が分からない。
何だろうかこのサウンドノベルで選択肢を間違えた時のような理不尽な死亡フラグは。
「全く役に立たないわけではないけど、やっぱり未来視に比べると不便だなあ」
発動条件が分からないとはいえ、もしもの過去も視られるだけでも過去視としては破格なのだろう。
しかし前回の結木さんの時のように微妙な時間差でもなければ、事前にそれを知り回避するというのは不可能だ。
現にこうして僕が生きているのも単なる偶然の要素が強い
まあ普通の人よりは多くの教訓が得られそうではあるけれど。
「しかし僕でも視認できない速度の弾丸ね」
本当に狙撃だったのだろうか。
いや、狙撃でないのならむしろ何なのかという距離と速度だけれども。
飛来物の発射地点は、恐らくは概算で一キロメートルは離れたビルの屋上だろう。
もうこの時点で常識的に考えれば銃以外の可能性はほぼ消える。
しかし今度はこの日本という国の常識が銃という可能性を低くさせる。
一般人が所有できるのは頑張っても猟銃か競技用の銃の類。
非合法的に手に入れるにしても拳銃程度が関の山だろう。
一キロメートルの狙撃を可能とする銃と技術を持っている人間。
何処の殺し屋か特殊部隊の隊員だろうか。
というわけで銃も可能性は低い。
ならば何らかの力や異能という可能性が出てくる。
ではどんな異能か。
まず僕が死んだ場合の過去は、確実に胸を穿たれて死んでいる。
命中率百パーセント。つまり狙われたら終わりだ。
魔弾の射手なんて話が思い浮かぶけれど、そういった類の異能だろうか。
必ず命中すると言えば北欧神話のグングニルなどもあるけれど。
遠距離では僕に攻撃手段なんてない。相手もわざわざ接近してこないだろう。
ならあとは狙撃地点を割り出し、そこに襲撃をかけるしかないわけだけれど。
「……居るかな」
在り得なかった過去はともかく、ここに居る僕と相手はまだ交戦していない。
なら明日以降も同じ場所でスタンバイして狙撃の準備をしている可能性もある。
まああんな離れた所から当ててくるということは、目視やその他の方法で僕が見えていたということになり、接近するのにも細心の注意が必要となるだろうけれど。
「まあ色々とやってみるか」
時計を見れば、もうすぐ五時になろうかという時間だった。
とりあえず朝の稽古の準備をしよう。そう思い布団から出て道場へと向かう。
――何故僕は殺されかけているのにこんなに落ち着いているのだろう。
そんな疑問を抱きながら。
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最大限に警戒しながらの登校は無事に終わった。
授業中も特におかしなことはなく、穏やかな時間が流れていく。
そうして昼休みになり、いつもどおりに僕たちはお弁当を持って屋上へと向かう。
『――二年一組の青葉志龍くん。生徒会室にお越しください』
だが唐突に、そんな呼び出しが全校放送で流れた。
「……アンタ何かやったの?」
「記憶にございません」
どこぞの政治家のような言い訳が出たけれど、本当に心当たりがない。
生徒会に知り合いなどいない。そもそも普段から話をするのもいつもの三人組以外にはろくにいない。
「とりあえず行ってみる。これ持って行っておいてくれる」
「はいよ」
お弁当や水筒の入った鞄を結木さんに預けて、生徒会室へと向かう。
一体何事だろうか。生徒会が一転校生の動向を気にして呼び出すなんてことがあるはずもないだろう。
「ここか」
三階の図書室の隣。他の教室より少し狭い個室が生徒会室になっていた。
その部屋の扉に無警戒に手をかけ――。
「……ッ!?」
一瞬で「間合い」に入ったと理解し、体が硬直した。
射程圏内というか、一足一刀の間合いというか。
とにかく相手がいつでも僕を殺せる距離に居ると気配で感じ取れた。
だが本当に恐ろしいのは、この気配に殺気がまったくないということだ。
相手の戯れの一撃でも僕は殺される。それくらいの差があるとなまじ武術の心得があるものだから理解できてしまう。
「……ハッ!」
だからどうした。
相手に殺すつもりがないのなら臆することはない。
あんな大々的に呼び出した時点で、今すぐ僕をどうこうする気もないのだろう
ならこの程度でビビると思ってんのかと、正面から対峙してやろうじゃないか。
そう自らを奮い立たせて、生徒会室の戸を一気に開いた。
「入室の前に挨拶くらいはすべきじゃないのか?」
中に居たのは、銀色のフレームの眼鏡をかけたいかにも堅物といった雰囲気の男子生徒だった。
椅子に腰かけ、こちらに視線も向けずに本を読んでいる。
「……すいません。緊張してしまって」
そう言うのがやっとだった。
何だこいつは。
見た目はいかにもなガリ勉タイプだ。運動はできても、喧嘩はできそうに見えない典型的なお坊ちゃん。
「そうか」
そう言って立ち上がった男子生徒の体は、驚くほどブレがなく芯が通っていた。
それだけで「使える」人間だと分かる。
「ッ!?」
だがそれ以上に、広がった「間合い」に驚愕する。
相手は立ち上がっただけで構えてすらいない。だというのに校舎の外まで逃げても容易く殺される未来しか見えない。
「……貴方は?」
「なるほど。あいつの後釜だけあって、経験はともかく度胸はあるらしい」
そう言いながら、男子生徒は右手で眼鏡を押し上げ、顔の下半分が隠れた状態でこちらを見据えてくる。
何があっても折れない。そんな意志の強さを感じさせる目だった。
この人だってまだ高校生だろうに、どんな経験をすればこんな目ができるようになるのだろうか。
「……あいつ?」
「ああ。輪人迦夜。彼女が居なくなったからおまえが来たんだろう?」
「……」
その通りだ。その通りだけれど何故この男子生徒はそれを知っている。
「俺は斎院紅葉。この学校の生徒会長であり、おまえの当面の敵でもある」
そう「おまえなど敵ですらない」といわんばかりの顔で、斎院紅葉は敵対宣言をした。




