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5月9日――フォーリンラブ

 妙に視線が低いと思った。


「志龍? どうしたの?」


 声をかけられて振り向けば、一人の少女が僕を見下ろしていた。

 見た目幼い少女に見下ろされている。そこでようやく僕はこれは夢だと気付く。


「ほら。あっち。楽しそうだから行ってみようよ」


 そう言う少女に手を引かれ走り出す。

 ここは何処だろうか。周囲は草木や高い丘に囲まれ、近くに川が流れているのか水の音が聞こえてくる。


「ほらここ!」


 そうして少女に導かれて辿り着いたのは、切り立った岩の上だった。

 恐る恐る見下ろせば、下には水がなみなみと溢れている。

 かなりの高さだ。少なくとも小さな子供の体では、恐怖を感じても仕方がないほどに。


「どうしたの志龍? 早く行こうよ」


 そんな遥か彼方の果てにあるような水面へと、少女は飛び降りたいらしい。

 怯える僕を不思議そうに見下ろしている。


「あ、分かった。ふふ。恐いんだね志龍」


 ようやく分かってくれたらしく、おかしそうに微笑む少女。

 よかった。どうやらこれで飛び込まずには済みそうだ。


「じゃあ私が連れて行ってあげる!」


 そう満面の笑みで言って、少女は僕をポイとボールみたいに放り投げた。



「!?」


 水底まで落ちてもがいている内に、唐突に目が覚めた。

 見えるのは最近見慣れてきた天井と、むなしく空を切る自分の両手。

 どうやら現実のほうの体も助けを求めて足掻いていたらしい。

 どんだけ恐怖体験だったのだろうか。


「夢……というより過去か?」


 何故だか知らないが、今の夢は自分の過去だと確信があった。

 だとすればお爺ちゃんに引き取られる前の、五歳以前のことだろう。

 覚えていなくてよかったというべきか。下手すればトラウマになっていたことだろう。

 まあトラウマになるような経験はむしろ忘れさってしまうらしいけれど。


「しかし誰だアレ?」


 僕をモノのようにあっさりと放り投げてくださったあの少女。

 無邪気な笑みで悪魔のような仕打ちだ。きっと日頃から僕は振り回されていたに違いない。

 まあ知らないということは既に交友はないということなんだろうけれど。


「いや、居た。すぐ近くに居た」


 無邪気な笑みで場をひっかきまわす自称姉と今まさに同じ家に住んでた。

 まさか氷雨さんか? あの人ならやりそうだ。


「って何か妙に明るい……?」


 時計を見て固まった。

 デジタル時計が示す時間は朝の七時過ぎ。

 完全な寝坊だ。


「うわあ……寝坊とか初めてした」


 いつもなら目覚まし時計が鳴らなくても直前に起きるというのに、弛んでいるのだろうか。

 別に連休だからと生活リズムを崩したわけでもないのに。


「これ朝ごはん食べる暇ないかも」


 学校には余裕で間に合うが、朝食の準備をしていたら間違いなく間に合わないだろう。

 とりあえず氷雨さんを起こすべく、布団から出て大きく体を伸ばした。



「志龍が寝坊なんて珍しいわねー」

「というか初めてしましたよ」


 特に咎めるでもなく、笑いながらご飯をよそう氷雨さん。

 どうやら氷雨さんはいつも通りに目を覚ましていたらしく、朝食の準備はバッチリされていた。

 ありがたいと共に申し訳ない。

 一応居候なんだから、家事はきっちりやっときたかったのだけれど。


「そういえば氷雨さん。僕がまだ小さい頃に一緒に川とか沢で遊んだりしました?」

「ん? したけど。もしかして思い出したの?」

「そのとき僕を高いところから沢に向かって投げ落としたりしました?」

「……えへ☆」


 ウィンクして笑いながら小首を傾げる氷雨さん。

 可愛いじゃないかこの野郎。


「いやーちょっと待ってね。確かに色々やったけど、そんな危険行為やったかしら私?」

「色々?」

「足のつかないところで志龍をリリースするとか。浮き輪で浮いてる志龍に潜行して近づいてパンツ引きずり下ろすとか」


 本当に色々やってやがった。

 この人全力で僕で遊んでやがる。


「だって志龍可愛かったんだもん! 足がつかないところで放したときとか、怯えた顔で抱き着いて来て凄いキュンキュンしたし!」

「それでよく当時の僕に嫌われませんでしたね」

「うん。確かにしばらくは怯えてるんだけど、一晩たったら記憶リセットされたみたいに笑顔で『お姉ちゃーん』って抱き着いてきたわよ」

「……」


 幼い頃の僕がお馬鹿すぎる件について。

 もしかして僕がお爺ちゃんに引き取られる前のこと覚えてないのって、単に記憶力が弱かったからなんじゃあ。


「あ、今の志龍も可愛いからね」

「いりませんよそんなフォロー」


 テーブルに箸を並べながら言う氷雨さん。

 可愛いと言われて喜ぶ男子が居るとでも思っているのだろうか。



「青葉くんて可愛いよね」

「えー?」


 昼休み。

 いつも通りに屋上でみんなでお弁当を食べていると、新しくメンバーに加わった仲辻さんに唐突にそんなことを言われた。


「あー確かに」

「ええ……?」


 まさかの結木さんの同意に素で驚愕した。

 そこはいつも通りに「馬鹿じゃないの?」と返すところじゃないの?

 もしかして仲辻さんの言うことは全面肯定なの?


「だってアンタ童顔だし背も低いし」

「いや、結木さんが高いだけでしょ」


 一応僕は男子の平均はある。むしろそれより高い結木さんが女子にしては高すぎるのだと主張する。


「あとお料理も上手だし、だから女の子だったらよかったのになあって」

「だから!?」


 どうしよう。仲辻さんの言ってることがさっぱり分からない。

 結木さんに目で訴えてみたけれど、こっちは解読を諦めたらしく僕が持ってきたグラタンコロッケに舌鼓を打っている。

 一工夫して冷めてもサクサクな衣を堪能してほしい。


「青葉が女子だったらもっと気軽に仲良くなれたのにってことか?」

「うん」


 姿見くんの解読は正解だったらしく、問いに笑顔で頷く仲辻さん。

 さすがの観察力と推理力だ。

 でもそれに僕は何て答えたらいいんだ


「でも青葉って脱いだらムキムキだよ」

「え……?」

「……いや。そんな『騙された』みたいな顔されても」


 結木さんの言葉にショックを受けてる仲辻さん。

 僕にどうしろと。


「そりゃ素手で等身大の人形砕くようなやつだしな。童顔でマッチョってバランス悪いな」

「いやマッチョって言うほどじゃないよ?」

「じゃあ細マッチョ!?」

「基準が分かりません」


 何故か必死な仲辻さんをあしらいつつ昼休みは過ぎていく。

 まあ要するに仲辻さんはまだ男子に苦手意識があって、僕に男性的な要素があるのが受け入れられないのだろう。

 じゃあ今まで僕を何だと思ってたんだとは恐くて聞けなかった。



 そしてその日の帰り道。

 今日は特に誰とも一緒に帰るつもりはなかったのだけれど、偶然靴箱で仲辻さんと出会った。


 結木さんは服装指導にひっかかって呼び出されたらしい。

 そりゃ銀髪とピアスなんて校則に喧嘩売ってる格好だ。呼び出されもするだろう。


 でもかっこいいよねと嬉しそうに言う仲辻さん。

 きっと彼女にとって結木さんは自慢の幼馴染なのだろう。

 実際見てて惚れ惚れするような格好よさだとは思う。


 そうやって何気ない会話をしながら道を歩いていると、遠くのビルの屋上で何かが光った。

 ライトの類じゃない。鏡か何かに光が反射したような、一瞬のきらめき。


 一体何だろうと思っていると、何かが高速で飛来し、胸にトンと軽い衝撃が走った。


 何だ?

 燕でも正面衝突したか?

 そうとしか思えないほどそれは速くて視認することもできなかった。


 ――青葉くん!?


 仲辻さんが驚いたように声を上げる。

 つられてその視線を追えば、制服に綺麗に穴が開いていた。

 そしてその下から滲む赤色。遅れてやってきたのは胸を内側から焼かれたような激痛だった。


 何だ? 撃たれた? この日本で?


 そんな疑問を浮かべている間にも、体の末端から力が抜けていき、思考が鈍くなっていく。

 僕の名を必死に呼ぶ仲辻さんの声が遠くなっていく


 こうして僕は道端で唐突に殺された。


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