5月4日――友達8
「――来ないで!」
心の接触は拒絶から始まった。
「……愛?」
その拒絶の意味が月咲には分からなかった。
愛利の心と繋がったというのなら、愛利もまた月咲の心を感じ取っているのだろう。
しかしそれが何故拒絶へと繋がるのだろうか。
月咲が二人いることに混乱している?
それなら拒絶の前に説明を求めるはずだ。
「あれ? 何で月ちゃんが二人いるの?」と見慣れた無邪気な顔で……。
「私は月ちゃんに合わせる顔なんてない」
「愛?」
白い霧の向こうから、愛利の声が聞こえてくる。
またしても月咲には意味が分からなかった。
合わせる顔がないのは自分のほうだ。弟にばかりかまけて愛利をないがしろにし、弟が居なくなってからも一人で落ち込んで勝手に愛利を遠ざけた。
いや。それは罪悪感からの逃避でもあった。
弟を死なせてしまったこと。そして弟にばかり構って大切な友人をないがしろにしたこと。
弟が死んだからといってまた愛利に構い始めたら、まるで愛利が弟の代わりだと言ってるみたいじゃないか。
だから月咲は、愛利に近づくことができなかった。
「嘘だ! 月ちゃんは私が卑怯者なのを知ってたんだ!」
月咲の思いが通じたのか、愛利が泣いているように震えた声で叫ぶ。
「愛……」
同時に月咲へと伝わる愛利の思い。
ずっと月咲を見ていたこと。
月咲の弟を疎ましく思っていたこと。
そして弟の死を喜んでしまったこと。
なんだ子供にありがちな無垢で無邪気な過ちじゃないか。
そう気軽に切り捨てようとして、自分がそんなことができる立場ではないと月咲は気付く。
月咲は月咲で、愛利を弟の代わりだと思いたくないという身勝手な感情で、こんなに寂しがっている愛利を見捨てたのだ。
無論仕方ないと割り切ることもできるだろう。
他人が同じことで悩んでいたら、何故そんなことで悩むのかと呆れていたかもしれない。
月咲の思いも、愛利の思いも、他人から見れば小さな罪悪感とすれ違いが引き起こした些細な行き違いだ。
そしてそれがこの心と心が繋がった場で、二人を縛り付ける鎖となっている。
月咲も愛利も、悪いのは自分だと思っている。
そしてそれ故に相手の罪悪感に共感できてしまうから、相手は悪くないと許す言葉を発することができない。
だってそんな言葉は嘘だと、自分なら思ってしまうから。
「あ……」
言葉を紡ごうとして、何も言えなくて、月咲はうめくように声を漏らした。
姿見にあんな威勢のいいことを言ったのに、叱るどころか動くことすらできない。
愛利を見つめ、自分を見つめ直すことで、そんな資格はないと分かってしまったから。
「まって……愛……」
愛利の心が遠くなっていくのを感じる。
いや沈んでいっているのかもしれない。
とにかくこのままでは二度と愛利に会えなくなると、月咲は感じとっていた。
「いや……だ」
それは嫌だ。私はまだ何も言えてない。
このまま愛利に会えなくなるのは嫌だ。
もっと話したいことがある。ごめんねと謝りたいことがある。
何よりもまた置いて行かれるという事実に、血が抜けたみたいに体が冷えて言い知れない恐怖に包まれる。
「嫌だ……行かないで……」
だからこのとき月咲は、相手の罪悪感も自分の罪悪感も、すこし持っていた不満もかなぐり捨てて、ただ孤独に震える子供のように恐怖にかられて叫んでいた。
「行かないでよ愛! 私を一人にしないで!」
「月……ちゃん?」
その声に、愛利の沈みかけていた意識が蘇る。
それは月咲に甘え続けていた愛利が初めて聞いた、月咲から自分への懇願であり甘えだった
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「月ちゃん!」
「うを!?」
月咲の人形に抱かれていた愛利が、突然目を開き体当たりするように本物の月咲へと抱きついた。
それを受け止めた月咲は一瞬よろめいたものの、何とか踏みとどまり愛利を抱きしめたままその場に崩れ落ちる。
「ごめんね。ごめんね月ちゃん」
「本当だよ。何言わせんのさ……馬鹿」
子供のように泣きじゃくる愛利を抱きしめながら、月咲も涙は見せずとも震える声で言う。
「まさか本当に心が繋がったの?」
呆然と、信じられないと言った風に人形が言った。
それも仕方ない。現実世界では、姿見の異能が発動してから数秒しか経っていない。
そんな一瞬で、何が起きたのかも観測できないまま形勢逆転となれば、信じられないのは当然だ。
「だが事実だ。何となくだが分かるぞ。おまえ仲辻とリンクが切れて弱ってるな?」
「……」
姿見の言葉に、人形は何も言えず歯を食いしばった。
事実その通りなのだ。依存という形で奪ったはずの力は奪い返され、繰り手からも手放し状態では動くことすらままならない。
育まれた自我が残っていることなど何の慰めにもならない。
むしろ負けたことを認識させるために、目の前の性格の悪そうな男がわざと残したのではと疑うほどだ。
「じゃああっちは忙しいみたいだから、最後は俺がやっとくか」
「ッ……」
姿見が人形の頭を左手で掴むが、何の抵抗もできない。
それを確認すると、姿見は右手を掲げて宣言した。
「スリーカウントでおまえと仲辻の繋がりは完全に切れる。ワンツースリー」
そして姿見が指を慣らすと同時、人形から力が抜けその場にころりと転がった。
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「掌破!」
「ガッ!?」
踏み込みと同時に放った掌底が人形の胴体に突き刺さり、服の下から陶器か木片か分からない破片がボロボロと地面に落ちた。
人間なら肋骨をまとめて持っていかれるような一撃だ。恐らく服の下の胴体は砕けているに違いない。
「落踵!」
「ぐぅ!?」
続いて離れた距離を一気に詰めながら、軽く跳躍し踵落としをくりだす。
人形は左手でガードしようとしたけれど無謀だ。
振り下ろした踵は左腕ごと持っていき、そのまま肩を粉砕する。
「ぐそう! 何でここまで!?」
ここまで一方的にやられるとは思っていなかったのか、人形が繰り手のものであろう苛立ちを口にする。
逆にこっちは爽快だ。普段相手にしている氷雨さんと違って、大技まで綺麗に決まるものだから面白い。
やりすぎて殺す心配もないからやりたい放題だ。
「ッ!? まさか……」
「あ、向こう終わった?」
「う……」
僕が何もしていないのに人形がうめいたので、もしやと思い聞いてみれば、図星だったらしく目に見えて狼狽えた。
「じゃあこっちも終わらせようか」
「ま、待て。待ってくれ。勝負はついた。ならこの人形を壊す意味はないだろう? 君もこの人形の美しさは分かるだろう!?」
「うん。でも結木さんの許可とってないよねそれ?」
今は損傷だらけの結木さんの人形だが、確かに最初は人形なのかと疑うほどの完成度だった。
少し過去視で見えたのだけれど、繰り手もかなり拘りをもって作り上げた逸品らしい。
でもね。これを見逃したら結木さんに何言われるか分かったもんじゃないんだよ。
「こうなったら逃げ……」
「遅いよ」
地を蹴って後ろに下がろうとした人形に、一息の間に肉薄する。
「双掌破!」
そして放ったのは、両手で同時に撃ち出す掌破。
氣を乗せて撃ち出したその一撃は、木の幹すらもへし折るだろう。
「……」
そしてその一撃を受けた人形は、何も言わないまま幾つかに砕けて割れてその場に落ちた。
転がったまま指先も動く様子がない。
「本当に逃げたか」
どうやら人形の回収は諦め、繰り手もこの場を離れたらしい。
このままならまんまと逃げられることになるのだろうけれど。
「後は任せとこうか。そもそも僕が戦ったのも我儘みたいなもんだし」
逃げ切れるわけがない。
そう僕は確信していた。
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「はあ。参ったね」
志龍と人形が戦っていた神社からそう遠くない路地の裏手。
背が高く細身な青年が、人目から逃れるように歩いていた。
疲労からか顔には汗が流れ、足取りも頼りない。
「あれだけ氣を注ぎ込んだのに、あっさりと破壊されるなんて。やっぱり見た目に拘りすぎて強度を度外視しすぎたかな」
この青年こそが、月咲の人形を操り、愛利にイマジナリーフレンドを寄生させた張本人だった。
直接戦ったわけではないが、人形を操り続けた故に消耗したのだろう。逃げているというのにその速度は老人が歩いているのと大差ない。
もっとも、逃げ切れると確信している故の油断もあるのだろうが。
「まあ彼らが出張ってこなかったのを確認できただけでもよしとしようか。これからは大人しくして人形を作り直し……」
「ところがそうはいきませーん」
「え?」
能天気そうな、明るい女性の声が聞こえて、青年は慌てて振り返る。
「あらあら。この程度の隠形に気付かないなんて、まだまだ未熟ねー」
そこにいたのは、ジーパンに無地のTシャツというラフな出で立ちの女性。志龍の姉貴分である崎森氷雨だった。
「貴女……は?」
「貴方がさっきまで戦ってた志龍の姉みたいなものよ。異能対策部の人間と言った方があなたには分かりやすいかしらねー。白扇寺高校三年生の知辺庵くん?」
「何で名前を……」
そこまで言って青年――庵は気付いた。
女性が志龍の姉だということ、そして異能対策部の人間だということ。
「僕はずっとマークされていて……わざと見逃されていた?」
「マークはしてなかったわよ。ただこの町に人形遣いの家系がいるのを知っていただけ。そこに傀儡師が出てきたら、その家系が真っ先に疑われるのは当たり前でしょう?」
「なるほど。貴女はずっと見てたんですね」
志龍は異常を感知した時点で、氷雨に連絡を取り対処を願い出ていた。
身を隠していただけで、あの神社にも氷雨は居たのだ。
だから志龍はあれほどに余裕があり、楽観していた。
「面も割れた。逃げても無駄ということか」
「ええ。貴方のお父様にも連絡したけど、もうカンカンだったわよ」
「え!?」
氷雨の言葉を聞いて、しおらしくなっていた庵の顔が強張った。
火遊びが親にバレたのだ。厳格な父のこと。軽い折檻で終わるはずがない。
「逃げる! 僕は旅に出ます!」
「はいはい。大人しく叱られにいきましょーねー」
「ああ動けない! 何で!?」
すぐさま駆け出そうとした庵だったが、氷雨に首根っこを掴まれただけでそれこそ人形のように四肢から力が抜け動けなくなる。
「志龍ごときに負ける子が、私から逃げられるわけないでしょ」
「助けて! 後生ですから!」
情けない姿を晒す庵を、氷雨は楽しそうな笑みを浮かべながら引きずっていく。
こうして一つの騒動は特に被害者を出すでもなく円満に終わった。




