4月22日――悠揚迫らず
――4月22日金曜日。
転校生は人気者。そんなお約束が当て嵌まるのは、その転校生が社交的だったり一芸に秀でていたりだとか、とにかく何かしらの魅力を持っている場合だけだろう。
あるいは四月の中ごろなんて中途半端な時期に転校してくるという、いかにも訳ありな状態でない場合だろうか。
「……はあ」
窓際の一番後ろに置かれた、他の生徒たちより新しい机に教材をしまいながらため息をつく。
別に人気者になりたかったわけではないけれど、ここまで上手く馴染めないとは思わなかった。
別にいじめられているわけでも無視されているわけでもないのだけれど、どうにもクラスメイトから遠慮というか遠巻きに見られている気配を感じる。
訳ありな僕が転入させられるだけあり訳ありな学校だとは聞いていたけれど、同じムジナの穴と期待したのは間違っていたのだろうか。
まあムジナの穴に居るのが全員ムジナとは限らないのだけれど。
「青葉くん」
「はい?」
しかしそんな中でも僕に声をかけてくれる人はいる。
声のしたほうへと振り返れば、僕の目線くらいの背の高さの小柄な女性生徒が居た。
ふわふわとした栗色の髪を揺らしながら、少し不安そうにこちらを見上げている。
「あの、次の授業物理室だから案内しようかなって思って。まだ行ったことなかったよね?」
「あ、うん。ありがとう仲辻さん」
「ふふ。どういたしまして」
余計なお世話だと言われるとでも思っていたのか、僕の答えを聞くと安堵したように微笑む仲辻さん。
この状況下で話しかけてくれるとか女神だろうか。まあ単に席が隣だから見るに見かねただけかもしれないけれど。
「物理の実験って何やるんだろうね。私化学は得意なんだけど物理ってなんか苦手で」
「そうなの?」
その両者に得手不得手が発生するほどの差は存在するのだろうか。
まあ物理の方が数学的な考えが必要な分ややこしいかもしれないけれど。
「うーん。でも化学は素直な人に向いてるっていうし、仲辻さんは素直な人なんだろうね」
「え、そうかな」
そんな風に他愛のないことを話しながら物理室へと向かったのだけれど、遠巻きに見ていた視線の中に敵意が混じった気がする。
うん。可愛いよね仲辻さん。
でもそこで僕に嫉妬を向けるのは理不尽ではなかろうかと思うのだけれど、色恋沙汰に理屈は通じないのが常識なわけで。
まあ僕が学校に慣れれば仲辻さんも世話はやかなくなるだろう。
それはそれで残念かもしれない。
そんなことを考えてしまうあたり、僕も結構余裕があるのかもしれないと思った。
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そのまま特に何事もなく授業は終わり昼休み。
「よ、青葉。昼飯食おうぜ」
いきなり声をかけられ少し驚いて顔を上げれば、そこには仲辻さん……ではなく、人懐っこい笑みを浮かべた犬みたいな髪質の男子生徒。
彼の名前は姿見公一。
ぼっちの転校生を昼休みのたびに誘ってくれる中々親切に見える人だ。
そう。あくまで親切に見える人。
その実態は下心ありありで、他のクラスメイトから見れば僕は詐欺師に絡まれる被害者に違いない。
「昼休みだな。今日は肌寒いし自販機で温かい飲み物でも買いたいな」
「ああ、うん。そうだね」
「というわけでジャンケンしよう」
そう言って握り拳を突き出してくる姿見くんは満面の笑みだ。
そう。彼が僕に構うのは主にこれが目的である。
姿見くんの家は中々に家計が苦しいらしく、こうして出費を少しでも抑えるべく努力しているらしい。
だからと言って賭けジャンケンなんて負ければ意味がないだろうと思ったけれど、他のクラスメイトの証言によるとその勝率は九割を越えているらしい。
そこまでいくとイカサマではと疑いたくなる。しかし動体視力がそれなりにいい僕が見張っていても、不正をする様子もなければ、相手の手を見て即座に自分の手を変えるなんて一部のプロみたいな行動も見られなかった。
要するに完全に勘と運で勝率九割を叩き出しているらしい。
もうこれはこれで一種の特殊能力と言えるのではないだろうか。
「ジャンケンポン!」
そしてそんな風に監視できる僕の動体視力と反応速度なら、バレない速度で後出しもできるのだけれど、そこは正々堂々と勝負している。
相手が不正をしていないならこちらがするわけにもいかない。
それに学生にしては金銭に余裕がある身だから、友達におごる前の儀式みたいなものだと割り切っている。
「よっしゃー!」
そうして今日も僕は負けて、今年度に入ってからの姿見くんの連勝記録はさらに更新された。
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「肌寒いと言っておきながら何で屋上?」
学食の前にある自動販売機で飲み物を買った後、やってきたのは屋上の入口からさらに梯子を登った貯水タンクのそば。
見晴らしは最高だけれど、風も容赦なく通り過ぎていくので言ったとおりに肌寒い。
まあ別に居心地が悪いほどではないけれど。
「……あんまり弁当見られたくないんだよ」
そう言って姿見くんが食べているお弁当の中身は、確かに品数が少なくて彩りも悪い。
こういうところを見るに、姿見くんの家の経済状態は冗談抜きで悪いのだろう。
今の日本で何故そこまでとも思うけれど、他人の家庭の事情に首をつっこむわけにもいかない。
「なんなら僕がお弁当作って来てあげようか?」
「おまえは女子か」
施しは受けないとか言われるかと思ったら、別方向のつっこみが来た。
いや確かに童顔ではあるけれど、女子とは何だ女子とは。
「おまえ自分で弁当作ってんのか?」
「うん。姉(みたいなひと)と二人暮らしだから。家事は分担してやってる」
「……へえ」
ここで何で親と同居してこないのかと聞いて来ない辺り、僕の方も姿見くんの家の事情を聞かないのは正解なのだろう。
まあ実際のところ僕はあまり気にしてないのだけれど。
ちなみにあの通りぐうたらに見える氷雨さんだけれど、家事は一通りできる上に手際もいい。でも何もしてない時は全力でだらけている。
きっとどこかにやる気スイッチがあるに違いない。
今度こっそり近付いてつむじでも押してみようか。間違いなく仕返しされるけど。
「そう言えばここって他の人来ないね」
話題を変えるために今まで気になっていたことを聞いてみる。
屋上と言えば学生が何となく入りびたりたくなる場所トップ3に入る場所だろう。だというのに、姿見くんに連れてこられてから僕は他の生徒を見かけたことがない。
「ああ。ここ立ち入り禁止だし」
そう思っていたら、姿見くんは聞き捨てならないことをさらりとぬかした。
「……立ち入り禁止?」
「ああ。鍵もかかってんだけど入口のドア調子が悪いから、こう押すような感じでノブ回すと開いちまうんだよ」
開いちまうんだよじゃねーよ。
この野郎。何も知らない転校生を平然と校則違反に巻き込んでやがった。
「コツがあれば開けられるって知ってるやつも殆どいないしな。喜べ。ここは俺たちの貸し切りだ」
「わーい。やりやがったなコンチクショー」
ドヤ顔で言い放つその姿が憎らしい。
次からジャンケンに本気で勝ちにいってやろうか。
そんなことを考えていたら、ガチャリと屋上の入口が開いて誰かがやってきた。
「……誰か来たけど?」
「俺たちと同じ不良生徒だろ」
この落ち着きようを見るに、先生が来る可能性は皆無に近いらしい。
というかいつの間にか不良仲間にされている。甚だ遺憾である。
「……アレは結木か?」
屋上にやってきたのは、肩甲骨のあたりまで伸びた銀髪が印象的な女子生徒だった。
こちらに気付いて少し驚いた素振りを見せたけれど、すぐに入口の影に隠れて見えなくなる。
「……クラスメイトだっけ?」
「ああ。結木月咲。まあ見ての通りヤンキーだ」
見た目で判断するのはどうかと思うけれど、確かに髪銀色だしピアスしてるし目つき悪いしで不良に見えないこともない。
でも制服はきっちり着てるしスカートも短くないし、意外に真面目な人だったりするのではないだろうか。
「もしそうならここには来ないだろ」
そんな予想は目の前の不良によって否定された。
入ったら無条件に不良認定される屋上ってなんだよ。
そう愚痴に近いことを思いながら、冷め始めている紅茶を飲みほした。
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「へえ。また負けたんだ」
その日の夜。
夕食を食べながら今日あったことを話すと、氷雨さんは感心した様子でそう言った。
メニューは餃子と中華スープに野菜炒め。
餃子は出来合いのものではなく、氷雨さんがタネから手作りしたものだ。
どうも野菜の割合が多いらしく緑色になっているそれに何だこれと思ったのだけれど、食べてみれば水っぽさもなく中々美味しい。
この表面だけカリッと焼くのには何かコツでもあるのだろうか。また作ることがあるなら手順を見せてもらいたいところだ。
「人間観察が上手いのかしら」
「そんなに僕って分かりやすいですか?」
単に姿見くんが鋭いだけでなく、僕が心情を見抜かれやすいのだと言われた気がしてそう返す。
「んー普段はともかく勝負事の時はそうでもないかも。志龍って本気になると表情全然動かないんだもん。そういう所お爺さんそっくり」
「僕はあそこまで恐くないですよ」
別にお爺ちゃんが恐い人だったというわけではないけれど、稽古中などはそばに居るだけで背筋が伸びるような空気を纏っていた。
そんな空気を僕が発しているとは思えない。
「自分では分からないものよ。でもいくらなんでも全勝するなんて、よっぽど運がいいのか……」
「<異能>という可能性も?」
異能。
例えば念じただけで物を動かせるだとか、相手の考えていることが分かるだとか。
これまでの科学の発展の中で否定されつくした、常識に喧嘩を売っているような能力だ。
科学で捉えきれないその力は、時に物理法則すら無視してしまう。
そして稀に、突然変異的に様々な異能に目覚める人間が居る。
僕が転校した十八女学園は、そういった異能に目覚める人間が多いのだという。
だから僕は、ある条件と引き換えにあの学園へと転校生として潜り込んだ。
「何とも言えないわね。呆れるくらいの幸運の星の下に生まれた人間っているものだから。まあその幸運自体が異能だと言えなくもないけど」
「じゃあ読心とか未来予知の可能性は?」
「そんな凄い異能持っといて、やることが昼休みのジャンケンなら平和で結構ね」
確かに。
もし本当にそんな異能を持っているなら、たかだか百円程度の勝負を毎日しなくても稼ぐ方法なんていくらでもあるだろう。
家の経済状態を気にしている姿見くんが、自覚していてそれをやらないとも考えづらい。
「まあ折角友達になれたんだし、危険も無さそうだからのんびり見守るだけでいいんじゃない?」
「そんな呑気な」
「むしろ志龍は真面目すぎ。いくらあそこが異能者が出やすい土地だからって、そんな頻繁に危険なレベルの異能者が出てくるなら、素人に毛が生えた程度の志龍なんて放り込まないわよ」
「えー」
そこはかとなく馬鹿にされた気がするけれど、実際氷雨さんと僕では虎と猫ぐらい差があるので仕方ないだろう。
何せこの人か〇はめ波もどきが撃てる。
氣というのは異能と違って修練すれば誰でも使える可能性がある技術でしかないとは聞かされたけれど、あそこまでいったらもう異能でいいと思う。
というか実はお爺ちゃんも撃てたらしい。
どうなってんだ現代日本。
「ご馳走様。はーお腹いっぱい。志龍。洗い物やっとくからコーヒー淹れてー」
「はいはい」
まあ氷雨さんみたいな超人に比べたら、異能なんて手品みたいなものなのだろう。
そう気軽に考えることにして、僕は最後の餃子を食べ終えると、食器を氷雨さんに預けてコーヒーを淹れる準備を始めた。
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・――そして結末は変わらず
・
二日後の夜。僕は抵抗もできずにむなしく殺された。
注意はしていた。警戒もしていた。
だというのに僕はたった一つ予想外なことが起きただけで動けなくなり、相手はその一瞬で異能を発動させて僕の喉を切り裂いた。
手も触れずに相手を切り裂く異能。
何て反則。きっとまともに抵抗しても、僕はあっさり殺されていたに違いない。
ああ苦しい。息ができない。
血が漏れ出る喉は燃えるように熱くて、押さえた手が火傷しそうだ。
そうやって何もできずに死んでいく僕に残されたのは一つの疑問。
――何故君が僕を殺しに来るんだ?
既に壊れてしまった喉ではその問いを発することもできず、彼女の顔を見上げながら僕は死んだ。