5月4日――友達4
目の前の結木さんのような誰かを観察する。
顔はどう見ても僕の知る結木さんのそれだ。銀色の髪も変わりない。
デニムに黒いジャケットという服装も、あまり女の子らしい恰好をしない彼女らしいものだ。
しかし――。
「その品のない表情。もう少し騙す努力をする気はないの?」
その口元を歪め他者を見下すように笑う姿は、一目で確信できるほどに結木さんとは別人。
「電話しようとしてただろう。その時点で騙すのは無理だと諦めただけさ。だったら後は速やかに処理しないとダメだろう?」
「なるほど」
納得して見せたものの、まだまだ分からないことは多い。
いつから僕の尾行に気付いていたのか。そして携帯を取り出すため視線を外した一瞬で、どうやって路地裏まで移動し僕を引き込んだのか。
結木さんの姿をしていることといい、幻術系の異能なのか。それとも何か別のタネがあるのか。
「一応聞いておくけど、君は誰?」
「……」
「ッ!?」
問いに答えは返ってこなかった。
代わりに差し出されたのは最小限の動作で放たれた左手の一撃。
「掌底!?」
「フッ!」
「グ!?」
辛うじて受け流せば、そのまま襟元を掴みに来た。
それも弾き左手で殴りかかる。
しかし相手がそれを右手で叩き落とすと、そのまま僕の顔面目がけてカウンター気味に襲いかかってくる。
「ハァッ!」
「おっと」
顔に迫る相手の掌底を体をひねりながら回避する。
そのまま体が回った勢いで回し蹴りを放てば、相手は即座に距離をとってかわした。
「意外にやるね。これは予想外だ」
「……」
構えもとらずにこちらを称賛してくる結木さんもどき。
予想外なのはこちらも同じだ。異能などではない、純粋な格闘で相手は僕と渡り合っている。
「拳法……か?」
地面を擦るような歩法。加えて投げ技を含み急所への攻撃も躊躇わないとなれば、スポーツ化された格闘技ではなく古流の武術だろう。
つまりは僕と同類。素手で人間を破壊する方法を熟知している。
「なあ。忘れる気はないか?」
「何を?」
「仲辻愛利のことさ。彼女を命をかけてまで救う義理はないだろう」
「……」
なるほど。確かに僕にそこまでする義理はない。
例え仲辻さんが心配でも、この場は退いて氷雨さんに託すという手もある。
だけど――。
「断る。おまえみたいな悪党が友人に絡んでるのを、見過ごすつもりはない」
ここで自分の身を優先するなら、何のために僕は力を手に入れたのか。
お爺ちゃんは何のためにこの身を守るには過剰な力を僕に与えたのか。
僕の短い半生の記憶と、お爺ちゃんの教えが「こいつを見逃すな」と告げていた。
「なるほど。君は正義感が強いんだね……」
――潰したくなるよ。
結木さんもどきが一気に踏み込んで来る。
左の掌底をかわす。即座に右が来る。
「とった!」
その手を僕は絡めとり、そのまま手首を極め――。
「え?」
バキと嫌な音がして、相手の手首がありえない方向へ曲がった。
「な……」
「甘いね」
「ガッ!?」
戸惑いは隙になった。
相手は折れたであろう手首になんの反応も示さず、左の肘を僕の顔面へ叩きつけてくる。
「ほら!」
「グアッ!?」
そしてさらに破壊されたはずの右手を僕の鳩尾へと突き出してきた。
「ぁ……」
一瞬呼吸と思考が止まる。それでも体に染みついた、半ば本能で相手と距離を取る。
「おや、まだ動けるとは。頑丈だね君は」
「くは……」
幸い追撃はなく、止まった呼吸を再開する。
結木さんもどきは呑気にこちらを眺めている。その右手には何の異常もない。
治っている?
もしかしてこいつの異能は「他人に化ける」というもので、化けた相手の異能も使えるのか?
いや。それでも結木さんの「閉じる異能」で、傷口はまだしも折れた骨や砕けた関節を治せるのか?
「さて。じゃあ続けようか」
「……」
笑いながらこちらへと近づいてくる結木さんもどき。
どうする。相手が自分の傷を治せるのなら、まともにやりあうのは分が悪いなんてものじゃない。
逃げるにしても、相手の異能の正体は見極めたいところだけれど。
「ん?」
攻めるか退くか、悩む僕と結木さんもどきの間に、キンッと高い音を立てて一枚のコインが転がった。
「スリーカウントでそのコインは爆発する」
この声は――。
「ワンツースリー!」
宣言と共に路地裏に指を鳴らす音が響く。
「くッ!」
同時に地面に落ちたコインから、人を丸々飲み込むほどの大きさの爆炎が噴出した。
「俺の宣言はスリーカウント後に現実になる」
「おまえは……」
路地の奥から、クラシックバックを左手に持ち、右手の指に何枚かのコインを挟んだ姿見くんが現れた。
「姿見くん?」
「よう青葉。状況はさっぱり分からんが、一応加勢に来た」
そう言いながらコインを結木さんもどきの周りに投げる姿見くん。
コインは狙ったように跳ね、転がり、結木さんもどきを包囲するように止まる。
「何なの姿見? 邪魔しないでくれない?」
「今更結木のふりなんかするなよ。友人の見分けがつかないほど薄情じゃないぞ俺は」
「フッ。何だ。状況は分かってるじゃないか」
姿見くんの指摘に、結木さんもどきは演技をやめて再びいやらしい笑みを浮かべる。
「しかし『宣言が現実になる』ね。そんな強力な力なら、何らかの制限があるはずだけど」
「試すか? そのコインはスリーカウント後に爆発する。ワンツー……」
結木さんもどきの揺さぶりも気にせず、姿見くんはカウントを開始する。
「スリー!」
「ちぃっ!?」
そしてスリーカウントと同時に、地面に転がった複数のコインから爆炎が噴き出し、結木さんもどきを包み込む。
「……逃げたか」
そして炎が消えたときには、そこに結木さんもどきは影も形もなかった。
「追うか?」
「いや。相手の能力がよく分からない。それにあまり町中で戦いたくはないし」
「だな。とりあえず移動するか」
姿見くんが派手にやったおかげで、誰かが様子を見に来るのも時間の問題だろう。
もしかすれば警察に通報でもされているかもしれない。
「ありがとう姿見くん」
「ん? ああ。余計なお世話かと思ったんだけどな」
「そんなことないよ」
路地裏を移動しながら姿見くんに礼を言う。
純粋な力量なら、過信でなく僕に分があったと言える。しかし相手があまりにも不可解過ぎた。
仕切り直しができたのは幸運だろう。
「でも姿見くん、いつの間に異能があんなに強力になってたの?」
「ん? あー、あれハッタリだ」
「はい?」
「派手に見えるだけで、せいぜい軽い火傷する程度の火力しかない。演出に使う花火みたいなもんだ」
「それはまた……」
何とも姿見くんらしいというか。
まあ威力はともかく「宣言が現実になる」という説明を相手は信じただろうし、しばらくは姿見くんの異能はあの結木さんもどきに有効だろう。
「しかしハッタリだからこそ分からないんだが、何であの結木の偽物は逃げたんだ?」
「……言われてみれば」
大きな音がして人が来ると思ったから?
それなら最初の爆発の時点で退いていたか、今この瞬間にでも追撃に来そうなものだけれど。
「痛みを感じないのか?」
仮に治癒系の異能も使えるのだとしても、普通手首を極められたら力に逆らえずに膝をつく。根性で我慢するとかそういうレベルの話ではない。
恐らくあの結木さんもどきは痛みを感じていなかった。
だからあの見た目だけ派手な爆発に巻き込まれても、自分のダメージが把握できずに早々に撤退したということだろうか。
「何かの異能か、それとも無痛症かな」
「何でもかんでも異能だと思うのはどうかと思うぞ」
「何でもかんでも異能でできそうな人に言われても」
でも言われたことはごもっとも。
異能と見せかけて、何か単純なトリックでも使っているのかもしれない。
そうでなければあの結木さんもどきは幾つの異能をもっているのかという話だ。
あるいは姿見くんのように、様々な方向に応用が利く異能か。
「とりあえずややこしいことになる前に、結木本人にも話しておいた方がいいんじゃないか?」
「もうすでにややこしいことになってるんだよね……」
幼馴染を自分の偽物が誑かしていると知ったら、結木さんはどんな反応をするだろうか。
間違いなく怒るだろう。別に自分が怒られるわけでもないのに、僕は恐々としながら結木さんへ電話した。




