5月3日――友達2
お爺ちゃんから叩き込まれた武術だけれど、実を言うと僕はその武術がどういうものなのかまったく知らない。
とりあえず打撃から投げに関節技まであるので、古武術かなんかだろうと思っている。氣なんてものを前提にしてるあたり中国武術の流れも汲んでいるのかもしれない。
そう思い僕より詳しいであろう氷雨さんに聞いてみたのだけれど。
「え? 古武術は古武術だけど、どっちかというと忍術?」
朝稽古が終わり朝食を食べているときに何となく聞いてみれば、何か予想外の方向に話が行った。
「……」
「何その反応に困って愛想笑いも引きつったみたいな顔」
「いや。氷雨さん普段が普段だから本気とジョークの境目がよく分かんないんですよ」
「ジョークじゃないわよー! 本当に忍術も混じってるんだっからー!」
卵焼きを挟んだ箸先を此方へ向けながら、ムキになったように言う氷雨さん。
そう言われても、僕は変わり身の術だの分身の術だの教わった覚えはない。
「あれ? 痕跡を隠す方法とか追跡のこつとか気配を消すやり方とかお爺さんに教わらなかった?」
「え? あれって忍術なんですか? 山の中で動物相手に覚えさせられたから、てっきりサバイバル技術の一種かと」
「まあそういう認識でも間違っちゃいないけど。それに忍術って聞くと眉唾に聞こえるかもしれないけど、忍術が含まれてる武術って結構あるのよ。日本軍の工作員養成校の単位に忍術もあったくらいだし」
何やってんだ日本軍。
いや。僕が忍術というものに歪んだ認識を持っているだけなんだろうけれど。
「そんなだからお爺さんの門下生には警察やら自衛隊で活躍してる人が多いわけね。うちの部長もお爺さんの弟子の一人だし」
「多分そうだろうなとは思ってました」
そんでもって、あの髭ロン毛が僕を気に入らない様子なのもそのあたりが理由なのだろう。
尊敬する師の孫があまりにも情けないと。
ハッ。大きなお世話だ。
「そうだ。僕の前に学園に潜入したっていう、輪人迦夜の写真とか手に入りますか?」
「……どうしたのいきなり?」
「輪人迦夜の知り合いだった子に、僕に似てるって言われたから気になって。それに行方不明なだけなら、もしかすれば見つかる可能性もあるなら顔を知っておきたいと思って」
「あー、そうねえ。ごめん。余計な気をまわしてたせいでそっちに気が付かなかったわ」
そう言って箸をおくと、気まずそうに頭をかく氷雨さん。
余計な気とは。またあの部長とやらが何かやらかしたのだろうか。
「んー。分かったわ。私の方で探してみるから、少し時間頂戴ね」
「分かりました」
氷雨さんの様子が気になったものの、僕に言わないということは聞く必要がないということだろう。
そう判断して、僕は最後のご飯を口に入れると味噌汁で流し込んだ。
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「ねこじゃらしの正式名称は?」と聞かれたら、答えられない人は結構いるのではないだろうか。
正解はエノクログサ。犬っころ草というのが転じてそんな名前になったらしい。
「……」
そんなねこじゃらしを、クロの前に無言で差し出す結木さん。
どうやら僕に猫語を喋っていたのを見られたのを反省し、口を開かないと決意したらしい。
「……」
一方こちらも無言でねこじゃらしをてしてしと踏みつけるクロ。
いつもは大人しいクロも、ねこじゃらしには本能を揺さぶられるのか、態勢を低くして少しでも俊敏に動けるよう構えている。
一心不乱にねこじゃらしを追いかける姿は実に猫らしい。普段なまけもののように、氷雨さんにされるがままなのが嘘のようだ。
「……にゃにッ!?」
そして絶好調なクロにねこじゃらしを奪われ、驚きに鳴き声が漏れる結木さん。
我慢できなかったんだね。というか別に誰にも言わないから我慢しなくていいと思うよ。そんな提案したら間違いなく睨まれるだろうから言わないけど。
「いやーどっちも可愛いわね。ギャップ萌えってやつ?」
そしてその様子をコーヒー飲みながらニヤニヤと眺める氷雨さん。
結木さん。残念だ。どうやら僕が自重してもこの姉に絡まれる未来は回避できないようだ。
「色々話してましたけど、結木さんの扱いってどうなるんですか?」
今日わざわざ結木さんが家に来たのは、クロ目当てというのもあるけれど、氷雨さんと異能について簡単な話をするためだ。
「ん? どうもならないわよ。保護する必要があるほど不安定でも危険でもないし、高校生をスカウトするわけにもいかないものね」
「僕も高校生なんですけど」
「アルバイト頑張ってね」
何という理不尽。
日本中を探しても、僕以上に命の危険があるアルバイトに励んでいる高校生とかいるのだろうか。
「まあ部長はあんなこと言ってたけど、小耳に挟んだ程度の情報上げてくれれば危険なことは私がやるわよ」
そう言いつつも、お客さんが来ているというのに畳の上にだらんと寝転がる氷雨さん。
一見頼りにならなさそうだけれど、これが氷雨さんの基本スタイルなので仕方ない。
組み手中も、こちらがいくら突っ込んでも風に揺られる柳のようにするするとかわされてしまうのだ。
「これぞ清流の型!」とか言ってたけれど、本当にそんな名前の技なのかは知らない。
「お、あっちは盛り上がってきたわね」
「え?」
「ふにゃー!」
氷雨さんに言われて視線を向ければ、ねこじゃらしを奪ったクロが逃走を始め、結木さんがそれを追いかけてバタバタしていた。
完全にクロと遊ぶのではなく遊ばれている。
「あれは月咲ちゃんが本気で相手をしてくれるからはしゃいでるのよ。志龍ならねこじゃらし奪われてもすぐ諦めるでしょ」
なるほど。
クロが大人しいのは、本猫の性格もあるが相手をしている僕のせいでもあったらしい。
「くにゃー!」
一方結木さんはつんのめりながらもねこじゃらしの端っこを握ることに成功し、片手をついた不安定な態勢でクロと綱引きを始めている。
うん。僕あそこまで本気で猫と遊べないや。
さっきからにゃーにゃー言ってるのクロじゃなくて結木さんのほうだし。
「楽しそうねー。しばらくほっときましょうか」
「じゃあ今日は夕食僕が作りますね」
「メニューは?」
「春巻き。中身は麻婆春雨です」
「麻婆春雨も単品で食べたい」
「じゃあ余分に作っときます」
そんな会話をしている内に、結木さんが力尽きたらしくねこじゃらしから手を離してその場に崩れ落ちた。
どんだけ全力なの。
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「……美味しい」
時は流れて。
折角だからと夕食を食べてもらうことになった結木さんが、麻婆春巻きを食べて驚いたように感想を漏らす。
そのまま包むと水分が多すぎるので、春雨に汁をよく吸いこませるのがポイントだ。
「よかった。辛さの好み聞くの忘れてたから、合わなかったらどうしようかと」
「言ったら調整できるの?」
「うん。できるけど?」
僕がそう答えると、結木さんが何か得体の知れないものを見るような視線を向けてくる。
何ですかその反応。
「志龍ー。モテたかったらあんまり女子力見せつけないほうがいいわよ」
「そんな大袈裟な。これくらい調べればやり方すぐに分かるでしょう」
「やり方が分かるのとやれるのは違うのよ」
そうしみじみとした様子で言う氷雨さん。
もしかして昔は料理ができなかったりしたのだろうか。基本ものぐさな人だからありえる。
「でも結木さんも料理はできるんだから、別に気にならないでしょ?」
「できるのと得意なのは違うんだよ」
そう言って遠い目をしながら卵スープを飲む結木さん。
何故だ。結木さんの料理美味しいのに。
「あー、そういえば仲辻さんと遊びに行ったんだって?」
旗色が悪いので話題を変えてみる。
「それ誰から聞いた?」
するとそれまで前を見て夕食を食べていた結木さんが、剣呑な視線をこちらへ向けてきた。
「え……? 仲辻さんだけど?」
「……行ってない」
「え?」
「私は愛と遊びになんか行ってない」
照れて嘘を言っているのかと思ったけれど、その目は真剣そのもので冗談の入り込む余地はない。
「月ちゃんって結木さんのことだよね? 月ちゃんと遊びに行ってはしゃぎすぎたから体調を崩したって、仲辻さん言ってたんだけど」
「知らない。何? 何でそんなこと言ったの愛のやつ」
「うーん?」
結木さんの言葉は苛立っているようにも見えるし、戸惑っているようにも見える。
本当に心当たりがないらしい。
「結木さんと仲直りしたがってたから、体調悪くて夢にでちゃったとか? 明日様子見に行った方がいいかな」
「別に喧嘩したわけじゃないよ」
そう言ったものの反対ではないらしく、視線を戻して春巻きに手を伸ばす結木さん。
もしかすれば過去視を有効活用する事態になるかもしれない。
そんな予感がした。




