5月2日――友達
仲辻さんが登校してこなかったことは、大した問題にはならなかった。
ゴールデンウィークの只中にポツンと一日だけある平日だ。褒められたものではないが、学校を休んで旅行へ行っている可能性だってあるだろう。
「おまえら休みで浮かれるのはいいけど、今月終わりには中間試験だからな。単位落として留年するようなやつは居ないと思うが、平均点以上はとれるように頑張れ」
「先生。俺はみんなが平均点以上を取れるように平均点を下げてるんです」
「じゃあみんなは夏休み補修漬けになるであろう木下の犠牲の下で頑張ってくれ」
「補修あるんすか!?」
先生と木下くんが漫才のようなやり取りをしているのを眺めつつ、ふと隣の席へと視線を向ける。
改めて確認したって仲辻さんはそこにはいない。先生が何も言わなかったということは、休みの連絡は学校へときているのだろう。
ならこの不安は杞憂にすぎない。しかし考え過ぎだろうと自分に言い聞かせても、どうにも胸の奥のざわつきが治まらない。
「青葉。ちょっといいか?」
最後のホームルームも終わり各々帰り支度をしている中、先生が僕に声をかけてくる。
「なんですか?」
「このプリント仲辻の家に届けてくれないか。提出が連休明けだからな」
欠席者へのお届け物。
まさかそんなものが高校生になってまで存在するとは思わなかった。
「いや、何で僕なんですか?」
「仲辻と仲いいだろう」
またかよ。
姿見くんも言っていたけれど、僕がくる以前の仲辻さんはどんだけ大人しかったんだ。
「先生はあの引っ込み思案な仲辻があんなに積極的に動くのを初めて見たよ。感動した」
「個人情報の秘匿が叫ばれてる昨今、男子生徒に女子生徒の家を教えるのはいかがなものかと思うんですが」
というか届ける必要あるなら先生が行けばいいだろうに。
「何だ。嬉しくないのか男子高校生」
「男子高校生が例外なくさかってるわけじゃないんですよ」
「おう。欲望は隠さないとモテないからな」
ちげーよ。
この教師。若いせいかノリが軽い。
生徒からの人気はあるらしいけれど、僕個人としてはまったく尊敬できないタイプだ。
「というわけで頼んだ」
「あ」
結局プリントを押し付けて先生は教室を出て行ってしまった。
どうしたものか。そう考えていると、結木さんがこちらを見ているのに気付く。
「……」
しかし無言で視線をそらし、教室から出ていこうとする結木さん。
何かを言いたそうにしながら黙って帰るのはどうかと思うんだけど結木さん。
「結木さん一緒に帰ろうよ」
「……」
なので教室に残っていた生徒に聞こえるよう、あえて大きな声で言ってみた。
すると苦虫噛み潰したような顔で振り返る結木さん。
何だか最近結木さんに睨まれるのが楽しくなってきた。
順調に道を踏み外している気がする。
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「何で私が……」
「いや、僕仲辻さんの家知らないから。先生も言うの忘れてどっか行っちゃったし」
校門を出て結木さんと並んで歩道を歩く。
すっかり散ってしまった桜並木は青々とした歯を茂らせているけれど、もう少しすれば大量の毛虫が発生することだろう。
そのときはあまり下を歩きたくないものだ。
「あの先生もうざったいね」
元凶を思い出し悪態をつく結木さん。
結木さんもあの先生はあまり好きではないらしい。
真面目な生徒にしろ不真面目な生徒にしろ、教師に友人的な気安さを求めない層には概ね評判が悪いのではないだろうか。
「そういえば猫の名前考えてくれた?」
「考えはしたけど、そんな気の利いたのは浮かばなかったよ。下手に凝った名前より、ありきたりなやつの方がいいんじゃない?」
「クロとかミケとか?」
「何でミケが出てくるのさ。クロでいいんじゃない?」
「うん。やっぱりそんな感じか」
連休を挟んで考えたというのに、結局猫の名前はクロに決定した。
まあ既に氷雨さんが「チビ」とこれまた安直な呼び方をしているので、クロの反応が悪かったらそのままチビでいくかもしれないけれど。
頭のいい猫だから、案外本猫に選ばせようとすれば可能かもしれない。
「それにしても仲辻さんどうしたんだろう」
預かったプリントを眺めながらそう漏らす。
連休前に会ったときには体調が悪い様にも見えなかった。
「お腹でも壊したんじゃない」
心配する僕に対して、結木さんの返答はなんとも気のないものだった。
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「はあ」
住宅街の一角にある白い一戸建てを前にして、僕は知らずため息を漏らしていた。
結木さんは居ない。ここが仲辻さんの家だと教えてくれると、すぐさま踵を返して去っていった。
猫へのデレッぷりに対して何というツンッぷりだろうか。
今度クロと戯れているのを動画に撮って見せつけてやろうか。
「インターホンは……玄関か」
門のところには呼び鈴の類はないようなので「お邪魔します」と一応声をかけながら敷地へと入る。
そして玄関の横にあるインターホンを鳴らしてみるけれど、返事が返ってくる様子はない。
留守か。やっぱり旅行にでも行っているのだろうか。
「はい」
そう思い諦めようとしたところで、不意にドアが開き小さな声が聞こえてきた。
「あ、仲辻さん?」
「え……青葉くん?」
玄関から顔を覗かせたのは、ピンク色のパジャマ姿の仲辻さんだった。
僕の顔を見て少し驚いた素振りを見せた後、慌てたようにドアの影に隠れてしまう。
「ご、ごめんなさいこんな格好で」
「あーうん。こちらこそごめんなさい」
パジャマで出てきちゃったのは仲辻さんだけれど、見られたくないであろう姿を見てしまったのなら謝るしかない。
しかしパジャマということは、体調が悪くて寝ていたのだろうか。
「先生に言われてプリント届けに来たんだけど、大丈夫?」
「う、うん。ちょっと頭が痛かっただけだから。今はもう何ともないの」
「よかった。はいこれ」
ドアの隙間からプリントを差し込むと、少し間を置いて仲辻さんはそれを受け取った。
「家族の人いないみたいだけど、大丈夫?」
「う、うん。もう全然平気だから。昨日久しぶりに月ちゃんと遊んだから、張り切って疲れちゃっただけだと思う」
「へえー……へ?」
月ちゃん――結木さんと遊んだ?
まったくそんな素振り見せなかったんだけど結木さん。
どんだけクールなのあの人。
「そっか。仲直りできたんだ」
「うん。ちょっと最近恐いなって思ってたんだけど、やっぱり月ちゃんは優しくて安心しちゃった」
そう言う仲辻さんがはにかんだように笑うのが、ドア越しでも分かった。
なるほど。つまり結木さんがきついのは僕相手のときだけらしい。
……僕なんかやらかしたっけ?
「じゃあ。僕はこれで。お大事に」
「ありがとう青葉くん。また学校でね」
最後にドアの影から顔だけ出すと、仲辻さんは微笑みながら手を振ってくれた。
それに手を振り返しながら、僕は自分の家へ向けて歩き出す。
このときはまだ、仲辻さんが異常に巻き込まれているとは思ってもいなかった。




