4月25日――
結木月咲はその男の言うことを信じてなどいなかった。
死者を蘇らせる?
なるほど。古今東西多くの人が望むことであり、同時に無理だと分かり切った願いだろう。
仮にできたとしても裏があるに決まっている。
悪魔はいつだって人の弱みにつけこんでくる。
そうやって弱った人間が微かな希望に縋り、そして無様にもがく様を見て笑うのだ。
自分の手は汚さずに、楽しそうに笑うのだ。
だが今時そんな見え見えの罠に乗る人間が居るだろうか。
しかしそんな提案をくだらないと一蹴しようとした口が「本当に生き返らせてくれるのか?」とおめでたい言葉を紡いだ。
叶うはずがない願いが、必ず叶う未来に思えた。
詐欺師にしか見えなかった男が、まるで奇跡を起こす救世主のように見えた。
そして代わりに青葉志龍を殺せという唾棄すべきような条件が、なんて簡単で破格の条件なんだと思えた。
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「おお。綺麗にパカッと割れてるわねー」
「いった!?」
背中を見ていた氷雨さんが両手で傷を押さえこむものだから、僕は反射的に間抜けな悲鳴を漏らしていた。
結木さんを何とか気絶させた後、僕は彼女をそのままにもしておけず、担いで自宅へと戻った。
正直何度も途中で挫けそうになった。
左腕はなんか握力弱ってるし、背中は体を動かすたびに血が噴き出してんじゃないかというほど痛いし、悲しいことに僕より結木さんのほうが身長高いし。
結果なんとか家に辿り着いたものの、結木さんを布団の上に転がしたところで力尽きた。
そして帰宅した氷雨さんの悲鳴で目を覚ましたのは昼過ぎという。
無意識に氣で治癒力を高めていなかったら、僕はそのままどこか遠くへ旅立っていたに違いない。
「ああ、ここ骨までいってるわ。よくこの程度の出血で済んだわね」
「呑気に観察してないでお願いだから治してください」
「んー。私も治癒は苦手だし、時間がかかるわよ」
マジかい。
やはりこの人は破壊しか能がない、尻尾の生えてる宇宙人の仲間だったのか。
――パアンッ!
「え?」
そんな風に絶望していると、突然居間に渇いた音が響いた。
「結木さん?」
驚いて音の方へと振り返ると、そこには両手を合わせた結木さんがいた。
「おお!? 本当に傷が閉じた!」
そして何か僕の背中ではしゃいでる氷雨さん。
何て緊張感がない人なんだ。
「青葉……」
両手をおろした結木さんが、ふらりとよろめきながらこちらへとやってくる。
一体何を。そう思った瞬間。
「ごめんなさい!」
「はい!?」
そのまま流れるような動作で、畳に膝と手をついて頭を下げた。
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何とか結木さんに頭を上げてもらい、そのまま僕らは向かい合って話し合うこととなった。
そして何があったのか、一連のことを聞き出したのだけれど。
「……」
「……」
両者とも無言。そして何故か正座。
うん。大体の事情は分かった。
やはり結木さんは操られていたみたいなもので、僕から何か罪を問うようなところはないだろう。
しかしそれらの説明が終わったところで、氷雨さんが「じゃあ後はお若いお二人で」と妙なことを言いながら退室したので非常に話しづらい空気になってしまった。
今時お見合いでもそんなこと言わねえよ。
あと結木さんの背後の襖が少し開いて、隙間から楽しそうな顔が見えてるのは気のせいですかね駄姉さん。
「……青葉」
「はい!?」
名前を呼ばれて思わず背筋を伸ばす。
「私がやろうとしたことは絶対に許されないことだ。だからどんな罰でも……」
「……」
あ、これ面倒くさいやつだ。
僕がどんなに「気にしなくていいよ」とか「許す」とか言っても、勝手に気にして罪悪感覚えて悶々とするタイプだ。
だからと言って適当な罰を与えても、今度はその罰に依存しかねないというもっと面倒くさい事態が待っている。
ある意味許しを請う相手の方がまだやりやすい。
「じゃあとりあえず聞きたいんだけど……生き返らせたい人って誰?」
「……」
なのでこちらが悪者になることで罪悪感をトントンにしようと思ったのだけれど、やり方を間違えた感が強い。
美人が怒ると恐いという話を今まさに僕は実感している。
何あの眼光。山の中歩いてるときに遭遇した熊より恐いのだけれど。
「ごめんなさい。調子に乗りました」
「え? 何でアンタが謝ってんの?」
どうやら許されたらしい。
ちなみに遭遇した熊はお爺ちゃんが当身からの背負い投げ決めて追い払いました。
「別にそんなに気を遣わなくていいよ。弟が死んだのはもう五年も前だし」
「へえ。弟さん」
「歳が離れててね。両親が忙しいから私がよく面倒見てたんだけど、私がちょっと目を離した間にスリップした車にはねられて死んだ」
「……」
平気そうに、口元に微かな笑みすら浮かべて言う結木さん。
それが本当に吹っ切れたからなのか、それとも強がりなのかは分からない。
「誰が悪いかと言えば、誰も悪くなかったんだろうね。車のスリップだって、雪は降ってたけどチェーンするほどではなかっただろうし。私が目を離したと言っても弟はすぐ近くにいたし。弟も私から離れちゃったけど道路に飛び出したわけでもない。
きっと少しずつの偶然が重なって弟は死んだ。だったら運が悪かったとしか言いようがないでしょ」
そう言って、結木さんは一目で無理をしていると分かる顔で笑った。
まだ幼かった結木さんは、そう考えなければ耐えられなかったのかもしれない。
「そうやって納得してた。でもさ。この力に気付いたとき思っちゃったんだよ。もしあのときこの力があれば、弟は救えたんじゃないかって」
そう言いながら、結木さんは自分の両手を見つめる。
それは誰もが一度は考えることだろう。
もしあのときこうしていれば。もう一度あのときに戻れれば。
「馬鹿だよね。別にこんな力がなくたって、やれることはたくさんあった。弟とちゃんと手を繋いでおくとか、離れないように言い聞かせておくとか、周りをもっとよく注意しておくとか。
結局私は、自分は悪くないと思いたかったんだ。誰も悪くない『誰も』の中に、自分も入りたかっただけなんだよ」
少しずつ結木さんの声が震えはじめ、両手を固く握りしめる。
「だからあんなやつにそそのかされたのは、私が悪かったんだよ。単に利用されたんじゃない。操られたんだとしても、そんな簡単に操れるほど私が勝手で考えなしで弱かったんだ」
握りしめた手から血が滲んでいる。
こんな力なんていらなかったと、否定するように結木さんは自身を傷つけている。
けれどそれは違うと、僕は言わなければならない。
「結木さんは勝手でも弱くもないよ」
「……?」
僕が結木さんの手を取りながら言うと、彼女は不思議そうにこちらを見た。
「結木さんは誰も責めなかった。理不尽な出来事も嘆かずに受け入れようとした。それは結木さんが弱いからじゃなくて、優しいからだよ」
「……でも」
「優しさはときに人を傷つける。今僕がしていることだって、結木さんには大きなお世話かもしれない。でも、傷ついた人を救うのも、きっと誰かの優しさだ。だから――」
それがただの偽善や慰めだとしても。
「僕は結木さんを許すよ。例え君が何かを間違えても、僕は結木月咲という女の子を信じる。だから結木さんも、自分を許してあげて」
「……ありがとう」
そう言うと、結木さんは両手を握りしめたまま一滴だけ涙を零した。
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「向こうの話は終わったのかね?」
「一応は。でもしばらくはそっとしておくべきでしょう」
氷雨は居間から少し離れた客間へと来ていた。
そこには黒いスーツを着た男が一人。出された茶にも手を付けず、腕組みをして氷雨を見ている。
「それで。何か言い訳はありますか部長?」
「何のことだ?」
「あの学園で最近異能絡みの事件が起きたなんて、私は聞いてませんよ。志龍の前に潜入捜査をしていたこともです」
「そこまで知ったのなら分かるだろう。失敗したとはいえ極秘の任務だ。情報を知る者は少ないほうがいい」
「だったらそんな場所に中途半端な素人を送り込んだのは?」
「ふん。素人か」
氷雨の言葉に、男は微かに笑う。
「素人だから意味があるのだ。プロが出て行けばやつらは姿を現さんだろうよ」
何ら悪びれた様子もなく、男はそう言い放った。




