3.逃走
時刻は昼前、太陽が丁度頭上に位置し、その輝きと熱を容赦なく地上に向けているが、レイアと烈はお構いなしに歩を進めていた。
二人が歩くのは『隠れ里』の北東に位置した森。
王都や大陸南の最大都市ウェルーと最初の目的地である大陸東の最大都市ラインベルニカの中間に聳え立つロント大山脈の中核、キワル火山の麓に位置するこの地域は、赤道に近く年中気温が高いが、標高が高いことなどもあり、言うほど過酷ではなかった。
さらにこの森は、頭上からの光を生い茂った木々が遮り、直接日光に当たることが少ないため、逆にひんやりとしていて昼ならば快適だが、夜になると肌寒くなるだろう、というのがレイアの見立てだ。
「……烈はいつもここを通っているの?」
深い森の割には歩きやすいと感じていたレイアは隣を歩く烈に尋ねる。
「いや、いつもは里の東にあるキュレン山を反時計回りで南に迂回する形で沿岸の街道に出てそこからラインベルニカに向かうんだ」
だが、と烈は続ける。
「今回里に来るとき、キュレン山の麓で大雨に遭ってな、あの様子だと土砂崩れは間違いなく起きているだろうし、数日は川も増水して危険だ。だからあえて今回はあまり使っていないキュレン山北―――というよりキワル火山麓のルートにしたんだ」
ただ、と一息ついて、烈は言葉を続けた。
「このルートは本来このままロント大山脈に沿って山道を行ってラインベルニカに向かうんだが、慣れない山道は危険だし、キュレン山北東から街道に入ろうと思っている」
「道を変えても大丈夫な距離なの?」
レイアが気になるのは距離、そこから転じてラインベルニカに到着する日数の問題だった。キュレン山の北側を通るといっても自分たちがいるのは先ほど烈が言ったとおり、どちらかというとキワル火山南東だった。
キワル火山は隠れ里の北北東に存在しており、里からの距離で言えば、二つの山はほぼ一緒ではあったが、問題は山同士の距離も同じような距離であるということだ。
里から街道に出るにしても、キュレン山麓を通って向かうのとキワル火山を経由していくのとでは距離にして約二倍の差がある。
「距離で言えばこちらのルートのほうが長いのは確かだよ。だけど大雨の後ってのは結構厄介でな、土砂崩れの影響で道が塞がってたりなんだりで思ったより足踏みすることが多い。それをふまえるとあまり予定日数に差は出ないはずだ。
ラインベルニカ側にも里に向かう前にそういう可能性があるのは伝えてある。それに、そういう分を補うために昨日までがんばったわけだしなぁ」
確かに……、とレイアは昨日までのことを思い出す。
里を出たのが四日前の朝だった。里の皆が総出で見送ってくれたのだが、里を囲む森を抜けたあたりで、烈がある提案をしたのだ。
街道に出るまでは人目もないし、早めにラインベルニカに着きたいから走っていかないか、と。
「……だったら何で里でゆっくりしてたのさ」
レイアの指摘に顔を背けたあたり、烈はガリウスそっくりだなぁ……、というのがその時の感想だった。
だが、急ぐに越したことは無いため、その提案を了承したレイアは烈と共に魔流活性を用いて身体を強化、途中休憩などを挟んでも三日間でキワル火山までやってこれた。徒歩で移動した場合の十倍の距離を稼いでいるため、里でロスした分以上の時間は取り戻せたはずだ。
四日目の今、徒歩で移動しているのは休憩のためだ。いくら魔流活性で強化された身体とはいえ、疲労などは蓄積する。魔流活性は魔力も消費するのでその回復も重要である。
北方、キワル火山はこの世界でも有数の大火山らしく、周辺も自然が色濃く残っている。それ故か地域一帯の空間魔力量は一般的なそれよりも高い。
火山の標高も高く、麓の森であるここからでもその大きさを意識する。
これが大噴火なんてしたら里もぎりぎり危ないんじゃないかな……、とレイアが思っているところに烈が異空間に手を突っ込みながら、
「もうそろそろ昼飯にするか、と言っても保存食みたいなもんしかないんだが」
「あ、バロックさんの干し肉?」
「当たりだ。ありがたいことにバロックさんが奮発してくれたわけだし」
ストックスはその収納性からも相当な利便性のある魔法であるが、加えて魔力調整で環境調整も多少ならできるため、温度状況を維持したい物がある時も便利であった。
「本当に便利な魔法だよ、習得に苦労するとはいえ、この魔法一つだけでみてもこの世界含めて魔法が使える世界で機械文明が発達しない理由がわかる気がする」
烈の発した言葉にレイアが干し肉を受け取りながら興味を示す。
「機械――確か、魔法、魔力が無くても火を起こせたり遠くの人と話せたりする道具のことだよね?」
「だいたいそんなところだな」
「話を聞く限り、魔力も消費しないし、誰でも使えてすごく便利そうだし、魔法のある世界でもあっていい気がするけど……」
「まぁ利便性だけみたらそうだろうな。だが実際そんな簡単な話でもないのさ。近代の機械ってのは物にもよるけど、まずエネルギー――電力が必要になる。通信機とかになってくると中継設備等も必要になってくるし、わざわざ資材をかけてそれらを用意するぐらいなら魔法で済ませたほうが手っ取り早い。通信も遠距離はどうにもできないが、ある程度の距離ならば魔法でどうにかなるしな」
加えて、と烈は干し肉を噛み、飲み込んで、
「現在、機械文明が発達している世界は《マザー・イニーツィオ》という世界と《マジーア・リベレーター》という世界の二つしかない。前者は魔法という概念自体はあるんだが、空間魔力量がほぼない世界だ。ストックスのように自己魔力だけで使える魔法は使えるが、魔法の大半を占める外部魔力を伴う魔法が使えない。
だからマザー・イニーツィオの人間からしたら魔法なんてものは想像上のものでしかなく、『使えるもの』だという認識が無い。似たような類のものは存在するがそれも一般的じゃない。世界間を移動する門を開くのにも、他の世界と比べて苦労するんだ。そうなってくると向こうの世界から大きなかつ多くの設備を搬入するのはあまり現実的じゃない。
――後者の世界は特殊でな。空間魔力量はかなり少ないが魔法が使える程度には存在する。が、統治している者の意向か何かは知らんが、魔力は用いても魔法には頼らず、機械に頼る道を選んだみたいだな。魔力と機械をあわせて今説明した一つ目の世界、マザー・イニーツィオよりもさらに機械化された世界であり、文明レベルは五十年より先のレベルと言われている。だが、今言ったように魔法を選ばなかった世界ゆえ、例外を除いて他世界との関わりは極力もたないようにしているらしい。」
烈の説明を聞きながらレイアは二つ目の干し肉にかじりつく。
「その例外って共同魔法学院のこと?」
レイアの疑問に烈が頷く。
「そうだ、マザー・イニーツィオはもとより、マジーア・リベレーターは空間魔力量が少ない、と先ほど説明したがまったくもって存在しないわけではないんだ。一部地域……まぁ大昔から存在する大山脈等のスポットは他世界並の空間魔力量が存在してな。そこに各世界が共同で設立したのが魔法学院ステラリベルスだ」
マジーア・リベレーターがどの世界とも深いかかわりを持たないということは言い換えればどの世界に対しても中立ということを意味する。だから魔法を学びたい、極めたい者は各世界からそこに集まり、普段はまったく関わらない他世界の魔法など含めて学びあうというのが、ステラリベルスのコンセプトらしい。
「ちなみに言えば、ジークフリートが数年前まで在籍していたのもそこだ」
最後の言葉に苦笑しながらもレイアは思う。
……世界を取り戻せたら、そういう世界のことも知っていけるのかな。
現状、自分が知っているのは他人から聞いた話と育った隠れ里ぐらいだ。あまりに世界を知らない、と自分でも思う。それもこれも今の状況の影響だ。だが、自分たちがやるべきことを果たせばおそらく状況は変化する。そうでなくとも、これからこの世界を旅するだけでも自分の知識や経験は増えていくだろう。
そんな期待と責務を感じたときだった。
レイアは周囲の空気が変化するのを感じ取る。
「――レイア」
「……うん、左右の茂み。僕らを挟む形かな」
「迂闊だった。疲労しているとはいえ、ここまで接近に気づかないとは……」
「仕方が無いよ、ご飯食べてて油断していた僕らが悪い」
舌打ちをした烈は残った干し肉を飲み込みながら周囲を確認する。
魔力の感じからして相手はゴブリン等の魔物だと断定するが、どうも数が多い。
今、自分たちがいるのは周辺に比べて開けた場所だ。
というのもこの森自体、往来というのはほぼなく、道といえる道もないため、ある程度開けたところを通ってきていたわけだが、今この状況では分が悪い。相手に飛び道具を使う者がいた場合、格好の的だ。
この深い森の中で相手に有利な状況で戦闘をするのはこちらにとって致命的である。よって自分たちがとる行動は一つだ。
「レイア、魔流活性でこの森を一気に抜ける。合図をしたら里で渡した煙幕玉をそこらに投げつけてくれ。走るぞ」
「了解……。その後はどうするの?」
「状況次第だ、追ってくるなら逃走、埒が明かない場合は戦いやすい場所で迎撃だが・・・まぁ十中八九追ってくるだろうな、この様子だと」
「そうだねー。こっちは準備できたよ」
ストックスによる発光現象を極力抑えながらレイアが言う。
「では、いくぞ。――三、二、一、今だ!」
二人が煙幕を発生させる、それが逃走開始の合図となった