1.始動
「……もうそろそろ夏かなぁ」
十一月のある日の昼過ぎ、『隠れ里』と呼ばれる集落の小道を歩いている青年がつぶやく。
額に若干の汗を滲ませた、茶色の髪を持つ青年は太陽の光が目に入らないように手で傘を作り、空を見上げる。
知り合いの家で雑用の手伝いを済ませた彼は、自宅となっている家に向かう。
そこはこの里において長が住む家の次に大きい。とある理由で幼い頃に両親と離れ離れとなってしまった彼は二十年近くの年月をその家で過ごしている。
「ふう、ついたついた」
里自体が小規模であるため、里の中を移動するのにもそう時間はかからないが、この暑さの中は少々堪える物がある。
家に到着した彼は、少し騒がしい? と思いながら中に入る。
「ただいま、ガリウスさん」
玄関から奥に進み、青年は家の長、ガリウスに帰宅のあいさつをする。
「おう、戻ったかレイア。バロックのとこの仕事は終わったのか?」
声を返された青年、レイアは頷く。
「うん、もうちょっと長くかかるかと思ったんだけど、バロックさんが僕に無理させられないからって一人でがんばっちゃって。正直僕が行く必要あったのか疑問だよ」
肩をすくめながらレイアは周囲を見渡す。
「ところでどうしたの、何か騒がしいみたいだけど?」
家の中、普段よりも人の気配がある。
この里は外部からその存在を隠すため、人目のつかない辺境にあった。また、そこに住んでいる人間も最低限のもので、この里の人口は百人より少し多いほどである。そのため、一つの家に十人以上はいるとそれだけで珍しい。
「あぁ、さっき烈が帰ってきてな。今、奥で各班長たちと話してる。ヨウコが昼飯を作ってるから、ちょっと手伝ってきてくれないか」
「了解だよ」
烈とはガリウスの一人息子であり、里と外部の連絡役の一人である。ヨウコは烈の母親、つまりガリウスの妻である。
幼い頃から共に暮らしていたこともあり、レイアにとってガリウスとヨウコは両親のように思っているし、烈は兄のような存在だと感じている。
だが、烈が里に来ることでこれだけ慌しくなる事はない。連絡役が隠れ里に来る事は頻繁にあることでないが、珍しいことではないのだ。
――んー、これは……。
そう思案したレイアを見て、察したようにガリウスが言葉を作った。
「――レイア、旅の支度をしておけ」
●●●
レイア・アジュア・レーベンケーニッヒ。
それがレイアのフルネームだ。
『レーベンケーニッヒ』という姓はこの世界、レイ・ウィングズでは大きな意味を持つ。
――世界の王。文字通りこの世界を統べる一族である。
大昔に起こった神々の戦いに人の身で参戦し、強大な力を持つ六つの守護宝石と呼ばれる魔法石を使って勝利に貢献したある男が神より力を賜り、その力を持ってこの世界を統一した――とされている。
そんな王族の血をひくレイアがなぜ『隠れ里』で生活してきたのか。
原因は十八年前、レイ・ウィングズが異世界に侵攻され、王都が占領されたことにある。
レイアがまだ一歳だったころ、レイ・ウィングズとは別の世界、アーインスキアの王が軍隊を率い、次元を超えて突如出現。宣戦布告もせず、王都に攻め入ってきたのだった。
突然の攻撃に政府軍の対応が間に合わず、王都はあっけなく陥落。さらにレイ・ウィングズの安定を担っていた六つの守護宝石も独りでに世界各地へと散らばってしまった。
当時、王座についていたレイアの母、ミレイナ女王は政府軍の対応が間に合わないと悟ると、王族親衛隊を含めた周囲の者たちに避難するよう指示、王族親衛隊の副隊長を務めていたガリウス・ラインフォートを含めた数名の王族親衛隊にレイアと二つの聖剣を託し、隠し通路から彼らを逃がした。
その後、女王は側近や親衛隊隊長と共に最後の抵抗をしていたが、最終的にはアーインスキア軍に捕縛された。
王族親衛隊はレイアと片方の聖剣を連れて、副隊長であったガリウスの故郷である隠れ里に。
もう片方の聖剣は、王族を支える役目を持つ四大貴族と共に大陸の東の大都市ラインベルニカに移動した。
その後、女王と占領地域奪還のため、四大貴族は政府軍を率いて王都に進攻するが、急造の部隊や敵将の強力な武具などにより、ままなら無い状況が続いた。
王都占領から三年後、アーインスキア王がミレイナ女王を連れてアーインスキアに帰還するという間者の情報を基に、反攻作戦としてアーインスキアにて世界間転移を行ったばかりの一行を強襲、女王を救出するという作戦を実行される。
――結果は成功とも失敗とも言えなかった。
アーインスキアに次元跳躍を行い、ミレイナ女王や側近らを救出したまでは良かったが、その作戦で四大貴族の一人であり長でもある、第一貴族のラース・ウリュー・エンデシルトが戦死し、女王も監禁生活から衰弱しており、六つの守護宝石を探す事や戦える力は残っていなかった。
そこで次の代の王としてレイアが希望となった。しかし、未だ幼い王子を戦地に立たせるわけにはいかず、その成長を待つことになったのである。
●●●
「レイア」
昼食を終え、旅の支度を始めていたレイアは手を止めて声の主の方を見やる。
烈だ。王族親衛隊各班長たちに帰宅の挨拶をしていた彼はそれを終え、一階に戻ってきたようだ。
「おいおい、別に今すぐ出るってわけじゃないのに準備が早いなレイア。――と、今後はきちんと”レイア様”の方がいいか?」
「やめてよ気持ち悪い」
烈の茶化しに笑いながら返したレイアは、言われた言葉に疑問を持つ。
「というか、すぐ出発するんじゃないの?」
レイアの言葉に烈が顔をしかめた。
「……その様子だとまた親父は説明不足をやらかしたようだな。いや、別にすぐに出てもいいんだが、俺だって少しゆっくりしたいしな」
烈がこぼした愚痴に苦笑いを返すレイア。
「まぁ、ゆっくりと言っても二、三日のうちには里を出るつもりだったから、時間があるうちに用意をしておくのは悪いことじゃない。
――ただ、最初の目的地を考えるとあまり必要ないかもしれないがな」
「ということは極東都市、ラインベルニカに?」
「察しがいいな。そうだ、あの都市に今回の旅に同行するメンバーがいる」
椅子に座った烈は言う。
「まず、本格的にアーインスキアに対抗するためにも態勢を整える必要がある。そのためにはやはり王都を奪還、王族の復活を宣言し、各地に散らばってしまっている貴族や政府軍等と連携して軍備を強化しなければならない。だが、いくつか問題があってな」
「問題?」
「ああ。世界各地の勢力のことだ。十六年前のミレイナ女王奪還作戦の顛末は当然ながら各地の勢力に伝わった。ミレイナ女王奪還は大きな報せだった。だが、それだけが伝わっていったわけじゃない。当然ながら第一貴族の長であるラース公の死と女王の衰弱も伝わった。
……その結果、及び腰になる勢力が多く出たんだ。下手に動けばアーインスキアに返り討ちにされる、と思っているんだろう」
気持ちはわからんでもないがな、と烈はため息をついた。
レイ・ウィングズの王たるレーベンケーニッヒとその眷属の四大貴族は特別な力を持つ。
これはレーベンケーニッヒの始祖たる人物が神から授かった力であり、王とその親族は強い力を持つということはレイ・ウィングズでは特段秘匿されていることではなく、民にとっては当たり前のことだった。
ミレイナ女王は元々穏やかな性格だったこともあって、魔物討伐などの荒事に関してはあまり公に出ることはなかったが、その代わりが第一貴族のラース・ウリュー・エンデシルトだった。
貴族でありながら魔物討伐や賊討伐などで前線に出て活躍する彼は、当代において最も戦闘能力のある人物とされ、その人物の戦死は各勢力に動揺を与えるには十分すぎる事柄だったのだ。
「こうなってくるとそういった勢力は、必ず勝てる――とまではいかなくとも、勝てる見込みが大きい場合にしか動かないだろうな。
まあ、王族が立ち上がったとならば馳せ参じる、なんて心意気をもった奴らはとっくにラインベルニカ等に終結しているか、各地で小競り合いをしているとは思うが」
レーベンケーニッヒの名はこの世界全土に及んでいる。王が立ち上がったと聞けば、剣を取る者も出てくる可能性はある。
しかし母――ミレイナ女王は衰弱から長い戦闘などには参加できない。そしてその息子は――自分のことだが――公には王都占領から行方不明という扱いだ。
「最悪、アーインスキア王が居ない王都奪還に費やす戦力は数だけならば、ラインベルニカを含む大陸東のライン地方に駐留している政府軍、そして大陸南で戦線を維持している第三貴族私有軍だけでも良い」
「……それじゃあ、質は?」
「アーインスキアは将軍に黒竜武器とか言う特殊な武装を持たせているらしい。対して、こちらはそんな特殊武装は二つの聖剣と六つの守護宝石だけだ。後者に至っては各地に散らばってしまっている」
「……厳しいね」
端的な、しかし事実だけを述べた感想に烈が頷く。
「その通りだ。しかし、二つの聖剣と守護宝石は黒竜武器とは比にならない力を持っている。だから、俺たちの旅の目的の主軸は――」
「守護宝石の回収、かな?」
「御名答、守護宝石がどこにあるか感知できるのは王族ぐらいだ。数年前に炎の守護宝石は回収できているが、それもレイアのおかげだしな」
実は六つある守護宝石のうち、一つは既にラインベルニカにいる第三貴族の長であるジャミル・マジル・ノーライトを中心とした者たちが回収していた。
回収された守護宝石である『エテルナフィーア』は隠れ里と極東都市の間に位置する大火山キワル山にあったのだが、何故そこに守護宝石があるとわかったかといえば、レイアの言によるものだった。
「この広い世界で守護宝石の回収にはお前の感知能力はまず必要だ。とは言え、王族一人で旅をさせるわけにはいかないので護衛はつけなければいけない。だが大勢で行動した場合、移動も遅くなり、どうしたって目立つ。
アーインスキアにこの事を感付かれて、妨害などされても面倒だ。人数は最低限で目立たないように。だから雑務補佐として俺。そして戦闘補佐として極東都市にいる亡きラース公の長男であるユーシス、そして守護宝石感知をより正確にするための補佐としてお前の弟のアギト。計4人の旅になる」
「弟……」
幼い頃から長い間『隠れ里』を出ることが無かったレイアは里の外の世界を人伝に聞くしかなかった。隠れ里はその性質上、外界とは深い森で繋がりを断たれており、烈や他の隠密使者から聞く話はどれも新鮮で心惹かれるものだったが、その中で一番心に残っているのが、弟がいたということだ。
アーインスキアに拘束されたミレイナ女王であったが、他世界とは言え、王族だけあって蔑ろにされていたわけではないらしく、出産が出来たことを考えると、案外待遇はきちんとされていたのかもしれない。おそらく身代金などの要求のためにそのような扱いだったのではないかといわれているが、救出された今となっては確かめる術もない。
また、レイアの弟であるアギトは女王救出の際に一緒に連れ出され、ラースの長男、ユーシスと一緒に育ったらしい。
当然ながら、レイアは里の外に出ることは無かったため、彼らに出会ったことは無いが、自分の弟、そして王族を支える貴族に会うということは、レイアにとって緊張もあるがそれよりも楽しみのほうが大きかった。
しかし、それを聞かされ、レイアは当然の疑問を口にする。
「……でもそのメンバーだけで旅をする、ってやっぱり無茶なんじゃないのかな?」
言われ、烈は頭を抱える。
「あー、それは俺も思った、というか普通は誰でもそう思う。俺が護衛で同行するといっても、常識的に考えて王族貴族だけで旅とか有り得ない。
だが、今回はその有り得ないを逆手に取るらしい。今言ったとおり、非常識だからな。冒険者の集団か何かだと思われるだろう。顔も関係者以外には知られていない。加えて、ラインベルニカにはジャミル公などを除いてその二人以上の手練はいないから、余計に人数が増えても逆に足手まといになるだろう」
烈の説明になるほど、と返すレイアをみながら彼は言葉を続ける。
「本来ならジークフリート――ジャミル公の子息だ。あいつも戦力的に考えて連れて行くべきなんだが、数ヶ月前に失踪してからずっと行方不明だ。あの破天荒のことだから身の心配などは要らないと思うが」
ジークフリートという者についてはレイアも聞いたことがあった。
ジークフリート・マジル・ノーライト。四大貴族のうちの三番目、第三貴族の嫡子ながらその行動は常識に当てはまらないらしい。異世界の有名な魔法学院に通っていたにもかかわらず、何らかの理由により現地の治安部隊に追われていた女性を侍女として召抱えた上に、彼女を追っていた治安部隊を不利な状況にもかかわらず撃退したという伝説も作ったらしい。当然、学院は除籍となり、彼と件の女性もレイ・ウィングズの極東都市に戻った、という話だった。
「だがまぁジークフリートに関しては色々やらかしたこともあってだいぶ世間に名が知られている。メンバーにいないのは逆に安全かもしれないな……。とにかく、今日明日はまだ里にいるつもりだし、もう少しゆっくり準備すればいいさ」
「そうだね、里のみんなにもあいさつしておきたいし」
頷いたレイアが、椅子に腰掛けようとしたときだ。一階からヨウコの呼ぶ声が聞こえてきた。
「夕飯の支度を手伝って欲しいとかそんなんだろう」
肩をすくめて立ち上がった烈とともにレイアは一階に下りた。