小説を書く
自分は、小説を書くのが好きではないだろうかと思う。小説を書く場合、自分はやはり他人とは少々違う書き方をしている。実質自分は普通ではないという自覚があるほど普通ではないので、この書き方が実践できているのだろうとも思う。
これもまた中学時代の話になるが、国語の授業でヘルマン・ヘッセ著『少年の日の思い出』を扱ったことがある。この時、授業後にこの作品を過去を回想している主人公の『客』視点では無く、客の家の隣に住んでいた先生の子ども、『エーミール』の視点で書いてみよ、という課題が出された。自慢だが、自分はその過去の回想部分を7枚ほどの提出用用紙にびっしりと書き込み、国語の教諭にA+を超える評価、S+を出させた。この別視点で書く、という課題で書くときに考えていたことがコツである。それは、基本2つだ。
①登場人物になりきれ!
最も基本的なことだが、やはり小説や物語、所謂空想上のことを文章にする時は、『自分』の在り方を考えなければならない。『自分』が原稿用紙やPCの前に座り、ペンを握ったりキーボードを叩いたりしている状態だと考えてしまう場合はまだまだだ。無論、この状況で書く方もいるだろうし、そのような方を未熟だと考えたり否定したりしている訳ではない。ただ、自分のスタンスからすればまだまだだった時のこと、というだけだ。独断と偏見を交えた考察だが、小説や文章を書くのが苦手だという方は、大抵『創作で文章作るとか、面倒臭い』と考える怠け者タイプ、『創作で作るなんてできないよ!』と早々に諦める逃避タイプ、『文章作って何になんだよ、原本が変わる訳じゃねーじゃん』と何だかんだ理由をつけて自分を正当化する軟弱者タイプのいずれかであろう。前回の『古文暗記』のコツ③の時に言ったように、登場人物になりきることが大切だ。わざわざジェスチャーをしろとは言わない。だが、登場人物になりきること、これが最も大切だ。
つらつら文章を書いているだけでは意味が分からないないだろうし、自分のこの言い回しにイラッと来て読むのをやめてしまう方もいると思うので、軽く小説の中のワンシーンを書いてみる。これを読んで頂きたい。
地の底から響く、どこか馬の嘶きにも似たような轟音。その音は徐々に大きくなり、遂にその音を出していた本体が姿を現す。俺の目の前の地面がバックリと裂け、漆黒のウロコに覆われた巨体が地中から出てくる。ワニのように伸びた口の中には出刃包丁のように鋭い牙がびっしりと並び、眼はこちらを見据えて爛々と緑に輝いている。コイツは、間違いなくこちらを獲物として認識している。少し開いた口から涎がタラタラと垂れ、奴の足元に汚れた水溜まりを作る。このままここにいたらコイツに食われる。そう思っているのに足が動かない。
さあ、どう思っただろう。これは、自分が書いている小説のボツにしたシーンだが、このシーンを読んだ人は言った。「変なのが出てきたね。」と呑気な声で。自分はその時、コイツは本気でこちらの原稿を読んでいない、と思った。その為、そいつの目に触れてしまった汚らわしいこのシーンをボツにした。ついでに、そいつにはもう二度と原稿を見せるものかと誓った。
まあ、今自分の事はどうでもいい。どう思っただろうか。
パターン①「ヤバい、怖い」
パターン②「ああ、主人公がピンチだ!」
パターン③「こんな稚拙な文章面白くもなんともねえよ。作者死ね。」
どれでもいい。まあ、評価をつけるならば、パターン①は◎。パターン②は△。パターン③は二度と来るな。
実質、このシーンはボツなのでどれだけ罵って貰っても構わない。ただ、死ねとは思わないでほしい。まあ、それは兎も角として、自分がパターン①を◎、即ち合格とした理由は「登場人物になりきっているから」だ。パターン①に当てはまった人の中でも、自分ではそう思っていなかった、純粋に読んでいたという人もいるかもしれない。しかし、読んでいるだけでなぜ小説の中の地面から這い出てきた何かを怖いと思える?絵があるなら思えるかもしれないが、ここにあるのは文章だけだ。怖いと思えたのは、あなたが自分の中で、自分をこのシーンの中で絶望的になっている男性にリンクさせているからだ。あなたの意識は、男性とリンクして目の前にいる巨体の何かを『恐ろしい者』と認識しているのだ。もし、こう思えなかったパターン②の方は、怖いと自分が思うものを思い浮かべながらもう一度読んでみてくれ。そうすると、次は思えるかもしれない。これがコツ①、「登場人物になりきる」だ。登場人物になりきることによって、その人物がどう考えているかが分かる。その人物は考えていることは、自分が考えている事だからだ。よって、それを可視化すればいいだけだ。簡単だろう?
②自分を万能だと信じろ!
自分が登場人物になりきれたら、次のステップへ進もう。それが、自分が万能であると信じることだ。小説を書いている人物は、小説の中の世界を一から作り上げなけらばならない。これは大変な作業だ。しかし、ちょっと視点を変えてみよう。するとどうだ。自分は世界を好きに作り上げることが出来る。自分は世界の創造主、いわば神だ。中の人物をどうしようと咎められはしない。その中の世界の支配権を全て所持しているのだ。なんか万能になったような気がしないか?その気になれたそこの君!素質がある!
ここで言いたいことは何かというと、小説内では自分がしたいことが何でも(あくまで道徳倫理を逸脱しない範囲内であれば)出来るということだ。現実では振られてしまった人と結ばれることもできる。最強になることもできる。世界を支配することもできる。何でも、(あくまで道徳倫理を逸脱しない範囲内であれば)したい放題だ。テーマ設定がなされていなければ、チート能力もイケメンも美少女もモンスターも武器もスキルも何でもかんでも(あくまで道徳倫理を逸脱しない範囲内であれば)自由にできる。それを楽しんで、万能の自分を楽しむ。それが小説を書くのを楽しむということなのだ。
偏見を交えている為、この論が必ずしも正しいという訳ではない。あくまで自分は、この書き方でやっている、というだけだ。自分の友人には、自分は『仕事』として書いている、みたいな人もいる。それはそれでいい。だが、どうせ書くなら『仕事』や『課題』と割り切って考え、辛い修行のようにただキーを叩いたりペンを動かしたりするよりも、楽しんだ方が良いだろう。これを読んで、小説に興味が出た方、難しいことをいきなり書こうとしないでもいい。考えていたことを適当に文として紡いでみて欲しい。それが楽しければ、人生に楽しみが増えることになるだろう。尚、実際にお書きになる際は、くどいようだがあくまで道徳倫理を逸脱しない範囲内で。