エリス
――エリス――
彼女―――エリスは村の中でも臆病な性格だった。
彼女は何をしようとしても、その臆病さが災いし、上手く行うことができない。それを周囲にからかわれ、そこから生まれた劣等感がまた更に彼女を臆病にしていくという負の連鎖。
要するに、彼女はいろいろと要領の悪い娘だったのだ。
だが、そんな彼女にも頼れる友達、いや、親友と言ってもいい人達がいた。
それがレオとノアである。
レオは獣人の血が混ざっているらしく、身体能力が高く、五感も優れている男の子で、その容姿は子供特有のあどけなさを持ちながらも、どこか男らしい。
背は普通なもの、その体格は同じ年の子供に比べたら細身ながらもかっちりしていて、中身が詰まっているという感じがする。
ノアは典型的な天才型だ。
容姿端麗、才色兼備。度胸もある。何をやらせても完璧にこなす長い紫髪の良く似合う女の子。
彼女の魔法の才能はこの村でもトップクラスで、同年代の子達からは頭二つほど抜きん出ており、将来は首都にある魔法学園に通うことになるだろうと、誰もが噂していた。
二人は臆病者のエリスとは正反対のタイプだ。
何をしても要領がよく、なんでもできてしまう。
何事にも一歩引いて、誰かが行った後をなぞることしかできないエリスに対し、二人は誰かが作った道など無視して、自ら無い道を切り開き、作り上げて行く。
そんな性格。
一見すればエリスとは縁がなさそうに見える二人だったが、そんな二人とエリスがどうやって知り合ったのかと言えば、それはある日のことだ。
彼女はいつも通り要領が悪いことにつけて、他の子供達にいじめられていた。
「おい、エリス! まさかこんな魔法も使えないのかよ? こんなの初歩の初歩だぞ!?」
「……そんなこと、言われても……」
「流石はダメエリスね! 何をやらせてもダメダメのダメエリス!」
「やい、ダメエリス!! ほら、もう一回やってみろよ!!」
「……で、でも……私まだ……」
「いいからやれよッ!!」
「――――きゃッ! や、やめて……」
そう言いながら子供達はエリスを囲み、突き飛ばしながら蔑む。
何度も突き飛ばされたせいであちこちは擦り傷だらけ、地面に打ち付けた体のあちこちからはじんじんとした鈍い痛みが絶え間なくエリスを苛んでいた。
しかし、エリスはこんな状況にありながら、状況を打開することを既に諦めていた。
いあや、それどころか、こんなことになってしまうのは自分の要領が悪いせいだ。
何をやってもうまくできない自分が悪いんだと諦めている始末。
もはや、現状を変える方法など存在していなかった。しかし、
「おい、お前ら何してんだよ!!」
「大人数で一人を囲んでいたぶるなんて、いい趣味してるわね。あなた達」
そう言いながらその場に乱入してきたのがレオとノアの二人だった。
二人はそのまま子供達を追い払うとエリスに手を差し伸べ『大丈夫か?』『怪我はない?』とエリスのことを気遣ってくれたのだ。
嬉しかった。他人に気を使ってもらったことなど未だかつてなかったのだ。
二人の気遣いは今まで叱咤と罵声、嘲笑ばかりを浴びてきたエリスにとっては、初めてのもので、思わずエリスは泣いてしまった。
「お、おいっ!? 大丈夫かっ!? どっか痛むのかっ!? なあノア、どうしようっ!?」
「あぁー! とりあえず落ち着きなさいレオ! えーと……大きな外傷は見られないから、とりあえず応急処置を……」
そんなふうに慌てる二人を見てると、エリスの心は何故か温かくなり、思わず笑ってしまった。
この日、エリスは初めて、母親以外から温かさを教えてもらったのだ。
それ以来、二人はエリスに気を配ってくれるようになった。
そして、一緒に遊んだり、はしゃいだりして過ごすうちに、三人は親友と呼べる中になっていったのだ。
レオが何かを思いつき、そこにノアが便乗、サポートしていき、エリスがそんな頼もしい二人について行く。
それが三人の日常だった。
そしてこの日も、それは何ら変わりなかった。
いつも通りレオが『森に探検に行ってみようぜっ!!』などと思いつき、それにノアが『ふふ、面白そうね。乗ったわ』などと言って便乗する。
エリスはそんな二人に立ち入り禁止の森に侵入するという罪悪感を抱えながらもいつも通りついて行く……。
だが、本当はこの時ばかりは、エリスはついて行くだけではダメだったのだ。
何しろ二人はこの時自分の力を過信しすぎていたのである。
自分達ならどんな敵が来ても大丈夫と高をくくってしまっていたのだ。
いくら優秀とは言っても、まだ子供だというのに……。
エリスには二人を止めることが出来なかった。
しかし、それも無理はないのかもしれない。
何しろ、今まで二人に任せておけば、二人の後ろに居れば何の問題もなかったのだ。
二人にできないことなどなく、どんなに自分が無理だと思ったことでも、安々と切り抜けて行ってしまう。
そんな二人の背中をすぐ後ろで見続けてきたのだ。
この日も大丈夫だと思ってしまうのも無理はないことだろう。
――――しかし、そうした結果がこの状況であった。
今、エリス達は多数のブラックヴォルフに囲まれている。
ブラックヴォルフというのは鋭利な牙と爪を携えた漆黒の魔獣だ。
奴らは基本的に群れで動く。対象となる獲物を群れで襲うことで逃げ場をなくし、体力を消耗させた上で、動きの穴から一気に獲物を喰らい尽くす。
そういった狩りの仕方をする魔獣なのだ。
最初の何体かはレオが自慢の火の魔法を纏った剣でを使って前衛で牽制しつつ、ノアが魔法で撃退していたが、如何せん数が多すぎた。
倒しても倒しても向かって来る奴らを前に、ノアの魔力はすぐに殆ど底を尽居てしまった。
今でこそ、レオが一人で必死に奴らを食い止めているが、奴らがレオを突破して御しやすいこちらに襲い掛かってくるのは時間の問題だ。
ノアは残り少ない魔力でこの状況を何とか打開できないか考えているようだが……たぶん難しいのだろう。
いつも余裕を持っているノアのあんな焦った表情を見るのは初めてだった。
「来るな、来るなよ!! あっち行け!!」
そう叫びながらレオは必死に炎剣を振るっている。
しかし、その叫びはどこか懇願のようであり、レオのかつてない余裕の無さがかえって際立ち、強く伝わってきてしまう。
それはエリスの不安をいっそう駆り立てた。
「レオくん……ノアちゃん……どうしよう、私達もう駄目なのかなぁ……」
「こらッ!! 勝手に諦めないのエリス!! 大丈夫、なんとか……何とかなる。いや、何とかするのよ!!」
弱きになってしまった自分へとノアが必死に声をかけ、諦めるなと言ってくれる。
それはとても嬉しかったけど、しかしやはりもうどうしようもないのだろうという思いを拭い去ることはできなかった。
奴らにあの鋭利な牙で噛みつかれたらやはり痛いのだろうか?
……きっと痛いのだろう。
それは今までの、レオとノアに出会う前の自分が経験してきた痛みなど比較にならないくらいの激痛で、きっと自分なんて一瞬で意識が飛んでしまうに違いない。
いや、もしかするとそのほうが良いのかもしれない。
だってそれなら痛みは一瞬だ。
その一瞬さえ乗り切れば、あとは自分は眠るだけ。
普段と違うことがあるとすれば、その眠りから自分がエリスとして目覚めることはもう二度とないというただそれだけだ。
そして、とうとうその時はやってきた。
「―――ッ!? しまった!! ノアッ! エリスッ! 逃げろぉぉッ!!」
レオが叫ぶ。
見ればレオが疲労でふらついた一瞬の隙をついて、ブラックヴォルフが一体、レオの横をすり抜けてこちらへと向かって来ている。
「クッ!! ―――風よ! 我がエレメントを介し―――」
突然の出来事だったのにもかかわらず、ノアはこの事態に即座に反応していた。残り少ない魔力をやむを得ず奴の迎撃に回そうと詠唱を開始している。
が、しかし……あれでは間に合わないだろう。
どう考えてもノアの魔法の完成よりも奴がこちらにたどり着き、自分達を食い殺す方が早い。
思えば短い人生だった。
要領が悪くて、何も上手くできなくて、そのせいでいじめられてばっかり。
友達もいなくて、話し相手と言えばお母さんとお父さんくらい。
いつもいつも寂しい思いばかりしていた。
それでも、レオとノアに出会えて、やっと人生が楽しいと、そう思えるようになってきたばっかりだというのに……ああ、まだ……死にたくないな……。
そう思ったとたん、急に目頭が熱くなり、涙が止まらなくなった。
だってやりたいことはまだまだいっぱいあったのだ。
もっと三人であそびたかった。
学校だって行ってみたかった。
お仕事だってやってみたかった。
……恋、だってしてみたかった。
いつか好きな人が出来て、その人と一緒に暮らしていく……そんな経験をしてみたかったのだ。
しかし、それは……叶わない。
恐らく自分は数秒後には奴に食い殺されてしまうのだろう。
あの鋭利な牙で喉笛を切り裂かれ、奴らの餌食となるのだ。
だが、そんな自分にもまだ一つだけ、できることがある。
ノアの魔法は一瞬、たった一瞬自分が囮になるだけで完成するだろう。
今まで二人におんぶにだっこの自分だったけど……せめて死ぬときくらいは二人の役に立って死にたいなと、そう思ったのだ。
気がつけばブラックヴォルフはノアの目の前まで迫っていた。
そして次の瞬間、エリスはノアを引っ張って無理やり自分の後ろに下がらせた。
「――――エリスッ!?」
「ごめんね、ノアちゃん。
いつもいつも役立たずで……だからせめて最後くらいは……ね?」
「―――うそ…まって……待ってよエリスッ!! 嫌だよぉ!!」
そう言ってエリスがほほ笑むと、普段は毅然としていて、この状況でも必死に最善手を考えていたノアが、初めて涙を流していた。
(ノアちゃん……私なんかのために泣いてくれるなんて……ちょっと嬉しいな……)
ブラックヴォルフは既に自分の首に喰らいつこうとその巨大な口を広げて飛びかかってきている。
エリスは次の瞬間に来るであろう死をもたらす激痛に備えて、二度と開くことのないであろう目を瞑った。
………………。
しかし、待てど暮らせど予想していた激痛はやって来ない。
何が起こったのだろうか?
もしかして自分は痛みを感じる間もなく死んでしまったのだろうか?
それならそれで悪くない。
何しろそれなら自分は苦しまずに死ねたということだ。
痛みに苛まれ、苦しみに苦しんだ上で死ぬよりかは百倍ましである。
エリスは自分が一体どうなったのかを確認するため、恐る恐る目を開いた。
「……え?」
思わず間抜けな声が漏れてしまう。
結論から言えば、自分は生きていた。むしろ死んでいたのは奴の方だ。
ブラックヴォルフは頭と胴体を分断されて息絶えていた。
ノアの魔法が先んじて完成した?
いや、ノアの魔法が当たったとしてもこうはならない。
これは明らかに別の誰かによるものだ。
でも、一体誰が…?
そう思い顔を上げると――――そこに立っていたのは年端もいかない男の子だった。
なんてことはない、普通の男の子。
年は五歳ぐらいだろうか?
その顔にはまだ幼い子独特のあどけなさが見て取れる。
ただ、そこには決定的におかしな点が一つあった。
その小さな右手にはブラックヴォルフと同じ真っ黒な色の剣が握られていたのである。
それは本来彼のような幼い子供には無縁のはずのもので、どこかちぐはぐだった。
そして、その黒剣から滴る鮮血がさらにその違和感を際立てている。
もしや、この子が……?
そんな尋常ではありえない思考が頭をよぎる。
しかし、それは次の瞬間確信に変わった。
「――――さて、怪我は無いかな?」
見た目と不釣り合いに流暢な口調で彼はそう告げる。
彼は自分とノアを一瞥すると、安堵したような表情をし、再び前へと向き直った。
「……まぁ、すぐに終わらせるからそこで待ってるといい」
彼はまるでエリス達を安心させるかのようにそう告げるとその直後、とんでもない速度で駆け出し、奴らの群れへと突っ込んで行く。
恐らく身体強化の魔法でも発動したのだろうが……いつの間に発動したのだろう?
エリスはそんなことを考えながら、彼の小さくもどこか安心感のある背中を後ろからただじっと見つめていた。