【短編】笑うことを許されなかった部屋
家出のように決めた一人暮らし。
安さだけで選んだボロアパートに住んでから、人生が少しずつ壊れていった。
恋人の暴力、友人の怪死、自分の異常行動。
私の周囲だけが、まるで何かに呪われているようだった。
これは、10年程前に私自身が体験した出来事をもとにした話です。
逃げ出した先の保護施設で見たのは、もっと深く静かな地獄だった。
「あの部屋」は、私を引き寄せていたのかもしれない。
第一章:幼少期のわたし
私は今思えば、恵まれた子供だった。
欲しいものは全て手に入り、誰もが羨むような暮らし。
父は多忙で世界を飛び回り、たまに帰ってきたときには絵本に出てくるような土産を抱えていた。
でも、私は知っていた。
プレゼントの山の奥に、触れられない寂しさが一つだけ埋もれていたことを。
物よりも愛に飢えていることを、今になって気づく。
仕事優先の父と、一生懸命だが過干渉かとも思える母の元で育った。
私の周りの人は、私にこう言った。
「悩みがなさそうで羨ましいね」と。
そんなふうに言われることが多かった。
確かに、私はよく笑い、明るく振る舞う子どもだった。
家庭にも大きな不満はなく、幼少期は穏やかで楽しい日々を過ごしていた。
兄は県内トップ高校へ進学した。
それとは引き換えに、私は制服が可愛いという理由で模試S判定の普通高校を選んだ。
両親は口を揃えて言った。
「兄よりも壱果の方が、本当は頭がいいはずだ」
その一言が、何よりも重荷だった。
いつだろうか? 家に居場所がないと感じ始めたのは。
18歳になったら家を出よう!そう決めていた。
物件情報サイトで見た時、古いけど安い物件を見つけた。
築35年ほどのボロボロのアパートだった。
間取りは二K、駐車場代込みで家賃3万円。
屋根さえあればどこでもいい。それが当時の私の本音だった。
某大型ショッピングモールまで徒歩3分という立地で、破格の物件情報を見つけた私は、母同伴で不動産屋を訪ねた。
ボロボロのアパートの一室だった。今思えば、空き部屋の一室を不動産屋の店舗として利用していたのだろう。
当時65歳くらいのオーナーが、みかんとストーブの上に置いてあった缶コーヒーを手渡してきた。
一言お礼を言ったが、母も私も手をつけず、内覧をお願いした。
母はわたしに耳元でこう言った。
「本当にここでいいの?もっと他にいいところがあるんじゃない?」
私は「ここがいい」と一軒目で物件を決めた。
過干渉の母親から逃げるように、引っ越したのが18歳。
実家から車で5分ほどの距離。
歩くだけで軋む畳。
平成生まれで新築にしか住んだことがない私にとって、
初めてのバランス釜の追い焚き式の風呂釜だった。
平成生まれの私には、蛇口から火が見える風呂なんて想像もできなかった。
ガスのにおいと、時々鳴る「コッ」という音が、眠れない夜にやけに響いた。
ドアについているポスト。
ポストのように見えて、実際は下に大きく開いていて、郵便物は直接床に落ちる。そんな古い家だった。
だが、当時の私にはそこは、まるで秘密基地のような、城のようにも思えた。
第二章:奇妙な日常と、変わっていく自分
高校時代、アルバイト先で出会った男性は、無口なところがミステリアスで素敵だと思った。
誰とも戯れない。そんな、まるで昭和の男性のような佇まいに惹かれたのだ。気がつけばその男性と付き合っていた。
最初はとても優しかった。
住んでいた家が近かったのも、何かに引き寄せられたのかもしれない。アパートに引っ越す事によって家が更に近くなった。
私にとって、初めて「まともに付き合う」彼氏だった。
気づけば私は、彼の言いなりになっていた。
彼とのデートの場所は、いつも彼が行きたい場所だった。
私が行きたい場所には行かせてもらえなかった。
露出があるスカートは禁止。目立つ服装は禁止。
どんどん条件は増えていった。でも、それに「嫌だ」と言えない空気が、確かにあった。
門限も決められた。
男友達の連絡先はすべて消された。
写真も、すべて燃やされた。
彼は私を支配したい、そういう人格の人間だった。
気がついた頃には実家暮らしの彼が半同棲かのように私の家に住み着くようになっていた。
第三章:城が歪み始めた日
それからまもなくして、親友から連絡がきた。
突然の悲報だった。
某心霊スポットに行った友人が、二日後にバイク事故を起こして亡くなったという。
そこは、地元では有名な心霊スポットだった。
過去には、某テレビ局のアナウンサーが命を落としたこともある、いわく付きの場所。
その日、男友達を含む四人グループでそこを訪れた者たちのうち、三人が、それぞれ別のタイミングで事故に遭ったと聞いた。
私はそこには行っていなかった。
けれど後からその話を知ったとき、背筋が凍るような感覚を覚えた。
男友達は、誰からも好かれる性格だった。
女子校育ちで人見知りだった私が心を開けた、数少ない異性の友人。
ばったり街中で会っても、私の方から自然に話しかけられる、そんな相手だった。
あの明るさに、何度も救われた気がする。
その男友達は、心霊スポットで触ってはいけないものに触れ、それを振り回して遊んでいたという。
それが、目には見えない何かの怒りを買ってしまったのかもしれない。
亡くなった男友達と彼は、共通の友人だった。
だから私は、葬儀に行くことを許された。
交際していたのに、葬儀は別々に行った。
一緒に行こうとは、言えない空気だった。
葬儀で彼に会っても、まるで他人のふりをされた。
彼にとって私は、邪魔者のようで、
それでも「彼女」という奇妙な立場にいる存在だった。
男友達の事故のニュースを聞いたとき、私はすぐに思い出した。
そのとき男友達が被っていたヘルメット。
それは、彼氏が昔使っていた物で、亡くなった男友達に譲ったものだった。
私はそのことを知っていた。
知っていたのに、何も言えなかった。
もし、あのヘルメットがもっと頑丈だったら、
男友達は、死なずに済んだかもしれない。
そう思っても、私はその言葉を誰にも言えなかった。
ヘルメットのことを口にした瞬間、
当時彼と付き合っていた私自身が共犯者になってしまうような、
そんな錯覚に陥っていた。
そして私は、そこまで臆病で、
愚かで、壊れた性格になってしまっていたのだ。
彼の怒るポイントが、私には分からなかった。
瞬間湯沸かし器のような性格の彼だった。
無口な彼は、ある日こう言った。
「お前は、インプットしないと何もできない壊れたロボットだ」
その言葉は、頭ではなく、体の奥に沈んでいった。
家を知られてしまった以上、逃げ場はもうなかった。
私はまたしても、自由を失った。
自由を求めて選んだはずの私だけの城は、
いつの間にか、私の自由を閉じ込める牢獄になっていた。
気がつけば、私は人に相談もできない人間になっていた。
彼の機嫌を損ねれば、繰り返される暴力。
髪の毛を引っ張られ、その一部が、抜け落ちることもあった。
彼に別れを告げることさえ、怖くなっていた。
暴力が終われば、切り替わったように優しくなるからだ。
嫌われたい。
嫌われたい。
そう思う気持ちは確かにあるのに、私は何も行動できなかった。
学校では「悩みなさそうだね」と笑われたことを思い出した。
それは、壊れないように身につけた仮面だった。
強く見せていただけで、本当はもうきっと、ずっと前から限界だった。
ある日、彼にこう言われた。
「お前、夜中に無言で立ち歩いて、ペットボトルを一気飲みするのやめてくれない。正直、気持ちが悪い」
私は、その時のことを覚えていなかった。
無意識の行動だった。
そもそも私は、二リットルのお茶を直飲みするような人間ではない。
必ずコップに注いで飲む。
ナイフとフォークの使い方をきちんと教わって育った私にとって、二リットルのお茶をボトルのまま口をつけて飲むなんてことは、ありえない習慣だった。
不思議に思ったわたしはインターネットで調べた。
それが「夢遊病」だということを知った。
気がつけば、彼と二年も付き合っていた。
自由な性格だったはずの私が、
大人しく、人と関わらない性格になっていた。
「笑うと気持ちが悪い」
そう言われてから、私は笑うことすら許されなくなった。
彼が私の部屋に住み着くようになって、
私が探し求めていたはずの自由は、
居心地の悪い場所へと変わっていった。
こんな自分を、誰にも見られたくなかった。
私は親友以外に連絡先を教えず、携帯電話の番号を変えた。
今思えば、
「悩みがなさそうだね」
と言われ続けてきた幼少期のその言葉が、
弱音を吐いてはいけない。助けを求めてはいけない。
そんな人間に私を作り変えてしまったのかもしれない。
第四章:私の知らない世界
私は、親友に電話をかけた。
「ねえ、お願い。私の車、一時的に預かってもらえないかな」
理由は何も聞かずに、親友は「いいよ」と言ってくれた。
自殺を心配されたので、
「県に保護してもらうから、心配しないで」
そう伝えると、親友はそっと頷いてくれた。
当時流行していたSNS、mixi。
私はそこで、顔も知らない第三者に、初めて相談をしていた。
親友にも言えないほど、
私の心は粉々に崩れていた。
彼にされたことを、mixiで知り合った顔の見えない誰かに打ち明けると、その人はこう言った。
「それは、DVとモラハラですよ」
その言葉を、私はすぐには信じきれなかった。
けれど、その言葉は、私の頭の片隅に張りついたまま、決して消えることはなかった。
半信半疑のまま、市役所へ行った。
震える声で相談すると、職員は丁寧に対応してくれて、
「DVの保護施設」という存在を教えてくれた。
ようやく私は、「逃げる」という選択肢に手を伸ばした。
けれど、今の生活をすべて手放すには、
勇気と準備が必要だった。
職場の上司にも勇気を出して相談すると、
特別に有給休暇を取らせてくれた。
「今は無理しないで」
その一言が、胸に沁みた。
理解のある職場に、とても感謝したのを今でも覚えている。
スーツケースに最低限の服を詰め、私は逃げた。
行き先を誰にも告げられないまま、家を出た。
市役所の担当者が、私をその場所まで車で送ってくれた。
到着したのは、無機質な建物だった。
DV保護施設。
それは、私が今まで知ることのなかった世界だった。
施設に入ると、まず言われたのは、
「外部との連絡を取らないように」ということ。
私は素直にうなずき、携帯電話を職員に預けた。
そこにいた人たちは、皆、私と同じように、
何かから逃げてきた人たちだった。
全身火傷を負った親子。
ホストにのめり込み、風俗での勤務を強要されたという同年代の女性。
日本人の夫から暴力を受けて逃れてきた、フィリピン人の母子。
彼女たちは、どこかに壊れた部分を抱えながらも、
懸命に生きていた。
誰ひとりとして、自分の過去を誇らしげに語る人はいなかった。
私はその中で、ただ静かに、
自分の今までを見つめ直していた。
施設に避難している人たちと、自然と話すようになった。
すでに未来を向いている人。
加害者の、かつての優しい思い出を語る人。
そこには、二つの人間像があった。
そして、そこで耳にしたある言葉に、
私は大きな衝撃を受けた。
「DV被害者の半分は、再び加害者の元に戻ってしまうんです」
施設の職員が言った、その一言が、胸に突き刺さった。
逃げられたのに、また戻る。
あれほど辛かったのに。
けれど、私は心のどこかで、
その言葉の意味が分かってしまった。
暴力の後の優しさ。
「ごめん」と繰り返す言葉。
壊れそうな自分に、ほんの少し寄り添ってくれるような錯覚。
私も、ほんの少し前まで、そこにいた。
そんなある日、
ひとりのシングルマザーが施設を出たいと言い出した。
「彼氏の元に戻りたい」と。
その人には、小学五年生と小学三年生の子どもがいた。
当然、施設の職員たちはシングルマザーを止めた。
「そんな危険な場所に子どもたちを戻すわけにはいかない。帰るなら貴方だけ帰ってください」
それでも、シングルマザーは言葉に耳を貸さず、子供よりも彼氏を選んだ。
子どもたちは児童相談所へ引き取られていった。
その別れの瞬間を、私は目の当たりにした。
母親と引き離され、泣き叫ぶ子どもたち。
けれど、母親の足は一度も止まらなかった。
彼女は、子どもよりも彼氏を選んだのだ。
胸が痛んだ。
あの子たちの目には、
母親がどう映ったのだろう。
それは裏切りだったのか、
理解できない混乱だったのか。
私は、ただ祈るような気持ちで見つめることしかできなかった。
子どもを一度手放したシングルマザーは、一週間後に、再び施設へ戻ってきた。
理由は、彼氏からの暴力が、また始まったからだという。
「子どもたち、すぐには戻ってこられないらしい」
彼女は、まるで天気予報でも語るような口調で、そう言った。
私はそのとき、初めて思った。
過保護すぎると鬱陶しく思っていた自分の母親が、
こんな人間ではなくてよかった、と。
もっと人に頼ることができたら。
もっと誰かを信じることができたら。
私の人生は、少し違ったのかもしれない。
そう思う自分が、確かにいた。
その日の夕方、私は施設の職員に申し出た。
「家族から、何か連絡がきていないかだけ、確認させてください」
私には、戻れる場所がある。そう思ったからだ。
だから、私はもう、ここにいるべきではないと感じた。
一ヶ月ぶりに触れる携帯電話。
電源を入れると、親からのメッセージが、いくつも届いていた。
私は、思い切って実家に連絡を入れた。
そして、帰ることを決めた。
ここにいるべきではない。
そう、気づかされたのだ。
頼れるものが、私にはあった。
それがどれほど尊いことか、やっと理解できた気がした。
第五章:炎のない部屋に
私は、保護施設を出た。
一か月ぶりの外の生活だった。
DV彼氏とは、接近禁止命令の手続きをとり、顔を合わせることなく別れを告げた。
それは、まるで自分の人生を取り戻すような決断だった。
すぐに、あのアパートを解約し、私は実家へ帰った。
不自由だと思っていた実家が、こんなにも自由で、安心できる場所だったのだと気づけたのは、
あのアパートで起きた奇妙な出来事があったからかもしれない。
地元に戻るたび、私は無意識に、あのアパートの前を通ってしまう。
当時築三十五年だった、あのボロボロのアパートは、
十年以上経った今も、まだそこに建っている。
友人の死。
元彼の支配。
あの場所は、私にとって、
何かが始まってしまった、奇妙なアパートだった。
けれど、大島てる氏の事故物件サイトを見ても、
そのアパートに、あの特徴的な炎のマークはついていない。
あの部屋から引っ越してから、私はまた少しずつ明るくなった。
昔の自分を、少しずつ取り戻せている気がする。
あの頃の私は、
もしかしたら、何かに取り憑かれていたのかもしれない。
今は、そう冷静に感じられるようになった。
日本各地には、無数の貸し物件がある。
アパート、マンション、一戸建て。
けれど、住んでみなければ、
その場所が事故物件かどうかは分からない。
炎のマークがついていなくても、
目に見えない何かが、潜んでいる部屋は、きっとある。
私は、そう思っている。
あなたの住む、その部屋も
もしかすると、そうかもしれない。
表向きには「事故物件」じゃない。
けれど、私の精神が崩れていったその空間は、
なによりもおぞましい、自己物件だった。
誰にも炎のマークは見えなくても、
そこに暮らす人の心が、静かに壊れていく部屋はある。
もしあなたの隣に、笑うことを許されていない誰かがいたら。
その沈黙は、何かが始まる前の、静かな予兆なのかもしれない。
これは、ある時期にわたしが実際に体験した話です。
いまは地元を離れ、毎日楽しく、よく笑って暮らしています。
有名な賃貸サイトであのアパートを検索すると、空きなしと表示されます。
今も八つの部屋全てに、誰かが暮らしているようです。
月日がたち、こうして出来事を文章にすることで、当時の気持ちがはっきりと思い出されました。
辛かったこと、苦しかったこと。最初はたしかにそう感じていたはずなのに、人はおそろしいほどに、慣れてしまうものです。
あの頃のわたしは、奇妙な出来事さえも普通と感じてしまうほど、心がすり減っていたのかもしれません。
辛いと思うことは、決して恥ずかしいことではありません。
助けてと言うことも、同じです。
もし過去の自分に声をかけられるなら、私はきっとそう伝えます。
いま、同じような悩みを抱えている人がいるなら、どうか無理をせず、誰かに相談してほしいと心から願っています。
そして、もしあなたがこれから新しい部屋を探すことがあれば、安さの裏に、どんな理由があるのかを、ほんの少しだけ想像してみてください。
あのとき、もし逃げることができなかったら?
ネットで誰かに相談できなかったとしたら?
わたしは、もうここにいなかったかもしれません。
もしかすると、わたしが住んでいたあの部屋が、事故物件として記録されていたかもしれない。
そう考えると、いまでも自分のことながら、ぞっとします。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この作品は、第14回ネット小説大賞「事故物件」部門に応募しています。
もし少しでも心に残るものがありましたら、
ブックマークやレビュー、感想をいただけるととても励みになります。
初めて書いた文章なので自信はないですが、誰か一人にでも届いてほしいという気持ちで書きました。
応援していただけたら嬉しいです。
本作と同時期に起きていた出来事を描いた作品を、現在連載しています。
ご興味があれば、そちらも覗いてみてください。
https://ncode.syosetu.com/n2270lq
読んで頂きありがとうございました♡
巳ノ星 壱果
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