表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された無能と呼ばれた俺、実は神々の寵児でした〜スローライフしながら気づけば美少女も最強も全部ついてきてました〜  作者: 妙原奇天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/44

第21話「静かな朝、地図の余白」

 夜の名残りは薄く、空は水で磨いた石のように澄んでいた。

 見張り塔は二本とも低く歌い、結界布は夜風をやわらげる柔らかな幕に戻っている。圧計の針は眠る子の胸みたいに小さく上下し、畑には露がふっくらと乗っていた。

 「……軽い」

 指先で土を掬った俺は、ひと呼吸分だけ目を閉じる。湿りはほどよく、香りに金属の尖りはまったくない。根を潜らせれば、土は穏やかな弾力で受け、耳の奥ではなく骨の裏でやさしい拍が返ってくる。家の拍――“根合ねあいの畑”の呼吸だ。


 「リオさん、これ見てください」

 エリナが畦の端で小さく手を振った。葉の陰から、土の肩にぴょこんと白い頭が覗いている。丸い肩、土にあたるとわずかに鳴る。

 「はつもの、ですね」

 抜き上げた小ぶりの根菜は、肌が薄く、匂いが甘い。昨夜まで寝ていた門が完全に沈黙すると同時に、芽が一段踏み出したのだろう。

 「蜜煮にしよう。みんなで食べる分は残して」

 アレンが見張り塔から降りてきて、茎を手早く落とし、根の土を落とす。動きは相変わらず無駄がないが、目の色は昨日までより柔らかい。

 「朝の祈りも」

 エリナは水袋を傾け、名だけの祈りを置いた。

 「ここにいます。今日も、生きます」

 言葉は小さく、けれど畑ははっきりとうなずく。結界布の縁が、それに合わせてほんのわずか揺れた気がした。


 鍋に水を張って薪に火を入れる。湯が立ち上がり、切った根菜が転がり、蜂蜜をひとさじ。香りが立った瞬間、川辺の藪がカサリと鳴いた。

 小さな客人が、ひょこりと顔を出す。薄茶の野兎だ。痩せてはおらず、警戒はしているが、目に焦りはない。

 「……戻ってきたな」

 アレンが声を潜めると、野兎は耳を立てたまま、結界布の風下にちょこんと座った。布に嫌がる様子がない。瘴の粉はないのだ。

 鍋が頃合いを知らせ、俺たちは小さな器に蜜煮を分けた。ひと口目はやわらかく、甘い。鍋の湯気に土がほっと息をつく。

 「初収穫、おめでとうございます」

 エリナの笑顔は、昨日より少し広い。俺の胸の内側でも、何かがほどけて座り直す感覚があった。


 蜜煮の香りがまだ空に細く残っていた頃、川の向こうから小さな荷車の軋む音がした。

 「学匠院?」

 見張り塔の踊り場からアレンが覗き、親指を立てる。

 近づいてきたのは、見慣れた外套――ロウ……ではなく、その半分くらいの背丈の若い影だった。

 「学匠院第三測量課見習い、ミリ・ロートです!」

 年の頃は十代半ば。ちょっと大きな外套の裾を踏みそうになりながらも、目はきりっとしている。荷車には圧計の簡易盤、巻紙、そして小さな朱印。

 「師匠――ロウ様からの手紙と、学匠院からの正式な依頼をお持ちしました。それと、お礼に塩と紙と、種の詰め合わせも」


 ミリの差し出した封蝋を割ると、ロウの癖字が紙面を流れていた。

 > “観測値は安定。尾根の圧、平。門“相輪”は“ねわ”の名で眠りに入った。

 >  依頼:『家の拍』の手引き――結界布の張り方、畦の刻み、流の細工、合図、合印の段取り――を簡便にまとめてほしい。

 >  対象は森辺の野営と、北の小集落、谷筋の旅籠。各地に“耳”の名残が散在する。術者でなくとも“暮らし”で押さえられるように。

 >  報酬:塩・油・釘・紙・圧計の貸与と、学匠院の地図に『根合の畑』の記載。

 >  追伸:勇者から伝言。“東へ行く。輪ではない“綾”(あや)の筋を見つけた。家で暮らせ。生きて、次に会え”。

 >                               ロウ・フェネス”


 紙の端には、別の筆跡――カイルのものだろう――で短い行。

 > “死ぬな。生きて、食って、眠れ。――カイル”

 ルーナらしい軽い書き込みもあった。

 > “氷は薄く。すぐ割れるくらいが守りやすいわよ。――ル”

 マリナの印はただ小さな十字の祈りだけ。

 読みながら、胸の奥にじわりと温度が広がる。

 「……手引き、か」

 俺が呟くと、ミリは期待と不安を半分ずつ混ぜた目でこちらを見た。

 「わたし、図の写しと、板刷りの準備、できます! でも、内容は……その……“暮らしの言葉”でないと、読める人が限られるので……」

 「任せて。術式の名は少なく、手の動きと“間”の作り方を、畑の仕事の言い回しで書く」

 エリナが微笑んで頷く。

 「祈りのところは、長い詞は要りません。名だけでも十分――“ここ”。その言い方も書きましょう」

 アレンは巻紙に目を落として頷いた。

 「刃の章は短い。切らずに打つ“時打ち”だけでいい。誰でもできる」


 見張り塔の陰に簡易の机を出し、ミリが紙を押さえ、俺たちは項目を洗い出した。

 * 結界布の張り方と風の取り方(“嫌わず、押し返す”の感覚)

 * 畦の刻み――四隅を正時で打つこと、畦の幅と深さの目安

* 流の細工――銀糸の引き方、溝を“走らせすぎない”コツ

* 合図――白・青・赤の狼煙、夜の灯の合わせ方

* 祈り――名だけでいいこと、名の置き方(声でも、無言でも)

* 合印――“無・短・無”、噛ませ方と噛ませない練習

* 旅先での“仮の家拍”――小布と短い杭で作る携帯の座(仮)


 「“携帯の”?」

 ミリが首を傾げる。

 「遠出のときに“家の拍”を持ち出す最小限の仕掛けだ。小布一枚、短い杭二本、細い水管、握り飯の匂い――」

 「最後、匂いは冗談だ」

 アレンが笑い、エリナも笑った。

 「冗談でも、たぶん本気でもあります。家の匂い、効きますから」

 机の上の紙に、暮らしの言葉と小さな図が次々に並んでいく。ミリの筆は速く、丁寧だ。時折、野兎が結界布の風下を移動し、塔の軋む声に耳を動かす。


 昼過ぎ、圧計の針が一瞬だけぴたりと止まった。

 「……ん?」

 ロウの代わりに針を見ていたミリが眉を寄せる。

 「平らなんですけど、奥で“別の拍”が……」

 俺は膝をつき、土に掌を置く。家の拍は穏やか。だが、そのさらに下――川の底よりもずっと深い層で、乾いた石が指先で小さく“コツン”と触れるみたいな拍が二つ続けて落ちた。

 “相輪そうりん”の門“ねわ”の呼吸ではない。眠っている門の向こうでもない。もっと地層の深いところ、冷たい石と水のさかいで跳ねる、小さく硬い節。

 「かなの拍……?」

 口が先にそう呼んでいた。

 エリナは不安そうに俺を見る。

「起きてしまったんでしょうか」

 「いいや、“起きる”感じじゃない。――“呼んでいる”。息ではなく、合図の二拍。間隔が長い。焦りはない。けど、遠くない」

 アレンが塔の階段に片足をかけ、風上の匂いを嗅いだ。

 「鉄の匂いは混じってない。なら、すぐ噛みつく類じゃない。……学匠院に“別の拍”の観測を依頼しておくか」

 ミリがうなずき、手帳に素早く書きつけた。

 「“深層拍の既往”として記録します。ロウ様にすぐ届けます」


 午後は“手引き”の素案を仕上げた。暮らしの言葉で書いた本文に、アレンの短い図、エリナの“名の置き方”の余白の注意、俺の“土に触れる手つき”の挿絵。

 「ここ、好きです」

 ミリがとがった筆先で一行を指した。

 > “祈りは、誰の言葉でもよい。大きくなくてよい。長くなくてよい。

 >  “ここ”と置ければ、土はうなずく。

 >  置けない日は、置かなくてよい。その日は“息だけ”置く。”

 「……ありがとう」

 エリナが少し照れたように笑う。

 「わたしにも、置けない日があったから、書けました」


 蜜煮の残りで簡単な夕餉をとり、ミリには塔の踊り場の下に寝床をこしらえた。旅の疲れか、彼女は布団に潜るとすぐ目を閉じた。

 「明朝、わたしがロウに手引きの素案を届ける。――君らは休め」

 アレンが言うが、俺は頷く代わりに畦の端に膝をつき、土へ掌を置いた。

 “別の拍”は、やはり時折、深いところで二つ続けて落ちる。近づきはしない。けど、忘れさせもしない距離感。

 「ねわは眠ってる。……なのに、呼ぶのか」

 独りごちると、エリナがそっと隣に座った。

 「明日、“仮の家拍”の稽古をしましょう。携帯の座があれば、呼ばれた先へ行くときにも“無拍”を落とせます」

 「そうだな。焦らず、暮らしの延長で支度する」


 夜。火は小さく、星は濃い。

 見張りの番を交代し、塔の梁に掌を当てて無拍を落とす。置かない一拍に、土がうなずく。川は静かで、結界布は風を二度三度やわらげる。

 ――コツン、コツン。

 深い層の二拍が、また落ちる。

 「ここ」

 名だけを置くと、家の拍が先に抱きしめ返してきた。深層の拍は返事をしない。ただ、そこに“在る”。


 翌朝、薄い霧と一緒にロウが現れた。ミリの報告を聞き、圧計の板を見て、低く唸る。

 「深層拍……。鉱脈か、古い水路か、あるいは“別系統の門”の奥体。急ぎではないが、地図の余白に印を置くべきだ」

 彼は荷車から細い板と朱を取り出し、簡単な図を描いた。

 「ここから北東へ二里の岩棚に“石の歌”の記録がある。昔の掘り子が、石が歌うと書いた。――そこへ行くなら、“仮の家拍”で行け。学匠院は後方で観測を続ける」

 アレンが頷き、俺はエリナと目を合わせた。

 「手引きを仕上げて、種を蒔いてからだ」

 「はい。まずは、ここを“家”として濃くしてから」


 ロウは最後に圧計の針を板に写し、荷車の綱を握った。

 「伝言をもう一つ。勇者から。“相輪の眠りは見事。こちらは東で“綾の筋”を追う。家を守れ。次に会うまで、生きてろ”」

 言い回しは素っ気ないが、針で描かれた線の端に小さく押された光の印が、彼らの“いま”を伝えている気がした。

 「生きて、食べて、眠って、起きる。――また会おう」

 ロウは笑い、ミリも笑って深々と頭を下げ、荷車を押した。


 静けさが戻る。だがそれは空っぽではない。

 畑は息をし、塔は低く歌い、川は朝の光を細く撫でる。野兎は結界布の風下で草を食み、時々こちらをちらりと見て耳を揺らす。

 「手引き、続きやろう」

 俺は机に向かい、“携帯の座”の項を増やし始めた。

 * 小布の折り方(風を嫌わず層を作る折り)

 * 短杭二本の角度(“家の輪”を一人ぶんへ縮める角度)

 * 無拍の落とし方(歩きながらでも置ける“間”)

 * 名の置き方(声が出ない時は息だけで置く)

 エリナが横で小さな図を描き、アレンは刃の章に“時打ち”の拍を三種書き添えた。

 昼過ぎ、紙の端で蜜煮の甘い香りがささやき、家の匂いがもう一段濃くなる。


 夕方、塔の影が畑をまたぎ、日が川へ沈む頃。

 地の深いところで、また二拍。

 「コツン、コツン」

 ――呼んでいる。

 俺は掌を土へ。エリナは隣に座る。アレンは塔の脚を軽く叩いて正時を合わせる。

 「行く日は、俺が外。君らはここを守る。交代で」

 「はい。携帯の座の稽古を今日から」

 「無拍を歩きながら落とす練習だな。……焦らず、暮らしの延長で」


 夜。星は濃く、結界布は風をやわらげ、塔は交互に低く歌う。

 “相輪の門――ねわ”は眠り、家は呼吸を続ける。

 そのさらに深くで、別の拍が時折、二つだけ落ちる。急かさぬ拍。焦らせない合図。

 俺は掌を塔の梁に当て、無拍をひとつ落とした。

 「ここ」

 名だけ。

 土はうなずく。

 ――地図の余白は、まだ広い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ