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第13話「青い狼煙、門前の合奏」

 北東の空に青い狼煙が細く伸び、その先端が風で折れてはまた立ち上がった。

 「行く」

 俺は唄杭を胸に抱え、境界標柱の下に置かれた圧計の針を一瞥する。数値は緩やかに上昇していた。ロウの言葉どおり、波がもう一本“口”を開けかけている。


 斜面を駆け上がり、丘陵を越えると、低木の海にぽっかりと凹んだ窪地が現れた。地表が割れ、黒ずんだ霧が膝のあたりまで流れ出している。窪地の縁には勇者一行。カイルは剣を鞘のまま逆手に掴み、ルーナは杖を胸に、マリナは祈りの姿勢で立っていた。新顔の二人は盾を構えて横に広がり、後衛のために風下を抑えている。


 「遅かったな」

 カイルが短く言い、顎で窪地を示した。

 「地面が“呼吸”している。吹き出しが周期的に強まる。近寄ると足を取られ、肺を刺される」

 ルーナが杖を軽く振ると、瘴気の層がレンズのように歪み、波の輪郭が可視になった。

 「ここは地上の“前室まえのま”。地下で閉じたものと構造は似ているけど、鍵座が表に出ていない。節と印、それに流路の改変で眠らせるしかないわ」


 「流は任せろ」

 アレンが短く答え、俺は唄杭を握り直す。胸の奥に、昨日覚えた節が自然と立ち上がった。

 「手順を合わせる。――一、地形を整える(根)。二、水脈を繋ぐ(流)。三、結界布で層をつくる。四、祈りの節を敷く(祈)。五、刃は“節の刃”(刃)。六、唄杭で印を打つ」

 「了解」

 エリナの返事は少し震えていたが、瞳は揺れていなかった。


 俺は窪地の周囲に掌を当て、《創耕》を解き放つ。表土が静かに盛り上がり、二重のあぜと浅い溝が描かれていく。瘴気の流れは畦で速度を落とされ、溝で方向を誘導される。ルーナがそれに合わせて冷気を薄い板に変え、畦の内側へ貼り付けて“冷の縁”をつくった。

 「水が欲しい」

 俺が言うと、アレンは背中の皮管を噛み切り、丘の裏側の小流から引いた細い水を溝へ開放する。冷たい銀糸が走り、瘴気の膜がふっと薄くなる。

 「布」

 エリナが結界布を二巻、風上と風下に垂らす。布は風を嫌わず、空気の層だけを捕まえて、霧の動きを柔らげた。


 準備が整うのを見計らい、マリナが目を伏せる。

 「主よ、ここに生きる者の息を守り給え――」

 祈りは短く、節は静かだ。俺はその節を胸で受け取り、エリナの声に引き渡す。

 「ここにいます。今日も、生きます」

 彼女の囁きが空気に溶け、唄杭の輪が震えた。指先に温度が乗る。昨日よりも深い拍子が、土の奥で返ってくる。


 「刃は“切らない”」

 アレンが低く言い、鞘のままの剣で畦を打つ。コン、と乾いた音。リズムは祈りと合い、ルーナの杖の先が同じ拍で地を叩いた。

 カイルは一足一刀の間合いに立ち、聖剣を半ば抜いて、光を音に変える。ヒュン、と耳を刺す高い一拍――だが刃で空気を裂く代わりに、光が振動を刻むだけに抑えられている。

 「合わせろ」

 彼の目がわずかに笑った。

 「“合奏”だ」


 俺は唄杭の頭に掌を置き、輪の刻みに爪の腹を優しく当てる。輪が二重に回り、微かな音が生まれた。耳で聴くより先に胸骨が先に聞く、そんな音。

 拍子が揃い、流が整い、畦が息をする。窪地の中心、黒い霧の吹き上がり口がわずかに狭まり、吹き出しの間隔が長くなった。


 ――そのときだ。

 畦の外側、低木の影で黒い“胞”が割れた。昨日地下で対処したものより大きい。三つ、四つ、六つ――乾いた皮膜がひび割れ、粉を含んだ舌が地面に這い出した。

 「来るぞ!」

 盾役の二人が前へ出る。胞は音の節に合わせて避けようとするが、結界布が空気の層をずらし、奴らの“聴き取り”を狂わせる。

 「右は俺が」

 アレンが走り、鞘の一撃で胞の軌道を乱す。俺は根を伸ばして足をすべらせ、エリナが白粉を舞わせて粉を落とす。

 ルーナの《深氷の縛》が薄く走り、胞の表面に霜の網が張られた。

 「マリナ!」

 「……“息”を守れ」

 祈りの一拍で布の層が厚みを増し、粉は風下の溝へ落ちて水に飲まれた。


 回転する拍の輪から半歩も離れないうちに、中心の吹き上がりが一段強くなった。矢のような冷気が胸を刺し、視界が白む。

 「節が一つ、割れた!」

 ルーナが叫ぶ。

 エリナの足元がふらつき、祈りの声が一瞬だけ途切れたのだ。

 「エリナ!」

 俺はすぐ側に膝をつき、彼女の肩を支える。

 「大丈夫。……息が、少し」

 「俺の声で“下地”作る。君は上に“名前”だけ置いて」

 俺は胸の底で歌い、土に拍を返す。彼女は短く頷き、ただ一語――

 「ここ」

 その一語に、畦も、布も、流も、唄杭も、まるで頷くように応じた。拍はすり減らず、むしろ太くなる。

 カイルが光の刃で一度だけ空を切り、乱れた節を“正時”へ戻す。アレンが鞘で畦を打ち、ルーナが杖で霜の線を継ぎ、マリナが息の祈りを短く重ねる。


 “合奏”は一つの旋律になった。

 唄杭の輪が熱を帯び、二重の刻みが呼吸と同じ速度で回る。

 吹き上がり口の黒が、青黒く薄まり――ついに、ふっと沈んだ。

 足裏の振動が止む。圧が一段落ちる。

 「今だ、印を打て!」

 ルーナの声に、俺は唄杭を畦の内側、土に刻んだ小さな座に立て、節の最後の一拍を輪に通す。輪がかちりと噛み、土がひと息吐いた。


 沈黙。

 次の瞬間、窪地の中心で、重い扉が遠くで閉じるような音が遅れて響いた。吹き上がりは止み、黒い霧は淡い灰へ、そしてただの冷たい空気に溶けた。

 「――折った」

 カイルが聖剣を納め、短く言った。


 盾の二人が息を吐き、地に膝をつく。マリナが手をかざし、彼らの喉や胸を浅く撫で、息の痛みを和らげる。ルーナは杖の先で畦に触れ、唄杭を覗き込んだ。

 「古い器具のくせに、よく働くじゃない」

 彼女は口ではそう言いながら、輪に触れない距離を保っていた。壊す怖さを分かっている手つきだ。


 アレンは短く笑う。

 「刃も歌えば、切らずに守れるらしい」

 「刃は切るためにあるが、守るために抜かないこともある」

 カイルの言葉は不器用な誉め言だ。彼の視線が、エリナへ向く。

 「……よく持った」

 エリナはかすかに頷き、微笑んだ。

 「はい。みんなで、です」


 その時、丘の陰から荷車の軋む音。学匠院のロウが汗を拭いながら現れ、圧計を窪地の縁に据えた。

 「見事だ」

 針は目に見えて下がっていく。

 「この一筋は落ちた。次の新月の波が来ても、ここは持つ。……ただし」

 彼は顔を上げ、森のさらに奥を指す。

 「東の尾根で、圧が“逆に”立っている。門そのものの間近かもしれない。そこは合奏ではなく、“合印あいいん”が要る。鍵を二つ同時に――」


 唄杭と、苗鍵。

 俺は無意識に懐の苗鍵に触れた。温度は一定、だが“呼ばれる”感じが微かに強くなった。

 「門の前には“前室まえのま”がまだある。地上型をあと一つ、地下型をもう一つ閉じれば、尾根の圧は落ちる。間に合う」

 自分に言い聞かせるように口にすると、ロウは小さく頷いた。

 「君らの“居場所”が広がれば、地図の余白は埋まる」


 解散の前、合図の確認を重ねた。白は通常、青は協力急募、赤は危急。結界布の交換時期。夜間の灯。

 マリナが最後に静かに言う。

 「生きて戻りましょう。……次の祈りを、また重ねるために」

 ルーナは肩を竦め、軽く片手を上げて踵を返した。

 「死ぬのは趣味じゃないもの」

 カイルはなにも言わず、ただ一度だけこちらを見、頷いた。


 帰路、風は甘く、畑の匂いが遠くからでも分かった。境界をくぐると、芽は昨日よりもまた背を伸ばしていた。唄杭を外して拠点の座に戻し、土の呼吸を確かめる。軽い。

 「……成功だ」

 アレンが腰を落とし、笑った。その笑い声は短く、しかし芯が通っている。

 エリナは水を汲み、畦に沿って静かに注いだ。

 「ここにいます。今日も、生きます」

 祈りは一息分だけ。けれど、畑ははっきりと応えた。


 夜。

 焚き火の火は小さく、星は濃かった。俺は畑の隅に膝をつき、耳を土に当てた。

 ――足裏の振動は、薄い。だが、まったくの無音ではない。

 遠く、東の尾根のほうから、“拍子”が返ってくる。こちらの合奏を真似たような、しかしわずかにずれた節。

 「……誰かが、向こう側で“聴いている”」

 独り言が夜に溶ける。

 門はただの穴ではない。向こうにも“誰か”の手があるのかもしれない――そんな考えが、背筋に冷たい汗を伝わせた。


 「リオさん?」

 小屋の戸口でエリナが首を傾げる。

「大丈夫。……次は地下の一本を閉じる。唄杭と苗鍵、二つの印を合わせる“合印”の練習も要る」

 「はい」

 彼女は短く答え、焚き火のそばへ戻っていった。

 俺は空を見上げた。星の並びは静かで、風は乾いて優しい。

 明日も、耕す。守る。育てる。

 そして――歌う。土と、仲間と、息を合わせて。

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