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第11話「測量師と契約、門の前室」

 木陰から現れたのは、年の頃は三十前後、浅黒い肌に煤のにおいをまとった男だった。外套の裾から覗くのは三脚の足と円盤の装置。金属の輪に薄い石板がはめ込まれ、細い針が呼吸するように揺れている。

 「学匠院第三測量課、ロウ・フェネス。瘴気偏圧計の野外試験中だ」

 男は帽子に触れて軽く会釈した。

 「先刻までこの谷筋は重い……圧が高かった。だが、さっき突然軽くなった。君らが何か“閉じた”のだろう?」


 俺たちは目で合図を交わす。アレンが一歩前に進み、剣から手を離して見せた。

 「事情があって地の“呼吸”を整えた。ここは俺たちの居場所だ。調査は構わないが、荒らされたくはない」

 ロウは肩をすくめ、懐から細い巻紙を出した。

 「なら話は早い。測定用の標柱を境界から一歩だけ内側に打たせてほしい。畑の内には入らない。対価に塩、油、釘、縄、紙を出す。観測値と見聞は、君らにまず共有しよう。それと、徴用はしない――ここは君たちの管理地だという前提で契約にする」


 紙には既に項目が整っていて、空いているのは地名と管理者の名、それに合図と連絡法。俺はロウを見た。

 「狼煙を使えるか?」

 「もちろん。色は?」

 「白は“通常”、青は“協力急募”、赤は“危急・戦闘”。夜間は灯で同じ合図。俺たちが不在の時、柱に触るな」

 「了解した」


 ロウは携帯の朱印を取り出すと、契約文の末尾に押す。朱がわずかに光ってすぐ消えた。

 「偽造防止の微細術式だ。君らの名も」

 俺とアレン、エリナが順に名を書き、印を押す。押した瞬間、紙の繊維が指先の熱を記憶するようにふわりと震えた。

 「ようこそ、学匠院の『地図の余白』へ」

 ロウは冗談めかして微笑むと、標柱を二本だけ境界に打ち、圧計の針を覗き込んだ。

 「……やはり、軽い。誰かが地下の“流れ”を止めた。君らが閉じたものの少なくとも一本は、谷の碑と連動していたらしい」


 俺は決めた。

 「ロウ、地下に“点検口”がある。今は“前室”の一つを閉じたところだ。結界布もいくらか手に入れた。――見せるわけにはいかないが、情報は交換できる」

 男の目がわずかに細くなる。

 「こちらからも出せる情報がある。瘴気の流入は周期的だ。新月の三日前から強まり、新月で頂点、七日で落ちる。今回の波はまだ“端”だ。次の新月までに、もう一本は閉じておけると安全域が広がる」


 喉が乾くほど、具体的な言葉だった。

 「対価はすぐに届けよう。君らが“閉じる”ほど、この森の地図は救われる。俺たちはその記録を書く」

 ロウはそう言い残し、圧計を肩に担ぐと森に溶けた。


 小屋の影が少し短くなった頃、俺たちは支度を整えた。結界布を二巻、縄、白粉、松明、そして昨日見つけた苗鍵。

 「今日は“前室”の先に記録がないか確かめる。門そのものに触る気はない。戻りの目安は日が中天から一刻いっとき

 アレンの言葉に、エリナが深く頷いた。

 「祈りは昨日と同じ節でやります。……怖いけど、行けます」


 畑の隅、土の丸口に苗鍵を合わせる。微かなかちりの後、冷たい空気が頬を撫でた。縄梯子を垂らし、三人で降りる。結界布を要所に垂らすと、灯苔の光が柔らかく反射し、通路の空気が澄む。


 落とし床を避け、棘の廊を抜け、四器の広間へ。器の縁は昨日の薄緑を保っていた。

 「祈り、短く重ねる」

 エリナが囁くように言葉を置く。

 「ここにいます。今日も、生きます」

 灯苔がひときわ明るく瞬き、井戸の螺旋が静かに息をつく。


 俺たちはさらに下へ。前室を閉じた扉の脇に、昨日は気づかなかった細い側道があった。灯苔の光に淡く浮かぶ壁に、薄い石板が横向きに何枚もはめられている。

 「記録だ」

 アレンが松明を掲げ、俺は指で刻みをなぞる。古いが、谷の碑と同じ手。胸の内側で言葉がほどけていく。


 「“門は土を食い、土を病ませる。閉じるには四の務めを合わせ、さらに“鍵の印”で縫い留める。鍵は二つ。苗鍵は谷の碑。もう一つは“唄杭うたくい”――『祈』の節で震える木釘。所在は北東、枯れ井戸の底”」

 エリナが息をのむ。

 「枯れ井戸……」

 「地上地図を頭に描け」

 アレンが目を細め、指で空中に線を引く。

 「南が谷の碑。俺たちの拠点はその北西。北東となると、斜面を越えた丘陵の向こう……勇者が今朝向かった方角と重なる」


 喉の奥が冷たくなった。

 「競走になるな」

 「いや、敵対して奪い合う事じゃない。門を閉じる道具なら、使う者に選りはない」

 俺は自分に言い聞かせるように言った。

 「ただし――ここは俺たちの居場所だ。手段は選ぶ」


 記録の下段には、四つの務めに続く短い歌が刻まれていた。

 > 根よ、流れよ、刃を鈍らせず

 > 祈りは囁き、門を眠らせ

 > 唄う杭、双葉の輪

> 息を合わせて、土は閉じる


 節を口の中で確かめると、昨日、蓋を回した時の“拍子”と同じ骨格があった。

 「祈りの節は合ってる。唄杭は節に共鳴して震え、鍵の印になる。……やはり必要だ」


 側道の奥、棚のような突起に別の板が置かれていた。そこには、拙い線で描かれた地形図。丸で囲まれた“枯れ井戸”、そのわきに小さく“刃の注意”。

 「罠か、番か」

 アレンが顎に手を当てたその時、通路の反対側で微かな足音。金属が石をこする音。

 「来る」

 俺たちは声を潜め、灯苔に干渉しない程度に明かりを落とした。


 曲がり角を曲がってきたのは――カイル、ルーナ、マリナと、見知らぬ二人の戦士。勇者一行だった。互いに目が合い、緊張が走る。

 ルーナが真っ先に口を開く。

 「またあなたたち。地下でまで鉢合わせなんて、因縁ね」

 アレンが一歩出て剣を少し傾けた。

 「剣を交える気はない。通路を血で汚したくない」

 カイルは短く息を吐き、壁の石板に視線を移す。

 「記録か。……読めるのか、リオ」

 「読める。門を閉じる鍵の片割れ“唄杭”が北東の枯れ井戸にあると書いてある」

 「……そうか」


 勇者は頷き、ルーナが訝しげに目を細める。

 「つまり、競うのね?」

 「競わない」

 俺は首を振った。

 「門を閉じるのが目的だ。鍵を見つけた者が持つのではなく、使う場に運ぶ。ここに“合図”がある」

 俺は契約紙に書いた狼煙の取り決めを簡潔に伝えた。

 「青は“協力急募”。赤は“危急”。地上でも地下でも同じだ」


 マリナがほっとしたように微笑む。

「ありがとう。……瘴気は誰にも優しくないから」

 カイルはほんの一瞬だけ目を細め、低く言った。

 「北東は我々が行く。お前たちは地上の防備を進めろ。門を閉じても、地上が破られては無意味だ」

 「命令は受けないが、提案として受け取る」

 俺が言うと、彼は鼻で笑った。

 「相変わらず口が回る。――ルーナ、地図を写せ。マリナ、前へ。行くぞ」


 彼らが去り際、ルーナがわざとらしく振り返る。

 「唄杭なんて古道具、ほんとうに残ってるのかしら。見つけても私たちの邪魔はしないで」

 「邪魔はしない。――だが、ここを“徴用する”真似は二度と言うな」

 俺が静かに返すと、ルーナは肩をすくめた。

 「了解、了解」


 足音が遠のき、静けさが戻る。アレンが低く息を吐いた。

 「今のは悪くない落としどころだ。互いに背中は預けないが、前だけは見ている」

 「私……ちょっとだけ、勇者さんたちの顔が柔らかく見えました」

 エリナが胸に手を当てる。

 「たぶん、彼らも“居場所”がないのかもしれない。ずっと戦場にいる人の顔だった」

 その言葉に、胸の奥が少し痛んだ。


 地上に戻る前に、前室の手前に結界布をもう一本垂らした。布は灯苔の光を抱くように揺れ、通路に澄んだ層が生まれる。

 帰路、棘の廊を抜け、落とし床の前で一度だけ足が止まった。足裏にわずかな振動――しかし昨日よりずっと弱い。

 「間に合っている」

 俺は確信を込めて言った。


 地上の光は穏やかで、畑の芽は昨日より濃い色で立っていた。川風は甘く、土はやわらかい。ロウが約束通り戻ってきて、荷車から塩と油、釘と縄をおろした。

 「観測値だ」

 彼は板に刻んだ針の振れを見せる。

 「地下の一筋が確かに止まった。明晩以降、虫の死が減るはずだ。――それと、北東の丘陵で圧が妙に“尖って”いる。何かが口を開けかけている」


 俺たちは視線を交わした。

 「唄杭の場所か、あるいは“番”だな」

 アレンが短く言い、ロウに合図柱の色の取り決めを再確認する。

 「青を見たら学匠院の駆け足を出す。赤なら……俺は逃げない。地図は足で描くものだ」


 夕刻。小屋の前、畑の端で、エリナが水をやりながら短く祈った。

 「ここにいます。今日も、生きます」

 言葉に合わせ、土の呼吸が穏やかに整うのが分かる。俺は畦に腰を下ろし、指先で黒土を掬った。

 ――四つの務め。苗鍵。唄杭。

 門はまだ先だ。けれど、道は目の前で一本ずつ“耕せる”。


 その時、北東の空に白い煙が一本、細くのぼった。

 「……勇者の狼煙だ。白は“通常”。動いている」

 アレンが目を細める。

 俺は頷き、川面に映る空の白を見た。

 明日、丘陵を越える。唄杭を見つける。門の前へ、一歩近づくために。

 そしてここで――俺たちの居場所を守るために。

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