第36話
「ミナモ、後ろ!」
碧の声が辺りに響いた。水面は膝をついた少女の肩に右手を置き、それを支えとして乗り越えるように跳び上がった。驚異的跳躍力で、『角玄会』の少女の身体を跳び越えていく。逃げる水面の身体をフルスイングされた鉄棒が追ったが、当たることはなかった。水面は空中でしなやかに身体の向きを変えると、背後を襲ってきた少女に向かい合うように着地した。そして水面は瞬時に地面を蹴り上げた。向かう先は敵の懐ではなかった。真っ直ぐと相手に突撃するのではなく、水面は斜向かいへと移動しただけだった。明らかに攻撃する素振りではない水面の行動に、相手は訝しむような顔をした。同時に、彼女の身体が揺れて腹部が赤く染まった。少女の後方から飛んできた弾は、コンクリートにめり込んで白い煙のようなものを吐いていた。水面を狙った弾が、少女の腹に掠ったようだ。水面が移動したことにより、射線上に仲間が入ってしまったのだろう。水面が位置を変えた意図はこれだったのだと少女は気が付いた。少女は恨めし気に背後を振り返った。後でたっぷり落とし前をつけさせてやるとばかりに怒りを湛えた目が忙しなく動く。近くには彼女に向けて銃を構えている人間はいなかった。少女は奥の建物を見上げ、開いている窓の一つを睨もうとした。背後から頭を押し倒すように激しく揺らされ、その隙に手にしていた鉄棒が素早く引き抜かれる。少女は咄嗟に拳銃へ手を伸ばしたが、握る前に懐に差し込まれた鉄棒が振り上げられ、顎を強打したことにより意識を落とした。鉄棒を天高く振り上げた水面は、そのまま大きく弧を描くように鈍色に光る先を背後へと振り下ろした。鉄棒の動きと同期するように、水面は背後へと振り返った。水面の前には、腕に弾丸を埋めたままの少女が、もう片方の手で短刀を突き出す姿があった。鉄棒の落ちる軌道の先は、まるで計算されたように短刀を持つ手の甲の位置だった。勢い良く振り下ろされた鈍色は彼女の伸ばされた肌色に落ち、骨に響いたような鈍い音が鳴った。短刀が滑り落ちそうになった少女は慌てて指先に力を込めようとするが、続けて銃弾を埋めたままの腕を強打されたことにより、それどころではなくなったようだった。血に塗れた鉄棒を、水面は彼女の鳩尾へと突っ込んだ。少女は崩れ落ちると、地面に伏した。立ち上がる様子はなかった。水面は気を緩めず、すぐに倒れた少女から顔をあげた。まだまだ周りには『角玄会』の少女達が蠢いていて、水面や碧の隙を虎視眈々と狙っている。休む暇もなく、水面へ向けて武器が振り上げられた。水面は一度建物の上へと視線を投げた。銃弾が飛んでくる気配はない。狙撃を用心しつつ、水面は次々と襲い掛かる『角玄会』の攻撃を避けていった。水面に向けて武器を振りかぶる内の一人へ、碧が横から手を伸ばし、武器を奪い取る。碧は取り上げた金属バットで軌道を大きく描いて殴りかかった。相手は身体を横にずらして軽々と避けた。碧は彼女へ向けて、再びバットを突き出した。少女はさらに身体を横へ倒し、それも避ける。碧にとって、当たらないのは想定内だった。目的は相手を水面から少しでも遠ざけることだ。なにせ敵は、数が多い。碧が一人でも引き付けて減らした方が、水面にとっては戦いやすくなるだろう。飛んできた拳を、碧はステップを踏むように横に避けた。寸でのところで獲物を捉え損ね、空を切った拳が戻っていく。碧は再び構えなおし、相手の手、そして足を注意深く警戒した。『角玄会』の少女も、碧を睨みつけながら次の一手を出す隙を窺っている。息を詰めて対峙している分、碧の耳には周りの音がよく聞こえてきた。武器を叩きつけるような高い音、人の呻く声、そして数多の足音と殴打音。どれも水面の方からだ。碧が一人引き受けている間にも、彼女は順調に交戦しているようだ。碧は目の前の敵に集中するように小さく息を吸い、相手へ鋭い眼差しを投げたのだった。
地面にはレザージャケットを着た少女達が何人も転がっていた。そのほとんどが意識を失っており、残りの意識がある者達も全員立ち上がれない程の怪我を負っていた。最初は奥の建物を見通せなかった程垣根を作っていた『角玄会』の人間達も、今や立っているのは半分以下だった。この状況を作ったのは、今も振り下ろされる武器を避けて目の前の敵を殴り倒している、水面である。相手はほぼ全員が武器を持ち、抗争を数多経験してきている人間のはずだが、水面はそんな彼女達をあっさりと薙ぎ倒していった。武器の種類によって避け方や反撃の仕方を変え、相手の体格によって攻撃の手段を変える。隙を見せず、相手の隙は逃さない。どのような相手であっても決して怯まず、的確に弱点を突く。学校で無敗を誇る少女は、組織の人間相手であっても変わらなかった。碧は一人二人と応戦するのが精一杯だったが、水面は何人もの人間を相手取りながら、その合間を縫って碧の手助けをしてくれた。碧が今無事で立っていられるのは、対峙している人間を横から水面が倒してくれていたお陰だ。
一人、また一人と地面に転がり、いよいよ『角玄会』の人間も残り数人となった時、奥から複数の足音が聞こえてきた。碧が顔を向けると、十人程のレザージャケットの人間が駆け付けるところだった。彼女達の手には、先陣の者達同様刃物や銃が握られていた。ここは『角玄会』のアジトなのだから、メンバーがまだまだいるのも自前の武器を所有しているのも当然である。碧は一瞬だけげんなりとした顔をした。分かっていたことではあるが、しかし終わりが見えないことに嫌気が差す。新たに登場した『角玄会』の集団の中から、碧へと銃口が向けられた。碧は目の前の敵、そして増援から伸びた銃へと交互に視線を移し、警戒するように構えをとった。そうしている間に水面が飛び出し、銃を向けている者へと突っ込んでいった。碧はそれを確認し、目の前の敵へと顔を戻すと拳を握り締め詰め寄っていった。
そうして水面と碧は、『角玄会』のメンバー達と戦い続けた。立っている数が少なくなったと思う度、奥から増援が駆け付ける。それを幾度となく繰り返し、その度に水面がその数を減らしていった。永遠とも思われる時間だったが、太陽の位置からして実際は一時間程だったのだろう。その間、二人は休む暇もなく敵地で戦い続けたのだった。
太陽は空の天辺付近まで昇っていた。それを視界の隅で捉え、碧は肩で息をしながら口元を拭った。流石に武器を持った人間をずっと相手取っているのは、体力を消耗する。
(でも、昨日はラリーを八時間くらいやってたんだもんな……)
相手の動きを注視しながら、碧は昨日の様子を脳裏に思い起こした。同時に決着間際の苦しさも蘇る。
(それに比べればまだ大丈夫だ。案外夕方くらいまでなら持ち堪えられるかも……なんて)
腕で隠れた陰で、僅かに口角をあげる。……心の中で冗談を言えるくらいには、碧にはまだ余裕があった。それも全て、水面のお陰である。彼女は依然として、碧と対峙している敵までをも倒してくれていた。碧の戦況が不味くなった時、決まって水面が乱入して相手を戦闘不能にしてくれる。だからこそ碧はこうして生きており、立っていられる体力も温存出来ていた。水面はほぼ一人で何十人もの敵を倒しているにも拘らず、未だに大きな怪我もなく、体力も有り余っているようだった。身体の動きも鈍っていない。辺りには今や地面の色を見ることが難しいくらいに『角玄会』の人間が倒れており、この場を埋め尽くしていた。その数は優に百を超えているだろう。それでもまだまだ奥から増援が来るのだから、切りがない。
(でも、流石に無限じゃないだろう。ミナモの力はここでも充分すぎるほど通用している。このままいけば……最後まで持ち堪えられるかもしれない)
林檎は昨日、なんとかする手立てがあるような口振りをしていた。彼女は碧達に対して『角玄会』の殲滅ではなく、時間稼ぎをお願いしていた。もし本当に林檎に何か手があるのだとしたら、今の調子で時間を稼げれば『角玄会』を窮地に追い遣ることが出来るのかもしれない。そうすれば『角玄会』には碧の母親を探しに行く余裕はなくなるだろう。碧と碧の母親の命は消されることなく、明日以降も平和な日々を過ごす事が出来るはずだ。




