第30話
「とにかく、勝率の低い戦いになることを自覚するべきだわ。向こうは質も量も圧倒的、だからわたし達は相手の裏や隙を突いて、なんとか針の穴を通すように……あ」
碧の視線に気が付いたのか、林檎は水面と応酬していた言葉を一度止めた。少し申し訳なさそうな顔で、碧へとおずおずと言葉を掛ける。
「すみません。お気を悪くさせてしまいましたよね。勝率が低いと思っているのは事実ですが、でも……勝てないとは思っていません。碧さんは『角玄会』に狙われて今も不安に思っていることでしょう。わたしも可能な限り力を尽くさせて頂きますので、どうかそれを暴言の返上とさせて頂けないでしょうか」
真摯な謝罪の言葉だった。碧は別に気を悪くしていない。ただ、二人は仲が良いんだなと思って見ていただけである。碧が慌てて否定しようとした時、横から小さく吹き出した声が聞こえてきてそれを遮った。困惑しつつ水面へと顔を向けると、彼女は愉快そうな顔を抑えきれていなかった。
「……なんで笑うの?」
林檎は少しむっとした表情で、水面へと怒ったようにそう言った。
「アオイ相手に他人行儀みたいだなあ、って思ったら、つい。ごめん。……アオイ、林檎は悪気ゼロで暴言吐くところがあるんだ。慣れてくれ」
抑え切れずに楽しそうな笑い声を漏らす水面を、林檎は鋭い目で睨み付けた。
「そもそも、碧さんは上の学年よ? なんで水面はそんなに砕けた感じなのよ」
「年はたぶん変わらないからな。それに、友達だし」
「……あんた、初対面の時からタメ口だったぞ」
思わず指摘するが、水面はどこ吹く風といったようにどこか楽し気な表情を浮かべるばかりだった。反省の色は全く見えない。水面は林檎や姫月のことを散々『生意気』だと言っているが、それは水面の接し方に原因があるのではないかと碧は思った。恐らくわざとであり、三人は常日頃からこのような距離感なのだろう。碧は小さくため息を漏らし、林檎へと向き直った。落ち着いた穏やかな口調を心掛け、対面の少女に向かって安心させるように語り掛ける。
「暴言だなんて全く思っていないから、気にしないで。勝てる見込みがほぼないのは事実だし、その上で林檎ちゃんに相談させてもらいに来てる立場なんだから、むしろそういう客観的な意見はすごく助かる。……遠慮しなくていいから、林檎ちゃんが思ったことをなんでも言ってみて欲しい」
碧の言葉に、林檎は一つ頷きを返した。碧の横から、「そうそう」と明るく同調する声が続いた。
「あたし達だけじゃ突っ込むだけしか出来なかったけど、お前、こういうの得意だろ? 林檎の力があれば勝率を高められると思って来たんだ。何か、良い案はないか?」
水面は先程まで愉快そうにしていた顔を、信頼に満ちた顔に変えていた。林檎は一度水面を睨み付けたあと、水面の心からの信頼を乗せた表情を見て、その顔から毒気を抜いた。そして、林檎はその目を僅かに細めて水面を見つめた。碧には、その視線に友愛の情が滲んでいるように感じられた。普段から今のように言い合うことが多いのだろうが、彼女にとっても水面はやはり大事な存在なのだろう。林檎は今度は碧へと顔を向けた。じっと、探るような視線。心の中までも見透かされているような、不思議な感覚だった。彼女はしばらくそうして何事か勘案したあと、ゆっくりと口を開いたのだった。
「先程も申し上げましたが、わたしは『角玄会』に絶対に勝てないわけではないと思っております。質的にも量的にもこちらが不利ですが、ならばそれを補うように動けばいいだけです。……何百人もいる敵を全て相手にしていたら確実にこちらが負けますので、まずこちらが優先すべきは、いかに相手の弱点を突くかということです」
「……弱点?」
母親を逃がす方法の一つや二つを駄目元でも出してくれたら有難い程度に思っていたのに、林檎の口から出てきたのはなんだか予想外の言葉ばかりだった。淡々と淀みなく紡がれる戦術論に内心面食らいながら、碧はそれを悟られない様にして林檎へと訊き返した。
「はい、そうです。相手がどんなに優勢でもそれを取られたら一転して負けるような、相手にとって致命的な部分のことです。難攻不落に見えるどの組織にも、弱点は必ずあります。例えば将棋でどんなに多く駒を所持していたとしても、玉将を捕獲される状況に追い込まれれば投了せざるを得ません。わたし達は最初から玉将を狙って行動するべき、ということです。そして同時に、わたし達にとっても玉将は存在します」
「私達の、玉将?」
「碧さんのお母様です。例え水面や碧さんが優勢になったとしても、碧さんのお母様の身柄を捕らえられてはこちらは身動きが取れなくなります。わたし達は『角玄会』の玉将を狙う一方で、なんとしてでもこちらの玉将を死守しなくてはなりません」
「……うーん。もっと分かりやすいように説明してくれ」
水面は苦笑いを浮かべて、困ったようにそう言った。林檎は表情を変えず水面を一瞥しただけで、言葉は返さなかった。
「碧さんは『角玄会』の弱点に、何か心当たりはありませんか?」
「弱点……。ない……と思う」
『角玄会』の者達と接触する機会は多々あったが、どれもストレス発散に殴ったり蹴られたりするだけで、内部の詳しい話をきかされたことはなかった。会話を小耳に挟むことはあったものの、弱点に繋がるような情報が登場した記憶はない。林檎が建設的な話を展開してくれたにも拘らず力になれなかったことに、碧は若干の申し訳なさを感じた。しかし林檎はさして気にもしていないように、「そうですか」と言って頷いた。
「わたしが思うに、『角玄会』の弱点は『隠地組』です」
「え?」
「碧さんが他に心当たりがないのでしたら、わたし達はそこを攻めましょう」
呆ける碧の横で、「やっとわかる話になってきたな」と水面は口元を愉し気に歪めて呟いた。
「『角玄会』の弱点が……『隠地組』? そこを攻めるって言っても……『隠地組』は『角玄会』より巨大組織だけど、一体どうやって?」
『角玄会』に歯が立たないから困っているのだが、さらに大きな『隠地組』を攻めるとは一体どういうことなのだろうか。混乱した様子の碧の前で、林檎は冷静なまま碧を見上げていた。
「攻めると言っても、『隠地組』と敵対する必要はありません。あくまでわたし達が敵に回すのは、『角玄会』。『角玄会』は今、『隠地組』の傘下に入ろうとしています。そのためにお金を作るのに必死なようですし、その情熱は相当なもの。恐らく組織の命運を懸けているのではないでしょうか。『角玄会』にとって、『隠地組』は組織の未来を左右する程重要なのです。ですからわたし達がすべきは、『隠地組』と『角玄会』の関係の悪化の演出です。『隠地組』が『角玄会』を傘下にするという話を、白紙に戻してやるのです」
それは、水面や碧のような真っ直ぐな暴力とは全く違うアプローチだった。『角玄会』を直接叩きのめすのではなく、『隠地組』を利用する。水面や碧では、絶対に出てこない発想である。そんなことをしていいのだろうかという未知への躊躇い、そしてそんなことを淡々と企てる少女への恐怖が微かに顔を覗かせた。
「もっと具体的に言いますと……水面や碧さんに手を出した場合、『隠地組』が『角玄会』に嫌な顔をすることになる状況を作り上げるのです。そうすれば、水面も暴れやすくなるでしょう?」
『分かりやすく話してくれ』という要望に応えたらしく、林檎はそう言って水面へと振り向いた。水面は満足気に頷いて見せた。
「だけど……そんな状況、作り出せるのか……?」
碧の不安に満ちた声に、林檎は感情の浮かばない顔を向けた。あくまでも淡々と、言葉を続ける。
「作れます。要は『隠地組』にとって、『角玄会』を傘下に入れるよりも手を切った方がメリットがあれば良いのです」
林檎はまるで簡単な事のように言うが、そんな状況、ただの学生に作り出せるとは思えない。碧は顔を少し暗くして、僅かに俯いた。グラスの中で、氷がアイスティーへ溶けていくのをぼんやりと見下ろす。
「……大丈夫。わたしの方で信頼できる人間に協力を仰ぎますので、お二人は気にせずに『角玄会』で暴れて来て下さい。……水面」
林檎は水面へと問うように視線を投げた。
「『角玄会』と『隠地組』、両方動かすには多少時間が掛かるわ。……それまで『角玄会』のアジトで暴れて、持ち堪えられそう?」
「大丈夫だ。時間を稼げばいいんだな?」
「ええ、数百人を全て倒す必要はないわ。大事なのは、水面と碧さんが殺されないこと。……そうね、アジトの場所の特定は『角玄会』の活動範囲と航空写真を照らせば難しいことではないと思うから、その時に倉庫らしき場所も確認しておきましょう。堂々と姿を見せる前に先回りして、保管されている武器の類は盗んでおく方が賢明だわ」
林檎はそこでぽかんと口を開けたかと思うと、「……隠密行動、出来る?」と水面へ首を傾げて見せた。真顔で保育園の先生のような尋ね方をされた水面は、拗ねたように口を尖らせた。
「出来るぞ。甘く見るなよ」
「……うん、じゃあ問題ないわ。あとはアジトにいる人数を減らしておくことも重要ね。『角玄会』の敵対組織を使って誘導して、なるべく人手を遠くに引き付けておきましょう。『角玄会』の敵対組織を洗っておくから、アジトへ侵入する前に『角玄会』のメンバーと鉢合わせするように誘導を……いえ、水面の場合気を失わせた方が早そうね。正体を見られないようにして、敵対組織の組織員の気を失わせて転がしておいて。勝手に『角玄会』にやられたと思い込んでくれるでしょう」
林檎はそこまで言うと、一度口を閉じ、改めて二人の顔を見渡した。
「二人のすべきことを纏めると……事前に『角玄会』の敵対組織を数人程倒してまわる。その後『角玄会』のアジトに潜入して武器の類の強奪、準備が出来たら正門から派手に突入。きっと門衛は銃を持っているから、奪った中に閃光手榴弾があれば優先すべき使いどころはここね。その後は内部に進んでいって、『角玄会』のメンバーと交戦。『角玄会』と『隠地組』に動きがあるまで時間を稼ぐ。目標は死なずに持ち堪えることよ」
「いいぜ、喧嘩は得意だ。アジトに突撃してからの動きは任せろ」
水面は強気な笑みを向けてそう言った。強大な組織を相手取るというのに、全く臆することのない、いつも通りの自信に溢れた笑みだった。




