黒猫と彼女と僕ととうもろこし
「黒猫って幸運の象徴らしいよ」
茹でたとうもろこしの粒をほぐしながら彼女はそう言った。とうもろこしはご近所さんから貰ったらしい。近所付き合いを厭わない彼女は度々こうして野菜をお裾分けされている。きれいに揃った黄色い粒はところどころ虫に食われて茶色く変色している。それを見て僕がうわっと声をあげたら、彼女は虫が食べるくらい美味しい証拠だよと笑っていた。
「黒猫が横切るのは縁起が悪いってのは間違ってるってこと?」
ころんころんとボウルの中に落とされる黄色い粒を眺めながら訊ねると彼女は下げていた視線を上げて、まっすぐに僕を見た。真剣な眼差しに思わず背筋が伸びる。
「それはね、幸運が通り過ぎるから縁起が悪いってことなんだって。日本だと黒ってあまりいい印象の色じゃないから黒猫自体が縁起が悪いって誤認されてるみたい」
「それは、可哀想だね」
本当にねと言って彼女はまた作業に戻った。
ちまちまと粒をほぐすのは面倒くさそうに見え、前にテレビで包丁を使ってこそげていたのを思い出して進言してみたけど、根本が残るのがもったいなく感じてと緩やかに却下された。
僕は面倒くさがりだ。美味しい証拠だとしても虫の食いさしを食べるのもいい気はしないし、近所付き合いもしなくていいならしたくない。黒猫がなんだって興味はない。でも、彼女のまめなところや人付き合いが軽やかなところ、よくわからない知識を教えてくれるところが好きだ。
人間は自分にないものを持っている人に惹かれるという、まさに彼女がそうだ。これだって彼女がいつか教えてくれたことだった。
僕が聞いたのだ。どうして僕を好きになったの、と。彼女は言った。私とは違うから、と。
「私は細かいことが気になってしまうけど、あなたは大雑把で二の足を踏んでいる私の手を引っ張って行ってくれるでしょう。旅行に行ったときだって、気まぐれに振り回されるけれど私一人では行かなかった場所に連れて行ってくれるわ」
「ところどころ貶してない?」
「そういうところも含めて好きってことよ」
思い出したら顔が熱くなってきた。ムズムズと落ち着かない。
とにかくなにか気を紛らわせたくて、ボウルの脇に置いてあるまだほぐす前のとうもろこしを一本手に取った。しかし、どうしたらいいかわからない。ただとうもろこしを持っているだけで固まっていると、彼女が僕の手からとうもろこしを奪っていった。視線だけで追いかける。細くて白い指が根本からぽろぽろと黄色い粒を落として、また僕の手元に返してきた。
さっき彼女が作った隙間の方に粒を押すとぽちっと気持ちの良い感触とともに黄色い粒が一粒ボウルに落ちた。なんてことはない、とうもろこしの粒は簡単に取れる。ただ、力を入れすぎると潰れてしまって、潰れたものはもううまく取れなかった。
彼女がうまいうまいと褒めてくれるから調子に乗っていたのもある。気がつけばあっという間に一本のとうもろこしをほぐし終わっていた。
「これ、結構楽しいね」
「でしょう」
楽しいけれど、僕は一本やれば満足かな。口にはしなかったけれど、次のとうもろこしに手を伸ばすことはしなかった。
代わりに、ねえと訊ねる。
「なんでいきなり黒猫の話なんてしたの?」
「今日、仕事帰りに黒猫を見たの。目が合ったらにゃーって挨拶してくれて可愛かったなって」
「ふうん、それでなにかいいことあった?」
「うーん、これからあるかも……?」
上目遣いにこちらを見た彼女にどきっとした。僕は思わず顔をそらす。くすくすと笑う声が聞こえる。僕が鞄に入れているものをもしかすると彼女は気付いているのかもしれない。もうすぐ来るきみの誕生日まで知らないフリをしていてくれるだろう。