ねじれ
同じ道を志す人をみるたび、胸が締めつけられる。ありふれているが困難な展望ではなおさらである。どれほどの人間がその広大さに憧れ、その苛酷さを知っただろうか。だが残念なことに私もその一人だった。
もう時刻は7時を回っていた。午前も午後もどうでもよかった。コンピュータのファンは唸りを上げ、熱気を吐き出す。私は自らのオプティミズムと無能力感のねじれに憂い、その場でくたばっていた。微かに時計の声も聞こえた。無味乾燥で型に嵌ったその声は、妙に腹立たしい。私の中では自らに対する称賛と非難が互いにせめぎ合っていた。そのまましばらく見物していたが、非難が僅かに優勢である。
遂には、鳥のさえずりが聞こえてきた。将来への焦燥を感じず呑気に鳴く鳥に、憤りと羨望の混ざった思いをぶつけたかった。ただ皮肉にもそのさえずりによって、強迫的で張り詰めた精神が緩み、私は電光石火のごとくベットに潜り込んだ。今にも眠ってしまいそうな威勢であったが、ある思考が頭をよぎった。なぜ私は一心不乱に周囲世界へ名を馳せようとするのか、という問いだった。僅かに考え込んだが意外にもすぐに答えにたどり着いた。死ぬのが怖いのだ。何者にも知られずにただ死んでいくのが怖い。その恐怖から逃避するために、他とは異なることをしているという実感が欲しいのだ。そうなると、私はただ単に自らの存在を誇示したいだけの一般的な青年でしかないのだろう。ああ、考えるべきではなかった。このことを考え続けてはならない。そう直感した私は目を瞑り呼吸だけを意識し始めた。そして私はそのまま眠りについた。