第一章 魔帝転生 03
ライゼンはそのために幾つもの改革を行う。
貨幣制度を整え、金融と税制を整え基盤を整えた上で、魔法技術の発展させることにより産業革命とも言うべき経済成長をもたらした。
それは農産物にも波及し、天候に左右されない豊富な食料を確保することが可能となった。
元々欲望の強い魔界の住人達は、節約することなく貪欲な消費活動を行った。
魔界は潜在的に巨大なマーケットが広がっていたのである。
ただ、条件を整えるだけで、魔界全体が経済発展するにいたった。
ライゼンの統治前と統治後では、魔界はまったく別物であると言えるくらい変革を遂げた。
ゴブンリンの一般家庭ですら、普通に働いているだけで、どんな人間界の住人達よりも遥かに裕福な暮らしを可能とした。
社会保障制度も充実し、何らかの理由で働くことができない魔人や魔物達にも救済策が講じられている。
もちろん、制度を悪用する者も存在するが、それは法整備により対処可能な問題であった。
旺盛で飽くことのない内部需要が、それを可能にしたと言える。
ライゼンが君臨する前は、魔界の住人達は欲望の発するまま人間界への侵攻を行ってきたが、もはやそんなことを考える者など存在していない。
今となっては人間界に求めるものなど何一つとして存在しないからである。
逆にそういう変革は、差別意識を生むことになる。
人間界とは未開の地であり、そこを支配している人間達は文明を理解し得ない野蛮な存在なのだと。
ただ、そういった意識が生まれた背景は無理からぬ現実が関連している。
というのも、未だ人間界での農産業は前時代的な物であり、収穫量は作付面積にのみ比例する。
つまり収穫量を増やすためには、領地を広げるしかなかった。
天候不順により度々飢饉が起こり、その度に領民が餓死していくが打つ手と言えば神頼みしかない。
魔法は存在していても、天候を左右するには神のような巨大な力を有する者にしか不可能であった。
ここでさらに、魔界の改革が人間界にも大きく影響を及ぼしてくることになる。
それまで定期的に繰り返されていた魔王軍による人間界侵攻は、それを撃退するために人間界の国々や領民が一致団結するための理由となっていた。
また、良かれ悪しかれ魔界の軍勢との戦いにより、多くの人命が失われることで、飢饉の時の口減らしができていたとも言える。
それが、百年前から無くなった。
そうなると、人間界では領土を求めて、人間の国同士が戦争を始めることになる。
領土拡大の野心は、当然魔界にも向けられることなった。
つまり、人間界の国々が、その時の情勢によって、それぞれの思惑で魔界侵攻を繰り返し始めたのである。
かつての人間界と魔界の関係は、ライゼンの統治下においては完全に逆転していた。
もちろん、発達した武器や兵器を有する魔界軍によって一蹴されることになるのだが、それでも人間達は神々の恩恵を受けた勇者を中核に据えて、魔界軍に対し多大な損害をもたらすこともあった。
勇者は魔物や魔人に対して一切躊躇をしないため、一般の住民にも多大な被害が出ることになる。
その時は魔王達のうちの誰かが乗り出して、対応することになるのだが、犠牲がでていることにかわりはない。
そんなことが繰り返されれば、魔界の住人が人間達を野蛮な存在として認識するのは必然と言える。
国軍による侵攻と違い、勇者による侵攻は宗教戦争に近い戦いとなる。
すなわち殲滅戦を目的とするために、勝利したとしても傷跡は深く耐え難いものとなる。
そのための対処方法として、魔界軍の増強ではなく少数精鋭部隊を組織し、より強力な兵器を配備する形で軍備の拡充を図ってきた。
それとは別に、対勇者対策として五人いる魔王の武力を高めるための修行も合わせて行っている。
魔王達の実力は百年前とは比較にならない次元にまで到達し、最早勇者は驚異とならなくなっている。
だが、それでも魔王達は各自修行に手を抜くことはしていないようだ。
一日修行を怠るだけでも、他の四人の魔王に置いていかれてしまう。
それは漠然とした不安等ではなく、厳然たる事実があるからだ。
そしてライゼンは、要請があれば、魔王達の修行に付き合っていた。
もちろん、ライゼン自身の修行にも繋がるので、スケジュールさえ合えば、原則としてその要請を断ることはない。
それに、ライゼンは常に魔王達の目指すべき目標であり続けることは、けして悪いことではない。
ただ、ライゼンも魔王達も共に強くなり過ぎた。
それが故に最前線に出づらくなったことも確かなのだが、隔絶した強さ故に外的要因に対する危機意識が薄くなり過ぎているという問題点がある。
最早神々の加護を受けた勇者と言えど、まるで驚異にはなりえない。
無論魔王達は気を緩めているわけではないが、だがその支配下にある国々は長く続いた治安と平和を享受し続け緩みが生じることは如何ともし難いことである。
この問題の根幹が安全保障である限り、魔界内だけで解決するということはありえないので、丁寧に広報を行っていくしかないだろう。
それにこれから先、いくつもの最先端であった軍事技術を民間に開放していく予定になっている。
特に通信技術と情報処理といった技術が民間にフィードバックされることで、技術革新が起こることは間違いないだろう。
そうなれば、人間界と魔界の技術格差は益々広がり、相対的に魔界にとって人間界の価値がどんどん薄まっていく。
しかも、革新技術を支えている資源、魔晄石は人間界にはほとんど存在していないが、魔界には大量に存在する。
現時点でも大部分の魔界人は人間界に興味を失っている。
せいぜい安全保障の対象として警戒しているくらいのものだ。
ライゼンが魔帝として君臨する以前は、領土=国力であったが、それは遠い昔の話だ。
技術力と資源こそが国力なのだというのは魔界での常識となっている。
ライゼンが行った各種の改革が、魔法技術に飛躍的な進化を促した。
技術革命と呼ばれるそれは、魔界全体を新たなフェーズへと移行させたのだ。
もし人間界が価値を取り戻すとすれば、魔界の技術を取り入れるしかない。
ただ、そのためには色濃く残る閉鎖的な社会制度そのものを改革する必要があるのだが、人間界にその徴候は見えていない。
ライゼンの見るところ、勇者という存在がその典型的な例であるが、あまりに神々の影響を強く受けすぎているのだ。
先進技術を謳歌する魔界と、中世のまま停滞してしまっている人間界。
この差は今後開く一方で到底埋まりそうにもない。
どちらが良いのか、それは住人がそれぞれに判断すればいいのだが。
一例をあげるとするならば、食料問題がある。
魔界において食料は安定的な生産物となり、さらに物流の拡充により天候不順による飢饉は最早過去の物となった。
農作物や食肉が不足したとしても、魔界にある他の国から購入すればいいのである。
技術革命よる物流の発展が齎した恩恵である。
国内に置いても、備蓄している業者も存在する。そもそも、多少の天候不順が起ころうと、治水の充実と穀物の品種改良により作物が取れなくなるというこということはめったにない。
多少は値上がりするものの、食料が無くなるという事態はまず起きえない。
だが、人間界において天候不順は容易く飢饉に繋がる。
第一章 魔帝転生 04
食料を持っている国があっても、それを飢饉が起こっている国に届ける手段が存在しないため、備蓄分を消費したら大量の餓死者がでてしまうのだ。
それを防ぐための方法は一つしか存在しない。
より多くの農作物を収穫し備蓄を増やす。
ただ、そのためには農作物を生産できる農地の確保が必要である。
魔界だと各種の技術革新により、単位面積当たりの収穫量と農業従事者一人あたりの生産量を増やすことで圧倒的な生産効率を達成できた。
だが、人間界に技術革新は存在しない。
農地となる領土と農奴の両方を増やすことでしか、作物を増やすことができない。
そして、領土を増やすためには戦争で奪い取る以外に方法はない。
魔界が発展する間、人間界では延々とそれを繰り返し続けていた。
ライゼンが統治する以前は、魔界も同じことをやっていたのだが、今では想像もできない話となっている。
魔界から人間界への侵攻はなくなったものの、人間界から魔界への侵攻が止まないというのはそういう理由であった。
人間界に存在している諸国にしてみれば、死活問題であるから当然と言えば当然である。
とは言え、魔界にそれを是とする魔王国は存在していない。
ライゼンが魔帝として魔界において成し遂げた功績は、計り知れないものがある。
魔王においても、人間界の王においても、この業績に匹敵するような人物は存在しない。
そんなライゼンが本日魔帝を引退する。
そして同時に、魔帝の座は空席ではなく廃止される。
これは、ライゼンが魔帝を名乗った時から決まっていたことだ。
無論、五人の魔王を含め、ごく一部の者にしか知らされていなかったが。
退位をするにあたって、魔界の全住民への告知は、各魔王が行う予定となっている。
儀式や祭典は一切行う予定はない。
あくまでひっそりと、ライゼンは魔帝の座を降りるつもりであった。
ライゼンの周囲では反対する魔人はたくさんいたが、すべて説得した。
ここまで魔界のために尽くしたのだから、退位後は誰に知られることもなく気ままにすごしたいという願いを断れる魔人は存在しなかった。
だが、五人の魔王達はそう簡単に納得できかるものではなかったらしい。
すべての事務手続きを終が終了すると、ライゼンは誰にも知らせずに魔帝城を後にする。
ただ一人、ガロウズだけがその背中に向けて頭を下げていた。
これからライゼンが向かう先は自宅ではない。
金の魔王エレから誘いを受けている。
歩きながらライゼンは右手に指を微かに動かし、自分の正面に転移ゲートを開く。
転送先は強大な魔闘気を感知した場所だ。
転移ゲートを抜けると地上5千メートルほどの上空に出る。
ライゼンが転移した場所を中心にして五芒星の頂点の位置に、強大な魔闘気を纏った存在が5つ。
正面には金の魔王エレ。正面右に火の魔王イフ。正面左に水の魔王ウイ。後方右に土の魔王ドル。後方左に風の魔王シル。
それぞれが、ライゼンを正面にして、まるで大地を踏みしめているかのような確かさで飛翔をしている。
「またせたな」
ライゼンが最初に口を開く。
取り囲む魔王全員が、ただ頭を下げる。
その様子を見て、ライゼンは続けて語りかける。
ただし、誰にというわけではなく。
「この場所に来るのも、これで最後になるかもしれんな」
ただの呟きのようにも取れるその言葉を掬い取ったのは、火の魔王イフ。
「はっ。何しんみりしてんだよ。魔帝やめても、あんたがいなくなるわけじゃねぇ。そうだろう?」
火の魔王イフは、口元に凶暴そうな笑みを浮かべなから言い返す。
「イフよ。ライゼン様への不遜な態度、このさい目をつぶろう。確かに、魔帝であろうがなかろうが我らが忠誠を捧げるにはなんら替わらぬ」
重々しく追従するように言葉を重ねたのは土の魔王ドルであった。
「そうだね。ライゼン様の好きにすればいいんじゃない? 立場なんて僕らにとっちゃ関係ないし、ね」
土の魔王ドルとは対象的に軽いノリで風の魔王シルが言う。
「いや、そうは言っても魔帝という存在はあまりに大きすぎますよ。魔界全体にとっても、我らにとっても。だから……」
それまで三人の魔王の言葉を否定するかのように水の魔王であるウイが言う。
ただそれは、全否定というわけではなく、まだ言葉は続いている。
「だから、ケジメは付けさせてくださいね、ライゼン様。魔界なり、そして魔王として納得のいく形での」
水の魔王ウイの言葉を受けて、言葉をつないだのは金の魔王エレであった。
その言葉が終わると同時に、魔王五人の魔闘気が急速に高まっていく。
大気は巨大な圧力を受けて、五芒星を描く魔王たちの周囲は雷を伴った防風が吹き荒れている。
魔帝が呼び出されたここは、視界の続く限り砂丘が広がる砂漠地帯。
地上では砂が飛び散り、地形が替わり始めている。
ただ、五人の魔王たちを中心とするこの場所だけが、未だに無風であった。
大気を歪めるまでに魔闘気を高める魔王たちの中心部にいながら、魔帝は穏やかに立ってる。
そして、魔王たちの言葉には答えず、自分の胸の前で両手を合わせる。
「君たちに真名を返しておこう」
言いながら重ねた両手を開くと、そこから光が五人の魔王に向かって放たれる。
すると、五人の魔王たちの体がわずかに変化する。
全ての魔王達に共通する変化だ。
体がわずかばかり小さくなり、魔人の象徴たる角が消える。
同時に纏った魔闘気が倍……いや、それ以上に膨れ上がった。
「イフリータルだと? どういうつもりだ? ライゼン様よぅ?」
怒りがにじむ声音で火の魔王イフ……いや、火の魔王イフリータルが聞く。
「ウィンディール……もう、捨てたはずの名前。なぜ今更?」
怒りはなく、ただ不審そうに水の魔王ウイ……ウィンディールが問う。
「エレクトラ……ですか。懐かしい、でも今のあたしに必要ありませんよ、ライゼン様」
あからさまに不満を漏らす金の魔王エレ……今は金の魔王エレクトラ。
「シルフィード……ね。今更感はあるけど、僕は素直に受け取っておくよ。感謝はしないけどね」
苦笑を浮かべて風の魔王シル……風の魔王シルフィードが言う。
「ドルイダラス……真名を返して頂いたことは感謝いたす。だが、これではまるで、二度と会えぬと言っているようなもの……まさか、そうなのですか? ライゼン様」
常に不動の意思を崩さぬ土の魔王ドル……土の魔王ドルイダラスの声が僅かに震えている。
全員の意思を確認した魔帝ライゼンはその場でゆっくりと体をめぐらし、全員の魔王の顔を見る。
「こうしている間にも、我が体から急速に力が失われている。限りなく高まった力も、寿命には勝てないようだ。だが、今ならばまだ諸君らの相手ができる程度の力は残っている。もう、これ以上語ることもないだろう……さぁ、来なさい」
ついに、魔帝ライゼンは真実を魔王達に語った。
そして魔王達は……。
「おう」
まず応じたのは火の魔王イフリータル。
ライゼンを圧倒する体躯から強烈な拳を放つ。
ライゼンはその拳を人差し指を使って下に弾くと、放った拳が纏っていた拳が、3千メートル下の砂丘に巨大なクレーターを穿つ。
だが、その瞬間ライゼンの背後から迫って来ていたのは、風の魔王シルフィード。手には魔槍が握られており、背中に向かって魔闘気を纏った一撃を放つ。
だがそこにはライゼンの体はなく、体が入れ替わった火の魔王イフリータルが体を崩された位置でいた。
それを見た風の魔王シルフィードは強引にランスを横に薙ぐ。