第一章 魔帝転生 01
神楽頼善がアルセナと呼ばれている異世界に転生して、すでに百年が過ぎていた。
まさか異世界の魔界に転生させられるとは思わなかったが、それでもけっこう上手くやったと思っている。
魔界の中で最強と呼ばれる魔獣や魔人、はては五人の魔王とまで戦いを繰り返すことになった。
転生した際に成長無限という能力を得てはいたが、それは負けないことを保証するものではなく、ましてや死なないことを意味したりはしない。
地道に鍛えるか戦闘をこなすことで際限なく強くなるという、なんとも地味な能力は必然的に努力することを求められた。
それでも、ひたすら強い相手と戦い続けたおかげで、五人いる魔王を倒し支配下に置くことで魔帝と呼ばれる存在にまで上り詰めることができた。
ただ、一番の苦労はそこから始まることになる。
魔界という世界は、普通の人間にとってけして暮らしやすい場所ではなかった。
さすがに魔帝相手に戦いを挑んでくるような相手はそうそういなかったが、それでも治安の悪さからくる日常生活の劣悪さは看過し得ないものであった。
魔帝の居城であっても、臭い汚いは当然のようにあったし、家具や日用雑貨もロクなものが存在しなかった。
アルセナは科学こそ発達してはいなかったが、魔法という力が存在しており、うまく使えば日々の暮らしはもっとマシなものになるであろうが、魔界において戦闘に使われる以外の魔法はまるで発達してはいなかった。
というわけで、魔帝となった頼善は全身全霊をかけて魔界改革を行ったのである。
まず最初に手をつけたのが、五人の魔王達の意識改革で、それぞれが統治する魔王国の内政を徹底的に充実させることであった。
さらに、それぞれ得意とする魔法の研究開発を進めさせて、それを一般にフィードバックさせることで産業を新たに立ち上げさせたのである。
そして、それぞれの王国に中央銀行を創設させ、独立した通貨を発行させることで、魔界全土を貨幣経済制度を導入させた。
それが産業の発展を加速度的に発展させることになったのである。
それまでは、足りないもの、欲しい物があれば魔王国どうしで争うか、地上界に侵攻することで得ようとしたが、通貨による購入が可能となり、物品の流通が潤沢になると、争う理由が少なくなってきた。
もちろん、完全になくなったわけではない。
産業が発達したゆえに、新たな資源確保が必要となったからである。
それが主に魔石と呼ばれる、魔力を秘めた鉱石で、魔界の中に鉱山という形で存在していた。
個人の魔力に頼らずに、魔導具を動かすためには、それだけの魔石から抽出される魔力が必要なのである。
そして、それは個人が所有する魔力より、遥かに多くの魔力を得ることが可能であった。
魔石は主に魔界から多く産出されるため、地上界へ侵攻する理由が極端に減った。
ただ、魔石の産出量は5つの魔王国で均等に、というわけにはいかなかった。
産出量の少ない魔王国は、国力を伸ばすためにも魔石を得る必要があった。
これを放置していたら、必然的に魔石鉱山を巡って最悪魔王国どうしの戦争に繋がりかねない。
というか、かならずなる。
一見秩序がもたらされているとはいえ、しょせん魔界は力の理論で動いているからだ。
ならばどうするか?
頼善は密かに、魔石の産出量の少ない魔王国に技術支援を行い、他の国よりも魔法技術の発展と共に魔法具産業の基盤を築かせたのである。
それを可能にしたのが、貨幣経済であり、魔界内で貿易産業の発展であった。
さらに、魔王国同士の外交は、すべて魔王会議によって最終決定されるという、魔帝を頂点とする最終的な力の理論によって決定されるため、魔界本来のルールにも反してはいなかった。
もちろん、そんなことが簡単にできたわけではなく、 ようやく自体が落ち着いた時には、頼善がアルセナの魔界に転生してから百年もの時が過ぎ去っていたのである。
「魔帝を引退する」
定例魔王会議において、いつもは聞き役に徹しているはずの魔帝ライゼンが唐突に口を開いた。
一通りの議題が出尽くし、取り決めが終わった直後のことであった。
「はっ? 仰っていることが、よくわかりかねますが?」
おそらく、全魔王の中で最も冷静であるはずの水の魔王ウイが聞き返す。
眉目は秀麗だが、頭頂から伸びているユニコーンが人ではないことを示している。
「これは決定事項だ」
言葉少なに、魔帝ライゼンは答えていた。
見た目は他の魔王と違い、まったく人間と変わらない。
「はぁ? 何言ってるんですか? 前フリもなく、こんな冗談言っても笑えませんぜ?」
やれやれといった感じで、丸太くらいありそうな右腕を肩口でグルリと回しながら言って来たのは火の魔王イフ。
真っ赤な短い角が二本、額の両側に生えている。
「すまんが、やりたいことが出来た。後はたのむ」
魔帝ライゼンは、半信半疑の魔王たちに向かってはっきりと伝える。
「帝位はどうされるのです? まぁ、あたしはどうでもいいんですけどね」
あっさりと受け入れたのは風の魔王シル。
中性的な雰囲気と、魔王の中で最も小柄な体躯を持つ魔王であった。
中性的な雰囲気を纏っており、特徴的な羊のような角を持っている。
「最早いるまい。偶像ですらないただの飾りだ」
魔帝ライゼンは即答する。
そもそも、魔帝という存在が飾りになるように長い年月をかけて積み上げてきたのだ。
即答できずにどうするのか、という話でもある。
「私はただ、ライゼン様のお言葉に従うだけです。たとえ此の身が朽ち果てようと、御意のままに」
他の魔王と違い、一切自分の意を告げることなく頭を垂れたのは、金の魔王エレ。
金色の髪をなびかせて、その額の中央には見た目にはダイヤが埋め込まれているようにしか見えない角がある。
たまに空中に小さく走る稲妻は、雷属性を極めし魔王である証である。
「君に同行は求めていない。そのつもりでいたまえ」
正に臣下の鏡のような発言をした魔王エレに対し、魔帝ライゼンは釘を指すように言っておく。
すると、そっと小さく舌打ちする音が聞こえてくる。
どうやら、図星だったらしいが、魔帝ライゼンは聞こえなかったことにする。
関わると話が長くなることがわかっているからだ。
ちなみに魔王エレは、魔王唯一の女である。
「どうやら、一通り納得したようですな。これまでライゼン様にして頂いたことを考えれば、このくらいのことなんでもないと申したいところですが、中々そうもいきますまい。せめて、引き継ぎくらいはしっかりしていただきたい」
他の魔王たちが一通り自分の意見を述べるのをじっと待ち、一番実務的な話をしてきたのは土の魔王ドルである。
身長が二メートル超えている火の魔王イフより、さらに一回り以上はでかい。
人形の形態ではあるものの、ごつごつとした岩を組み合わせてできているように見える。
それが腕を組んで座っていると、ただ岩の塊がそこにどかっと置かれているようにしか見えない。
角もあるにはあるが、頭部からいくつも突き出しているそれは、たんなる岩の形状である。
「無論だ。すでに官庁各所への根回しはすんでいる。後は最終的な書類上の手続きが少し残っているだけだ。それが終わったら、魔帝城において諸君らの配下の者を向かわせて実務上の引き継ぎをやってくれ」
さすがに正論を言われて、魔帝ライゼンは裏で進めていたことを明かす。
「あとは、よしなに頼む」
魔帝ライゼンはそれだけを言い残すと、魔王達が何かを言う前に転移魔法を起動し、会議場から姿を消した。
後に残された五人の魔王は、それぞれの反応を示しながらもたった今新たに発生した議題を話し合い始めた。