結菜さん、色々間違ってますよ
それが来る予感が笹川 悠人に走った。
ベッドの上で目を見開く。仄かな室内灯に照らされた天井が視界に映る。
予感は的中した。
それは二秒後、悠人の左ふくらはぎを襲った。
「ぐっ……!」
こむらがえりの激痛に思わず声を出してしまう。
隣に眠る妻の結菜を起こさないように、左足のつま先を左手で手前に引っ張る。ビキビキとふくらはぎにヒビが入っていくような痛みに耐える。
先月結婚したばかりなのに、こんなみっともない姿を見せたくない。
荒い息が漏れる。
「悠人さん……?」
夫の異変を感じたのか、結菜は目を覚ましてしまった。悠人は自分を不甲斐なく感じる。
古い言葉でいうところの「天然」の妻。きっと必要以上にオロオロし、心配してしまうだろう。
悠人は普段の口調を意識して、静かに話す。
「ごめん。ちょっと足が攣っちゃって……。しばらくしたら収まるから」
「大丈夫?」
返事をしようとした悠人に、痛みの第二波が走った。
「痛っ!」
あまりの痛みに、再び声をあげた。
引っ張っていた左手も離してしまう。
結菜が身を起こし、悠人の足へ上半身を向けた。
「マッサージ……、しようか?」
そう言うと、悠人の返事も待たずにパジャマの裾を捲りあげ、ふくらはぎを露出させる。
「ええ……っと」
ほんの少し間が空いて、結菜は十本の指で悠人のふくらはぎを揉みはじめた。
その力はか細く、悠人の痛みの緩和には繋がっていない。
「……悠人さん、これって原因とか分かってるの?」
こむらがえりの経験がないらしい結菜が、悠人に訊いた。
天井を眺めながら悠人は答える。
「うん、なんか水分不足とからしいよ」
「水分不足?」
結菜の不思議そうな声が聞こえた。
つぅ――――
暖かい何かがふくらはぎを一筋走った。
悠人は驚き、頭を枕から上げる。視線を天井から足元へ移す。
結菜が身を屈め、悠人のふくらはぎへ舌を這わせていた。
「ちょっ……!? 結菜!?」
結菜がふくらはぎに顔を寄せたまま応える。
「『水分不足』が原因なんでしょう? タオルを濡らして持ってこようか?」
その応えの理解に、悠人は数瞬かかった。
慌てて補足説明をする。
「いや、結菜違うんだ。例えば『寝る前にコップ一杯の水を飲みましょう』とか、そういう話なんだよ」
「ごっ……、ごめんなさい」
薄暗い部屋でも結菜が恥ずかしそうな表情を浮かべたのが、悠人には見えた。
「ごめんなさい。私、やっぱり……」
「結菜」
悠人は結菜の言葉を遮った。
「私、やっぱりバカだね」と続くのが分かったから。
そんな言葉を口にさせたくなかったから。
「結菜、ありがとう。……あれ?」
悠人はふくらはぎの痛みが引いていくのを感じる。
多分、時間が経ったからなんだろう。
でも、結菜のマッサージや舌の効果の可能性だってゼロじゃない。
――――そう、ゼロじゃない。
改めて礼を言う。
「……ありがとう。なんか少しずつ収まってきたよ」
「ホント!?」
「うん、本当に。結菜のおかげだと思う。『鰯の頭も信心から』って言うし。……なんか違うな。まあ、とにかく寝よう。まだ少し痛いし」
「うん」
悠人は枕元のスマートフォンを覗いた。午前2時37分。
再び自分の隣に横たわった結菜を優しく抱きしめる。
悠人は一年前のことを思い返す。
一回目のプロポーズ――、悠人は結菜から断られた。
…………今はいいかもしれないけど、私なんかと一緒に暮らしたら、いつか本気で呆れたり、怒ったりするよ? きっと。
そんなの私、耐えられないから。
ベッドで結菜を抱きしめながら、悠人は二回目のプロポーズの言葉を呟いた。
「僕は君じゃなきゃダメなんだ。理由なんかいらない」
腕の中で結菜が小さく頷いた。
――――
翌朝、悠人が目を覚ましたとき、結菜はベッドにいなかった。
隣のダイニングキッチンから、いい匂いと調理をする音が流れてくる。
結菜が朝食を作っているのだろう。
悠人は、調理の音に歌声が重なっていることに気付く。耳を澄ます。
「私はぁ〜、あなたじゃなきゃダメなのぉ。メザシの頭も信心からぁ~」
ベッドの上で悠人は吹き出した。
結菜さん、その変な歌はなんですか?
ラブソングなんですか?
それにメザシじゃなくて鰯ですよ?
この女性が好きでたまらないなあ……。
この女性と一緒にいると幸せでたまらないなあ……。
悠人はベッドから起きあがり、隣の部屋へ向かう。
結菜を再び抱きしめるために。
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