『聖女の妹』という立場を利用して贅沢三昧している私の妹
「……ふぅ」
「本日も一日お疲れ様でございました、マリア様。今日はとりわけ過酷な現場でしたから、大層お疲れになったことでしょう」
「あ、いえ、そんな。お気遣いありがとうございます、クレイグさん」
公務からの帰り道。
馬車で隣に座られているクレイグさんから、労いの言葉を掛けられた。
この一言だけで、また明日も頑張ろうという気になるのだから、私は随分と単純な性格をしているらしい。
――ただの一平民に過ぎなかった私が、ある日突然聖なる力に目覚め、聖女として祀り上げられてから早や一年。
この一年で、私を取り巻く環境はすっかり激変した。
今や私は国中どこを訪れても、「聖女様」と崇め奉られ、多くの人たちから取り囲まれる日々。
正直そういった期待と羨望が、プレッシャーにならないと言ったら嘘になる。
だが今更泣き言を言うわけにはいかない。
明日も明後日も、そのまた次の日も、世界のどこかでは、聖女の力を必要としている人たちが私を待っているのだから。
「……本当に申し訳ございません、マリア様。何でもあなた様に頼りっきりで、一騎士として、不甲斐ないばかりです」
「――!」
クレイグさんが眉間に皺を寄せながら、私に頭を下げる。
「そ、そんな、顔を上げてくださいクレイグさん! クレイグさんはいつも私を守ってくださってるじゃないですか。クレイグさんが専属護衛騎士として側にいてくださるから、私は聖女としての仕事に専念できているんですよ」
「……マリア様」
顔を上げたクレイグさんのエメラルドの瞳は、私の目を真っ直ぐに見つめていた。
その瞳に得も言われぬ熱のようなものが宿っている気がして、思わず私の胸がトクンと一つ跳ねる。
「ありがとうございます。では今後もあなた様のことは、生涯を懸けて、私が全力でお守りいたします」
「ふふ、相変わらず大袈裟な方ですね」
「……はは」
ん?
途端、憂いを帯びたような表情になるクレイグさん。
はて?
私、何か変なこと言ったかしら?
「それではまた明日、今日と同じ時間にお迎えに上がります」
「はい、よろしくお願いいたします」
私を自宅まで送り届けてくださったクレイグさんは、そのまま馬車で騎士団本部へと戻って行った。
クレイグさんはこれから、本部で今日一日の報告書を書く仕事が残っている。
私なんかより余程過酷なはずなのに、その辛さをおくびにも出さないその姿勢には、いつもながら頭が下がるばかりだ。
私ももっと頑張らないと。
「さて、と」
軽く伸びをしてから玄関の扉を開けた、その時だった。
「あっ、聖女様が帰って来た!」
「わぁ、凄い! 本物の聖女様だー!」
「っ!?」
妹のドリスと同年代くらいの、二十歳前後の二人の女の子が、私のところへ駆け寄って来た。
だ、誰、この子たち!?
「やっほー。おかえり、お姉ちゃん」
「――! ……ドリス」
テーブルに頬杖をついているドリスが、プラプラと手を振ってきた。
「えーと、あなたたちは、ドリスのお友達かしら?」
「はい! 今日酒場で知り合ったんですけど、聖女様の妹だって言うから絶対噓だと思ったら、マジだったんで、マジビビッてます!」
「ねー! 普通そんなの噓だと思うよねー!」
「オイオイ、フザケんなよお前らー。さっき奢ってやった酒代、徴収すっぞ」
「アハハ、ゴメンゴメンー!」
テーブルの上には夥しい数の酒瓶と、いかにも高そうなツマミが広がっていた。
またこの子は……!
私が仕事で汗水垂らしている間、昼間から酒場で飲んだくれた挙句、初対面の女の子を連れて自宅で優雅に二次会とは……!
しかもその酒代は、私が仕事で稼いだものである。
私が聖女になって間もない頃、家計が潤った途端、ドリスは仕事を辞めてしまった。
それ以来今日までずっと無職で、私のお金を使って贅沢三昧の日々を送っている。
流行り病で両親を亡くした私にとって、今やドリスはたった一人の肉親。
ついつい甘やかしてしまっていたのが、完全に裏目に出た。
仕事が忙しくて、なかなかドリスと向き合う時間が取れなかったというのもあるけど、そろそろキツく言わないと……!
「ドリス、あなたね――」
「聖女様! サインくださいよ、サインー!」
「あー、ズルい! 私も私もー!」
「え?」
二人が色紙を取り出し、それをグイグイ押しつけてくる。
「え、ええ、サインくらいなら……」
私は渋々ながらも、営業スマイルでサインに応じた。
ここで私がサインを断ったら、聖女の評判が悪くなる。
そうなったらクレイグさんをはじめ、私を聖女としてバックアップしてくださっている、多くの人たちに迷惑を掛けることになってしまうもの……。
「うははー! あざっす聖女様! これ、友達に自慢しよー!」
「私も私もー! じゃあ聖女様、私たちは帰りますねー」
「あ、うん、もう遅いから気を付けてね」
「「はーい」」
ドリスの友達(?)二人は、嵐のように去って行った。
ハァ、ある意味仕事より疲れたわ……。
まあいい、これでドリスに気兼ねなく説教できる。
私は目に力を込めて、ドリスをキッと睨む。
「ドリス、あなたね――」
「ねえねえ、これ見てよお姉ちゃん! 超カワイイと思わないー?」
「――!」
おもむろにドリスが取り出したのは、数々の煌びやかな宝石が散りばめられた、いかにも値が張りそうな派手なドレスだった。
こ、これは……!
「あなた……どうしたのよ、それ……」
「えへへー、今日たまたまショップで見付けてさー。一目惚れして、思わず買っちゃった」
ドリスは屈託のない笑みを浮かべ、白い歯を覗かせた。
「買っちゃった、って……! そのお金は、私が聖女の仕事で稼いだものでしょッ!! それをあなたはそうやって無駄遣いしてばかりッ! もういい加減にしなさいッ!」
「ハァ!? 無駄遣いぃ!? お姉ちゃんはこのドレスを作った職人の仕事を、無駄だって言いたいわけ?」
「――! そ、そうは言ってないでしょ……!」
「でもお姉ちゃんの言い分的にはそういうことじゃん。アタシはね、こうやってお金をいっぱい使うことで、経済を回しているの。せっかくお姉ちゃんが聖女になったことで、我が家にたくさんお金が入ってくるようになったんだから、それを使わないで貯め込んでたら、経済が回らないでしょ? だからケチなお姉ちゃんの代わりにアタシがお金を使って、社会貢献してあげてるってワケ」
「ケ、ケチですって……!」
なんで生活の面倒を全部見てあげてる妹から、ここまで言われなくちゃいけないのよ……!
本当にこの子は、昔からああ言えばこう言うんだから……!
「それとこれとは話が別でしょ!?」
「あー、ウザいウザい。ちょっと飲みすぎて頭痛くなってきたから、アタシはもう寝るわ。おやすみー」
「ま、待ちなさいッ!」
私の忠告もガン無視して、ドリスは自室へと消えて行った。
ああ、もう……。
「……なんでこうなっちゃったのかしら」
テーブルの上に散乱した酒瓶とツマミを眺めながら、私は溜め息を漏らした。
「コラ、ドリス! そろそろ起きなさい!」
「うぅ~ん、あと五分~」
そして一夜明けた朝。
そろそろ私が仕事に行く時間だというのに、一向に起きてくる気配のないドリスの部屋に行くと、案の定ドリスはだらしない顔で大いびきをかいていたので、思わず耳元で怒鳴った。
が、ドリスは布団を深く被り、まだまだ寝るつもりらしい。
まったくもう……!
「あ」
その時だった。
家の外に、馬車の止まる音がした。
た、大変!
もうクレイグさんが迎えに来てしまったわ!
「ちゃんと起きて、掃除もしておくのよ、ドリス!」
「あーい」
生返事のドリスにイラッとしながらも、私は急いで玄関へと向かった。
「……おはようございます、マリア様」
「お、おはようござい、ます?」
が、玄関先でクレイグさんを出迎えると、いつもは柔和な笑みを浮かべているクレイグさんの表情が、いつになく曇っていたので、思わず首をかしげてしまった。
な、何かあったのかしら?
「やあマリア、久しぶりだね」
「――!」
が、クレイグさんの後ろから現れた、妙にキラキラした人物を見て、私は絶句した。
それは我が国の第三王子であらせられる、アルバート殿下その人だったのである――。
「な、何故殿下がこんなところに……」
「それは……」
「まあまあ、それはこの僕の口から言わせておくれよ、クレイグ」
「あ、はぁ……」
気安くクレイグさんの肩に手を回しながら、芝居がかった口調でそう言うアルバート殿下。
この方は常にこんな感じなので、正直私はちょっと苦手だ……。
悪い人ではないのだけれど……。
「今日は君に、プロポーズしに来たのさ、レディ」
「…………は?」
パチンとウィンクを投げながら、一本の赤い薔薇を差し出す殿下。
プ、プロポーズウウウウウ!?!?!?
「そ、粗茶ですが……」
「ありがとう、マリア。君が淹れてくれたものなら、どんなお茶でも国宝級さ」
「あ、はぁ……」
なし崩し的に家に入れてしまったが、今になってどんどんと後悔の念が湧き上がってくる。
まあ、王族の訪問を断ることなど、元平民の私にできるわけがないのだけれど……。
「クレイグさんも、どうかお座りになってください」
「いえ、私は任務中ですので」
「そうですか……」
アルバート殿下の後方で、後ろ手を組んでじっと立っているクレイグさん。
その表情は、依然としてどこか沈んだままだ。
「さて、話の続きだったね。僕が君に、プロポーズするという」
「あ……はい」
お茶を一口飲むと、粘度のある視線を私に向けてきた殿下。
私の背中に、ゾワッと悪寒が走る。
「あのー、ご冗談ですよね殿下? 殿下のような高貴なお方が、私みたいな平民にプロポーズだなんて……」
「いやいや、何を言うんだいマリア。今や君はこの国が誇る『聖女』なんだよ。我が国では、聖女は王族に匹敵する権威の象徴。だから高貴なこの僕が高貴な君にプロポーズすることは、言わば必然。あるいは運命! そうは思わないかい?」
「……はぁ」
殿下は身振り手振りを交えながら、大声でそう捲し立てる。
「ただ、殿下でしたらわざわざ私なんかをお選びにならなくても、他にもっと相応しいお方がいらっしゃると思うのですが……」
「ノンノン! 君は何もわかっていないね。僕はね、美しいものを『愛でる』のが好きなのさ。そして僕の知る限り、僕がこの国で最も美しいと思っているのが、君さ、マリア」
「――!」
殿下はニヒルにウィンクを投げながら、そう言った。
う、美しい……!?
私が……!?
「そんな……。私みたいな平凡な顔の、どこが……」
「ハッハー! 君は本当に自己評価が低いね! ――自信を持ちたまえ、君は美しいよ。そしてその美しさは、見た目だけでなく、内面からも滲み出ているものだ」
「……なっ」
内面、からも……?
「その点は私も同感です。マリア様、あなたは誰よりも美しいです。……もっとそのことを自覚してください」
「……! クレイグさん……」
クレイグさんにまで真剣な表情でそう言われると、本当にそうなのかと錯覚しそうになるのだから、相変わらず単純な女ね、私は……。
「まあ事後承諾で君には悪いけど、僕と君とのこの婚約は、もう王室で決まったことなんだ。だから覚悟を決めて、どうか僕からの愛を受け取ってほしい」
「――!」
おもむろに立ち上がった殿下は、私の手の甲にそっとキスを落とした。
あ、あぁ……。
「しょ、承知いたしました……。きょ、恐悦至極に存じます……」
どの道こうなってしまった以上、最早私に拒否権などないのが現実。
これも聖女としての務めの一つだと思って、割り切るしかないわね……。
「…………」
「?」
が、何故かそんな私たちの様子を、クレイグさんは苦虫を噛み潰したような表情で見つめていた。
ク、クレイグさん……?
「あー!! アルバート殿下!!」
「「「――!」」」
その時だった。
やっと自室から出て来たドリスが、殿下のことを指差しながら、耳障りな声を上げた。
「え!? え!? マジこれ!? なんで殿下がここにいらっしゃるんですかッ!?」
「コラ、ドリス! 殿下に失礼でしょ!」
ほぼ半裸みたいなだらしない格好を晒しているドリスに、思わず声が出た。
紳士なクレイグさんは、そっとドリスの身体から目を逸らしている。
「あわわわわ!? ア、アタシったら! すぐ着替えてきます!」
光の速さで自室へと消えて行くドリス。
もう、最悪……。
「フフ、今のは君の妹さんかい、マリア?」
「あ、はい、恥ずかしながら……。いい年なのに無職でダラダラしてばかりで……。姉として、不甲斐ないばかりです……」
「フフフ、なるほどなるほど」
「?」
ドリスの部屋の扉を眺めながら、意味深な笑みを浮かべる殿下。
で、殿下……?
「おっ待たせしましたー! はじめましてアルバート殿下! アタシはお姉ちゃんの妹の、ドリスっていいまーす!」
「っ!?」
その時だった。
昨日買った豪奢なドレスを身に纏ったドリスが、あざといポーズを決めながら部屋から出て来た。
こんな一瞬で着替えたの!?
「フフ、はじめましてドリス。そのドレス、凄く似合ってるね。とても美しいよ――」
「ホントですかー? えへへへー、嬉しいな嬉しいなー!」
「……!」
今さっき私に向けた時以上に粘度のある視線を、ドリスに向ける殿下。
この時私の中で、じんわりと黒いシミが広がっていくような感覚がした――。
「……ふぅ」
「……本日も一日お疲れ様でございました、マリア様。最近殊更お疲れのように見えます。どこかお身体に不調などはございませんか?」
「あ、はい、大丈夫です。いつもお気遣いありがとうございます、クレイグさん」
アルバート殿下からの、嵐のようなプロポーズから一ヶ月。
今日も私は公務からの帰り道に、馬車で隣に座られているクレイグさんから、労いの言葉を掛けられた。
……ただ。
「むしろクレイグさんのほうこそ、体調が優れないのではありませんか? 最近ずっと、顔色が悪いように見えますよ」
「……いえ、ご心配には及びません。これは、その……、精神的な問題ですので……」
「……?」
精神的な問題?
そんなにショックなことがあったのかしら?
私でよければお力になってあげたいけれど、あまりプライベートなことに口を挟むのも気が引けるし……。
「…………」
「…………」
結局それきり私とクレイグさんは、無言のまま馬車の揺れに身を任せたのであった。
「……それではまた明日、今日と同じ時間にお迎えに上がります」
「はい、よろしくお願いいたします」
「先に帰っていてくれ。今日は私は歩いて帰る」
「はい」
「?」
馬車を帰してしまい、一人その場に残ったクレイグさん。
「あのー、今日は何かご用事でもあるんですか?」
「いえ、そういうわけでは。ちょっと夜風に当たりたくなっただけです。少しだけその辺をブラついたら、すぐ帰ります」
「そうですか……」
「では、私はこれで」
「あ、はい、お疲れ様でございます」
最後に少しだけ憂いのある表情を浮かべてから、クレイグさんは夜の街に消えて行った――。
「――!」
家に入った途端、その場のあまりの異様さに、私は言葉を失った。
そこには男物と女物の服が、辺り一面散乱していたのだ。
女物は明らかにドリスのもの。
そして男物は――!
「ド、ドリス……?」
恐る恐るドリスの自室の扉を開けると、そこには――。
「アハハ、くすぐったいですよアルバートさまぁ」
「フフフ、君は本当に可愛いね、ドリス」
「――!!!」
そこにはベッドの上で睦み合っている、ドリスとアルバート殿下の姿が――。
……嗚呼。
「あれ? お姉ちゃんおかえりー」
「やあ、おかえりマリア。今日もお仕事お疲れ様」
「……!」
この状況がわかっていないのか。
それともわかったうえでそんな態度を取っているのか。
二人はあっけらかんとした顔で、私に労いの言葉を投げてきた。
――この瞬間、私の中で何かがブツンと切れた。
「フ、フザケんじゃないわよッ!! あなた自分が何をしでかしたのか、わかってないの、ドリスッ!?」
王族と聖女の婚約という、絶対的なものを聖女の妹が破綻させたとあっては、これは国家を揺るがしかねない一大事だ。
聖女の権威も失墜し、そうなればクレイグさんたちにも少なからず迷惑を掛けることになるだろう。
嗚呼、私、クレイグさんにどう顔向けすれば……。
「フフ、その点は心配いらないよマリア」
「え?」
……アルバート殿下?
「僕が国王に頼んで、聖女の権威には傷が付かないように、穏便に婚約を解消するよう、既に手続きを済ませたからね。僕と君は、もう他人なのさ」
「――!」
そ、そんな……。
「幸い僕と君の婚約は、まだ世間には公表されていない。だから君の聖女としてのネームバリューは、ノーダメージなのさ」
「……」
そういうことなら、確かに世間の聖女に対する評判に影響はないかもしれない。
……でも、この一ヶ月、アルバート殿下の妻になると自分に言い聞かせ続けてきた、私の覚悟はどうなってしまうの――?
「僕はこの、愛しのドリスを妻にすることを、今ここで誓うよ」
「やったぁ。アルバート様、私、嬉しいですぅ」
二人は私の前だというのに、恥ずかし気もなく抱きしめ合った。
……何だったんだろう、私のこの一年は……。
聖女としての務めを果たすべく、毎日必死で働いてきた。
私の力が及ばず、目の前で息絶えていく人も何人も見た……。
そのたびに帰りの馬車で嗚咽する私を、クレイグさんは優しく慰めてくれたけれど、人の死に慣れることは未だにない。
――その挙句がこれ。
一方的に決められた婚約。
そしてお金だけでは飽き足らず、婚約者まで私から身勝手に奪う妹。
仮にこれも聖女に課せられた運命なのだとしたら、いくら何でもあんまりじゃないか……!
「……くぅっ!」
堪えきれなくなった私は、二人に背を向けて、夜の街に逃げ出した――。
「……ハァ」
気が付くと私は、人気のない裏路地に一人、ポツンと立っていた。
どこかしら、ここ……。
無我夢中で走り回っていたら、知らない場所に来てしまったみたいだ。
まあいいわ、どうだって……。
私は落書きまみれの壁に寄りかかり、ぼんやりと星空を眺めた。
「あれ!? オイオイオイ、なんでこんなとこに、聖女様がいんだぁ?」
「ヒュウッ! マジじゃん! うほほ、初めてこんな間近で見たぜ、俺!」
「――!」
その時だった。
明らかにガラの悪そうな、スキンヘッドとモヒカンヘアーの男二人組が、声を掛けてきた。
しまった……!
いつの間にか、スラム街にまで来てしまっていたみたいだ。
クレイグさんから、絶対にスラム街には近付かないよう注意されていたのに……。
「わ、私、仕事中なので失礼します」
そそくさと二人の横を通り過ぎようとする。
――が。
「オイオイオイ、ちょ、待てよ」
「キャッ!?」
スキンヘッドに右腕を掴まれ、壁に押しつけられてしまった。
「い、痛い! 放してッ!」
「へっへっへ、せっかく会えたんだからよぉ、ちょっとくらい、俺にもお情けをくれてもいいじゃねえかよぉ」
「ヒュウッ! 俺も俺もー!」
「――!」
声を出せないように、スキンヘッドに口元を手で塞がれた。
二人が餓えた獣みたいな下卑た瞳で、私を舐め回すように見てくる。
最悪だ……!
私の聖女の力は、魔なる存在を浄化することと、傷や病気を癒すことに特化している。
人間を攻撃する手段には乏しい。
だからこそ仕事中は、クレイグさんが私を守ってくれていたのに……。
「オイ、お前は誰か来ないか見張ってろ」
「チッ、しゃーねーなー。後で俺にも楽しませろよー」
嗚呼、誰か助けて……。
――助けて、クレイグさん――!
「そこのお前、今すぐその汚い手をどけろ」
「「「――!!」」」
その時だった。
毎日すぐ側で私を支えてくれていた、世界一心強い声が、私の鼓膜を震わせた――。
う、嘘……!
この声は――!
「あん? なんだァ? てめェ……」
「私は王立騎士団所属の、クレイグ・ウィンターソン。お前たち二人を、聖女に対する暴行の現行犯として、逮捕する」
嗚呼、クレイグさん――!
「ハァ!? 王立騎士団だとぉ!? 国家の犬如きが、イキッてんじゃねーぞぉ!!」
モヒカンが鋭い右ストレートパンチを、クレイグさんの顔面に突き出した。
ク、クレイグさんッ!
「邪魔だ」
「あべし!?」
「「ッ!?」」
が、モヒカンのパンチが届くよりも先に、クレイグさんの右の裏拳がモヒカンの顔面にクリーンヒットした。
モヒカンは物凄い勢いで横の壁にめり込み、落書きの一部みたいになってしまった。
す、凄い……。
クレイグさんの戦ってるところを初めて見たけど、クレイグさんてこんなに強かったんだ……。
そりゃ聖女の専属護衛騎士に抜擢されるはずだわ。
「チィッ! クソがぁ!! ナメんじゃねえええ!!!」
今度は激高したスキンヘッドが懐からナイフを取り出し、クレイグさんに突貫して行った。
「クレイグさんッ!!」
「大丈夫ですよ、マリア様」
「っ!」
が、当のクレイグさんは、まるで子供と遊んであげてる最中みたいな、余裕のある表情で私に微笑みかけてきた。
クレイグさん??
「よっ」
「なぁッ!?」
「――!」
クレイグさんはスキンヘッドが突き出してきた、ナイフを握った右手を、右足で下から蹴り上げた。
ナイフは宙を舞い、クレイグさんの後方にポトリと落ちる。
「あらよっ」
「ひでぶ!?」
「――!?」
そして間髪入れずに、今度は左のハイキックをスキンヘッドの顔面に放った。
スキンヘッドもモヒカンのすぐ横にめり込み、二人仲良く落書きの一部になったのであった。
「お怪我はありませんでしたか、マリア様?」
「え、ええ、私は大丈夫です」
素早く駆け寄って来たクレイグさんが、慈愛に満ちたエメラルドの瞳を、真っ直ぐ私に向ける。
たったそれだけのことで、私の胸はドキドキと早鐘を打った……。
「よかった……」
「あ、あの、クレイグさんは、何故ここに?」
「いや、この辺りをぼんやりとパトロールしていたら、遠目にマリア様の姿が見えたものですから。こんなところにマリア様がいるはずがないとは思ったのですが、念のため様子を窺ってみたというわけです」
「そ、そうでしたか……」
嗚呼、やはりいつだってクレイグさんは、私にとってのヒーローだわ。
「マリア様こそ、何故ここに?」
「……それは」
私はたどたどしくも、さっきの出来事をクレイグさんに洗いざらい話した。
「そんな――! アルバート殿下と、ドリスさんが――!?」
「……笑ってください。聖女なんて祀り上げられてても、所詮私なんて、大した価値のない女なんです」
「――! そんなことはありませんよッ!」
「っ!?」
クレイグさんがいつになく熱の籠った表情で、私の両肩を掴んできた。
ク、クレイグさん……!?
「マリア様はこの国に欠かせない存在です。あなた様のお陰で、本来なら助からないはずだった命がどれだけ救われたことか……。今まであなたに贈られた、数え切れないくらいの感謝の言葉の数々が、それを物語っているはずです」
「クレイグさん……。ですが、中には救えなかった命もたくさんあります……」
「……ええ、確かに、聖女の力も万能ではありません。ですが、だからといって、あなたに価値がないなんてことになるはずがありません。――もっと自信を持ってくださいマリア様。あなたはご自分が思っているよりも、ずっと気高く、尊い存在なのですよ」
「……!」
まるで女神を崇めるみたいな、キラキラした瞳を向けてくるクレイグさん。
嗚呼……!!
どうしちゃったのかしら私……!!
さっきからもう、胸のトキメキが止まらないわ……!!
「……それに、不謹慎なことを承知で言わせていただくと、正直私はあなたの婚約が解消されたと聞いて、ほっとしているのです」
「え?」
それは、どういう……?
「――私はもう、自分の気持ちに噓はつきません」
「――!」
その時だった。
クレイグさんがその場で片膝をついて、私に右手をすっと差し出してきた。
クレイグさん??
「――私はずっと前から、あなた様のことをお慕いしておりました。どうか私と、結婚してはいただけないでしょうか?」
「っ!!?」
耳まで真っ赤にしながら、震える声で告白するクレイグさん――。
そんな――!!
クレイグさんが、わわわわわ、私のことをッ!!?
「で、でも、私なんかと、クレイグさんが……」
「身分差については問題ございません。聖女の専属護衛騎士としての実績が認められ、つい先日私は特級騎士爵位を授かったのです。これで私も、あなた様にプロポーズする権利を得ました。……本当は特級騎士爵位を授かり次第、あなた様にプロポーズするつもりだったのですが、一手早くアルバート殿下に先を越されてしまい、この一ヶ月は、毎晩悪夢にうなされておりました……」
「そ、そうだったのですか」
だから私がアルバート殿下にプロポーズされたあの日、あんなに辛そうなお顔をされていたんですね……。
でも……。
「いや、私が言ったのは、身分差のことではなくてですね……。私みたいな大した取り柄もない女は、クレイグさんには相応しくないんじゃないかと……」
「ふふ、アルバート殿下も仰ってましたけど、あなたは本当に、自己評価が低いのですね」
「――!」
不意に立ち上がったクレイグさんが、私の左手を両手でギュッと包み込んできた。
クレイグさん……!?
「ではあなたが自信を持てるまで、これからあなたの好きなところを、ひたすら言い続けますね」
「――!」
どんな拷問ですかそれは!?
「まず誰に対しても優しく慈悲深いところ。何事にも真面目で一生懸命なところ」
「あ、あわわわわ」
もう勘弁してくださいッ!
「それでいて時々おっちょこちょいなところ。感受性が豊かで、涙もろいところ」
「ひいいいいいい」
も、もう無理いいいい!!!
「そして目がいつも澄んでいて、星空みたいにキラキラしているところ。後は肌が陶器みたいに――」
「わ、わかりましたッ! もうわかりましたからッ!!」
これ以上聞いていたら、私の心臓がもたないわッ!
「そうですか。わかっていただけたようで嬉しいです。――で、プロポーズのお返事は?」
「っ!」
鼻と鼻が付きそうなくらい、グイと顔を寄せられる。
蕩けそうな熱い瞳で見つめられたら、もう私は為す術なく降伏するしかなかった――。
「……はい。謹んでお受けいたします」
多分今の私の顔は、インクをブチ撒けたみたいに真っ赤になっていることだろう。
「――! ありがとうございますッ! あなた様のことは、生涯を懸けて、私が全力でお守りいたしますッ!」
「きゃっ!?」
クレイグさんに力強く、ギュッと抱きしめられた。
今まで感じたことのないレベルの多幸感が、全身を駆け巡っている。
嗚呼、何度も聞いていた「全力でお守りいたします」という台詞が、今はまったく違う意味に聞こえる――。
いえ、多分クレイグさんは、ずっとそういう意味で言っていたんだわ。
それに今の今まで気付かなかった私は、本当にバカね……。
「それではまた明日、今日と同じ時間にお迎えに上がります」
「はい、よろしくお願いいたします」
家まで送ってくれたクレイグさんは、何度も私のほうを振り返りながら、夜の街に消えて行った。
まだ頭がボーっとしている。
そっかぁ。
私、クレイグさんと結婚するのかぁ。
「うふふ」
思わず気持ち悪い笑いが出てしまった。
おっと、いけないいけない。
気を引き締めて玄関の扉を開け、家の中に入る。
すると――。
「お、お姉ちゃあああああんッ!!!」
「っ!!?」
全裸のドリスが泣きじゃくりながら、私に抱きついてきた。
ド、ドリス!??
「どうしたの、ドリス!?」
「ううぅ、アルバート様が、私のお尻を、何度も叩いてくるのおおおおお!!!」
「お尻を???」
ふとドリスのお尻に目を向けると、それはそれは真っ赤に腫れ上がっていた。
んんんんんん???
「フフ、何故逃げるんだいドリス? もっと僕の愛を受け取っておくれよ」
「――!」
そこへ、恍惚とした表情を浮かべた半裸のアルバート殿下が現れた。
愛???
「言っただろう? 僕は美しいものを『愛でる』のが好きだと。君はこの世で最も愛で甲斐のある女性だよドリス。だからこれからも一生、毎晩愛でてあげるからね」
「いやああああああ!!!」
嗚呼、世の中には愛情表現として、女性のお尻を叩くという変態がいるという話は聞いたことがあったけれど、まさかアルバート殿下もそうだったなんて……。
……うん。
「よかったわねドリス。殿下にこんなに愛してもらえて」
「お姉ちゃんッ!?」
ドリスが絶望に絶望を塗り重ねたみたいな顔をした。
これで少しは、ドリスも自分の行いを反省することだろう。
ちょうどいい機会だから、アルバート殿下にはドリスをしっかりと躾てもらおう。
「腫れは私が治すから安心なさい」
私はドリスのお尻に触れ、聖女の力で腫れを治した。
「そ、そんなぁ……!」
「フフ、ありがとうマリア。これでまた一から、ドリスを愛でられるよ。――さぁ、第二ラウンドといこうか、ドリス」
「いやあああああああああああああああ!!!!」
断末魔の叫びを上げながら、殿下に引きずられてドリスは寝室に消えて行った。
――さて、流石に今夜はこの家にはいられないわね。
今から急いで追い掛ければ、クレイグさんに追いつくだろう。
今夜は私も、クレイグさんの家に泊めてもらおっと。
――私は鼻歌交じりに駆け出した。
拙作、『塩対応の結婚相手の本音らしきものを、従者さんがスケッチブックで暴露してきます』が、一迅社アイリス編集部様主催の「アイリスIF2大賞」で審査員特別賞を受賞いたしました。
2023年10月3日にアイリスNEO様より発売した、『ノベルアンソロジー◆訳あり婚編 訳あり婚なのに愛されモードに突入しました』に収録されております。
よろしければそちらもご高覧ください。⬇⬇(ページ下部のバナーから作品にとべます)