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夢で見た少女は自由落下を好むのか

作者: 刹那END

汐見(しおみ)さんは、『自由落下』が好きなの?」


 図書館の入り口から一番遠い四人掛けの席。そこで一人、勉強に励んでいた高校二年生の汐見怜奈(れいな)

 肩口まで伸ばした髪の毛と眼鏡を掛けた少女は、持っていたペンで髪を耳にかける。

 顔を上げる彼女の元に舞い降りてきた質問は、目の前の男子が発したものだった。

 彼の名前は風戸(かざと)敬志(けいし)。彼女と同じクラスの彼はクラスでも五本の指に入る秀才だ。そんな彼は、学年で一番成績優秀な彼女に意味不明な質問を投げかけた。


 放課後の図書館。本棚が部屋全体を囲うように並んでいる。中心の本棚の並んでいない空間には四人掛けの机と椅子が複数設置されていた。

 その内の一つである、出入り口から最も遠い端っこの席。そこには、椅子に座った眼鏡の少女と、机に肘を置いて身を乗り出すような姿勢の青年が対峙していた。

 校則通りに耳に掛からない短髪で爽やかな風貌の風戸敬志。そんな彼から出てきた「自由落下」という言葉に、彼女は自らの首を傾げる。

 ただ、尋ねた本人の表情も若干引きつっていて、彼女は今の状況を飲み込めないでいた。

 対して質問者の方はどうなのかというと、心中焦りまくっていた。


(なんで!? なんで意味わからんこときいた!? 汐見さんめっちゃ困ってるじゃん……! はやく! はやく謝らないと……!)


 肘を付いていた机に今度は手のひらとおでこを着けて、謝罪のポーズを瞬時に繰り出す。

 その切り替えの速さは、幾度となく謝罪をこなしてきたプロのようだった。


「急にごめん! ホントはそんなことが聞きたかったわけじゃなくて! あのー、そのーですねー非常に聞きづらいことがあって……!」


 図書館という場所は私語厳禁であり、大声などもってのほかだ。

 そんな中、彼の謝罪は思いの外大きな声になってしまった。周りから一斉に不審なものを見る目を集め、司書も二人の様子を窺うように立ち上がる。

 注目を集めている敬志本人はというと頭を下げている為、そのことに気付いていない。

 この場を穏便に収めるには、二人もしくはどちらかが図書館を出るしかない。そう判断した彼女は、右手に持っていたシャーペンの後ろでトントンと彼の肩を叩く。

 彼女の様子を窺うようにゆっくりと顔を上げる彼に、彼女は言った。


「風戸君。わたし今勉強してるから、話なら後にしてくれる? それにここ、図書館だから」


 彼の肩を叩いたシャーペンをそのまま自らの口元に持っていき、「しー」っと息を吐く。

 彼女の仕草と言葉で敬志は、今いるのが図書館であることを思い出す。上体を起こして、周りを見て、司書や生徒たちの視線が二人に集中しているのにも気づく。

 周りの人たちに、彼はペコペコと頭を下げ、彼女に対しても、迷惑をかけたことを謝罪する。


「ホントにごめんなさい。図書館の前で待ってる」


 今度は小声でそう言って、彼は彼女のいる机から離れていく。

 彼の去り際に、彼女も小声でこう返事をした。


「わたしも『自由落下』のこと、考えとくね」


 微かに聞こえた彼女の言葉に、彼は思わず振り返りそうになる。ただそこはじっと我慢して、図書館の出口へと歩みを進めた。


(考えるって……違うんだ、汐見さん。ホントは自由落下が好きとか嫌いとかが聞きたかったんじゃないんだよ……本当に聞きたかったのは――)


 彼が彼女に、どうしても聞きたかったこと。

 放課後、図書館で一人勉強している少女に声を掛けるくらい大事なことで、他の人にはあまり聞かれたくないようなことでもあった。

 図書館から廊下へと出た風戸敬志。廊下に彼以外に人影はなく、そんな中で独りでに呟いた。



「――どうして飛び降りようと思ったの?」



 その疑問は紛れもなく、図書館の中にいる汐見怜奈に向けられたものだった。



 風戸敬志は、予知夢ともいえる夢を見ることがあった。

 決まって不幸な出来事を夢に見て、夢と同じ内容のことが実際の現実世界でも起きてしまう。

 最初はペットなどの動物が不幸な目に遭う夢をよく見ていた。直接的にその状況を夢に見るわけではなく、どこか遠くへと行ってしまうような雰囲気の夢を見ていた。

 ただ、それも年を追うごとに段々と鮮明なはっきりとした場面を夢に見るようになり、その場面と同じ光景が現実でも見られた。

 そして昨日の夜、彼は見てしまった。


 俯瞰風景が広がっている建物の屋上。そこに立っている敬志の目の前にはフェンスがあり、その向こう側に汐見怜奈はいた。

 制服姿の彼女は、彼に背を向けている状態だった。

 彼の方を振り返った彼女は、何かを告げた後、後ろに倒れ込むように彼の視界から消えた。


 その夢は、汐見怜奈が高いところから飛び降りる光景だった。

 今のままでは、そんな夢の光景が現実でも起きてしまう。

 だから、それを阻止するために彼は放課後の図書館で彼女に話しかけた。

 今のところ、その試みは順調だった。直接的な表現を口にできず、自由落下が好きかどうかという意味不明な質問になってしまったことを除けば。


(今度はちゃんと聞くんだ……夢が現実にならないように……!)


 図書館から出てきた怜奈を目の前に、そう決心する敬志。


「待たせてしまってごめんなさい。キリのいいところまでやりたかったから」

「全然大丈夫! 急に押しかけちゃったのは僕の方だし、勉強の邪魔してごめん」


 入り口前の廊下で一人待っていた敬志と、図書館から出てきた怜奈が二人して頭を下げた。

 館内にいた時には掛けていた眼鏡を今の彼女はしていない。

 その姿を見た瞬間、昨夜の夢の光景が彼の頭を過った。


(夢の中の汐見さんも眼鏡かけてなかったな……)


 肩口まで伸ばした髪を風になびかせながら、彼女は飛び降りる前に敬志の方を見た。

 その時、彼女がどんな表情をしていたのか、逆光が邪魔をしてわからなかった。

 そして、夢の中の彼女は何かを口にする素振りを見せたが、その言葉も聞き取れなかった。



「聞いてる? 風戸君?」


 彼女の声で現実に引き戻された彼は、ひとまずは目の前にいる彼女と向き合うべく、予知夢のことを伝えようとする。しかし、彼女の方が先に口を開き、図書館での質問について答え始める。


「さっきの質問のことなんだけど」

「え? あれはちょっとちがくて……」

「わたし、自由落下はどちらかというと好きかもしれない」

「へ?」


 敬志からの意味不明な質問に、彼女は真摯に向き合い、考えてその答えを出したのだろう。

 だが、回答を前にした質問者は、変な声を出して戸惑っていた。


(好きなの? 自由落下が? え? 自由落下だよ? それが好きってなに?)


 頭の中に湧き上がってくる疑問符を消費し終えたところでようやく冷静になって、質問者が自分であったことを思い出す。

 そして、彼女に全く非はないので実はいらなかったと今更話すのも忍びない。

 そう考えた彼は、とりあえず感謝する。


「考えてくれたんだ。ありがとう……でも、どうして好きなの?」


 彼女が出した答えの理由。純粋にそれが気になって彼は尋ねかけた。

 彼女は目線を落としながら、淡々とした口調で答える。


「今ある何もかも捨てて、自由に落下するってそういうのもアリかなって」

「自由に飛んでみたいとかじゃなく? 落下?」

「そう。だって重力には逆らえないもの。それがたぶん、わたしの世界の限界」


 飛びたいじゃなく、落下してみたい。重力という現実に縛り付けられているという風にもとれる彼女の言葉。

 夢の顛末を聞かされたような気がした彼は、思わず声を荒げる。


「ダメだよ汐見さん! 飛び降りなんてしちゃダメだ!!」


 急に大きな声を出した彼に、彼女は目を見開いた後に眉をひそめた。


「飛び降り……わたしはただ自由落下が好きかどうかって質問に答えただけだよ? それがどうして飛び降りることになるの?」


 予知夢の内容を打ち明ける前に、彼は自らの心の内の決意を彼女に向けて言った。


「僕はただ――――汐見さんを救いたいだけなんだ」





 学校から駅へと向かう途中の小さな公園。

 小さな砂場と滑り台、ブランコがあるその公園では、砂場で小学校低学年くらいのこどもが数人遊んでいる。

 二つあるブランコの内の一つに怜奈が座り、その横に敬志は立っていた。



「誰かに不幸が訪れる夢を風戸君が見ると、それが現実になる。風戸君はわたしが飛び降りる夢を見てしまったから、それが現実にならないようにわたしにコンタクトをとった。そういう話でいい?」


 風戸敬志は、汐見怜奈に声を掛けた経緯と予知夢の内容を話した。

 話がそれであっているのか確認してきた彼女の問いかけに彼も頷いた。


「ごめん。最初から全部話してればよかったんだけど……」

「まあ、そこは置いておきましょう。風戸君の見る夢の方が今は気になる。前もって夢を見て、現実になるんだよね? 順番が逆になったりはしないの?」


 流石学年で一番優秀な彼女というべきか。突拍子もない現象であっても、彼女なりに分析しようとしていた。


「逆になったことはないね」

「普段はどんな夢を見てるの?」

「普段の夢はあんまり覚えてないかな……でも予知夢の時だけは覚えてる」


 普段の夢のことなど気にもしなかった彼は、彼女に言われて初めて気づく。


(もっと前から汐見さんに相談しとけばよかったかも)


 自分だけの知識や経験、価値観などではわからないこともあるのだ。そう敬志が感動しているうちにも彼女は思考を巡らせていた。


「その夢が現実になるっていうのは、どのくらいの再現性があるの?」

「サイ、ゲン、セイ……高いと思う。よくわかってないけど……」


 それを聞いた彼女は唐突にブランコをゆっくりと漕ぎ始める。

 行ったり来たりする彼女を目で追っていては目が回りそうになる為、彼はずっと真っ直ぐ視線を動かさない。

 数分間、彼女はそうやってブランコを漕ぎ続け、考えをまとめ終えたのかある結論を口にした。


「それってさ。“量子もつれ”なんじゃない?」

「?????」


 聞いたことのない言葉に敬志は頭を巡らせるが、全く見当もつかずに首を傾げる。

 説明してほしいと目で訴えるのが彼にできる唯一のことだった。

 助けを求められている彼女はブランコを漕ぐのをやめて、彼の方に目を向ける。


 量子もつれ。それは、複数の量子の間で、不思議な相関関係があることをいう。


「ある事象を観測するだけで別の事象の結果が決定されてしまう。つまり、風戸君がわたしが飛び降りる光景を夢に見てしまった時点で、わたしの飛び降りが確定してしまったってことだよ」

「それって夢を見た時点で、汐見さんは助けられないってこと……?」

「そう。再現性が高いなら、風戸君が一番わかってて、もうわかりきってることじゃないの?」


 彼女が飛び降りる夢を見た時点で、その結果を変えることは叶わない。そう彼女は結論付けた。

 それを一番わかっているのは敬志自身で、彼女も事実を口にしただけだった。

 遊んでいる子供たちの声だけが二人の間に響く。

 無邪気なその声に口元を緩める彼女に、夢の光景とその姿が重なる。


「汐見さんは飛び降りるつもり……?」


 彼女自身の気持ちを知りたくて、彼は尋ねかけた。

 考えるように少し間をおいてから彼女は応える。


「風戸君がわたしにこの話をする前だったら、否定してた。でも今は、飛び降りるんじゃないかって気がしてる」


 ブランコから立ち上がった彼女は、彼との距離を詰める。彼の右手首を急に掴み、自らの首元へと持って行く。

 そして、汐見怜奈は彼の右手で首を絞めるように両手で包み込んだ。


「ただ平凡な毎日を過ごしていたら、突然あなたという死神が現れて、わたしの首元に鎌を突きつけてる」


 彼女を助けたい一心での行動が裏目となって、彼女を死へと誘っているかもしれない。

 彼はその可能性に言葉を失うのと同時に自分の軽率な行動を後悔する。

 動揺している彼を前に、彼の手を両手で握り首元に持ってきたままの状態の彼女。

 首元から離れて彼の右手を胸の辺りまで下ろし、ぎゅっと握りしめた。


「わたしが飛び降りるっていう未来を変えたくて、風戸君はわたしに話しかけたんだよね。だったら、わたしも協力してあげる」

「でも、変えられないって……」


 量子もつれ。そう言って、彼の夢を変えようのない未来だと説明してみせたのは彼女自身だ。


「量子もつれは単なる仮定の話だから気にしないで。変えられる前提で話していきましょう? あと協力するついでに一つだけお願いがあるんだけどいいかな?」


 ずっと彼の手を握りしめたまま、彼女は話をしている。

 そんなブランコにいる高校生二人のことを、砂場で遊んでいた小学生たちがじっと見つめていた。


「わたしが飛び降りなかったら、わたしの願いを叶えてくれない?」


 小学生たちと目の前の汐見怜奈にキラキラとした目を向けられながら、敬志は生唾を飲む。


「……どんなお願い?」


 一体どんなお願いをされるのか、男子高校生が色々な想像をして顔を赤らめる。

 彼女は彼に顔を近づけて、満面の笑みを浮かべながら自らの願いを言った。


「何かが終わる不幸な夢なら、なんだっていいって捉え方もできるよね? 夢を見ればそうなっちゃう量子もつれの夢ならさ、風戸君――――」





「――――世界が終わる夢を見てくれない?」


 世界の終わりを望む女子高生。

 風戸敬志は気づくべきだった。

 汐見怜奈は救うべき級友ではなく、殺すべき悪役なのだ、と。


「わたしと世界。風戸君はどっちを救ってくれるのかな?」

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