16話 風邪
目覚ましが鳴り、それを手で叩いて止める。そして「うー」っと唸りながら、目をこすって、ベッドの上に座り込む。ゾクリと背筋が寒い。パジャマの袖をあげると、鳥肌が立っている。
霞んでいた視界が段々とハッキリしてくるけど、なんだか揺れているような気がする。額に手の平をあてると熱い。
「やばいーかも」
ベッドから立ち上がってみると、クルクルと眩暈がして足がよろける。昨日の夜、天音とLINE通話をしていた時は何もなかったのに。明らかに体が変だ。
ダイニングのテーブルまで、よろよろと歩いていくが、それが限界で椅子に座った。とにかくお茶でも飲んで気持ちを落ち着つけよう。
椅子から立ち上がり、冷蔵庫のドアを開けてペットボトルのお茶を取り、フタを開けて一気に喉へ流し込む。コップを用意している余裕がない。
「学校に連絡しなくちゃ……」
ダイニングのテーブルの上にはスマホはない。よろよろと歩いて私室へ戻る。机の上にもスマホが見当たらない。ベッドを見ても見つからない。体がとても寒くて、だるくて限界だ。
ベッドに倒れ込んで、布団の中に包まる。とても寒くて歯の根が合わない。ガチガチと音を鳴らしてしまいそうになる。これは完全に風邪だな。熱もある……
「学校には後で連絡すればいいや」
寒気から逃げるように意識がプツリと途切れた。
◇◇◇
どれぐらい眠ったのかわからない。今が現実なのか、夢なのかもわからない。
スマホから何回も通知音が鳴ったのはわかるけど、スマホがどこにあるかもわからない。これってどうなってしまうんだろう。
◇◇◇
「新くん、いるかな?」
玄関のドアがガチャリと開いて、誰かが入ってきたような気がする。声をかけられたような気がする。でも意識がまどろんでいて、ハッキリとわからない。
「新くん、新くん、しっかりして」
僕の額に誰かの手の平がのせられた。目を開けて、そちらの方へ顔を向けたいけどうまくいかない。歯の根が合わずにガチガチと聞こえる。
「熱い、すっごい熱。新くん、体温計はどこ? 体温計で熱を測らないと」
体温計はタンスの一番上の引き出しの中にあるけど、口が思うように動かない。
「とにかく薬、薬」
誰かが焦りながら、部屋の引き出しを開けていく音がガタガタとする。そして「お薬と体温計あった」という声が聞こえ、僕の口の中に体温計が入ってきた。そしてしばらくすると体温計が取り出される。
「三十九度七分! 高熱だわ!」
ドタバタと足音が遠ざかり、ダイニングで何かしている音が聞こえる。そして足音が戻ってきた。
「新くん、お薬とお水持ってきたよ。とにかく飲んで」
ベッドの中でグッタリしていると誰かが「おもーい」と言いながら強引に僕を座らせる。そして口の中に薬を放り込まれ、水が入って来る。冷たい水が喉に流れ込んできた。
「スウェットが汗でグッショリだわ。あーん、どうしよう……」
僕を支えていた手が放されて、誰かが部屋中のタンスを急いで開ける。「スウェットはあったけど、バスタオルは?」という声が聞こえて、バタバタと足音が遠のく。そして足音が部屋に戻ってきて、座っている僕のスウェットの上着が引き上げられた。マズイ、マズイという思いが沸き起こってきて、目を開けると、必死になって僕の上着を脱がそうとする和さんと目が合った。
「違うの。違うの。私はただ新くんが汗をいっぱいかいてるから、着替えさせようと思って」
慌ててスウェットから手を離した和さんは顔を真っ赤にしている。
和さんが看病をしてくれようとしたことがわかるから、ありがとうと思う。さすがにスウェットを脱がされるのは恥ずかしい。
「自分で着替えるよ」
「それじゃあ、バスタオルで体を拭いてね。スウェットの着替えがあったから」
ベッドの布団の上にポンとスウェットの上下とバスタオルが置かれ、「私、キッチンにいるわね」と言って、和さんは慌てている様に部屋を出て、ドアを閉めた。
着ていたスウェットを脱いで、バスタオルで体を拭く。その間も寒気が取れない。素早く着替えのスウェットを着て、ベッドの布団に潜りこむ。
しばらくするとドアがそーっと開いて和さんが顔を覗かせた。そしてベッドの横に姿勢よく座った。僕はさっきから気になる疑問を和さんに問う。
「どうして和さんがここにいるの?」
「それはね、学校で天音ちゃんが大騒ぎしてたから。LINEを送っても既読がつかないって。連絡しても応答がないって。渉くん達に聞いても、誰も新くんが何してるのかわからないって」
あ……朝からスマホが見つかってない。意識がもうろうとしていたから探してなかった。天音には悪いことをしたな。
「それでね、家に帰って、新くんの様子を見てほしいってお婆ちゃんに頼んだの。お婆ちゃんは腰が痛いから、自分で見に行けって鍵を渡してくれたのね。それで様子を見に来たら、新くんが高熱を出してたのよ」
なるほど、大家のおばあちゃんは和さんの祖母だもんね。
「新くん、ベッドでずっと寝ていたようだけど、何か食べ物は口に入れたかな? 少しでも食べておいたほうがいいわよ」
「朝から何も食べてない。今は何も食べたくない。このままベッドで寝ておくよ」
「そんなの絶対にダメよ。私が何か作るから、少しでも食べてね」
和さんが立ち上がり、ダイニングへ向かった。そして冷蔵庫のドアを開けて、中を覗き込んでいる。何か食料の買い置きなんてあったかな?
「冷蔵庫の中、何もないよ。私、家に戻って食料を持ってくるわ」
そう言い残して和さんは玄関のドアを開けて飛び出していった。和さんがいなくなって、緊張が取れると、クラクラと眩暈が止まらず、ベッドに倒れて、僕は意識を手放した。