第4話 『死の恐怖』
「フェイ! この感じ……オークじゃない……!」
「そんな……!」
「くっ! イリオス!」
魔力消費の多い陽魔法を使って照らしたその下にあったのは……
人間の死体と人間の腐った死体、人間の白骨化した死体。
それらで埋め尽くされた床に立ち、僕らを待ち構えていた魔物……
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【名持ち】ブラッディ=ラージェスト=コボルト
レベル不明
種族:コボルト
体力:16574
魔力:502
攻撃力:不明
防御力:不明
魔攻力:不明
魔防力:不明
素早さ:不明
知力:不明
アビリティ:不明
称号:不明
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「ヴォア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
「名持ち!」
(フェイは魔力を大幅に使っていて、助かったとしても、まともに動けやしないだろう。さらにこの逃げられない状況で、こんな強敵を相手しなきゃいけないなんて……)
「フェイ! もうすぐ地面だ!」
「わ……かり……ました! アエラス!」
「エスアエラス!」
最後に打ったその風魔法のおかげで、かなり落下速度が低下し、無事何とか地面に着陸することはできた……が、しかし……
「ヴォア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア"ア゛!」
「フェイ……こいつ、どうする」
「戦うしか……ないでしょう!」
とっさに剣を構えたフェイは魔力がほぼ尽きかけており、立っているその姿勢も、どこかふらついていた。
「無理をするなフェイ! 今のお前じゃまともに戦えない!」
「では……どうすれば!」
この状況でこいつを倒すことはまず無理だろう。
かといって、この深い穴から逃げられるとも思えない。
正直言って、詰んでいる。
長期戦に持ち込み、何時間、何日間とかけて、こいつの体力を地道に減らしていくしかない。
「フェイ! お前は僕よりスピードが早い。だから、僕がフェイを支援して、フェイは相手の攻撃を確実に避けながら、少しずつでいいから攻撃を与えるんだ!」
「わかり……ました!」
「ヴォア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
相手も僕らの戦意を悟ったかのように、叫び声をあげる。
明らかに格上の相手に、フェイが1撃でどれだけのダメージを与えられるか、そこにかかっている。
(相手はどう仕掛けてくるんだ……)
そう思った瞬間──
──先程まで視界にいたフェイが消えた。
そしてそのコンマ何秒後に右側で聞こえた、堅い壁の崩壊音。
目の前の怪物は素振りをし終わった後かのように、持っていた棍棒を肩にかけて立ち尽くしていた。
一瞬のうちに行われたこの3つの事実が指し示すことは、見るまでもなくわかった。
「──フェ……イ?」
「……」
壁に大きな凹みが作られて、その下には多量の血を流すフェイの姿があった。
僕の問いかけにも反応できないその姿を見て、脳が思考するのをやめてしまいそうだった。
でも、僅かに残っていた生存本能が、僕の脳に呼びかけた。
──このままだと、また、死ぬ。
近くの標的を仕留めたその怪物は、次はお前だと言わんばかりにこちらを見る。
「──来る!」
なんとか攻撃を受けまいと背中の大剣を両手に持ち、防御体制を取る。
でも、仮に防御できたとしても、その結果は薄々わかっていた。
「あ……れ……?」
気づいた時には、フェイの隣に転がっていた。
自分が元々いたと思われる場所には、勢いよく変形している大剣らしき物と、誰かのちぎれた手首がある。
「棍棒のくせに……威力……高すぎだろ……ゴブリンが持ってる武器だぞ……? それ……」
2体の獲物を狩り終えた後のその怪物は、表情は変わっていないものの、次の獲物を待つかのようにその場に座り込んだ。
「おい……もう終わりなのかよ……」
様々な意味を込めたその言葉は、当然その怪物に届くはずもない。
「『勇者』の称号……貰っときながら、こんな早くに……こんな無様に死ぬなんて……」
自分でもわからない感情が内から込み上げてくる。
フェイはもう息絶えてしまっているのだろうか。
僕は何故かまだ体力が残っている。
どうせ、手首からの出血で死ぬのは目に見えてはいるが、どうせなら最後まで、フェイのためにも最後まで戦ってやらなければならない、そう感じた。
「フィオガ……!」
突然の魔法に驚いたのか、その怪物も避けるのではなく防御した。
「残り16560……14ダメージか…絶望こそするけど……思ったよりも効いてくれるんだな……」
不意打ちに機嫌を悪くした様子の怪物は、目を鋭くしてこちらを睨む。
「はは……好きにしろよ……どうせ死ぬんだから……」
怪物が棍棒を高く上げ、振り落とそうとしたその瞬間──
先程まで右にいたフェイが消えた。
それと同時に、僅かにだが、怪物の足首から血飛沫が見えた。
この2つの事実が指し示すことは……
「フェイ……生きてた……なら……言ってくれよ……エスアエラス!」
怪物の棍棒の攻撃を風魔法で弾き、力を振り絞ってとっさに回避する。
「お兄……様……」
「フェイ……立てるのか?」
片目の潰れたフェイは、どう見ても満身創痍ではあったが、その姿勢からは、先程とは違うオーラを感じた。
それを見ると、自然と僕も戦えてくるような気がしてくる。
これが火事場の馬鹿力というやつだろうか。
「1回死んでるからさ……死ぬことがどれだけ怖いかわかるんだよ……」
フェイにはギリギリ聞こえないぐらいの独り言を言って、戦意をみなぎらせる。
「フェイ! こいつの攻撃は早い! 避けられればそれだけで十分だ! 僕がこいつの気を引くから、フェイはその隙を頼む!」
「わかりました!」
「ヴォア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
まだ動ける僕らを見て、怪物は喜んでいるように見えた。
「お前は強いから、呑気に戦えていいよなぁ……僕はお前に手首1本持ってかれて、生きるか死ぬかがかかってるってのにさぁ……!」
怪物はまだ攻撃の体制に入ってはいないが、1度あの攻撃を受けた僕にならわかる。
もうすぐ攻撃が来る。
「もう2度と吹き飛ばされるのはごめんだ! エスアエラス!」
「ヴォア゛ア゛ッ!」
どうやら読みは当たったようで、しっかりと相手の攻撃を弾いた。
「フェイ! 今だ!」
「はああ!」
フェイの素早い斬撃が怪物の首筋に見事に傷を作る。
「ダメージは60……適正Fの僕の魔法よりかはよっぽど入る……!」
だが斬撃を加え終わったその瞬間、フェイが体制を崩した。
無理もない、元々は全身骨折をしてもおかしくないほどの衝撃で堅い壁に叩きつけられた身体だったのだから。
それでも怪物は容赦なく、その隙を見つけると、即座にフェイを鷲掴みした。
「フェイ!」
僕自身も、フェイが捕まったことに動揺してしまい、敵の攻撃に気を抜いてしまった。
気づいた時には、大きな一撃が、僕の頭上から振り落とされていた。
「──ッ!」
今僕はどうなってしまったのだろう。
痛い、身体全身がとにかく痛い。
あの日死んだ時なんかよりも、格段に痛い。
不幸中の幸いなのかはわからないが、視覚だけはまだぼんやりと作動する。
そこに映っていたのは、怪物と、その手の中で必死に抵抗するフェイの姿。
フェイはこちらを見ているように見える。
口元も何か動いているような……
「──様! お──!」
フェイのことだし、言っていることは何となくわかる。
フェイは優しい子だ。
本来なら自分の身を案じなければならない状況下でも、ほぼ確実に死んでいる人間を絶対に放っておかない。
僕は赤の他人だって言うのに……
……違う。
……赤の他人なんかじゃなかった。
彼女にとっては、僕はルーシュ・ラナタイト、彼女の兄なんだ。
重要なことを忘れていた。
僕自身は、この世界のルーシュ・ラナタイトの命を奪って、その身体に勝手に宿っただけの人間。
この世界に転生したその時に、僕は人の命を奪っていたようなものだったんだ。
それなのに今、僕は何をしている?
そのルーシュ・ラナタイトの身体をボロボロにして、挙句の果てにその妹まで巻き込もうとしている。
今更になって自分の行いを後悔する。
僕があのダースとか言うやつの目に止まるような掲示をしなければ。
ルーシュ・ラナタイトがそのまま生きていれば。
……僕がこの世界に転生しなければ。
今頃、本来のこの2人は、こんなことにはなっていなかったはずなのに……!
──絶対に倒す……
「ヴォア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
──絶対に……フェイを……フェイを助ける!
「お兄様!」
「僕……には……フェイを……助けなきゃ……ならない……理由があるんだ……! そう……簡単に……殺させやしない!」
怪物への憎悪と、フェイを助けなきゃならない正義感に駆られて、立ち上がる。
どうやってその怪物を倒せるかだなんてわからない。
でも、絶対に、絶対に倒さなきゃならない。
「消えろォッ! 怪物!」
この世界では1番威力が高いとされている、月属性魔法を放とうとしたその瞬間──
──意識が一瞬の間に薄まった。
せっかく持ち上げた身体を、またそこに寝せてしまう。
(この感覚は……魔力……切れ?)
そういえば、気づいていなかった。
これまでに、かなりの魔力を消費している
「嘘……だろ……」
相変わらず残っていた視覚で、怪物を見る。
──怪物の手はフェイを軽く投げ飛ばしていた。
でもそれは、ダメージを与えるためのものには見えず、まるで、警察に銃を向けられた犯罪者のように、持ち物を手から放り出すかのような……
いわゆる、恐怖を感じているかのような……
「……え?」
フェイは投げ飛ばされた衝撃で意識を失っているが、恐らく死んではいない。
そのことがわかれば、気にしなければならないのは怪物の方だった。
──怪物はとにかく怯えている。
動けない2人相手に怯える必要がどこにあるのかわからない。
でも、何があってもほとんど変わらなかったその怪物の表情は、確かに恐怖で満ちている。
その後も、怪物を見続けていると、とある異変に気づく。
「怪物の……影……?」
その時、僕の意識はなくなった。
直前に見た光景は、ただ怪物が怯えて、その下にに写っていた影……それが、少し大きくなっていたことだけ……