転生者カオリ②
「平和だと思っていたある日、世界中で突然【噂】が広まり出しました」
「噂?」
「魔女が世界を滅ぼそうとしている……と」
「魔女……」
その言葉に、ルルルンは思わず目を細める。
“魔女”──聞き慣れすぎた単語だ。だがそれは、今のカオリという存在にまつわる、決して避けられない存在でもあった。
「最初は、誰も信じていませんでした。私も……自分には関係ないと思っていたんです」
「魔法のことは、隠してたのか?」
「暮らしていく中で、使えるって自覚はありました。でも……怖かった。頼るのも、使うのも」
「……なんかごめん」
「なんで謝るんですか?」
「いや、俺はけっこう使っちゃってるなぁって思って」
「私もバレないようには使ってましたよ」
「だよな、つい使っちゃうよな」
「でも、この世界には存在しないものだから、この世界で生きるなら、ルールに従おうと思って」
「あいかわらず真面目だなぁお前は」
「師匠が不真面目すぎなんですよ!」
互いの表情に、ようやく少しだけ笑みが戻る。
その空気に救われるように、カオリは語り続けた。
「でも、噂はどんどん広がっていきました。見たこともない力で人が殺されたり、操られたり、記憶を消されたり……本当かどうかも分からない不確かな情報が、人々の不安を煽って、魔女という存在に怯えるようになっていったんです」
「実害はあったのか?」
「いいえ。噂はあくまで噂です。でも、そんな世間の空気に振り回されるように、騎士団は動いていました。レイダス団長も毎日忙しそうで……私も、なにか手伝えないかって、そう思ってました」
「その噂は嘘だったってこと?」
「いえ」
カオリは意を決した表情をすると本題を語り出した。
「10年前の【あの日】魔女は、突然姿を現したんです」
10年前、ライネスが語った話と同じ。
「現れた炎を使う魔女により、騎士団は……なすすべもなく、壊滅しました」
ライネスから聞かされていた話だが、詳細までは知らない炎を使う魔女の話。
ルルルンは息をのみ、カオリの話に耳を傾ける。
「その現場に私もいましたので」
「え?」
あまりにも唐突に出てきた言葉だった。
その一言は、ルルルンの中でぼんやりとしていた、悲劇の輪郭をハッキリとさせるには十分であった。
「17歳の私はレイダスの勧めもあって、騎士団に入団していたんです」
「じゃあ……」
「初めての出撃だったのを覚えています、レイダスと一緒に戦える事が嬉しくて、手伝える事が嬉しくて……その先に魔女が現れるなんて知らず、はしゃいでいたんです……私」
その顔に浮かぶのは、悔しさと悲しみ。
一呼吸おいて、カオリは続ける。
「魔女に会った事があるんだな」
「はい……赤い瞳の美しい女でした、笑ってる顔がやけに印象的で、はっきりと覚えています」
「炎を使うって事は、その魔女が、いわゆる『南の魔女』って認識で合ってるんだよな?」
「そうです、今はそう呼ばれています」
南の魔女、炎を操るライネスの仇でもある魔女。
「魔法に対して耐性の無い騎士団は、皆、炎の魔法で焼かれて、次々と死んでいきました、私の目の前で、良くしてくれていた仲間が、みんな死んで。私だけが耐熱魔法を使って、死なず……生き残りました」
「そうか……」
「私が躊躇せず魔法を使えば、みんな助かったかもしれないのに」
「それは」
「判断が遅れて、あんなことに」
「……」
「炎に襲われながらレイダスが私に言ったんです「お前だけは生きろ!」って」
今でも鮮明に思い出すその光景、カオリの心に深く刻まれたトラウマ。
「言葉が出なくて、何か言いたくて、何か伝えたくて、何かしたかったのに、焼かれていくレイダスに私はなにも……なにも……」
沈黙が二人を包む。
「レイダスも、あの時、助けられたら、私なんかよりずっと立派な騎士団の団長を続けられていたのに……」
それは、10年間、胸の奥で眠らせていた後悔だった。
「私が、あの時、師匠みたいにしっかり判断して、みんなを助けて、魔女を倒していれば!こんな……こんなことには」
【あの時、ああしておけば】
その言葉に、ルルルンは静かにうなずいた。
その気持ちは、痛いほど分かる。
会社を立ち上げたとき、数々の失敗や妨害を経験してきたルルルン自身も、何度も 【あの時、ああしておけば】に囚われた。あの時、ああしておけば
──でも。
「その場に俺がいたとしても、カオリと同じ判断をしたよ、だからそのタラレバは間違いじゃないと俺は思うぞ」
「……そうかもしれないけど」
「カオリはそんなタラレバの気持ちから、聖帝騎士団を作った」
「……はい」
「おれはそういう”後ろ向き”から湧いてくる感情で動く事、嫌いじゃないよ」
「私は師匠みたいに”前向き”モンスターじゃないです」
「前向きモンスターって……俺だってへこむこと結構あったんだけど」
「知ってます」
「だろ?『逆境をどうすれば逆転できるか?』『世界をどうすれば守ることができるのか?』って必死に考えて作ったんだろ?聖帝騎士団」
「はい」
「俺が会社を作った時とよく似てるよ」
「MHGを?」
逆境の中で立ち上げた企業、MHG。
その原動力は、世界をよくしたいというただ一つの想いだった。
カオリの動機は、あのときのルルルンとよく似ていた。
「カオリはすごいよ」
カオリはうつむいたまま、ルルルンの言葉を噛みしめる。
「団長のレイダスはいい人だったんだろ?」
「はい」
「だったら、レイダスの意思を継いで“聖帝騎士団”を作って、世界を守ってるカオリは……もう、十分すぎるくらい、恩返しをしてると思うよ」
「……師匠」
レイダスの人となりは知らない。
でも、カオリがここまで慕っているなら、どんな人間かは想像がつく。
今のカオリを見たら、きっと……レイダスも誇らしく思うだろう。
「魔法の事を隠して、ずっと一人で、後悔を抱えながら頑張ってたんだな」
「私は頑張ってなんて……」
「いいんだって」
「なにが……ですか?」
「無理して“聖帝”なんて背負わなくていい。」
「でも」
「今は、“ミズノカオリ”でいいんだよ。俺が、いる。お前はもう……一人じゃない」
その言葉が、ずっと消えなかった“心のモヤ”を、優しく溶かしていく。
気がつけば、カオリの目から、ぽろぽろと涙があふれ出していた。
止まらないその涙は、今までのカオリの想いそのものだった。
「しんどかったぁ、私、しんどかったぁ」
「がんばった、がんばった、偉いぞカオリ」
「ししょおおおおおおおおおおお」
泣きじゃくるカオリの頭を、ルルルンは静かに撫でる。
まるで、子どもを慰めるように。
傍から見れば、美少女がみっともなく大泣きする男の頭をよしよししている、少し妙な光景だ。
だけど、そんなことはどうでもよかった。
ルルルンは、現実世界でこうしてカオリを慰めていた日のことを思い出していた。
変わらない関係性──そして、変わらない想い。
懐かしさと安堵が、静かに二人の心を満たしていく。