前編
私は幼馴染の彼のことが、子どもの頃からずっと好きだった。
特別かっこいいわけでもなく、特別優しいわけでもなく、いたって普通の男の子。
そんな彼のことがとっても好きだった。
だから彼を好きになったきっかけは……って聞かれたらちょっと困る。
好きが当たり前すぎたからだ。
彼は小学校に上がるとギターをはじめた。
私は彼と遊べる時間が減って、ちょっと嫌だなって思っていた。
でもある日、彼が覚えたてのギターを自慢気に聴かせてくれた。
お世辞にも上手いとは言えなくて、間違えてばっかりだったけど、彼の心のこもった演奏は私の心にガツンと響いた。
私が彼の最初の推し1号だ。
その後、彼はメキメキと上達した。
彼は上達するたび私にギターを聴かせてくれた。
私はそれが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
でも、子どもながらに気付いていた。
彼は違う……彼のギターの腕前は、周りの大人さえも凌駕していたからだ。
——そして彼は次第にその才能を開花することになる。
数々のコンクールで結果を残す彼を、世間はもてはやした。
彼のお父さんが世界的に有名なギタリストだったことも、それに拍車をかけることになった。
そして腹立たしいことに……彼は学校でもモテまくった!
いつもクラスの中心には彼がいて、女子たちは彼の話題でモチキリだった。
誇らしい気持ち、さみしい気持ち……そして嫉妬。
彼を好きなことで、子どもの私には処理しきれないほど、たくさんの感情が入り込んできた。
でも、やっぱり一番は……さみしいだったかも知れない。
彼はやがて舞台を世界に移す。
世界に出ても彼の勢いはとどまる事を知らなかった。
天才って本当にいるんだ……。
この頃には、なんだか遠い世界の人のように感じていた。
それでも私は変わらず彼のことが好きだった。
——そして私たちは中学生になった。
私と彼は同じクラスだった。
でも彼は海外遠征で忙しく、入学式も欠席していた。
私の親友である彼の妹の話によると、彼は9月から海外に留学し、本格的にプロギタリストとしてのキャリアをスタートさせるそうだ。
これはつまり……。
別れの時が近付いていることを意味していた。
悲しい気持ちでいっぱいになった。
でも、このままサヨナラなんて嫌だ。
彼が帰ってきたら、ずっと好きだった気持ちを伝えよう。
そう心に決めた。
——新緑の風が吹く頃になり彼は帰国した。
でも、帰国した彼はまるで別人だった。
なんでもコンクールで大失態を犯し、その日以来彼は、ギターを手に取らなくなったらしい。
あれほど彼をもてはやしていた世間も、周りの人たちも、彼の元を去っていった。
皆んな身勝手だ。
無性に腹が立った。
まるでギターを弾かない彼に価値がないと言わんばかりだ。
彼は学校にも来なかった。
9月から留学するのかも知れないけど、それまではクラスメイトだし、幼馴染だし、こんな時に彼の力になれなくてどうする。
私はもっともらしい理由をつけてもう1人の幼馴染、ユッキーこと幸村信之に協力を仰いだ。そんな私をユッキーはジト目で見て笑っていた。
それから私とユッキーは何かと理由をつけて昼夜問わず彼を訪ねた。幸い私たちは彼の家族とも面識があったので、いつも彼の部屋にまでは案内してもらえた。でも彼はふさぎこんだままで部屋から出ようとはしなかった。
——そして今朝もいつものように彼を訪ねた。
「鳴、いつまでそうしてるの?」
「愛夏か……ごめんね……まだ調子がでないんだ」
申し遅れました。
私の名前は和田愛夏そして彼の名前は音無鳴。
まあ、腐っても幼馴染なので、下の名前で呼び合うぐらいの仲ではあります。
私たちが部屋を訪ねると鳴は何をするでもなく、ただベッドに座っていた。
丸めた背に朝陽を浴びるその姿は……なんか……お年寄りが日向ぼっこしているみたいだ。
「なあ鳴、学校ぐらい行っとこうぜ」
「ユッキー……うん……そうしたいとは思ってるんだけどね」
「なら、行こうぜ今から用意しろよ」
「でも……」
「俺と愛夏がいるから、なんかあったら俺たちを頼ればいいだろ? それに無理なら帰ればいいし」
「うん……ありがとうユッキー」
ここまでは、いつもの会話の流れだ。そして鳴はいつもこの後しばらく考え込む。
「でも、僕……怖いんだ……」
これだ……毎日これの繰り返しだ。
あれだけもてはやされていたのに、たった1度の失態で全てを失ったのだ。
鳴が臆病になるのは分かる。
でも、それでは前に進めない。
……私は強硬策に出た。
「ねえ鳴、いつまで、そうやっていじけてるつもり? それが格好良いとか思ってるわけ?」
声を荒げて言ってやった。鳴どころかユッキーまで目を丸くして驚いている。我ながら迫真の演技だ。
でも、鳴に反応はない……次のステップだ。
「もういい、鳴には金輪際もう関わらない。絶交だからね」
私は部屋から出ていくフリをした。
もうちろん鳴がひき止める事を期待していたのだが……何の反応もなかった。
「止めなさいよ! なんでほっとくわけ? 信じられない!」
さすがにこれは本気で泣きそうになった。
「ごめん愛夏……行かないで」
え……。
鳴の心が動いた?
私は嬉しくて鳴の胸に飛び込んで号泣した。
鳴も涙を流して私を抱きしめてくれた。
ずっと……ずっと好きだった鳴に抱きしめられて……。
私は幸せを感じていた。
鳴が大変な時だとは分かっているけど、幸せを感じずにはいられなかった。