戦うために作られた人形少女、数百年ぶりに目覚める
鬱蒼とした森の奥地に、古びた小屋がある。
すでに森と一体化してしまっていると言っても過言ではない場所。
その地下室で、少女は目を覚ました。
「……状況、確認」
少女は周囲を見渡して、情報を収集する。
地下の研究室が植物によって侵食されているが、どうやら自分のいた場所だけは無事だったようだ。
「識別、個体名称――ナイン。所有者は、《賢者》アルクリエ・ヴェントル」
少女――ナインはその場で、自分が何者であるかを確認し、理解する。
個体名はナイン。賢者アルクリエによって作り出された、《魔導人形》だ。
だが、そこに所有者であるアルクリエの姿は見当たらない。……それどころか、すでにナインの眠っていた場所は破棄されているように見えた。
ナインは戦闘に特化した《魔導人形》であり、必要があればアルクリエに呼び出されることになっている。
――また、必要になった時、君を呼ぶよ。
そう、アルクリエが言っていたことは、ナインも覚えている。
「状況確認……確認――さて、どういう状況でしょうか」
ナインは言語レベルを『人間』に合わせた。
それらしく振舞うことは、魔導人形として当然のように求められること。
言語レベルと思考レベルを人間にすることで、ナインは人らしく悩むことにした。
すでに、目に見えた事実を否定するかのように。
「私は……廃棄されてしまったということでしょうか?」
誰もその問いに、答えてはくれない。
ナインが最初に出した答えは――不要となったが故に廃棄された、ということであった。
だが、それならば戦闘特化であるナインを壊さずに残しているとも思えない。
アルクリエという人物はナインにも優しく接してくれたが、『兵器』である彼女をそのまま残しておくような人物ではない。
優しさと、兵器を残しておくことではまるで意味合いが異なる――故に、廃棄されたのであれば、ナインが目覚めることはあり得ないはずであった。
「では、アルクリエ様に何か……」
次に考えられることは、アルクリエ自身に何か起こったということ。
ナインを呼び出せる状況にあらず、絶命してしまったと考えれば――それも十分にあり得る。
しかし、ナイン以外にも魔導人形は存在する。
どれか一体でも残っていれば、ナインに対し何らかのアクションを起こすだろう。
そう考えると、益々現状は理解できなかった。
……ナインだけが、取り残されてしまった状況に。
「……考えても、仕方ないですね」
ナインはそう呟くと、ゆっくりと立ち上がる。
現状はアルクリエの自宅の地下。この地下室は、ナインの記憶では綺麗に整備されていた。
その地下室がここまで植物に侵食されていると考えると、相当な年月が経過していると思われる。
周囲には服もなく、少女らしい華奢な身体つきのナインは、素肌を外気に晒したままであった。
恥ずかしいという感情を持ち合わせないナインは、そのままの姿で行動を開始する。
どのみち、周囲に誰かいるわけでもないので、そんな感情があったとしても気にするようなことはないのだが。
「何か痕跡があればよいのですが」
ナインの瞳が変化する。キリキリと音を立てながら、瞳のレンズは『探索』モードへと移行する。魔導人形に基本的に備わった技能の一つだ。
魔力の流れを直接視認したり、色で物体を区別したりすることで、より分かりやすく探索することができる。
だが、やはり風化が激しいようだ。
今の状況を確認できるようなものは地下室にも、小屋の中にも残されていなかった。
ナインは小屋の外に出て、森の方に足を踏み入れる。
『体温』を感知できるように、瞳のレンズのモードを切り替えた。
木々に隠れ、数体の魔物が潜んでいるのが見える。
およそ、数百メートル先までなら、ナインは深い森の中でも『生物』を視認することができた。
そうして周囲を見渡していると、
「……あれは」
ナインの視界に入ったのは、走って逃げる『人型』。
その後ろに見えるのは、数メートルはある森の木々よりもずうっと大きな身体を持つ生物――《魔物》だ。
大木等ものともせずに、魔物は真っすぐ直進している。
人間の足では逃げきることは難しいだろう。
だが、人間の方もまた、走りながらも動きにフェイントを加え、ギリギリのところで魔物から逃げていた。
「人間は、女性。魔物は……《グレイト・ボア》ですか」
ナインは視認した情報から、さらに解析を進めていた。
人間の方は女性で、しかもまだ十五、六歳程度の少女。
対する魔物は、グレイト・ボアという猪型の魔物だ。
個体としては非常に大きくなるものもいるというが、ナインの認識の中では今までで最大級。あれほどのサイズになると、普通の人間では対処できるレベルにはないだろう。
どうしてそんな相手に一人の少女が追われているのか……ナインには分からない。
だが、これは絶好の好機であった。
「現状を知るにはよいかもしれません」
ナインは人助けのために動くようなことはしない。
そのように作られたわけではないのだから、当然だ。
だが、今のナインにとって視界に映る少女は、すぐに情報を得られる存在。助ける価値が、ナインにはあった。
「稼働状態を確認、戦闘モードに移行します」
ナインはすぐに、身体の中の《魔力核》から全身に魔力を流し込む。
魔導人形は、魔力によって身体を動かしている。
魔力核と呼ばれる場所が、人間でいう『心臓』に当たる部分であり、普段はそこに魔力をため込んで、戦闘となれば解放する。
ナインは全身に魔力を巡らせて、駆け出した。
木々の合間を縫うように駆け、ナインは目にもとまらぬ速さで少女と魔物の下へと近づく。
少女はすでに、限界のようだった。
グレイト・ボアの突進をギリギリのところで回避していたが、バランスを崩した少女がその場に倒れる。
背後からグレイト・ボアが迫る。
「……っ!」
少女は恐怖に目を瞑る。あれほどの巨体に轢かれれば――どうあっても助かることはないだろう。
だが、少女にその巨体がぶつかることはなかった。
「ブルルルルッ!?」
グレイト・ボアの驚くような声が響き渡る。
――ナインが、十数メートルはあろうかと言う巨体のグレイト・ボアの身体を、片腕で止めたのだ。
地面に両足がめり込み、数メートルほど押し込まれた痕はあるが、特に問題はない。
(突進によるダメージはなし。どうやら、私の機能には問題はないようです)
ナインは自身の機能テストも兼ねて、あえてグレイト・ボアの突進を受けるようにした。
結果は良好――これほどの巨体の突進であっても、ナインは片腕で受け止めることができる。
それが分かれば、もう目の前の魔物には用はない。
「対象の殲滅を開始します」
ナインはそう言い放ち、グレイト・ボアを受け止めた手に魔力を集約させる。
集められた魔力は、ナインの手のひらを『砲台』として、一つの魔法を発動する。
「――《ナイン・サーマル・バッテリー》」
集約した魔力は『熱』へと変化し、一気に前方へと放たれる。
グレイト・ボアの巨体を吹き飛ばすどころか、ナインの放った『熱』によって、一気に身体が消し炭になる。
前方の木々も全て飲み込み、森がその部分だけ欠けた。
「戦闘、終了」
たった一撃で、巨体の魔物はこの世から消滅する。
これが、戦闘に特化したナインの実力であった。
賢者と呼ばれた人が、『戦いのため』に作り出した兵器――それが魔導人形、ナインである。
「……さて」
くるりとナインは反転する。
背後では、驚きに目を見開いた少女が、ナインを見つめていた。
「怪我はあるようですが、無事なようですね」
「え、ええ。その助かった……のだけれど。あなたは一体……? グレイト・ボアを一撃で吹き飛ばすなんて。あんな魔法、見たことがないわ」
見たことがない――という表現は、確かに間違ってはいないのかもしれない。
ナインレベルの火力を発揮できる魔導人形は早々に存在しない。
だが、少し引っかかる表現をしていた。
『あんな魔法』――ナインの攻撃は確かに魔法攻撃ではあるが、多くの人間は、ナインの攻撃を見ればそれを理解する。
『これほどの火力を有した魔導人形は見たことがない』というのであれば、ナインも納得するところであった。
故に、ナインは少女に問いかける。
「一つ確認させていただきたいのですが、あなたは魔導人形という言葉をご存知ですか?」
「ま、魔導人形……? それって、数百年以上前に戦争で使われたっていう……?」
「数百年……?」
ナインは少女の言葉に首をかしげる。
だが、すぐに理解した――植物に侵食されるほどに古びた小屋と地下室。
ナインが眠っていた期間だとすれば、十分にあり得る、と。
(私は、数百年も眠っていた……そういうことですか)
驚くようなことはない。ただ、その事実に納得するだけだ。
ナインが眠ってから、随分と時間が経過してしまったということに。
「一先ず、助けてくれた……ってことでいいのよね?」
「はい、私はあなたから話を聞きたかったので、助けることにしましたから」
「話を……?」
「はい。もう、目的は達成しましたが」
ナインが眠ってから数百年という時が経過した。
その事実を知った上で、ナインには『これから』がなかった。
賢者であるアルクリエは人間である――いくら賢者と呼ばれる存在であっても、それだけの長い時を生きていられるわけではない。
ナインは実質、廃棄されたようなものであった。
廃棄された魔導人形には、それこそ存在価値などないのだから。
「……」
「えっと、あなたの名前を聞いてもいいかしら?」
「……名前はナインです」
「ナイン……ナインね。改めて――ありがとう、助かったわ。わたしはエリル・ヴェントル。少し離れた村で、冒険者をやっているの。と、とりあえずね……あなたがどういう状況あるか分からないけれど、服くらいは用意できると思うから、ね?」
助けた少女――エリルに、逆に心配されるように言われる。
だが、その言葉より最初に気になったのは……ヴェントルという姓であった。
「ヴェントル……?」
「え、ええ。エリル・ヴェントル、だけれど」
エリルが困惑したように頷く。
その姓は……ナインを作り出した賢者と、同じもの。
関係があるか分からないが、無関係と言い切れるものではなかった。
数百年ぶりに目覚めて、最初に出会った少女の姓がヴェントル――運命というものが存在するのであれば、まさに今のことを言うのだろう。
もっとも、ナインはそんなものを微塵も信じてはいないが。
「エリル、あなたの提案を受け入れます。あなたの村まで向かい、服をいただきましょう。それまでは、私があなたを守ります」
ナインはそう宣言する。
戦うことだけに特化した魔導人形と、賢者と同じ姓を持つ少女――これが、二人の出会いであった。
最近の連載候補の一つです。
恒例の勢いに任せて連載……をしようと思ったのですが、一先ず短編で置いておきます!