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アシュクロフト侯爵は寛大で、結局私は侍女をしながら、侯爵家の淑女教育を受けられることになった。
恐縮する私に、『グローリアはこの通り、人見知りだろう? 夜会に行く日が本当に心配だったんだ。君がついていてくれるのなら、安心だね』とアシュクロフト侯爵は笑顔で言ってくれたおかげで、私がグローリアさんと過ごす時間は一気に増えた。
私が伯爵令嬢の肩書きを2年早く身に着けてよかったことはそれだけじゃない。ローナさんの態度が変わったのだ。
彼女は伝統や格式を重んじる人だったので、自然と私にメイクやドレスの選択権を委ねてくれるようになり、私はグローリアさんに似合うものを選びやすくなった。その変化に、ほかの侍女たちは最初は戸惑っていたが、今では流行りを教えてくれたり、色の取り合わせに意見をくれたりと、以前よりずっと仕事がしやすくなった。
もちろん、ローナさんの能力も活用するために、正式な場へ出る際の助言を求めたりすることで、彼女もこの変化を受け入れてくれた。
何よりグローリアさんが喜んでくれて、グローリアさんの変化にイアン様も喜んでくれたのだった。
「ねぇ、ヘレナ。イアンお兄様はこのドレス、どう思うかしら?」
すっかり私に打ち解けてくれたグローリアさんは、イアン様への恋心も打ち明けてくれ、今日のように直接的に聞くようになった。
他の侍女には聞こえないように、耳元に顔を寄せ離すので、グローリアさんの吐息が耳元をくすぐる。そんなグローリアさんの可愛らしい言葉に、私は目元を緩めながら、答える。
「きっとイアン様も気に入ってくださいますよ、グローリア様にお似合いですもの」
「そうかしら、ありがとう」
私が頻繁に褒めるようになったからか、どこか素直になったグローリアさんがにこりと笑った。
今日もイアン様がグローリアさんのところにお茶会に来た。
グローリアさんが可愛らしい姿で、素直になったせいか、イアン様も以前よりグローリアさんに対する好意を隠さなくなった。
グローリアさんがお手洗いに立つと、イアン様が珍しく私に話しかけてきた。
「ヘレナ、グローリアは大分変わったと思うんだけど、君のおかげかい?」
「……グローリア様が可愛らしいということを改めてお伝えしただけですよ」
「君はなかなか食えない人だね。そういうことにしておこう」
そう言って微笑むイアン様は、私の企みをお見通しのようで、背中に冷や汗が流れる。けれど、イアン様が分かっているのだとしたら、私も言いたいことがある。
「イアン様、侍女の私ではなく、伯爵令嬢の私として、お話ししたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「うん、言ってみて」
イアン様の言葉に、私は口を開いた。
「イアン様はグローリアさんにお気持ちを伝えないのでしょうか?」
「僕の気持ち?」
「はい、グローリアさんが変わったのは、イアン様のためだと、ご存知ですよね?」
「……」
イアン様の無言を肯定とみなして、私は続ける。
「グローリアさんはイアン様に可愛く思われたいと思い、頑張っていらっしゃいます。以前よりお可愛らしい方でしたが、最近はますます可愛くなられたと思います。このまま、夜会デビューされれば、沢山の方から縁談のお話が来るでしょう。それに王太子様の婚約者にという話もあるのですよね?」
「殿下の婚約者の話か、よく知っているね」
「侍女ですから」
イアン様に言ったことは嘘ではない。グローリアさんが婚約者候補である話は公にはなっていないが、既にお屋敷内では噂になっている。
「グローリアさんが、他の方の元へ嫁いでしまいます」
「……その辺の貴族に嫁ぐくらいなら、僕が、と思うけど、殿下に嫁ぐなら僕の出番はないな、とは思う」
さらりとグローリアさんのことを想っていることを肯定したイアン様はどこか苦しげな顔で、そう呟いた。
「本当にそうですか?」
「どういうこと?」
「地位の高い方に嫁げばグローリアさんは幸せですか?」
「……」
「好きな方に嫁げるのが何よりの幸せではありませんか?」
グローリアさんのイアン様の顔を見る時の表情を思い浮かべながら、私はそう言い切った。
イアン様は驚いたような表情で私のことを見ていたけど、目を閉じ、何か考えているような顔をした後、決意したように頷いた。
「うん、決めたよ。グローリアの夜会デビューの日にプロポーズをする」
「本当ですか!?」
「うん、ありがとう。ヘレナ」
そう言って笑うイアン様はとてもかっこいい。何かを決めた人の顔というのは、こんなにも晴れ晴れとしているのかと思った。
「それにしてもヘレナ、まるで説教してる時の祖母のようだったよ。余計なお世話だろうけど、君こそ幸せを逃さないようにね」
苦笑するイアン様に、私は再度背中に冷や汗が伝うのを感じるのだった。
いよいよ、グローリアさんの夜会デビュー当日。グローリアさんの夜会デビューの日でもあり、今世の私の夜会デビューの日でもある。
招待客を確認した時、ジェームズの名はそこにはなかったが、私の夜会デビューの日にちがずれた影響か、もともとお忍びで来ていたかのどちらかだろうと思い、気にするのはやめた。
今日は私の支度もあるので、自らグローリアさんのお仕度はできないが、この1年で侍女たちの統率も取れてきたから、安心して任せられるだろう。
私が普段より華やかに髪をまとめられ、ドレスに身を包むころには、ピンクのドレスに身を包み、まるで花の妖精のようなグローリアさんが完成していた。
「グローリア様、素敵です……!」
アシュクロフト侯爵家に来てからのことを思い起こし、涙ぐんで言えば、グローリアさんはその可愛らしいピンクの頬を膨らまして言った。
「ずっと言っているけど、様なんてやめてちょうだい。今日はなおさら駄目よ」
「はい、グローリアさん」
少しだけ甘酸っぱい気持ちになりながら呼ぶと、グローリアさんはにこりと微笑んでくれた。ああ、本当にこの人は可愛い。
「私、不安だわ」
「大丈夫ですよ、私がいます」
そう言って小さな可愛らしい手を握りしめれば、グローリアさんは私の手を握り返してきた。
今日の計画は、イアン様と何度も話し合った。
夜会では、若い独身の男女でダンスを踊るのだが、イアン様はグローリアさんとほかの男性を躍らせたくないそうなので、すぐにグローリアさんにダンスを申し込み、1曲踊ったら、そのままプロポーズをすることになった。
ギーズ公爵家では、結婚をする女性にプロポーズの際にペンダントを贈る風習があるそうで、イアン様はそれを持参すると言っていた。
もし、ジェームズがグローリアさんのことを気にしたら、私が引き止めるつもりだ。もちろん、これはイアン様は知らないことだけど。
頭の中で何度もシミュレーションを重ねているうちに、夜会の会場へと到着した。
緊張するグローリアさんを先導しながら、目ではイアン様のことを探す。イアン様がダンスを申し込むまでグローリアさんを守り抜くことも、今日の任務の1つだ。
きょろきょろと見渡していた私の目に、突然キラキラとした男性が映った。ジェームズだ。やはり、お忍びで来ていたようだ。
お付きのものも最小限に、身なりも王族とは悟らせないよう、少し落ち着いたものだが間違いない。この国では、あまり成人していない王太子が行事に参加することはないので、ジェームズの顔は知られておらず、周りの皆は気付いていないらしかった。
そのジェームズがこちらを見たような気がしたので、今の私も彼を知らないはずなので、グローリアさんを気遣うふりをして慌てて目を逸らす。
イアン様はその後すぐに見つけることができた。
グローリアさんを連れ、挨拶という体で自然と合流する。そのままダンスが始まれば、イアン様がグローリアさんを誘う手はずだった。
イアン様と会って、グローリアさんは少し安心している様なので、私は飲み物を取りに行くふりをして、その場を去る。優しいグローリアさんのことだから、相手のいない私が心配になって、いざダンスが始まってもイアン様の手を取らない可能性があったからだ。グローリアさんに見えないようにイアン様に目配せをして、フロアの隅に設えられたテーブルのところまで行く。
ダンスが始まるのを見はからないながら、3人分の飲み物を選んでいるふりをしていると、後ろから声がかけられた。
「君、グローリア嬢の友人か何かか?」
「はい、グローリアさんとは親しくさせて頂いています」
よく聞き慣れた声にくるりと後ろを振り返れば、やはりそこにはジェームズがいた。何気ない素振りを装っているが、前世で連れ添ったのでよく知っている、緊張しているのだ。片手に持ったシャンパングラスを揺らすジェームズに、私は丁寧にお辞儀をした。
「彼女と一緒にいるのは?」
「グローリアさんのはとこである、イアン・ギーズ様です」
「そうか、はとこか」
どこか嬉しそうなジェームズの声に、私の胸がちくりと痛んだ。
前世ではまるきりグローリアさんに興味がなかったジェームズだが、今のグローリアさんは好みのようだ。
前世の同じシチュエーションで、私のことをたくさん聞いてきた彼を懐かしく思いながら、質問に答えていく。
「彼女は特別な人は?」
「婚約者はおりませんが、想っている人はいるようです」
「それは一体、」
その時、ちょうどダンスが始まったようで、オーケストラの演奏にジェームズの声がかき消された。視界の端で、無事ダンスを始めたイアン様とグローリアさんを見て安心していると、ぐっとジェームズの顔が近づいてきた。
「それはいったい誰だ」
「……勝手には申し上げられません」
ただ、声が演奏で聞こえずらくなったから近づいただけで、他意はないようだ。それでも胸がドキリとする。
ジェームズの顔は前世で見飽きるほど見たと思っていたけど、前世で出会った時よりもさらに若々しい彼の顔は新鮮だった。緑の瞳に凛々しい眉、王太子でありながら剣の腕もあるので、どこか精悍な印象だ。晩年の彼にはない溢れ出る男らしさもあった。
それに、前世のジェームズは出会ったその時から、私に想いを寄せてくれていた。丁寧に淑女として、死ぬまで扱ってくれていた。そんな彼がどこか粗野な印象で接してくるのも新鮮で、私は自分の使命を忘れそうになるくらい、胸が高鳴るのを感じた。
ああ、やっぱり私、この人のこと好きだなぁ。もう気持ちはおばあさんだというのに、じんわりとした恋心が染み出す。
「ダンスが終わったか、失礼」
曲の終わりが近づくと、ジェームズは大股でグローリアさんの方へと向かって歩き出してしまう。
私は慌てて彼の後を追い、何とか引き留めようとするけど、ジェームズの目にはグローリアさんしか映っていないらしい。
グローリアさんは確かに可愛らしいけど、前世で貴方は私を愛したんですけど。届くはずもない愚痴を思いながら、人の波を何とか避けながらジェームズを追いかける。
「グローリア」
ぱっと人の波が途切れる。皆が遠巻きに何かを見つめている。
考えるまでもなかった、グローリアさんの手を取り、跪くイアン様だった。イアン様は熱っぽい瞳でグローリアさんを見上げていて、グローリアさんも蕩けるような瞳でイアン様を見返していた。
「ずっと、今日言おうと思っていた。君を大切に思っている。どうか、どうか結婚して欲しい」
そう言ってグローリアさんの前にイアン様は綺麗なネックレスの入った宝石箱を掲げる。
グローリアさんもギーズ公爵家の習わしを知っているのだろう。ネックレスを見つめて、震える手を握りしめている。
「はい、もち、」
「待ってくれ」
皆が固唾をのんで見守っている中、ジェームズが声を張りながら2人に近づいていった。
イアン様が眉をしかめながら、自分の後ろにグローリアさんを庇おうとするが、ジェームズはそんなことは気にせずにグローリアさんの震える手を取った。
「グローリア・アシュクロフト嬢。私はジェームズ・プラウドフット、この国の王太子だ。君を好ましく思っている、どうか彼の婚約は受けないでもらえるか」
突然ことに私はジェームズを止められないでいた。前世ではこんな展開、もちろんなかった。
イアン様は目の前の男が王太子だと気が付くと、少し迷ったようだが、グローリアさんのジェームズが手に取った反対の手を握りしめた。
「グローリア、王太子殿下が相手だろうと、僕は自分の気持ちを曲げるつもりはない」
「イアンお兄様……」
グローリアさんは困ったようにイアン様と、ジェームズの顔を見比べている。私はじくじくと痛む胸を押さえながら、天を見上げた。
ああ、神様、グローリアさんに味方をしてくれていたのではないですか?
これにて完結です。
ご閲覧ありがとうございました!
(2019.7.6 追記)
誤字を修正しました。
ご指摘ありがとうございました。
(2019.7.10 追記)
ありがたいことに沢山のご閲覧、ブックマーク、評価、感想を頂き、
続きが気になるとも言って頂いたので、もう少し続けることにしました。
グローリアが相手を選ぶところまで書く予定です。
私の中では、ここで終わりの予定だったので、蛇足っぽくなるのはご容赦ください。
もう暫く、お付き合いよろしくお願いします。