滅びればよかったのに
学校までの通学路、人だかりができていた。
普段はどうでもいいことを教えてくれる電光掲示板の周りに。
小さな電球の集まりで形成されるそれは小さく、簡潔に
本日、○○○○年××月△△日火曜日
午前十一時四十二分に世界は、滅びます。
本当に申し訳ありません。
とオレンジ色に輝いている。
辺りを見れば、隣の人がもつ携帯電話が映すワンセグの画面にはどこかの国の偉い人が泣きながら謝罪する様子が映っていた。
一億年に一回来るかも怪しいありえないくらい巨大な隕石が
ありえないことにギリギリまで観測もされず
ありえないような速度、軌道を通って
ありえないような確率で
世界は今日、終わりを迎えるのだそうだ。
これは事実です。と国の偉い人は叫び
この町、日本、世界の人間の社会を
破滅させた。
どうやら、僕たち人間の社会は、酷く脆かったらしい。
僕はといえば、阿鼻叫喚の地獄と化した駅構内から逃げるように自然と学校へ向けて歩いていた。
特に意味があったわけじゃない。
僕が学校に向かうのは僕に友達が居ないからでも、他に行く当てがないからでもない
きっと、きっと
今日が平日だから、普段学校があるからだ。
現実逃避を飴玉のように口の中で転がしながら歩いた。
普段の二倍超の時間をかけ、到着した学校は、あまりにも異質な様相を呈していた。
普段は1000人余りの学生を収容し、平日は賑やかなこの建物も、こんな事態になってしまえば寂れた廃屋と大差ない。
今日ばかりは僕一人しかいないのだ。
校内には生徒はおろか先生も誰もおらず、ただ無骨な校舎には僕の吐息の音すらうるさく響く。
いつもの下駄箱、いつもの廊下、いつもの階段。
どこを通っても普段とは全く違う異様な雰囲気をまとっている。
もちろん、教室も例に漏れず異様な雰囲気をまとっていた。
ガラリとドアを開けても誰もいない教室。
ここで僕は世界が終わるまでの時間を過ごす。
そして、世界の終わりとともに死んでいく。
ただただ参考書に向き合い、自習をしながら死んでいくのだろう。
なんだかそれは滑稽だな。
と、思っていたのだ。
僕が窓側後方にある自分の席へと近づいたとき、ちらりと視界の端で何かが動いたのだ。
具体的にはカーテンの裏、入るときには気づきもしなかったが誰かがいるらしい。
無人と思っていた校舎にはどうやら先客がいたようだ。
少し前の思考には多少の気恥ずかしさは感じるが、今はそんなこと些細な問題だろう。
問題は、この隠れている人物に対して反応をするか否か、という点だ。
隠れたということは、少なくともこちらを警戒しているのは間違いない。
そういう点で見れば、間違いなく見て見ぬふりをするべきなのだろうが、それではこの人物はいつまでたってもカーテンから動けないという状況に陥り、困るだろう。
どうやら、反応をしないと互いに困りそうだな。と思った。
荷物を置くわずかな間に思考した結果、こちらも警戒しながらカーテンを開けてみることにした。
じりじりとカーテンとの距離を縮め、ゆっくりとカーテンに手を伸ばす。
カーテンに手が触れた瞬間、カーテンの中の人物は諦めたように自分から出てきた。
「え、えっと……こんにちは」
この人物は、知っている。
普段からクラスの中心にいるような女生徒の一人だ。
名前は……思い出せないが。
「あ、はい、どうも……」
「そんなところで何を……?」
「あなたこそ、何しに来たんですか……?」
どうやら、僕は警戒されているらしい。
「えっと、僕はただ勉強をしに来ただけなんだけど。あなたは?」
彼女の目は何かを恐れるようにあたりを彷徨っている。
「わ、私は……えっとその…逃げてきたんです」
「逃げてきた?」
思わず聞き返してしまった。
「町は今パニックになってて…それで逃げてきたんです。みんな怖くて…」
なんとなくわかってしまう。
僕が駅で見た光景も酷いものだった。
あれが激化しているなら、外は相当なパニックなのだろう。
「外、そんなにひどいんですか。」
「ええ、かなり。友達とも連絡付かないから、会えなかったし」
佐藤さんの目を見て、何となく察してしまった。
これ以上は聞かないほうがいい気がする。
僕は机に向き合い、勉強をすることにする。
「ええと、僕は勉強を始めるけど君は?」
「ねぇ、」
僕が勉強と言って目を丸くして聞いてきた。
「なに?」
テキストを解き進める手は緩めず、答える。
「今日、世界は終わるんだよ?」
彼女がひどく意外そうにしているのを見て、何だか悲しくなった。
「そうみたいだね」
「すごく無意味だと思うのだけれど。」
僕とは違って、この人は勉強では得られないものをたくさん持っている人だ。
恵まれている。なんて思ってしまうのは、僕のエゴイズムだろう。憎たらしい。
「そうかもしれませんね。」
「じゃあなんで勉強なの?」
手を止め、顔を佐藤さんの方へと向けた。
「やることがないんです、単純に。今まで平日は毎日勉強をするだけの日だったので。
それを急に『今日世界が終わるから、有意義に過ごせ』と言われたところで、どうしたらいいのかまったく思いつかない」
言ってから、悲しくなってしまった。
こういう考えが、僕と彼女の違いなのだろうか。
「それで勉強を……へぇ」
彼女は今、「友達がいない」や「孤独」とかの言葉を飲み込んでいたような気がするが、無視する。
「あるいは」
「僕自身が、世界が終わるなんて信じてないからかもしれませんね」
僕がここに来るまでの短い時間で感じていたことだ。
世界が終わるというなら、もっと予兆らしい予兆があってもいいと思うのである。
それがどうだろう、風景を見ても、雰囲気はただの平日と何も変わらないように思えるのである。
「確かに、実は間違いでした。とか、ただのデマでした。なんてことも全然あり得るもんね。」
何故、外の人たちはパニックになるほどこの情報を信じ込んでいるのだろう。
「あ、勉強の邪魔してごめんね、私は適当におとなしくしてるから。」
「助かります。」
勉強に取り組めば取り組むほど、さっきの考えが頭をよぎってしまう。
世界が終わるとは言われているが、どのように終わるのかはわからない。
あと三時間もしたら世界が終わると言われている時間だというのに僕たちは何の予兆も感じていない。
だというのに、町の人たちだけがパニックに陥っている。
何だかすごく、不自然だと思う。
根拠のない恐怖に支配されるなんて。それなら現実から逃避するのが合理的なはずなんだ。
教室には、彼女の声と、シャープペンシルが紙を走る音だけが響いていた。
「世界が終わる。時間だね」
不意に、彼女は時計を見て伝えてきた。
反射的にあたりを見渡すが、やっぱり、予兆も何も感じられないままだった。
これから世界が終わるなんて、到底考えられないほどに普段と変わりがなかった。
「窓の外見てみて」
いつのまにか窓際へと移動していた彼女が言う。
窓の外、眼下に広がる街を見たとき、彼女がここへ来た理由をはっきりと理解した。
眼下に見下ろした町。人のいる空間。そして、空には昼にも関わらず輝く星
それはまさに、阿鼻叫喚であった。
人同士はまるで知能のない猿のように叫び、暴れていた。
人々の欲望、欲求は理性を介さずに暴走し、互いにぶつけ合っている姿が目に入ってきた。
他にも、略奪、暴力……さまざまな悪事が起こり暴動と化しているのが見える。
「……なるほど、これはひどい」
私は打ち震えた声を絞り出した。
「そう、これを見ているとね、世界は終わって正解なんだなって思えるの。」
彼女の声も、少し震えていた。
それは僕への警戒でないことはすぐに分かった。
彼女も怖いのだ。世界が終わるかもしれないということが
「そうかもしれませんね。」
僕も少し、恐ろしくなってきた。なぜだろうか。
「そもそも、世界が終わることを実は」
「心の奥じゃみんな望んでたんじゃないかな? って思うの」
「きっと、みんなは嬉しさに内心笑ってるんじゃないかなって」
「あなたは……」
「×××さんは……世界が終わることを望むのでしょうか」
彼女はそっぽを向いていた。
そしてそのまま、世界が終わる時間はやってきた。
やってきた。やってきた……が
結論から言えば。
世界は終わらなかった。
午前十一時四十二分
その時間が来ても世界が終わることはおろか、空で輝く隕石が動くこともなかった。
三十分たっても、一時間たっても世界は終わらなかった。
やっぱり、普段の平日と今日は何の違いもなかったのだ。
「世界、終わらなかったね。」
「……そうみたいですね。」
「やったね! やったー!!」
彼女は無理やり絞り出したかのように歓声を上げた。
「嬉しくないの?」
「普段と同じように過ごしていたので。僕からすれば普通の平日なんですよ。」
「あ、そっか」
いつもクラスメートにふりまく笑顔を彼女は僕に向けた。
しばらく佐藤さんとは他愛もないような会話をし、それから
「じゃあ、私帰るね。また明日!」
「ま、また明日…」
と、言って佐藤さんは帰って行った。
たったこれだけの、たかだかこれだけのことで今日の騒動は終わってしまいそうだ。
今日のことは忘れることにしよう。
今日の学校の様子も
崩壊した社会も
世界が終わらないことにがっかりした顔をしていた人がいたのも
そして何より
彼女が教室を去る時につぶやいていた言葉も
全て忘れることにした。
それから光が私を包んで__
自分の発想が一番惨め