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蝶が舞う、その瞬間まで  作者: こばかい
3/6

三手目「神の童」

 師匠の家は堺市にあり、大きな庭付きの和風邸宅だ。

 そんな家の車庫にはBMWが停まるのだから和洋のコントラストに目が霞んでしまう。

「それで俺に会わせたいという人は誰なんですか?」

 玄関から長く伸びた廊下を歩きながら、今更な疑問を師匠に投げかけた。

「会えば恐らくわかるよ、用事もその子から聞きなさい」

「そう…ですか」

「ここにいる、私は飲み物を持って来るから先に入ってな」

 一室の襖を指差して師匠は居間の方へと歩いて行った。なんとも情報不足この上ないのだが、師匠がいうならば仕方がない。

 俺は襖をノックするという、些か違和感を覚える行動をしながら部屋へと入る。


――その部屋には神の子がいた。


 ただ一人で盤の前に座布団の上で正座をしながら身体を前後に揺らしている少年。

 長いまつげに若い肌、思わず自分の手を見て若さの違いを見せつけられえてしまうほど若い少年。

 さらりと首までまっすぐ伸びた黒髪は、身体の動きに合わせてぱらりぱらりと小さく動いていた。


 師匠の言う通り、俺はその子を知っていた。

 確か小学五年生の宮国孔介。研修会員であり、中学生棋士だってなれるだろうと言われている。

 本物の天才だ。

 研修会と言うのは奨励会の下部組織にあたり、研修会の成績によって奨励会入会試験の資格が得られる。

 プロの卵の卵。

 将棋の道は狭い、有望な研修会員や奨励会員の噂はプロにも届く。

 将棋界はなによりも強さが絶対の正義だ。その中でも中学生棋士というのは、過去四人誰もが名人位やタイトル永世位を獲得している約束された神童。

 強さが全て。どんなに狭き三段リーグだとしても強ければ中学生でもプロになれる世界で、その活躍がその世界の彼を知る人間はほぼ確信されている。

 そんな少年が今、俺の目の前にいた。

 

 集中しているのは一目瞭然で、完全に盤だけを見ている彼には俺の言葉は届かない。

 近くによって静かに座ると、何処の誰の、いつ行われた対局なのかは一瞬でわかった。

 なぜならば、それは俺の順位戦最終局、つまりは一番最新の俺の対局だからだ。

 敗着へと進み始めた、銀を繰り出す場面の直前で彼はずっと考えている。


「はっ」


 喉奥で溜まっていた息を糸が切れたように漏らすと駒へと手を伸ばした。

 将棋は不思議なもので、たった一手でその見える景色は一変する。例え頭にその手が浮かんでいたとしても、実際に指してみるか、見ないかでは全く違う。

 銀にかえて、その一手はまるで枠線が描かれたかのように、はっきりとした道順を描いた。

 その一手だけで勝てた訳ではないが、優勢に傾いていたのは直感でわかる。

「ああ、いい手だ」

「え――わ!わわわ!中村六段!?ええっとあの、わわわわわ」

 思わず言葉が漏れた。彼も一息ついてようやく俺に気づいたのか、盤面を冷たく見下ろしていた表情から年相応のものへと変わる。

 そこでようやく、彼も同じ人間なのだと思えたほど、盤に向かう姿勢は既にトップ棋士の放つ存在感に似たものだった。

「知ってくれているのか」

「も、もちろん!あ、僕は…」

「宮国孔介君、だよね。君の名はよく聞くよ」

「本当ですか!みや『ぐに』ではなく、みや『くに』ですが…そんな事よりも嬉しいです!」

 屈託のない笑顔で彼は笑う。

 昔、まだ師匠ではない憧れの郷田九段に会った時、俺も同じような顔をしていたのだろうか。

「それで師匠…郷田先生のところに何故?それとも無理やり連れてこられた?」

「い、いえ…僕がお願いして、中村六段にお会いしたいと」

「俺に?それは光栄だよ」

 将棋界の未だ小さくとも期待の明星に会いたいと言われれば嬉しいものだ。彼がそっと近くに寄せた鞄には白紙の色紙なんかもみえているし。

「あ、あのそれで」

「うん、何かな」

「ぼ、ぼくの――師匠になってください!」

「――え?」


 その一言はあまりにも唐突で、まるでリボルバー式拳銃のハンマーが頭の中で叩きつけられたかのように、やたら無音が響き渡り、真っ白になった。


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