二手目「来訪者」
おるかー、開けるぞー
頭の中で声が響く。二日酔いをすっぽ抜けて逆にやたらとすっきりとした目覚めだった。
「おーおー、珍しく荒れてるな…酷い顔して大丈夫か?」
乾いた瞼が張り付いて持ち上げる力が空気を掴むようにうまく入らない。
それでもなんとか目を開くと目の前にはひとりの男性がいた。
「んぁ…あれ…し、し、師匠!?」
「おう寝坊助、おはよう」
「お、おはようござ…あれ?あれ!いや!あの!!すみません!」
意識と共に痛覚でも目覚めたのか、現状を認識すればするほど背筋が冷たく凍てついていった。
部屋に入ってきた人物は俺の師匠である――郷田蓮介九段だったからだ。
将棋界にとって師匠とは第二の親であり、親以上の存在でもある。
奨励会というプロ棋士になるためにはほぼ必ず入らなくてはならない機関があり、その入会にはプロ棋士の誰かを師匠として門下に加わることをお願いしなければならない。
奨励会は小学生から遅くても中学までには参加しなければプロになるのは厳しいと言われる世界で、そんな頃から師匠とは付き合わなくてはならない存在なのだ。
十代の頃もそれは気を使ったり、やはり将棋を褒めてもらえるようにと子供なりに振舞ったりなど色々あった。
しかし、プロ棋士となって一社会人になって、情けない姿を見せるのは恥ずかしいどころの騒ぎではない。
――そう、師匠とは第二の親だ。例えばそんな人に負けて自棄酒飲んで寝落ちした姿なんて見せられるわけがないのだ。
つまり、今、俺の目の前に映し出されている光景。
転がった空き缶に囲まれ、ワイシャツもスーツも掛けずに寝ている姿を見られてる現状はとうに…詰んでいる。
社会人として今すぐダッシュで窓の外へ投了したい。 が、そんな事をすれば恥の上塗りでしかなく、あの世で閻魔帳が黒歴史ノートに早変わり。
「師匠、少しお待ち頂いてよろしいですか?」
「うん、構わんよ」
まさにそれは30秒で支度しな、と言われたPAZUーだっただろう。
ざっくり部屋を片付け、顔を洗って、師匠にお茶を出す。真っ赤なに火照った俺の身体は通常の三倍の速度で動いていたに違いない。
「えっと、それで今日はどうかしたんですか?」
「ああ…というかお前、今が何日かわかるか?」
「3月18日…です」
「19日だよ、昨夜連絡したが繋がらなかったからな、やはりといったところか」
対局が17日、つまり1日以上眠っていた?
おもむろに携帯を見ると確かに昨夜に師匠から着信とメールがあり、今日現在は19日の11時28分だった。
不思議には思った。プロの対局、特に順位戦ともなれば終局は深夜どころか日付が変わることも珍しくなく、朝9時から緩急はあれど、最低でも12時間以上ひたすら脳だけを動かし続ける。
だから多くの棋士の対局後というのは、走り終えたエンジンが直ぐには熱を失わないのと同じように、脳や目が冴えて仕方がないのだ。
いくつもの盤面を脳裏に焼き付け、実際に目の前にある盤面を睨み、そうして無限に等しい変化が眠るまではリセットされる事なく記憶の海を浮かんでは沈んでいく。
スイッチが切れるのを待ち、眠るのが明け方になんていうのはいつものことだ。
棋士は皆それを知っている、だから、対局前日と翌日は予定を入れず、自分の時間を過ごす事を好む。
勿論、全員がそうという訳ではないが、前日は勝負に向けてリラックス、翌日は疲れを取るために、と。
なので、師匠であれ、棋士の友人であれ、なんとなく暗黙の了解のように、対局翌日にわざわざ家に来る事は滅多なことではありえない。
それが師匠の声で起きてから少しだけ気になったことなのだけど、酒を煽って1日寝て潰していた俺が完全に悪かったのだった。
解説の仕事入れてたら大問題だった…危ない…。
と、肝がいい感じに冷えたところで、俺は師匠に頭を下げた。
「申し訳ありません…」
「よいよい、私も悪いな、押しかけてしまって。それでもちと、是非あって欲しい子がいてな」
「俺に…ですか?」
「私からでもあるし、その子からでもある。とりあえずこれからうち来れるか?」
「今日ですか?」
「まぁ、その子は家が少し遠くてな。だが、ま、こちらも無理に押しかけたのだし、どうしてもとは言わない。その子には悪いが、機会はまた作れるだろうしな」
少しだけ考えた。
前回の対局の振り返りや、次に向けての対策も考えなければならないし、自分とは関係ない人たちの対局を見て勉強もしたい。
棋士が対局以外で普段、何をしているか、というのはあまり想像もつかないかもしれない。
だけどそれはとても簡単で、スポーツ選手でいうところの練習だ。
シーズン50本打てる打者だって、普段から練習もするし、次に相手するチームのデータも頭に入れる。
それと同じように自分の戦法の研究をして、次の相手の作戦にどう立ち向かうかを考え、将棋界全体での流行を追う。
大事な一局が終わろうと次の対局はすぐに目の前にやってきて、その準備をしなければ――特に負けが込んでいる俺のようなやつは特に。
だけど、悩んだ。
なぜならば、ずっと次こそ次こそは、と一年過ごして、負け続けた今の現状がある。
師匠だって、何かしら俺を思ってのことだろうし、何か良いきっかけになるかも知れないと思ったから悩んだ。
だから――。
「行きます」
と首を縦に頷いた。
「や、おはよう、しょうちゃん」
「この歳でしょうちゃんはやめてくださいってば香織さん」
マンションから出ると真っ赤なミニクーパーが停まっていて、その側にいた女性がこちらに駆け寄ってきた。
郷田蓮介九段の三人娘の次女香織さん、歳は俺の三つ上の28歳、十代の頃は共に将棋を競った姉弟子だったが今は将棋界とは全く関係ない仕事についている。
高校の頃は明るかった髪色も今は落ち着いて綺麗なロングの黒髪に、長く伸びた手足、聞いた話では大学のミスコンでも好成績だったらしく、それも納得の美しさを兼ね備えた女性だ。
なによりも柔らかな笑顔は昔から全く変わらない。
しょうちゃんという、あだ名は俺の名前が中村勝利だからで、昔から彼女がそう呼ぶので友人もふざけて呼んでいたが今では彼女くらいのものだ。
60を前に師匠は運転をやめたらしく、今は奥さんないし、娘さん達が送り迎えにハンドルを握る代わりに、師匠の愛車は家族みんなのものとして使われているらしい。
「あはは、ごめんごめん。ささ、乗って乗って!プロ棋士の先生は後ろにどーぞ!」
「おい、香織、私もプロ棋士なんだが…」
「お父さんはもう師匠ではなくお父さんなのでダメです!」
ささ、と香織さんが後ろのドアを開けて手招く、師匠が将棋界の親ならば彼女は俺にとって姉のような存在で、昔からこの笑顔には逆らえない。
奨励会の頃から師匠の車に乗せてもらう事がよくあった。
勝った日も負けた日も、将棋のことはあまり語るらず、最近の学校での事とか生活の事とかをよく話していた思い出がある。
だから不思議と童心に帰るというか、懐かしい気分に今でもなってしまう。
ただ今日はあまり会話はないまま、ラジオだけが寂しく響いていた。
「しょうちゃん、私はずっとあなたの将棋を見続けるから」
そう香織さんが途中で呟いて、俺は何も言えず、師匠も黙っているという一幕があったくらいだ。
未だB級二組に在籍し、去年度はテレビ棋戦での優勝もした師匠を見ている彼女が、C級一組で足踏みどころか後退すらし始めた俺を見てどう思っているのかはわからない。
それでも、俺は彼女に負けた将棋を見せるということはただただ情けないし、ただただ悔しい。
彼女が将棋の道から離れた時の約束を未だにぼんやりとも見せられていないのもあって、俺は何かを答えることはできなかった。