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番外編~ 真価 ~

ゴミ箱さんのお話番外編です。「空の向こうと道の先」より前の時期。




 冷たい寒風が二人の姉妹を打ち(すさ)んでいる。見ているこちらまで身が凍てつくようだ。もしわたしに心があったなら、それが痛みとなって伝わってきていたことだろう。

 バス停に二人の姉妹がやって来てから半日が経っている。バスから降りてきたときは三人だった。二人の他に、母親らしき女がいた。二人に「ここで待っているように」と言っているのが聞こえた。けして声を張るわけではなかったが、母親の透き通った声が(さと)すように繰り返されていた。「戻ってくるから」「大丈夫」「お利口さんにして待っててね」と。次のバスがやって来たときに、母親だけが乗り込んで二人を残して去っていった。昼頃だったか。それからずいぶん長い時間が過ぎた。もはや今ではとっぷりと日が落ち、冬の早じまいが姉妹を暗く包んでいた。街灯の灯りは心ばかりの小さなもので、屋根の影に身をひそめ、姉妹はじっとしていた。寒いからか身を寄せ合うようにくっついて、ボソボソと話す。


「お母さん、まだかな?」

「まだだね。次のバスじゃない?」


 この繰り返し。妹の不安そうな声に対して姉は落ち着いた声で優しく語りかける。バスが止まる度に妹は「お母さん!」と駆け寄る。姉はバスに近づけ過ぎないように妹の手を取り、一緒にバスの中をのぞみ込む。妹の「いないね」に対して無言で姉はうなずく。回数を重ねるごとにそれは暗く沈んでいった。そして先ほどとうとう最後のバスが行ってしまった。バスの運転手が不思議そうに降りてきて、「乗らないのかい?」と訪ねると、姉が「母親が迎えにくるので」とハッキリと断っていた。バスでとも、車でとも言わなかった。運転手はてっきり車での迎えだと思ったので、若干の心配があったものの、しぶしぶバスに乗り込み大きなハンドルをつかみ、アクセルを踏んだ。鏡越しに見える姉妹は下り坂にさえぎられ、すぐに見えなくなった。

「お腹すいた」

と泣きべそをかきはじめた妹に姉は歌を唄い、お絵描き用に学校のノートを差し出す。ペンを持ちお絵描きをはじめた妹だったが、やはり寒さに耐えられずに、姉にくっついた。ランドセルから水筒を取り出した姉は妹に飲み物を飲ませる。ここに来てから姉は一度もそれに口をつけていなかった。胸のところには『6年1組◯◯』と名札があった。妹はランドセルは持っていない。胸にはチューリップを型どった赤いタグが付いていた。


 家族という形ほど、わたしから程遠いものはない。わたしは初めから一つだったし、これからもきっと一つだろう。ここでゴミ箱として必要とされている限り、わたしは存在し続ける。家族は家というものに住んでいて、みんなそこへ帰っていく。いろんな姿があると聞く。強いて言えば、わたしの家はここということになるのか?今は姉妹という来訪者がやって来ていて、静かに見守っている状態だ。一時的な共同生活。案外悪くないものだな。姉妹にとって、(はなは)だ居心地悪そうだが。


「ねぇ!お姉ちゃん!クッキーがあったよ」


 暇をもて余した妹がゴミ箱のわたしをのぞきこんでそう言った。確か日中に高校生が「まずい」と言って捨てていったものがあったな。クッキーというものだったのか。察するに、子どもが喜ぶ食べ物なのだろう。笑顔でそれを取り出した妹がクッキーの箱を姉に渡した。


「え!?ちょっと汚いじゃない!腐ってるんじゃないの?」

「でもお腹すいたよ…」

「ちょっと待って。先に私食べてみるから」


 わずかばかりのクッキーの欠片を取り出し、匂いを嗅いでから口に入れてた。


「うん!案外いける!これ大きいの食べなよ」

「わーい、やった!」


 箱に玄米の文字があった。姉妹は一枚ずつ取り出しながらポリポリとそれをかじる。元から少なかったために、あっという間になくなってしまった。そのほとんどは妹が食べたようだ。疲れを見せはじめた姉妹はお互いに体重を預けるように、まどろみ始めていた。

 冬の三日月が針のように闇夜を差している。


 捨てるものばかりの私の中に、まさか姉妹を喜ばせるものが入っているとはな。食事の提供はできないが、偶然が腹を満たすこともあるようだ。人のいらないものが、他者にとってはいるものだったり、立場や境遇によってその価値は変わる。ゴミ箱の価値はゴミ箱でしかないだろうが、わたしがいなければこの場所の『チツジョ』が保たれないと、清掃のじいさんが言っていた。ちゃんとゴミをわたしへ入れない学生へそんな風に注意していたのを、見たことがあったのだ。

 しかし、このまま姉妹はずっとここにいるつもりなのだろうか?家族は捨てていいものだとは、わたしは聞いたことはないぞ。じいさんは自然と一人になった。わたしは元から一つだった。この姉妹の家族は何人だ?


 淡い灯りでかろうじて浮かんでいたバス停、そこがまばゆい光に照らされたのは、夜も深くなった頃。ヘッドライトで照らされ、姉妹は眩しさに目を細める。車から初老の女性が下りてきた。


「あんた達!あー良かった。ちゃんといたね」

「お祖母ちゃん!」

「本当にごめんなさいね。寒かったでしょ」


 そう言ってお祖母さんは自分の付けていたマフラーとコートを脱いで、表情が氷りついていた姉にマフラーを、鼻を真っ赤にした妹にコートを着せてあげた。


「あんた達のお母さんは頑張ったよ。私がついてあげられなくてごめんなさいね。あの男とやっと別れることができたんだよ。だけど、あの男は逆ギレしてね、母親に暴力を振ったんだ。今病院なの。だから迎えに来れなかったんだよ。自分が傷ついたってのにずっと娘達を心配しててね、私が気づいくのが遅かったから、本当にごめんなさい。いくらあの男から遠ざけるためっていっても、こんなに暗くて寒いところで待ちぼうけさせてしまって、怖かったでしょ?」

「ううん、大丈夫…」


 そう言ったとたん姉は顔をくしゃくしゃにして「うえーん」と泣きはじめた。あんなに平静を装い、妹の面倒を優しくみていた姉が、わたしの前で初めて感情をむき出しにした瞬間だった。祖母はよしよしと姉と妹を抱きしめ、妹はキョトンとしながらも、懐から小さな手を伸ばして姉の頭を撫でてあげた。

 静寂だった暗闇が泣き声で騒がしくなった。だが、姉よ。思う存分泣くがいい。ここには我々意外誰もいない。家族が住む住宅地でもない。学校も終わり学生もいない。ここは今お前たちの場所だ。


 姉妹は祖母が運転する車に乗り込んみ笑顔を見せた。にぎやかな声はドア越しにさえぎられ、軽快な音をさせてあっという間に遠ざかっていった。

やれやれ、どうなるかと思ったが帰る場所が取り戻せたようでなによりだ。それは母親が自ら勝ち得た場所だ。きっとこの場所とは違ってあたたく明るいはずだ。

 誰もいなくなり、また静かな夜がやってきた。わたしは今宵もここにいる。わたしは何も待ってやしない。明日も明後日もあるがまま時を刻み、あるがままに人の営みに溶け込む。

 いつかあの姉のように、感情をむき出しにする日がわたしにも来るのだろうか。生きている証をまざまざと見せつけられ、感化されたわたしは、それも悪くないと思っている。入れられたゴミが、もしかしたらわたしにとって宝物になるのかもしれないのだからな。無から有へと変化する可能性があるのなら、この身が動けなくとも、自らの価値くらい自由に決めたいものだ。姉妹や母親の原動力とわたしの原動力はそれぞれ違うところから生まれている。だが生とは、人だけのものではない。そして死も。それがどんな形で表れようと、きっとわたしは受け入れる。死があるのなら、わたしは今日も生きていたといおう。





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