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(四) 暮れ合いの男女

ゴミ箱さんのお話四話目です。よろしくお願いします。

 


 暑いくらいの秋晴れだった日、その終わりを冷たい風が教えてくれる。陽も一日一日陰るのが早くなってきた。ゴミ箱の私の位置は変わらない。私はバス停の屋根が(さえぎ)ってできる影の深さで、時間という概念と移り変わりを実感していた。

 今はまだその影がそこまで深くない時間、バス停に橙色の夕日が入り込んでいた。そこで本を読んでいる娘がいる。長い髪を無造作に一つに束ねた、子供でも大人でもない、そう夕方と同じく曖昧な年頃の少女が一人で椅子に座っていた。バスから降り、おもむろに手に持っていた本を開き読み始めてしまったのだ。辺りが暗くなり始めたのも気づかず。

 あれは確か高校の制服だったか。何をそんなに夢中になっているのだ?

 そこへランニングをしていた男性が通りすぎた。娘をチラッと見た瞬間軽やかに(きびす)を返し娘に近づいていった。


「なんだ結衣(ゆい)じゃん。こんな暗いところで何やってるかと思ったら本かよ。びっくりした。危なくねーか?」

「あっ!高橋先輩っ!いや、えっと…なんか犯人が分かるまでやめられなくなっちゃって。もうこんなに暗くなってきてたんですね。」

「犯人?おいおい、周り見えないくらい夢中になるとかって、どんだけだよ。」


 笑いながらそう言った青年は娘の知り合いなのか気さくに話し始めた。娘の方も気を許した様子で嬉々としている。顔が赤いのは、夕日のせいだけではないのだろう。あんなに思いつめたように本にかじりついていた娘からは想像出来ないくらいの嬉しそうな笑顔だっだ。どうやら特別に親しい間柄なのか。いや、まだその前段階。ベンチに座った位置はほんの少し距離ができていた。本当のカップルを何人か見てきたが、距離なんてのはないくらいくっついていた者達ばかりだったからな。夫婦とは違うまた別の甘いひととき。


「高総体お疲れ様でした。走ってる先輩格好良かったです。」

「あぁ…ありがとう。まぁでも…予選落ちだったけどな。」

「でも体育大学行って続けるつもりだって聞きました。大学でも応援してますね。」

「うん、頑張るよ…。そうだ、大学で論文出されるっていうんだよね。そのうち書かなきゃいけなくなるだろうし、今からなんか読んでおきたいんだけど、いい本ねーかな?俺よく分かんなくてさ。とりあえず活字に慣れとこーかなって思って。本ならお前詳しそーじゃん。」

「はい!いいですよ。とりあえずどんな物語が読みたいですか?」

「ヒューマンとか感動するのかな。」

「それならこれ、いいですよ!」


 そう言って娘はさっき読んでいた本を(かたわ)らに置いて、鞄から別の本を取り出した。何度も使われた形跡のある、よれよれのブックカバーに包まれたその本を慣れた手つきでページをめくり、高橋先輩へと差し出す。


「うわっすげー部厚いね。それに台詞少なし、文字がぎっしりじゃん。これは…俺には無理だわ。」

「あっそうか、読み慣れてないですもんね。家族ものだからいいかと思ったんですが、すみません。ならこれは?」


 今度は先程よりも半分の厚さの本を取り出した。

 おい娘、お主は何冊鞄に本を入れてるんだ?

 それを渡された先輩はパラパラとめくり


「なんか若い人向けじゃない?ライトノベルっていうの?うーん、こんな風じゃないんだよな。もっと社会派とか勉強できそうなの。」

「勉強?ならノンフィクション系ですか?」

「ノンフィクションか…知らない人の話は読みたくないんだよね。」

「あっならタレントさんの本は?先輩この人好きでしたよね。エッセイとか。」


 そう言って今度は携帯を取り出し、なにやら操作をし始めた。検索?というやつか。そういうのは知っている。長いバスの待ち時間によくやっている人間が多いしな。

「試し読みできますよ」と娘は先輩に中身を見える位置へと携帯をずらした。


「うーん…」

「あっこの人の詩集もいいですよ。」

「うーん、なんか…読んでもよく分かんないしいい言葉なんだろうけど、全然心に響かないわ…。」

「そ、そうですか…。なかなかいい本の紹介できなくてすみません。」


 これまたなんとも…一方通行な会話だな。


 それならこれは?映画にもなってますよ、いや犯人知ってるし、この切ないラブストーリーは?、いや違う、などの繰り返しで一向に終わりが見えずしだいに夜が二人の周りを染めゆく。街灯の灯りがついた。


「あーごめん、俺やっぱり活字向いてないんだわ。運動馬鹿って言われるくらいだし。」

「そんなことないですよ!」


 始まりは良かった。なかなかうまくはいかないものだな、男女というものは。

 娘は好きなものを否定されて平気なほど意思が弱いわけでもなさそうだが。

 お前達、もう少し視野を広くしなさい。私より見える目を持っているのだろ?

 娘よ、彼の足下を見てごらん?彼の靴はボロボロだ。元は白かったのだろう。大切に使っているからその面影はあるものの、黄ばみ始め、爪先は剥げ、底はすり減り、紐は今にもちぎれそうだ。きっとたくさん走ったてきたのだろう。何度も何度も地を踏みしめ努力を重ねてきた重みが靴に染み込んでいるようだ。彼の顔ばかり見ていないで、たまには下を見てみるといい。姿をしっかりとらえなさい。本当の姿は見えにくい。言葉は相手をよく知るアイテムだが、それだけでは本当の彼を知る事はできない。

 足元が見える位置に私はいたから知れたことだがな。

 そして青年よ、君ももう少し彼女の話を聞きなさい。否定してばかりいては、何も始まらないぞ。元々会話の糸口にしただけなのかもしれないが、それでは本を愛する彼女を傷つけるだけだぞ。


 本当に人はややこしいものだな。

 ゴミ箱の私は人語を解しても、発することも、まして喋ることもない。そもそも伝えようと思ったことはないしな。もどかしい場合もあるが、それは仕方がないことだと割りきっている。

 人の世界はこんなに言葉が溢れているのに、一番伝えたい相手に伝わらない。しかも二人の違いを浮き彫りにしてしまった。

 心が言葉で隠されてしまうこともあるのだな。


 それから高橋先輩はランニングへ戻り、娘は住宅地へと帰っていった。二人の後ろ姿はバラバラだった。ゴミ箱の私はそれを見送るだけ…





 涼しい時間が日に日に長くなり、木々の葉も所々変化し秋の衣替えが見受けられるようになってきた。空はうろこ雲が夕日に照らされ朱焼けを見せている。

 ゴミ箱の私は日が一日そうやって風流というものを感じるようになってきた。それはいろんな人の形と変化を見てきたからだろうか。

 二人の男女がバス停のベンチで楽しくお喋りをしていた。


「いやー感動したわ!俺泣くとは思わなかったよ。結衣ありがとな!」

「はい!良かったです。」

「この本渡されたときはびっくりしたけど、いいもんだな。」


 そう言って手に持っていたものは、普通の本よりは大きめだが薄くハードカバータイプの平べったい本だった。


「『泣いた赤河童』いい話だな。」

「えぇ。やっぱり先輩にはどうしても活字に触れてほしくて。苦手意識もあるし、なら可愛い絵の載ってる絵本がいいかなって。小さな甥っ子さんもいるって言ってたからちょうどいいと思って。」

「そうそう、せっかくだし姉貴の息子に読むつもりで読んであげてたらさ、俺の方が泣いちゃって…。だって泣き虫赤河童が緑河童のお陰でやっと仲間に入れてもらったのに、あいつ旅に出ちゃうんだもん。しかも自分が悪者になったままだなんで、友情に泣けてくるよ。てか、甥っ子より夢中になったわ。」

「ふふっ喜んでもらえて良かったです。なら今度はこの本どうですか?絵はありませんけど。」


 娘の手には文庫本『幸福な王子』


「今度は海外もの?名前は聞いたことあるけど一気にハードル上がってねぇか?」

「いいえ、馴染みのある御話で入りやすいのもあるけど、この御話自体は25ページしかないんですよ。」

「え?それだけ?」

「そう、だから活字が長続きしない先輩でも読み切れるでしょ?」

「言うねぇ、お前も。」


 そう返す先輩の顔は責める風はなく、ニヤリと笑って返していた。

 娘もしっかりしておるな。好きなものを知ってもらう努力には感服する。諦めてしまうのは簡単だが、こうやって相手と話し合ってより良い方向へと繋ぐこともできるのだな。

 彼は彼なりに努力している。バス停がある小高い山の坂道を未だにほぼ毎日ランニングし続けている。大会に出れるかもまだ分からないだろうに、それでも諦めずに。


「『幸福な王子』ってそういえば絵本もあったよな?また子供向けかぁ…」

「先輩、児童文学を馬鹿にしちゃ駄目ですよ!」

「おっ、おう。」

「この本は短編集で読みやすいのもありますが、この作者が生きた19世紀当時のアイルランドを色濃く反映した物語ばかりなんです。だからこれを読めば、この時代、服装とおしゃれにどれだけ気を遣っていたのか、それから日常の会話の中にある価値観の違いとか、根強くあった宗教もそう。それに幸福の在り方って今とはまた違うんですよ。他にもいろんな話があって、ラストに来る悲惨な結末とかもう…それすらたまらない!勉強どころじゃないです。」

「おー!マジか!」

「はい!マジです!」


 一気に捲し立てた彼女は清々しそうだった。気圧されつつも聞き入っていた先輩は「さすがだなぁ~」と感心していた。きっと先輩は今日の彼女を思い出しながら読むことだろう。これもひとつの切っ掛け。


 喉を潤し空になったペットボトルを私へと捨てる。

 暗くなっていたことに気づき先輩が送ると言って娘と一緒に住宅地の方へと帰っていく。二人が並んだ後ろ姿は薄闇に輪郭がぼやけ、隙間が見えなかった。ただ笑い合う彼等はとても晴れやかで見る先も一緒なのだろう。これからもずっと。

 初めは違う者同士、好みも性格も随分バラバラだった。そう思っていた、なのに…好きなことに資力し、夢を追いかけ、物を大切にし、ボロボロになるまで努力する。何より諦めないところが、そっくりだ。似た者同士。

 いいカップルになりそうだな。ゴミ箱の私じゃ説得力がないって?まぁそう言わずに、私も夢を見るくらいいいじゃないか。


 ゴミ箱に夢が必要かと言われれば、必要ではないかもしれない。けどあった方が楽しいじゃないか。物語に私も加えてくれ。そして生きている実感をさせてくれ。それとも…



『願いは人間以外お断り』だろうか?







読了ありがとうございました。

話に出てくる『幸福な王子』は新潮文庫様を参照させていただきました。『泣いた赤河童』もさっしていただければ。ではまた五話目でお会いしましょう。

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