エピローグ
「集合!」
ひまわりの号令がかかり、三年が立ち並ぶベンチ前に、後輩たちが集まった。第二グラウンドは燃えるような夕焼けで、赤く染まっている。
「えー、今日で私たちは引退です。全国ベスト8という最高の形で中学生活を終えることができて、私たちは本当に幸せです。それもこれも、みんなが私たち三年に負けないくらい頑張ってくれたからだと思います。しかし、みんなはこれで終わりではありません。みんななら、私たちよりももっとすごいチームになれると信じてます。チームに残るみんなも、もっともっと練習して、今年よりもさらに強いチームになってくれるよう、願っています」
隣で聞きながら、私は苦笑いする。後輩たちもみんな苦笑いである。「無茶いうな」って感じだ。もともと強豪でも何でもないのに、ひまわりと秀也の世代を超えろとか無謀にも程がある。でもひまわりはマジに言ってそうなのが、たぶんこの娘バカなんだろうな、と感じさせる。
ロブスターズに勝利し、全日本少年軟式野球大会に出場した私たちは、エース光葉ひまわりと四番、村井秀也の活躍でベスト8という成績を収めた。弱小公立校の新青葉中にとっては、たぶん全国出場だけでも初の快挙であろう。
無論、たいして野球部に力を入れていない我が校はコネもなく、この時期に引退試合に付き合ってくれる野球チームはなかった。そのため今日の全体練習で締めとなったのである。
「それでは、次のキャプテンを発表します。木元!」
「ひゃ、ひゃい!」
木元が裏返った声で返事をし、ロボットみたいな挙動で前に出てきた。
「み、みちゅば先輩の後を継いでキャプテンになりましゅ! き、木元でしゅ! よ、よろしくお願いしゃーす!」
木元はテンパりながら所信表明をした。何チームメイトの前で緊張してんだよ。男がこんなしゃべり方してもキモイだけだろ。
「え、えっと、えっと、で、ではみ、御影先輩から一言!」
「は!?」
テンパっている木元は何をとち狂ったのか、何の脈絡もなく私に振ってきた。
「わ、私が話すなんて聞いてない! 段取り違うぞ!」
「段取りなんて覚えてねえっす! 『何チームメイトの前で緊張してんだよ』って顔してたじゃないっすか! お手本見せてください!」
「な、ナチュラルに人の心を読むな!」
「あ、ほんとに思ってたんすね! 最低っす先輩! さあ先輩、どうぞ!」
「ひ、人には向き不向きがあってだな……」
言いながら正面を見ると、後輩たちの熱い視線がいつの間にか私に注がれている。
「あ、え、と、が、頑張ってください……」
真白になった頭では何も浮かばず、ほぼ脊椎反射で月並みな定型文を言った。大勢の前で言葉を発しただけでも褒めてもらいたい。後輩たちは嘲笑に似た苦笑いをしている。引きこもりたくなってきた。
「ええい、こうなりゃお前らも道連れだ! 秀也! お前からも一言!」
「え、俺!? お、俺台本とか用意してない……。が、頑張ってください!」
引退のその日、私たちは最後まで笑っていた。
「いやあ、まさか色紙なんて貰うとはね」
最後の部活が終わった、学校からの帰り道。坂道ダッシュに最適な急な坂を三人で下りながら、ひまわりは手元のサイン色紙を愛おしそうに眺めながら言った。その発言に隣を歩く秀也が同調する。
「感動したよな。なんつーか、先輩っていいよなあ」
さっきから二人ともずっとこの調子で、若干うざい。
「お前らどんだけ嬉しいんだよ」
「なんだよ月見。お前も貰ってただろ? 後輩たちからの思い出に残るプレゼントだぞ」
「まあ、私は、な……」
たしかに私も貰っている。そしてたしかに貰った瞬間は何か込み上げてくるものはあった。ああ、私もちゃんと先輩として認められてたんだなとか、感慨深かった。しかしいざ中身を見て、戦慄した。
ひまわりの色紙には「先輩は永遠に俺の憧れです!」とか、「先輩は絶対上に行ってもやっていけます!」とか、そんな文言が目立った。秀也や他の三年も似たような励ましや感謝の意が込められていた。
しかし私の色紙は他と明らかに違った。特に太田。「先輩は怖いので、もう少し笑った方がいいです」である。何の指摘だよ。
あと匿名希望とかなってたけど木元。「いつも怒ってばっかだと高校で彼氏できないっすよ」って。誰のせいで怒ってると思ってんだ。余計なお世話じゃ。
他の連中もだいたい「怖かった」とか「高校では笑顔で」とか、似たような内容だった。私そんなに怒ってばっかだったのかよ。いや、たしかに怒ってばっかだったけど。
たしかに思い出には強烈に残るだろう。こんな思い出いらないが。
何となくこの私だけ乗り切れてない雰囲気が嫌なので、強引に話を変えよう。とりあえず木元と太田は次にあったら殴る。
「ところで秀也」
「何だ?」
「今日で引退だけど、結局あれはどうするんだ?」
「は? あれって何?」
「いや、告白するとか言うあれ」
そう、ロブスターズの偵察の帰りに話したあれである。あのときは突然のカミングアウトにどう反応していいかわからなかったが、私はちゃんと覚えている。
「は、ふぁ!?」
秀也は素っ頓狂な声を上げると、顔を赤くしてひまわりを見た。そのひまわりが恋バナに食いつく。
「え、何、秀也! 告白するの!? 誰に誰に!?」
お前である。
「い、いや、ていうか、その、つ、月見、ちょっと来い!」
「うおう」
秀也に腕を掴まれ、道の端に引き寄せられた。何だか恥ずかしそうだし、仕方ないので小声で話してやる。
「何だよ。告白するって言ってただろ、ヘタレ」
「い、いや、あれはお前を焚きつけるためっていうか……いや、たしかに告白できるならしたいけど……」
「は?」
「で、できるわけないだろ! あんなもん見せられて!」
「あんなもんって何だよ」
「ロブスターズ戦の最後だよ。ひまわりとお前の」
言われたと瞬間にあのときの記憶が鮮明に甦る。
「あ、あんなの関係ないだろ……。だいたい女同士だし……」
ちくしょう。思わぬ反撃である。こんなところで思い出してしまった。試合直後でアドレナリンが大量分泌されていたとはいえ、あんな恥ずかしいことを自分がしていたなんて、未だに信じられない。
「俺はな、勝てない戦はしないんだ」
「お前ほんとにヘタレ野郎だな」
「ヘタレじゃねえ。戦略的撤退だ。別に諦めるわけじゃない。プロになって、ひまわりに釣り合うようなすごい野球選手になって、今度こそ告白するんだ」
「よくそんな恥ずかしいセリフ言えるな」
「恥ずかしいとか言うなよ、余計恥ずかしくなるだろ……。とにかく、いずれお前から、ひまわりを奪い取って見せる!」
「だから女同士だし。百合厨なのは結構だが、そういうの現実に持ち込むなよ。……まあ、いいか。やれるもんならやってみろ」
もうめんどくさいので、乗ってやることにした。秀也は何だかキザったらしいキメ顔をした。いや、そんなノリノリな表情されても困るんだけど。
「ねえ、何の話? 私だけ除け者?」
私たちが密談から戻ると、話に取り残されたひまわりが割って入ってきた。私は再び歩きだしながら、曖昧に答える。
「別に。ひまわりは罪な奴だなって」
「え、私? どういうこと?」
ひまわりはキョトンとした顔で自分を指差した。しばらくその場でフリーズしていたひまわりは、ようやく復旧作業が終了すると「あ、待ってよ!」と言いながら駆け寄ってきた。
「しかし、部活も終わって、明日からは本格的に受験生だな」
ひまわりが追いつくのを待ってから、私は切り出した。
「いやあ、受験組は大変だなあ。頑張れよ」
秀也が精いっぱいの憎たらしい声で煽ってきた。うぜえ。
「ちっ。推薦組は気楽でいいよな。ところでお前はどこ行くんだ?」
「横原だ。すげえだろ」
「くっ、うぜえ。しかし横原か。超名門だな」
横原高校と言えば、神奈川県内屈指の野球名門校である。甲子園の常連で、この高校出身のプロ選手も多い。そんな高校に請われて行くんだから、たしかにすげえ。
「決め手は?」
「まず神奈川県内だしな。やっぱ胸張って神奈川生まれって言いたい。それに大倉コーチが熱心に声かけてくれてな。あのロブスターズの試合後にも来てくれたから、そこで決めた」
「でも横原って男子校だろ? それに県内って言っても家からじゃ遠いから、たぶん寮生活。百合厨のお前に女のいない生活は耐えられるのか?」
「ぷ、プロになるためなら耐える他ないだろ……。しかしアニメが好きに見られないのは辛いな……」
「野球選手の風上にも置けんな」
いや、私もアニメの見れない生活とか想像したくもないので、気持ちはわかるが。
「まあ受験って言っても、私は成績あるから余裕だけどな。たぶん星浜なら面接だけで行ける。むしろ問題はひまわりだな。星浜にも落っこちるようなら、割と本気で恥ずかしいからな」
と言ったところで、そろそろ下り坂の終わりが見えてきた。私はタイミングよく切り上げようと、話の締めに入った。
「まあ安心しろ。私がしっかり教えてやる。ただしスパルタで行くから覚悟しとけよ」
「う、うん……」
冗談で言ったのだが、何だか真剣に思いつめたような返事が聞こえた。そんなにスパルタが嫌なのだろうか。たしかに私の後輩への接し方を見れば怖いと感じるかもしれないが。
「い、いや、あれだぞ? スパルタって言っても、そんなに厳しくするわけじゃなくてだな」
慌てて言いかえると、ひまわりが突然立ち止まった。奇しくも分かれ道に差し掛かったところである。
「……ひまわり?」
「月見。私、星浜に行かない……かもしれない……」
その瞬間、何となくだが、その理由を勘付いた。しかし、私はあえて、極めて意外そうに聞き返す。
「えっと、どういうこと?」
「実は私、色んな女子野球部から誘われてたんだ。東京もそうだし、わざわざ鹿児島からスカウトに来た人もいた」
やはり。薄々は気づいていた。ひまわりは、私と同じレベルに甘んじるべき存在ではない。
「最初は興味なかったんだけど、樟武高校の人がずっと声かけてくれて、それでちょっと……」
樟武高校。正式には埼玉樟武高校。その名の通り埼玉県にある私立高校だ。スポーツには力を入れており、男子野球部は甲子園ベスト4になったこともある。女子野球部では間違いなく名門の一角で、全国の常連であり、日本一の経験だってある。
それだけの名門であれば、野球をする環境としては最高だ。おそらく指導者は一流だし、グラウンドや設備も星浜など比べられない。周りの部員が強ければ強いほど受ける刺激も強く、学ぶことだって多い。野球を磨くのなら、断るべきではない。
ひまわりは一瞬の逡巡を見せると、一転しておどけたような声で言いかえた。
「で、でも、やっぱり星浜の方がいいかな! だってそんなすごい環境にいたことないし、何となくだけど、私にはスローな感じっていうか、マイペースが合ってるような、合ってないような! ……それにこの前思ったんだ。一人になってやっていけるのかなって。ほら、この間までの私のボール、酷かったでしょ? たぶん私、月見とじゃなきゃダメなんだ……」
ひまわりは、珍しく弱々しい声でそう言うと、困ったように笑った。
私はホッとした。想像していた通り、ひまわりは多くの高校から誘いを受けていた。それでも、ひまわりは星浜に来ることを選んでくれた。私といることを選んでくれた。だからこそ。
「行きなよ、樟武高校」
「え?」
私はまた、裏腹に言った。
「私は、ひまわりが誰よりも野球が好きなことを知ってる。人一倍努力してることも知ってる。だったら、このチャンスを逃しちゃいけない。上に行けるなら、行くべきだ」
ひまわりも秀也も、本来は中学校の軟式野球部なんかにいるべき選手じゃない。シニアでも充分、いやきっとそこでもトップになれる選手だ。それがこんなところでくすぶっているのは、たぶん今みたいに、私に合わせたからだ。
「で、でも、自信ないよ……」
まだ弱気なひまわりに、もうひと押し、私は嘯く。
「別に、だからって応援するわけじゃないぞ。私が格下だって、認めるわけじゃない。私は、ひまわりと戦ってみたいんだよ。野球選手の本能、っていうのかな?」
今まで見た中で、そしておそらく、これから出会う中でも、私が最強だと認めるピッチャーと、真剣勝負がしてみたい。それも確固とした理由の一つだった。
「……そっか。ふふ、でも星浜なんかじゃ、樟武と当たる前に負けちゃうんじゃない?」
「バカ言うな。弱小校は主人公補正ってのが付くんだよ。私が入って、あとは初心者だけど根性だけはあって、なぜかすぐ成長する実は天才の熱血ピッチャーがいれば、強豪校と当たるところまでは行くんだよ」
「あはは、何それ」
ひまわりはおかしそうに笑いながら、涙を拭った。
「中学までずっと一緒だったけど、高校ではバラバラか」
秀也が寂しそうに言った。
「そうだな。しかし、別に永遠の別れじゃない。野球をやってれば、いつだってつながってる」
「よくそんな恥ずかしいセリフ言えるな」
「うるせえ」
まさか秀也にやり返されるなんて、屈辱だ。
私は気を取り直して、今度はひまわりに向き直った。
「ひまわり、次にグラウンドで会ったら、敵同士だな」
「うん。絶対に負けないからね。今よりもっと強くなって、月見の手が届かないくらいのピッチャーになってみせる」
「上等だ。私だって、もっともっと強くなって、いつかひまわりを超えてやる」
二人で対戦を誓いあうと、ひまわりが右こぶしを差し出す。とっさに反応できずにいると、空気を読んだ秀也も一緒になって拳を出した。何かすげえ青春してる感じが突然恥ずかしくなってきたが、ここは勢いである。私も乗って拳を差し出して、これで三つの右拳が出そろった。
「それじゃあまた、グラウンドで」
「おう」
ひまわりの号令で、三つの拳がかち合う。三つはそのまま離れて、少しだけ三人で照れくさそうに笑うと、ひまわりと秀也は後ろを向いて歩きだした。
離れていく二人の後ろ姿を見ながら、私は思った。
私たちは、ずっと三人で一緒に野球をしてきた。天才でない私は、きっと天才の二人とは違う道を歩いてきたのかもしれないけど、共に過ごした時間は、誰より濃い。だからこそ、私たちは野球でつながっている。
天才とか凡才とか、そんなことは関係ない。野球は楽しい。それだけあれば、私たちは、距離も、言葉さえも超越して、一緒にいられるのだ。
太陽の下、立派に咲き誇るひまわりたちに背を向けて、人目に付かない場所でひっそりと、しかし力強く咲く月見草は、堂々と歩きだした。




