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ひっそりと咲く  作者: 薬師寺のぼる
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 私とひまわりが初めて野球の試合に出たのは、小学三年生のころだった。隣町の少年野球チームとの練習試合。相手は高学年がメンバーの中心だった。

 試合の前日、私はひまわりの家に泊まって、遅くまで語り合った。試合の配球についてとか、そんな真面目な話ではない。

 たとえば、私たちが明日大活躍して、その試合になぜか、たまたまプロのスカウトが来ていて、なぜか二人ともその才能を見出されて、そのままなぜか、史上初の女子小学生プロ野球選手になって……なんていう、バカみたいな夢物語を、真剣に語り合っていた。

 私はそのときヤクルトファンだったけど、ひまわりと離れたくなかったから、二人で巨人に入ることになった。

 今思っても本当にバカバカしい話である。しかし当時の私たちは大真面目だった。少なくとも、話の大前提として、負けるなんてことは微塵も考えていなかった。

 しかし、そんな自信はすぐに崩れ去った。

 初めての試合、三回から登板したひまわりは打ち込まれた。ワンアウトも取れないまま、フォアボールとヒット、エラーが続き、三失点を喫した。相手は高学年、年長の男子だし、仕方ないと思った。

 監督が出てきて、ひまわりに交代するか聞いた。でもひまわりはマウンドを降りなかった。目を真っ赤にはらしながら、ひまわりは続投を志願した。

 チームメイトは一様に、うんざりしたような顔をしていた。当然だ。だいたいの人間にとって、野球は守備よりバッティングの方が楽しいものである。それがダラダラと長く続いたのであれば、嫌にもなる。もちろん誰一人としてそんな不満は言わなかったが、視線であるとか、雰囲気で、ひまわりもそれは感じていたはずである。

 それでも、ひまわりは続投した。そのとき私は、ピッチャーとは、わがままなものであると理解した。

 その後もひまわりは打たれ続けた。出てくるバッターに真っ向勝負を挑んでは、簡単に打ち返された。

 球数が増えるにつれて、ひまわりのボールは遅くなっていった。コントロールもめちゃくちゃになっていった。しかし、べそかきながら投げ続けるその表情には、ボールには、「負けたくない」、「次は勝ちたい」という、強い意思が見えた。打たれて恥ずかしいとか、そんな気持ちなど超越した、異常なまでの負けず嫌いである。力のないそのボールには、間違いなく魂が宿っていた。

 誰もが、意地を張って投げ続けるひまわりに、呆れていたと思う。しかしボールを受け続けた私は、そんなみっともない姿を、かっこいいと思った。

 結局ひまわりは、監督が無理やり交代させるまで投げ続けた。五十球の間、ひまわりはどれだけ打たれても、自分からマウンドを降りなかった。そのひまわりのボールを、私はすべて受け続けた。

 それから、ひまわりは必死に練習するようになった。今までだって決して手を抜いていたわけじゃないと思うけど、ひまわりは誰よりも努力するようになった。


 ……ずいぶんと懐かしい思い出を、夢に見た気がした。

 私は目を開けると、むくっと起き上がった。

 小学三年生のころの思い出だから、もう六年は前か。まだ私の性格がめんどくさくなる前である。

 なぜ久しぶりにこんな夢を見たのかは、わからない。たとえば頭の中がお花畑の少女マンガとかなら、最近ひまわりと話をしていないから、恋しくなって夢の中に出てきたとか、そんな感じなのだろうか。アホみたいな理論である。こちとらそんな淡い青春は送ってないし、だいたい女同士だし。

 ちなみに平安時代とかの古文、和歌的には出てきた方が会いたがってるらしい。夢の中とかいう完全プライベートな空間にさえ入り込んでくるとか、超ヤンデレである。

 ふと枕元の時計を見ると、時刻は五時五十分だった。いつも通りの起床時間である。私は布団の上で軽く伸びをしてあくびを吐きだすと、まだ鳴る前の目覚ましのアラームを切り、布団から出た。

 今日は六月七日、日曜日。学校も野球部の練習も休みの日である。私は平日でも休日でも、いつもこれぐらいの時間に起きる。アラームは六時に設定しているのだが、いつの間にか鳴る前に起きるようになって、ここ数年、目覚ましの音を聞いてない。とりあえず毎晩設定はするが、たぶんもう目覚まし必要ない。

 私は布団をたたみ、軽くストレッチをしてTシャツとジャージに着替える。洗面所でパパッと顔を洗い、玄関に向かうと、朝飯前にランニングに出かけた。毎朝のルーティーンである。

 私の家は四階建て賃貸マンションの最上階の一部屋である。四階から狭苦しい階段を降り、フロントから道路に出ると、私は毎度お決まりのコースを走り出した。

 ランニングの最中というのは、結構考え事が多くなる。ルートはいつも決まっていて、たぶん目をつぶっていても迷うことはないし、頭を使う必要がないのである。

 最近頭に浮かぶのは、先日、ロブスターズを偵察に行った際の、秀也の告白宣言である。それだけ衝撃的な出来事だったから、ふとした拍子に考えてしまう。あいつあの後、死にたくならなかったのかな。私だったら恥ずかしくなって、腹を裂いて死ぬと思うが。

 告白宣言以来、秀也に特別な動きはない。いつも通り元気に練習に参加している。強いて言うならば、最近は練習中の声が、いつもより大きくなった気がする。女でも意識しているのか。

 ついでに、先日の偵察で手に入れた情報は、その日のうちにノートにまとめ、各選手の特徴や弱点をピックアップ。抑える算段を立てた。

 なお、一応それらの情報はチームメイトたちにも開示したが、活用する気のあるやつはいなさそうである。毎度のことなので気にはしないが。

 あれこれと考えているうちに、マンションの前に戻ってきた。部屋に帰ると、お母さんがご飯を用意していた。

 朝食のメニューは納豆ご飯に目玉焼きにインスタントの味噌汁。これも毎朝同じである。たまに目玉焼きがスクランブルエッグになる。

「じゃ、お母さん、もっかい寝るから」

「うん、お休み」

 手を洗いながら答えると、お母さんはとっとと寝室に入っていった。お母さんは、休みの日はだいたい引きこもっている。

 着ていたTシャツを洗濯機に放り込み、半裸のまま自室に行き、部屋着に着替える。食卓に戻ってコップにお茶を注ぎ、適当にNHKをつけ、一人で朝食を食べ始めた。

「いただきます」

 炊飯器の中には、毎朝大量の米が炊いてある。無論、私が食べる用である。パワーをつけるには体を大きくしなくてはいけないし、野球選手は食べるのも練習なのだ。

 が、しかし、朝飯前にランニングしているとはいえ、私は基本的に小食である。二杯目以降は吐きそうになりながら、それでも無理やり胃に詰め込むことになる。毎食頑張っているのだが、なかなか慣れない。はっきり言って食べるの嫌いである。

 今朝も何とかゴマ塩とか、あの手この手で味を変え、泣きそうになりながら完食。食器をシンクに放り投げ、ソファーに寝転がる。皿洗いをしないといけないのだが、今はちょっと無理である。下手に動くと全部リバースしてしまう。

 十五分ほど安静にして、お腹を落ち着かせてから、皿洗いと歯磨きをしてトイレに籠る。それらも済むと、録りためていたアニメの消化へと移行する。

 とりあえずクソアニメだろうが全部見る。ほぼ義務である。だいたいその日のうちに鑑賞することにしているが、野球部で特に疲れた夜などはすぐ寝てしまうため、その遅れは休日に回る。今週は五本である。うち、愛すべきクソアニメが一本。

 私がアニメを付けると、お母さんがおもむろに起きてくる。そして無言で見始める。最初のうちは何となく気まずかったが、今では際どいのでも一緒に見る。別段会話はないが、一緒に見る。たまに同じところで笑ったりする。まったく不愉快ではない。むしろ楽。こういう親子である。

 アニメも消化し終えると、鑑賞会は解散。お母さんは引き続きテレビでワイドショーなんかを見始めた。私は自室に戻ってトレーニングをする。腕立て、腹筋など、できるだけ自重を使ったトレーニングが中心である。これだけ毎日やってるのに全然パワー付かないのは、なぜだろうか。

 トレーニングも終えると、いよいよ午前中のやるべきことはすべて消化したことになる。ここから昼まではネットサーフィンをすることもあるが、だいたいゲームの時間である。とりあえず3DSを起動してレートに潜る。なかなかマッチングしないが、根気よく待つ。そしてついにマッチングすると、バトルの開始である。

 六戦したところで、そっと3DSを閉じる。戦績は二勝四敗。まあ、いつもこんなもんである。読みが当たると勝てる。でもゴリ押しに負ける。頑張ったんだけどな、私のチリーン。

 バトルを見直し、構築や立ち回りを考察していると、「ごはんー!」というお母さんの声がかかった。私が「ちょ、ちょっと待って!」と返してパソコンをシャットダウンしていると、またお母さんから「ごはんー!」という声がかかった。

 今日の昼食は冷凍食品の餃子だった。もちろん米が大量に炊いてある。

 昼はお母さんも一緒に取るが、そこは私の母。当然小食である。二十四個とかある餃子を三個だけ食べ、ご飯も茶碗一杯だけ食べて終了。すぐに下膳してしまう。私に大量の餃子と白米を残し、ソファーでワイドショーを見始めた。

 野球さえやっていなければ、私もこんな苦行から逃れられるのかと思うと、運動嫌いの母を見て、ちょっと羨ましく思った。しかし困ったことに、私は野球を好きになってしまったのである。

 昼食も死ぬ思いをしながら何とか完食。お母さんにソファーを譲ってもらい、私は倒れこんだ。お母さんはしばらく立ったままテレビを見て、政治のニュースになると寝室に戻った。せめてテレビ消してってください。

 しばらくソファーでダラダラして、ふと思い立って歯磨きを済ませる。するといつの間にか二時になっていたので、慌ててケーブルテレビの番組表を探す。目当ての番組を発見し、チャンネルを合わせた。楽天対カープ、交流戦の中継である。

 五回の攻撃が終わるまで見てから、目を閉じてテレビを消し、無言で天井を仰ぐ。結果はお察しいただきたい。

 気分を切り替えるように深呼吸をして、また自室でジャージに着替える。今度はバットケースを担いで外へ出て、ジョギングしながら近所の公園へ向かった。

 うちはマンションである。しかも小さいマンションなので、もちろん大きな庭などはない。そのため自主練習は近くの公園まで行かなくてはいけないのである。

 まあ、素振りくらいはフロントでしてもいいのだが、素振り中に隣室の大学生とかが帰ってきて、鉢合わせになったりする。多少は近所の交流があれば問題はないのだろうが、そう言うのほぼないマンションで気まずい感じになったことが何度もあるので、やらないことにしている。

 公園に到着すると、私はバットをベンチに置いて、まずはストレッチを始めた。辺りを見回すと、他に人はいないようだ。タイミングが悪いと近くの幼稚園児たちが遊びに来たりしているので、超恥ずかしい。

 この公園は小学一年のころ、ひまわりに教えてもらった場所である。立地はうちの方が近所にあるのだが、もともとインドア派であった私は、公園だとかの施設には疎かった。野球を始めるにあたって、二人で自主練習ができる場所として、ひまわりが教えてくれたのが、この公園である。ちなみに、ひまわりの家はでかい一軒家なので、本人はこんなところに来なくても練習ができる。

 一通りストレッチをすると、最初は短距離ダッシュ。公園の端から端まで、全力で十セット走る。走り終えると、素振りへと移る。バットケースから金属バットを取り出し、公園の隅っこで構える。

 素振りの回数は百回にしている。かつては五百回振っていたこともあったが、そのときは途中で疲れて、ほとんどまともにスイングできていなかった。意義のある素振りを百回やった方が効果的である。

 まず、ストライクゾーンを九分割し、それぞれのコースを各十回ずつ、合計九十本。もちろんピッチャーからの投球を想定し、コースごとに理想的なインパクトポイントをイメージする。

 残りの十回はイメージトレーニングである。私が今までに打席で見た、もっとも強いピッチャーをイメージし、そのピッチャーと対決する。もちろん変化球だって投げてくるし、カウントによって配球も変えてくる。ボールゾーンも使ってくる。

 私はバットを構えなおし、正面に一人のピッチャーをイメージする。その相手は、ひまわり。

 打っても、捕っても、私にとっての最強のピッチャーは、ずっと彼女だった。

 その十回も振り終えると、今日の自主練は終了。今日もひまわりを打ち崩すことはできなかった。イメージの中でさえ私は、ひまわりに一度でも勝ったことはない。それ程ひまわりの存在は、圧倒的だった。

 私は溜息をひとつ吐くと、バットをケースにしまい、マンションに帰った。


 部屋で本を読みながら野球の勉強をしていると、お母さんに呼ばれて晩ご飯の時間になった。外を見ると、いつの間にか夕方になっていた。

 食卓に座る。メニューはチンジャオロースと、例によって大量の白米だった。中華は好きだが、ちょっともう食べ物見たくない。

 その地獄のような晩ご飯も何とか完食。これでもう翌朝まで食べなくていいと考えると、ちょっとした達成感を味わえる。

 またソファーに寝転がってお腹を落ち着かせ、皿を洗うと、風呂は烏の行水で済ませる。さっさと着替えて、おおざっぱに髪を乾かすと、テレビの前に座り込む。NHKに切り替えると、大河ドラマが始まった。

大河ドラマを視聴し終えると、時刻は八時四十五分。私はテレビを消して自室に戻る。

 これから一時間は、学校の授業の復習の時間である。

 机に座り込むと、ふと、今日ほとんどしゃべってないことに気が付いた。まあ、家族ではそんなに会話しないし、学校でも友達とか特にいないし、普段からあまりしゃべったりはしないのだが。休日ならなおさらで、ひまわりと自主練習したときとか、何でもない用事でひまわりから電話が来たときにしか、声は発さない。

 ……そう言えば、前まではこのくらいの時間になると、しょっちゅうひまわりから着信があったものである。しかし最近はかかってこないから、何となく居心地が悪い。別に来て欲しいわけでもないが。

 気を取り直して、教科書を取り出そうと足元に放ってあるエナメルバッグをのぞき込む。すると教科書と一緒に、紙が数枚入ったクリアファイルが目に付いた。そう言えば配布物の整理をしていなかった。

 どうせ大したものは入ってないだろうが、私はクリアファイルを取り出す。案の定ほとんどが、学級通信とかどうでもいいものばっかである。私は一応目を通すが、これをまともに読んでる奴とかいるんだろうか。

 私はその中から一枚だけ残すと、いらないプリントをまとめて折りたたみ、机の下のごみ箱に押し込む。

 残した一枚は進路調査書だった。しかも明日提出。すっかり忘れていた。

 とはいえ、こんなものを書くのに時間はかからない。進路ならすでに決めてある。

 私はプリントの「進学」という選択肢に丸をつけ、第一希望に「星浜高校」と記入した。第二希望以下は白紙である。ここ以外には考えていない。

 横浜市立星浜高校は、ごく普通の公立高校である。偏差値も高いわけじゃない。むしろ結構低い部類で、私の学力ならまず落ちることはない。担任にはもっとレベルの高い進学校を勧められている。しかし、私は星浜の他に行く気はない。

 なぜあえて星浜に固執するのかと言えば、理由は至極単純である。近場で女子野球部のある高校がここだけだからである。他に女子野球部のある高校は東京とか埼玉とか、少なくとも家から通える範囲にはなく、しかもそのほとんどが私立である。他にねえから仕方ねえという、つまり消去法である。

 しかし、そう言えばそろそろ卒業も見えてきたわけか。

 全国少年軟式野球大会に出場できなければ、三年生は引退の予定となっている。部活動がそれほど活発な中学校ではないし、終わるときはあっさり終わる。つまり私の中学野球がまだ続くかどうかは、今度のロブスターズとの試合にかかっているのである。

 そして私たちの引退の後は、新チームが動き出す。キャプテンは、たぶん消去法で木元だろう。ついでに正捕手も木元になるわけで、新チームを率いるのは間違いなく木元なのだが、しかしどう考えても本人にその自覚はない。引き継ぎのためにいろいろと教えているのに、嫌な顔するばかりである。この前も偵察拒否しやがったし。

 ところで、進路と言えば他の同期たちはどうするのだろうか。聞いた話によれば、秀也はすでにいくつかの高校から声がかかっているという。無名の公立中学であるから、遠くの高校から来たことはないそうだが、神奈川の横原とか、東京の早稲名実業とか、関東圏の強豪校から誘われているらしいから、たぶんバカでもどっかには行けるんだろう。

 そしてひまわりは、そう言えば一緒に星浜に行くという約束を去年した。星浜は基本的にハードルの低い高校であるが、ひまわりはそれ以上にすげえバカなので、そう言えば私が勉強を教えることになったのだった。失念していた。

 ひまわりの頭で、星浜の他に行けるところは、あまりないだろう。つまりどんな事情があろうと、進学するなら他の選択肢はない。ということは、卒業してもひまわりとの関係は続くということである。星浜に行けばお互い何があろうと女子野球部には入るわけで、今後のことを考えると、今の状態ではよくないか。

 どうだろう。もしかしたら、そろそろ仲直りをする頃合いなのかもしれない。それが、これから先の高校三年間を順風満帆に過ごす、最も賢明な選択なのかもしれない。

 ……いや、やはりここで折れるわけにはいかない。この問題をなあなあで流したら、キャッチャーがピッチャーの奴隷であることを認めることになる。ひまわりから謝ってくるまでは、許すわけにはいかない。

「勉強するか……」

 切り替えるように溜息を吐き、私は教科書を開いた。


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