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ひっそりと咲く  作者: 薬師寺のぼる
3/8

 名前が悪かったのだと思う。

 私は体育館で立ち尽くしながら、考えた。

 何せ、「影」に「月見草」である。「御影」は、辞書によれば結構、神秘的な意味らしいけれど、そんなこと知らずに字面だけ見れば、目に付くのはやっぱり「影」である。「月見」も、いわゆるキラキラネームなのに、全然輝かしくない。痛々しいのに地味とか救いようがねえ。もっとあっただろ。「(ルナ)」とか。同じ痛い名前なら、いっそそれくらいふざけ倒してくれた方が、まだ笑える。私の親は何を思ってこんな名前を付けたのか。

 名は体を表すというが、何だか生まれながらにして、光が当たらないことが運命づけられているような気がした。

 それに対して彼女はどうだろうか。私はコートの中心でわいわいと騒ぐひまわりに目を向けた。体操服姿のひまわりは、四人の女子を周りに侍らせていた。

 光葉ひまわり。

 まず苗字に「光」とか入ってる。おまけに名前は、太陽に向かって真っすぐ成長する「ひまわり」。もうキラキラのギラギラである。こっちは生まれついた瞬間から、神に祝福でもされているような名前である。

 ぼっちがこんなにつらいとは思わなかった。

 いつもなら、「二人組作って」とか「好きな人とチーム組んで」という、ナチュラルないじめみたいな言葉も、すぐひまわりと組めたし、そしたら残りも勝手に集まってくるので、問題はなかったのだ。

 しかし、昨日の今日である。まさかひまわりと組むわけにも行かず、するとひまわり以外にさして友達のいなかった私は、必然的に取り残されることになり、三時間目の体育の授業は地獄と化した。

 競技は男女分かれてのバスケットボールだから、一チーム五人。うちのクラスの女子は二十人だから、まずあぶれることはない。が、自発的にチームに入れるかは別問題である。誰に声をかければ良いのかわからず、キョロキョロしてぼっちと思われるのも恥ずかしいので、とりあえず孤高を装ってじっとしていた。

 隣のコートでは、男子どもがかまびすしい声で騒いでいる。男子中学生というものは、女子が近くにいると無意味にデカい声で存在を示したがるのだ。鳥か何かにそんな求愛行動を取るのがいたと思う。つまるところ、男子中学生は鳥頭ということである。

 しばらく待っていると、一人の女の子が声をかけてきた。

「あの、御影さん。私たち、まだ四人なんだけど、よかったら一緒にチーム組まない?」

「え、あ、はい」

 大人しめの華奢な女の子である。たしか吉田さんだったか。かわいいけれど、ほとんど面識はないし、クラスでも目立つ方ではないから、記憶にも微かにしか残っていない。他のチームメイトも、地味な娘ばかりである。

 何にせよ、これでチームは確定である。先生に見つかって全員にぼっちを晒されるという拷問は、何とか回避した。

 準備運動やらパス回しやらを適当に行うと、いきなり試合である。先生が独断で組み合わせを決め、私たちは第一試合となった。

 コートに出ると、吉田さんが言った。

「御影さん、たしか野球部だよね。私たち運動苦手だから、足引っ張っちゃうと思うけど、頑張ろうね!」

「いや、私は別に……」

 あまり期待されても困るので、私は生返事をしながら、相手チームを見た。いつもクラスの中心で騒いでいる、すげえリア充感あふれる相手である。しかも本職のバスケ部員とかいる。こりゃ無理だ。

 と、相手のメンバーを見ていると、その中に楽しそうに談笑している、ひまわりの姿を見つけた。ほぼ同じタイミングでひまわりが私を見つけ、目が合うと、ひまわりはすぐにむっとして目をそらした。

「どったの、ひまわり?」

「え? あ、ううん、何でもない。それより今日は私、ダンクとか決めちゃうよ!」

「あはは、やめてよ! そんなことされたら本職の私、立つ瀬ないじゃん!」

 ひまわりは私のことなど眼中にないといった様子で、談笑に戻った。

「私に任せろ。ぶっ潰してやる」

「おお、御影さん頼もしい。……でも、何か顔怖いよ?」

 吉田さんは怯えたように言った。

 準備が整い、いよいよ試合開始である。まずはジャンプボールから。私のチームは全体的に小柄な娘しかいない。よって我がチームからは、相対的に最も背が高く、かつ運動部に所属している私が出ることになった。相手はバスケ部員が出てきた。

 主審の先生がボールを高く投げ上げた。私とバスケ部員は同時に床を蹴り、飛び上がった。そして、まあ、普通に取られた。身長と脚力の埋めようのない差である。

 ひまわりは狙っていたようにボールを受け取ると、素人たちのマークを次々とドリブルで潜り抜け、そのまま鮮やかにシュートを決めた。開幕数秒で失点である。

 いたるところから歓声が上がった。ひまわりのチームメイトはもちろん、試合が終わるのを待っている他のチームや、隣の男子コートからも、ひまわりを称える声が響いた。

「やっぱり光葉さんってすごいなあ……」

 息を整えながら、吉田さんがつぶやいた。私はその隣で、さらに小さな声でつぶやいた。

「別にすごくないよ、あんなの。私だってできる」

 その後も試合は一方的な展開となった。まず本職がいる時点でものすごいハンディキャップなのに、ひまわりみたいなチート・アスリートがいたんじゃ勝ち目はない。

 とはいえ、基本的にはほとんどが素人で構成された授業内の試合である。ゴールされれば、とりあえずはボールがもらえるわけで、複雑なフォーメーションとかチームプレイはないわけだから、ゴールまでパスでつなげば、何回かはシュートチャンスがやってくる。

 十点くらい取られたところで、ゴール付近に張っていた私にボールが来た。ほぼノーマーク。一矢報いるチャンスである。こいつでひまわりに吠え面をかかせてやろう。

 私は間近のゴールに向けて足を踏み出し、レイアップシュートを放つ。ガツンと言う音を立て、ボールはリングに弾かれた。色々足りなかった。

「こ、こういうことも、たまにはあるよね! 次、頑張ろ!」

 吉田さんはそう言って励ましてくれた。そうである。こんなことは稀によくあることである。決して私が運動音痴だからではない。賢人は過去を引きずらない。未来を見据えるのである。

 さらに十点くらい取られたところで、また私にシュートチャンスが巡ってきた。

 レイアップ……は、ちょっとだけ私には色々足りなかったので、今度は普通に放つ。左手は添えるだけ、とか何だとか聞いたことがある。しっかりとゴールに照準を合わせ、体全体をバネにしてぴょんと跳ねる。ボールはゴールのはるか上を飛び、体育館の上の、何か照明機材とか置いてある通路に入った。

「え、と……御影さん?」

「私は……野球特化型だから……」

「そっか。ごめん」

 吉田さんは何かを察したらしく、それ以上何も言わなかった。

 試合は当然のように負けた。吉田さんが終盤で一本だけ決めてくれたので、何とか完封は免れたが、点差は悲惨である。

 このままでは確実に成績が芳しくないので、とりあえず意欲はある感じをアピールするため、私たちのチームは審判を買って出た。でも私自身は特にやる気とかないので、あんま動かなくて済む得点係を引き受けた。割と点が動くので暇ではないが、頭使わなくていいので楽である。

 得点板の横でボーっとしながら、そもそもなぜバスケなのだろうかと、私は考えた。

 この世には、世界で最も楽しく、世界で最も素晴らしい野球というスポーツがあるにも関わらず、何故他の競技をせねばならぬのだ。野球をすればいいじゃないか。

 野球のあの動と静のきびきびした競技性は実に日本人の性に合っているし、めちゃくちゃかっこいい。泥臭いのに厳かである。

 しかも野球は究極の全身運動であるから、義務教育期間中の健全な体づくりという点においても優秀である。何より子供は風の子であるから、学校教育では屋外競技にすべきだ。屋内競技などしていたら軟弱になってしまう。全世界の人類は早く野球の魅力に気づくべきだ。

 そんな風に無駄な考えを巡らせていると、不意に辺りから歓声が上がった。何事かと様子を確認すると、隣のコートで秀也がシュートを決めていた。

「村井くんかっこいい!」

 などと、ギャラリーの女子からの黄色い声援も飛び交っている。村井くんは百合厨である。

 しかし、高が授業内の競技でこんなに注目されるものなのか。

 私ももっとバスケが巧ければ、これほどの喝采を受けたのだろうか。いや、きっと変わらないだろう。吉田さんくらいは褒めてくれたかもしれないが、それで私がクラスのヒーローになることはない。

 野球でもそうだった。私たち三人はずっと一緒に野球をやってきたけど、注目されるのはいつも、ひまわりと秀也だけだった。私だってチームでは主力だし、自分で言うのも何だけど、野球の実力だけは、二人にだって負けてないはずなのに。

 なぜかと問われれば私も困るのだが、たぶんその理由は、華がないからだろう。外見にもプレイにも、いやおそらくもっと深い場所、たとえばオーラとかそういう部分に、私には華がない。

 華なんて、どうやって身に付ければいいのかわからない。たぶん外見とか性格とか才能とか、そう言ったパラメーターの総合が、華とかスター性と呼ばれるものなんだと思う。

 それは限られた人間だけが、生まれつき持ち合わせている能力なのか、あるいは後から身に付けられる能力なのかはわからない。しかし少なくとも、それに対して論理的にアプローチしようとしている時点で、私には華がないのだろう。

 また歓声が上がった。今度は女子のコートで、ひまわりがシュートを決めていた。

 華のない月見草は、日差しの下の輝かしいひまわりを、黙って眺めるしかできなかった。


「偵察に行くぞ、月見!」

「は?」

 チャイムが鳴り、いつものように野球部に向かおうとした矢先、秀也が突然私の席にやってきた。

「もう試合も近いだろ? なら、偵察に行かなきゃだろ! 監督から交通費ももらった!」

「それはそうだが、普通は試合観に行くもんじゃないのか? まさか平日に練習試合はやってないだろ」

 偵察するなら普通は試合観戦である。いざ試合をする際に役立つのは確実に実戦の情報だ。また試合では対戦相手がいる以上、偵察を警戒していても、あからさまに手を抜くことはできない。逆に言えば練習では、偵察に気づかれれば、正確な情報が掴めないのである。

「い、いや、ほら、あれだ。試合だけじゃわかんないことも、あるんじゃないのかなって……」

「……そうか。でもいつも偵察なんて私に投げっぱなしだろ。どういう風の吹き回しだ?」

 新青葉中の野球部で偵察といえば、私の仕事だった。別に率先してやりたいわけじゃないのだが、私のプレイスタイルではどうしても相手のデータを調べる必要がある。それに加えてうちのチームメイトたちはそういう裏方仕事が嫌いな奴らばかりのため、仕方なく私が引き受けていたのである。たまに木元とか無理やり連れてったりしたが。それが突然こんなやる気満々で来られたら、引くのは必然である。

「ま、まあいいだろ、そんなこと!」

「……まあ、そうだな」

 何となく不審に思いながらも、いずれ偵察をせねばならぬのは確かなので、私は渋々承諾することにした。

「よし、決まりな」

 秀也はそう言うと、すぐさま走り出した。教室の真ん中で立ち止まると、そこの席の女子に声をかけた。

「ひまわり、偵察行くぞ!」

「へ?」

「なっ!?」

 ひまわりが困惑するのと同時に、私は驚いた。そうだった。秀也は私とひまわりを仲直りさせようとしていたんだった。つまり珍しく偵察なんか提案してきたのは、私とひまわりが嫌でも話せる状況を作るためか。

 ひまわりは「あ、えと」と、答えあぐねてから、私をちらりと見た。どうやら聞いていたらしい。

 目が合うと、ひまわりはむっとして秀也に向き直る。

「めんどくさいし、私はパス」

「え……」

 秀也は困ったように私の顔を見た。むしろ何で巧く行くと思ったんだ、こいつは。

 無論、私だってひまわりと行くつもりなんてない。私はエナメルバッグを肩にかけると、秀也に向かって声をかけた。

「秀也、行くぞ。エース様は天才だから、偵察なんて必要ないんだよ。どうせストレートでみんな抑えられるんだから」

「む……」

 と、ひまわりは小さくうなった。

「お、おい、月見!」

 私がさっさと教室を出ると、秀也が追ってきた。

「あんな言い方ないだろ!」

「めんどくさいって、あの解答を意訳するとそういうことだろ。秀也がわかってないみたいだったから、私が代わりに教えてやったんだよ」

「超訳だろ、どう考えても……」

 私は秀也を無視し、制服の胸ポケットからケータイを取り出す。

「今度は何すんだよ」

「木元を呼ぶ」

「はあ……。まあ、いいや。もう好きにしろ……」

 電話帳から木元の番号に電話をかける。メールは嫌いである。便利なのは認めるが、こう、いつだろうと言いたいことだけ一方的に送り付けてくるのが気に食わん。てめえら四六時中、人とつながってたいのかよって感じである。

 数秒、呼出し音がなり、木元が電話に出た。

「御影先輩、なんすか?」

「今から偵察に行く。お前も来い」

「え……」

 木元はあからさまに嫌そうな声を出した。

「何だ。不満そうだな」

「いや、不満っていうか何と言うか……」

「私が卒業したらお前が正捕手だろ。こういうの、ちゃんと引き継がなきゃいけないんだよ」

「それはそうかもしんないっすけど、先輩は特殊っつうか、目の付け所が異常っつうか、何か教え方怖いですし……」

「何を言う。私はチームを思ってだな。言うなれば厳しいのは愛の鞭というやつだ」

「先輩が愛とか似合わない……」

「何か言ったか」

「あ、いや! ええと、ほら! 突然のことだし、今日の練習で二人ともキャッチャーいなくなったら、ピッチャーが練習しづらいじゃないっすか! だから、今日は本当に残念っすけど、断腸の思いで断らせていただくっす!」

「ちっ」

「え、ちょっ、今、舌打ち!? 舌打ちしました!?」

 私は一方的に電話を切った。

「行くぞ、秀也」

「お前、ほんと言い方とか気を付けろよ……?」

 秀也は引き気味に言った。


 代表決定戦の相手は海老名ロブスターズというクラブチームである。戦ったことはないが、軟式球界では結構有名なところだ。

 ホームグラウンドは海老名市にある、永山中学という県立中学校のグラウンドらしい。選手は主に永山中の生徒だが、市外から通ってくる選手もいるという。それだけ強くて人気のあるチームということだ。

 海老名までは電車一本で行けるのだが、結構遠い。しかも最寄駅は各駅停車しか止まらない非常に不親切なダイヤのため、途中の駅で一旦降車し、急行に乗り換えた。

 電車の長椅子に腰かけ、秀也が聞いてきた。

「ロブスターズってどんなチームなんだ?」

 平日の車内は空いており、乗客は数えるほどしか見当たらない。

「全国大会の常連だな。去年もベスト4だった。伝統的に守備がいいチームで、今年のクラブチームのトーナメントもエラーなし、全試合二失点以内で抑えてる」

「なるほど、点を取るのは難しいってことか」

「それに、向こうには白須(しらす)(きよし)がいる。去年の全国では投打にわたって活躍した。それが三年になって、エースで四番に座ってる」

「ああ、白須なら俺も知ってる。結構速いんだっけ?」

「少なくとも数字だけなら、ひまわりよりは速いだろうな」

 まあ、ひまわりは球速ではなく、ボールのノビとかコントロールで勝負するタイプなので、そもそも比較することに意味はないが。しかし、ひまわりも遅いわけではないので、一応の目安にはなる。

「今大会の白須自身の自責点は一点。もちろん次の試合の先発も白須だろう」

「余計点取りづらいのか。となると、ピッチャーのひまわりが、どれだけ相手を抑えられるかが、重要になってくるわけだな」

「……守備はピッチャーだけでするわけじゃないぞ」

 私はばつが悪くなり、話を切り替えることにした。

「ところで、今季のアニメは何見てる?」

「は? アニメ? 何でいきなりそんな話になるんだ?」

「いいから答えろ」

 秀也と私の共通の話題と言えば、プロ野球かアニメである。プロ野球の話は今ベイスターズが調子いいので、たぶん私がストレスに耐えられない。この前まで仲間だったのに、くそ。

「え、まあ、そうだな。一応全部見てるけど、なんだかなあ、って感じだな」

「まあ、ガチ百合みたいなのはないからな」

「いや、別にそんなガチじゃなくていいんだよ。女の子が仲良く楽しそうにキャッキャしてれば。あとはこっちで勝手に妄想するから。でもなんかこう、今季はさ、男はいらねえよなって……」

「き、きめえ……」

 思わず率直な感想が出てしまった。

「な、何だと!? 話せって言ったのそっちだろ!」

「いや、性癖をさらけ出せとは言ってない。……やべえな、お前」

 話、変えたかっただけなのに、まさか幼馴染のやばさを認識させられるとは思ってなかった。しかも真剣に考察してる感じがやばさを助長している。前々からあれな奴だとは思っていたが、まさかここまでとは。なんつうか、ねえわ……。

「い、いや、百合っつったって、あれだよ!? あの、女の子同士の友情っていうか、そう! 野球漫画の男同士の絆とか、そういう感じで! それの女版っていうか、だって女の子はかわいいじゃん!? だから……」

 その後の秀也の弁明は、あまりに空虚だった。


 三十分近く電車に揺られ、海老名に到着。その後バスに乗り換えて数分車に揺られ、少しだけ歩くと、元気のいい声が聞こえてきた。声を頼りにまっすぐ道を進むと、古ぼけた校舎が見えた。

 まさか正面から堂々と入るわけにも行かないので、敷地の側面に周り、フェンス越しにグラウンドを見た。中では練習着を着た選手たちが、大きな声を出しながらノックを受けていた。

「活気あるな」

「ここまで勝ち上がってるチームだからな。そりゃ雰囲気だっていいよ」

 校舎の二階から、誰かのファンと思われる女子中学生が二人、キャーキャーと声を上げながら高みの見物をしている。フェンス周りでは、散歩中と思われるおっさんが数人、野良猫が一匹、見学している。

「ところで偵察するのはいいけど、あんまり目立った行動はするなよ。バレたら正確な情報が掴めないし、場合によっては相手の監督がキレる」

 ちなみに私は一回キレられたことがある。ノート取りながら試合観戦してたら相手の監督に見つかった。別にルール違反じゃないんだから、理不尽である。ものすごい剣幕の上に、武士道が何ちゃらとか訳わかんないこと言われて、私は泣きかけた。それ以来、私は偵察中にノートを取らないことにした。

「おう、任しとけ!」

「ほんとに頼んだぞ」

「大丈夫、大丈夫! そんなすぐ見つかるわけ……」

「おい、お前らスパイか?」

 秀也が勢いよく胸を叩いた瞬間、後ろから声がかかった。私と秀也はぎょっとして同時に振り返る。野球の練習着を着た男子中学生が、怪訝そうな顔をして立っていた。

 マジか。言ったそばから見つかってんじゃねえか。ていうか言ったから見つかったのか。フラグってすごい。

「え!? ああ、いや、スパイっていうか、俺たちはその……!」

 秀也は明らかにテンパりながら、苦し紛れの言い訳を始めた。動揺しすぎである。適当に「ファンなんです!」とか言っときゃ、何とかなるかもしれないのに。

 が、しかし、そんな秀也の様子を見て、男子中学生は何か思いついたように言った。

「あれ? お前、新青葉中の村井か?」

「え? ああ、はい、そうですけど……」

「ああ、やっぱり! いやあ、まさかこんなところで会うとはなあ!」

「はあ、そうなんですか……?」

 などと言って拍子抜けする秀也に、私は小声で聞いた。

「おい、秀也。知り合いか?」

「いや、知らん。何か、どっかで見た気がするんだが……」

「や、やっぱりか。私もどっかで見たような気がしてたんだ。ぜんぜん思い出せんけど……」

 何となくだが、そいつの顔には見覚えがあった。小学生のころのチームメイトとかだろうか。しかしこんなやついただろうか。少なくとも私の記憶の中には、こんなチャラ男のなり損ないみたいなやつはいなかったと思うが。

「秀也、とりあえず聞け」

「え、お、俺が聞くの?」

「そりゃそうだろ。お前に話しかけてきたんだから」

「ええ……小学生のときの友達とかだったら、俺すげえ気まずいじゃん……」

 もしそうだったら秀也を全力で弾劾しよう。自分は最初から覚えていた体で。

 秀也は見るからに嫌そうな顔をしながらも、意を決して目の前の男に口を開いた。

「ええと、失礼ですが、どなたでしたっけ?」

「おいおい冗談きついぜ。俺だよ、俺! 白須清!」

 私と秀也は同時に固まった。白須清? って、あのロブスターズのエースか?

 と、私はもう一度その男子中学生の顔を見た。なるほど、言われてみればたしかにそうだ。白須の顔なんてネットに上がってた写真とか動画でしか見たことなかったから、とっさには出てこなかったが。

 しかしそれにしても、ずいぶんと親し気な口ぶりである。今だって誰も聞いてないのに、この前のホークスの試合がどうたら、みたいな話を勝手にし始めたし。私たちは今までロブスターズと対戦したことはないが、秀也はどこかで面識があるのだろうか。

「お前、白須と知り合いなのか?」

「いや、知らない。はずなんだが……」

「え、じゃあ何だあの態度!?」

「いや、知らん……」

 秀也は白須の迫力に笑顔を引きつらせながら、恐る恐る聞いた。

「え、ええと、ところで、俺たちどっかでお会いしましたっけ?」

「え? いや、会ったことはねえけど、互いに神奈川の中学球界を背負って立つ天才プレイヤーなんだから、知ってて当然だろ」

 白須はいかにも当然といった様子で答えた。

「ええ!? それだけで初対面の人にあんな親友みたいな話し方したのか!?」

 秀也は素で驚いた。私も声には出さないが、心の中で驚いた。

 マジか、こいつ。初対面の人に「俺だよ、俺」とか言って通じるわけねえだろ。頭沸いてんのか。アメリカ人かよ。

 しかし白須は、そんな私たちの驚愕も気にせず、また勝手に話を始めた。

「それはそうと、光葉さんはいないのか?」

 ドキッとした。こんなところでも、ひまわりの名前が付いて回るのか。

「何だ、ひまわりのことも知ってるのか?」

 秀也が聞くと、白須は嬉々としてしゃべり出した。

「そりゃもちろん! 有名だしな! 俺、実は一回だけ試合観に行ったんだよ。超かわいい女の子がピッチャーやってるって聞いて。そしたら、もうかわいいのなんのって! それで野球の天才なんだからすげえよな!」

「ああ、そうなのか。生憎ひまわりは来てないんだ。……いろいろあってな」

「なんだ、つまんねえ。せっかくだし連絡先交換とかしたいんだけどなあ。あわよくば、なんてな」

 白須はわざとらしく舌打ちした。下心丸出しなのがドン引きである。

「ところで、隣の女の子は?」

 白須は続けざまに話題を振ってきた。マシンガンみたいである。いや、一応会話は成立してるからマシンガンではないか。オートマチックの拳銃である。こっちが投げたボールに弾丸で撃ち返してくる。

「村井の彼女とか?」

 いやーん。彼女だなんて、私困っちゃう。

「ええ……。冗談でもよしてくれ……月見が彼女とか……」

「殴るぞ、てめえ」

「ほら、こういうやつだから……」

 秀也はくぐもった声で言った。まあ、まさに秀也とはこういう関係である。向こうは私のことを、異性として心から何とも思ってないし、こっちも秀也のことは心から何とも思ってない。あくまで野球部のチームメイトである。

「こいつは御影月見。うちのキャッチャーだ」

「どうも……」

 秀也の紹介の後、私は小さく会釈した。

「よろしく、御影さん! ところで、つまり御影さんは、村井の彼女でも何でもないんですね?」

「え? ああ、そうですが……」

「他に付き合ってる人とかは?」

「い、いえ、いない、ですけど……」

「よし! じゃあ、御影さん、とりあえずメール交換しよう!」

 と言って、白須はすかさずポケットからケータイを取り出した。

「は?」

 な、何だこいつ。私が秀也の彼女じゃないってわかった瞬間、口説いてきやがった。いよいよもって頭おかしいぞ。女なら誰でもいいんじゃねえのか? 必死すぎだろ。

「悪いことは言わん。月見だけはやめろ。こいつほんと性格悪いから」

 秀也は白須の肩を叩くと、真剣に諭すように忠告した。余計なお世話である。

「ははは、そんなわけねえだろ! こんなかわいくて大人しそうな娘が!」

「いや、見た目はよくてもそれ以上に性格が本当に悪い。お前、油断してると財産とか全部むしり取られるぞ」

「ははは、そんなバカな!」

 秀也の中で私はどんな悪女になっているのだろうか。あと見た目はいいらしい。見た目がいいらしい。

 まあそれは置いといて、白須の誘いなど私は端からお断りである。なんかもうこのグイグイ来る感じがいけ好かない。だいたい私には野球があるので、てめえの出る幕はこれっぽっちもないのである。

 しかし、この状況は案外使えるかもしれない。もう少し利用してやろう。

「いいですよ。連絡先、交換しましょう」

「え、まじで!? やった! じゃあさっそく……」

「その前に、ちょっと質問に答えてください」

「え、質問? ああ、いいよ、いいよ! 何、俺の趣味? 俺は……」

「いえ、そういうのどうでもいいです。まず、白須くんは普段、どういう風にピッチングを組み立てるんですか?」

「え、ピッチング……?」

「はい」

「あ、そう……。あ、いや、ちゃんと答えるよ! えっと、そうだな……特に考えてないけど、だいたいストレートでごり押しかな。カーブは強い相手にかわすときだけで……って、あれ? 俺もしかして情報引き出されてる?」

「ちっ」

 もう気づきやがったか。頭悪そうなのに、存外勘はいいらしい。

「え、ええ!? こわっ! 女こわっ!」

「ほら、こういうやつだから……」

 大げさに怖気づく白須に、秀也が同情するように言った。

「おい白須! お前いつまで油売ってんだ!」

 グラウンドから怒号が聞こえた。目を向けると、ノックバットを振り上げたジャージのおっさんが、目くじらを立てて怒鳴っていた。

「やべえ、監督めっちゃ怒ってる。そろそろ練習に戻んねえと……」

 白須はぞっとしたように言うと、私たちに向き直った。

「それじゃあ御影さん、村井! また今度! 次はグラウンドで会おう!」

 それだけ言うと、白須は校門に走っていった。

「なんか、台風みたいなやつだったな……」

 秀也は白須の背中を見て、疲れたように言った。私は「そうだな」と、生返事をした。

 白須はグラウンドに入ると、ヘラヘラ笑いながらおっさんに謝り、守備練習に加わった。私はそんな白須の姿を見ながら、思い返す。

 白須は私のことを知らなかった。ひまわりと秀也のことは、初めから知っていたのに。

 最近の試合で、私がレギュラーを外れたことはほとんどない。少なくとも、中学に入ってから、ひまわりが投げるときは、必ず私が受けていた。ひまわりの試合を見たことがあるなら、私だって絶対に見ているはずである。

 そう言えば、白須は「天才」という言葉を使っていた。おそらくこの「天才」は「華」の一要素で、ひまわりと秀也にはそれが備わっている。だから他人からも注目される。

 そしてその二人に必死に食らいついてきたタイプの私には、きっとそれが備わっていないのだろう。

「天才、ね……」

 グラウンドで練習に励むロブスターズの選手たちを眺めながら、私はつぶやいた。

 天から与えられた才能。生まれ持った才能。天才。

 別に今さらそんなものに嫉妬するつもりはない。私に才能がないのなんてとっくに承知しているし、そんなものがなくたって、いや、むしろないからこそ、私はここまで努力してこれた。

 ……しかし、小さなころから一緒だったはずの、ひまわりと秀也が、実は最初から違う世界にいたのではないかと思うと、心が薄寒くなった。


 ロブスターズの偵察が終了し、私たちは帰りの電車の中にいた。夕方だからか、横浜へ上っていく車内には、乗客は少ない。

「それで月見。ロブスターズはお前から見てどんなチームだった?」

 椅子に座るなり、秀也が切り出した。

「そうだな。まず、私たちの存在は真っ先にバレたわけだから、今日見たのが必ずしもロブスターズの全てじゃないことは、留意しなくちゃいけない」

「そうか? 見た感じ、割と全力で練習してたと思うけど」

「そんな訳ないだろ。敵に見す見す情報渡すような真似、するわけない」

「いや、みんながみんな、お前みたいに頭使って野球やってるわけじゃないだろ。中学生ってだいたいバカだぞ?」

 お前も中学生だろ。と思ったが、考えてみれば秀也はバカだった。思ったより中学生はバカが多いのかもしれない。

「少なくとも白須はめちゃくちゃ張り切ってたぞ。たぶん月見が見てたから」

 たしかに白須は、ちらちら私を見ながらプレイしては、事あるごとにデカい声を張り上げていた。もはや何言ってるのかは理解不能だったが。

「まあ、本気だったかどうかは置いとくとしよう。とりあえず結論としては、前評判通り守備のいいチームだな。どのポジションも穴という穴がない。かなりの練度だ。エラーからの自滅ってのは、期待できそうにないな」

 基本的に守備の巧いチームというのは強い。

 勘違いしてはいけないのは、この守備がいいとは、ファインプレイがたくさん出るとか、そういうことではない。

 そもそもファインプレイとは、ギリギリ追いつけない打球に無理やり追いつくための、言ってしまえばその場しのぎのプレイである。できるに越したことはないが、たまたま成功すればラッキー、くらいのものであり、チームとしての、あるいは選手としての巧さの指標にはならない。

 アマチュア野球はエラーからの失点が多い。つまりエラーを減らせば必然的に失点は減らすことができる。点を取られないということは、負けづらくなるということである。

 守備がいいとはつまり、第一に連携ミスを含めてエラーをしない、堅実であるということ。次点で足の速さとか一歩目の速さなどによる、根本的な守備範囲の広さのことである。

 ロブスターズはそう言った部分が実によく鍛えられている。点を取るには投手を攻略するしかない。ただし、その攻略しなくてはいけないピッチャーは白須だ。

「白須も評判通り、かなり速いピッチャーだ。王道の右の速球派だな。変化球はカーブだけみたいだが、たぶんストレートだけでも通用してるからだろう。コントロールも悪くはない。少なくともフォアボールで自滅するタイプじゃなさそうだ」

「じゃあやっぱりロースコアゲーム?」

「前提だろうな。点が取れない以上、取られると厳しい。幸いなのは、打撃力はあまり高くなさそう、ということだ」

 無論、ここまで勝ちあがっているチームだから、全員そこそこは打てる。だから油断するわけにはいかないが、幾分試合を組み立てやすい。

「ただし、白須は別格だ。あいつは警戒しなくちゃいけない」

「一人だけバシバシ飛ばしてたよな」

「ああ、パンチ力がある。あと思い切りの良さもな。多少外の球でも無理やり引っ張る、典型的な長距離砲だ。スイングもパワーヒッターに多いロングスイングだったし、ほぼ確定だろう。長打はもちろん、場合によってはホームランもありえる。ロースコアが前提の以上、簡単に打たせるわけにはいかない」

「やっぱり攻撃でも守備でも、中心は白須か。抑えられそうか?」

「イメージはできる。シートバッティングを見た限りではな」

「へえ、どんな?」

「まず、白須は常にミートポイントを前に置いて飛ばすタイプだ。バッターボックスの立ち位置がホームから離れてたし、甘く入ったインコースを思いっきり引っ張りたいんだろう。

 追い込まれてもそのスタイルは変えていなかった。初球からぶんぶん振りまくってたし、たぶんほとんどカウント気にしてない。そういうタイプは内角に緩い球を放ると、引っ張りすぎてファールにしやすい。

それに構えた後、グリップが上から下にヒッチする癖があった。無駄な動作が入るから、高めの速い球は振り遅れるはずだ。

 そういう配球を中心に追い込んだら、後はワンバウンドしてもいいから低めのカーブをボールゾーンに投げる。ポイントを前にしてるから、判断が早くなって、ストライクだと錯覚しやすい。無理に打ちに行って空振り三振。というのが、考えられるな」

 もちろん、これはあくまで配球の一例であるが。実際の試合ならピッチャー、バッター双方の調子、ランナーなどの状況や試合展開。あるいは、その他の要因によって対応の仕方は変わってくる。場合によっては松井じゃないが、全打席敬遠だって、最善の策になり得るのである。

「はああ、お前いつもそんなこと考えて野球してんのか。すげえな」

 秀也は私の話を聞くと、そう感心したように言った。表情は心から感心しているようだが、何となく小バカにされているようにも感じる。「はああ、お前そんなめんどくさいこと考えなきゃ野球やれねえの?」みたいな。何かすげえ殴りたくなった。

 私は暴力衝動を心の中に抑え込み、小粋なジョークで返してやる。

「ちなみにお前も同じ攻め方でどうにかできる」

「え、マジで!?」

「マジだ。お前らみたいな感覚派はだいたいこれで何とかなる」

 つまりバカってことである。何を隠そうこいつも打席で何も考えてないタイプである。つまり「来た球を打つ」だけのやつである。

 秀也にヒッチのくせはないが、カウントは絶対気にしてない。せいぜい追い込まれたら「やべえ」と思うくらいだろう。というか秀也曰く中学生はだいたいバカらしいので、実はみんな何も考えてないのかもしれないが。

 追い込まれて「やべえ」で思考が止まるようでは、それこそバカである。せめて追い込まれたらポイントを後ろにして見極めに徹する、くらいの柔軟性が、ただの大型扇風機にならないためには重要である。

 まあ、例えばこんなアドバイスをしたところで、明日には忘れているのだろうが。

 なぜなら、そんなことしなくても、秀也は通用するからである。少なくとも中学野球のうちは、身体能力さえあれば、打撃にしても守備にしても、何とかなるものである。

 パワーで無理やり野手の頭を超す。強い打球で内野の間を抜く、エラーを誘発する。足で二塁、三塁、本塁をもぎ取る。盗塁を成功させる。

 そしてそれで高い成績を残しているやつらが、いわゆる天才と呼ばれている連中なのだろう。

「でもお前のその配球、結構難しいんじゃないのか? 高めのストレートに振り遅れるって言ったって、生半可なスピードじゃ意味ないだろ。何より低めにカーブをコントロールするのって、たぶん難しいだろ」

 秀也の言う通りである。配球も言うだけなら簡単だ。打者の弱点を突く、という一点だけなら、情報さえあれば対策はいくらでもできる。しかし実際にやるとなると、ピッチャーの能力が多分に関わってくる。考え付いたすべてを、投手が実行できるとは限らないのだ。

 たしかに、振り遅れるにしたって限度があるし、カーブのような大きく変化する球は軌道が特殊なため、コントロールが難しい。しかし。

「うちのエース様なら、これぐらいはできるよ」

 私は、対面に座って居眠りするおっさんのはげ頭を見ながら答えた。夕日が頭のてっぺんに輝いて、なぜか神聖に感じる。

「……何だよ」

 反応がないので目を向けると、秀也は驚いたように目を見開いていた。

「お前、なんだかんだ言って、ひまわりのこと認めてるよな」

「つっ……!」

 とっさに「そんなわけねえだろ」とか言いそうになったけど、バカらしくなってやめた。またダイヤモンドはげに目を向けて、溜息交じりに答える。

「……まあ、野球の実力はな」

 ずっと一緒に野球をしてきた。誰よりも近くで、誰よりも長い間、ひまわりの野球を見てきた。だからこそ、私は誰よりも、ひまわりの実力は認めてる。ひまわりは天才だし、努力だって怠らない。

 しばらくボーっとしていると、秀也が口を開いた。

「なあ月見」

「何だよ」

「俺さ、引退したら、ひまわりに告白しようと思うんだ」

「は!? あ、ああ、そうですか……」

 突然の宣言に、私はつい敬語で答えてしまった。

 え、ええ、意味わからん。いきなり告白宣言とか、頭おかしいとしか思えん。新手の羞恥プレイなのか。もしや自分で自分を辱めるとか、そういう特殊な性癖でも持ってるのか。百合厨なだけでもやべえのに。

だ、だいたいそんな話されても相談とか乗れんぞ。正直言って苦手だ、そういう系。私は恋愛とかそういうのは門外漢であって……。

「止めないのか?」

 秀也の言葉に、私は思考を断ち切った。

「……何で私が止める」

「……そうか」

 秀也は顔を赤くしてそう言ったきり、黙り込んでしまった。

 もしや私がお前を好きとか、アホみたいな勘違いでもしてるんじゃないだろうな。それなら自惚れも甚だしい。秀也は私にとって、チームメイト以外の何物でもない。だから、秀也がひまわりと付き合ったって、私には関係ない。

 ひまわりと誰かが付き合ったって、私には何も関係ないじゃないか。


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