蠢く闇 後編
第八話です。
分量多いです。
▽
人気が無く、閑散とした街の通り。
ガンガン!ガンガン!と乱暴に扉を叩く音。
「マーガレットさん。開けてください!!」
その声がやけに大きく響く。
まるで、しらない森の奥深くに取り残されてしまったような、そんな孤独感や恐ろしさがじわりと心の中ににじみ出してくる。
私は心が逸るのを抑えきれずもう一度扉を叩こうかと思った。
すると、丁度そのとき、マーガレットさんが扉をそろりと内から開ける。
「どうしたんじゃそんなに焦って?おや・・・アルフレッド達はどうした?」
私といっしょに行動していた彼らの姿が見えないことから何かを推し量るような視線を向けるマーガレットさん。
その問いかけに、私は一瞬どう答えれば良いのか迷った。
一口には言えない難しさがそこにはあった。
だから、「強敵と応戦しています。」と、そう言うに留めた。
それを聞いたマーガレットさんは表情を変えず「そうかい。お入り。」と言って私を家の中に招き入れてくれた。
「あれぇ?パパとママはまだぁ?」
白い髪の毛をした少女がそう呟く。
たしか、名前をペルーシャと言ったか。
可愛らしい。
まだまだ小さな女の子だ。
「まだみたいだね。」
「ええ~。早く会いたいのに。」
「もう少し良い子にして待っていようね?」
「うん。」
サラの言葉に素直にうなずくペルーシャちゃん。
タッタと駆けて、絵本を読み出す。
椅子に座るサラのスカートにしがみついている黒い髪の女の子はたしか、アマミ。
アマミちゃんはペルーシャちゃんとは違い今のこの状況を敏感に感じ取りおびえているようだ。
「アルフレッドのおじちゃんまだかなぁ。」
「うーん、まだみたいだねぇ。」
「そっか・・・。」
これぐらいの年頃の女の子は父親よりも少し離れた男の人に懐きやすいものらしい。
どうやらアルフレッド隊長はかなりこの子に懐かれているようだ。
マーガレットさんに案内されるままに机に着く私。
紅茶を一杯注いでくれたマーガレットさんにお礼を言いながらそれに口を付ける。
すると、少し気分が落ち着き、頭が整理されてきた。
「どうだい?少しは落ち着いたかい?」
どうもマーガレットさんには自分の恐慌状態を見抜かれていたようだ。
「あ、はい。ありがとうございます。」
「いえいえ。」
そう言ってほほえむマーガレットさんは美しい。
「じゃあ、落ち着いたら手早く今の状況を教えなさい。」
「はい!」
私は今までの戦況を話した。
予想を上回る手練れの出現から、私の逃亡までを手短に話す。
そして。
「あの三人を以てしても倒せるかどうかは正直わからないです。」
「そうかい・・・。」
家族にとって聞きたくないであろう事も話した。
ここで嘘をつけば後になって更に深い傷を負うことは決まり切っているから。
でも、やはりその事実はサラさんには堪えたようだ。
「そ、そんな・・・ヴァン。アルフレッド。サーシャ。」
顔を両手で押さえるサラさん。
「ままぁ?」
アマミちゃんが心配そうにサラさんを見上げてくる。
「アマミ!」
感極まったサラさんはアマミを抱きしめ、ほおずりする。
アマミちゃんもよく分からない状況ではあるものの、ママが苦しんでいるのが分かるのか優しく母の頭を撫でてあげている。
優しい子だ。
私はそんな光景を目にして改めて自らの力のなさを呪った。
逃げることしかできなかった自分が情けなかった。
どうしてこれほどまでに自分は弱いのか・・・。
私はなんの力もなんの勇気も無いただの臆病者だ・・・・。
「そんなに自分を責めないでも良い。」
ハッとして私は顔を上げる。
そこには、優しそうにほほえむマーガレットさんがいた。
「あんたはよーく頑張っているよ。本当によく頑張っている。」
「そんな・・・でも、」
「よく頑張っているよ。」
思いがけず優しい言葉を受けた私は涙を溢しそうになった。
だけど、ここで泣くことはできない。
情けない自分だが、せめて被害者面をすることだけはしないと決めていたのだ。
私は歯を食いしばり、嗚咽をこらえる。
「ありがとうございます。」と、私はそれだけ応えた。
マーガレットさんはうっすらと笑みを溢した。
老年の彼女だが、そのほほえみは見惚れるほどに美しかった。
「じゃあ、ここから私たちはどうするべきだと言うんだい?」
マーガレットさんはキリリと表情を引きしめて問う。
私はここにくるまでの間に考えておいた策を提案することにした。
「私はこの国から一時亡命し、勇者の国ヴァルハラへと向かうべきではないかと思っています。」
「ヴァルハラ・・・。」
私はなぜヴァルハラが適当であるかを説明していく。
「はい。そうです。あの国であれば勇者の庇護がありますし、他種族にも比較的温厚。それに、我々アマルニ王国は勇者、魔王軍に対して中立の立場だったので、それほど無碍には扱われないと思います。」
あごに手をやりフム、と考えるそぶりを見せたマーガレットさんだったがすぐにうなずく。
「そうじゃな。よし!ならそうと決まれば動き出すぞ。」
マーガレットさんと私はそんなかけ声とともに立ち上がる。
しかし、サラさんは嗚咽を漏らし動けそうにない。
それも仕方ないだろうと思う。
夫と親友を一挙に亡くすかも知れないのだから。
だが、マーガレットさんは彼女を叱咤する。
「サラ!クヨクヨするでない!!ここにいれば子供達まで危険にさらすことになるんじゃぞ!?子供達を見殺しにする気か?」
「ッ・・・・・!」
ハッとした表情になるサラさん。
先ほどまで悲嘆に暮れていた彼女であったが。
「私はこの子達を守ると、あの三人に約束したんですもの。こんなところでクヨクヨなんてしていられないです。」
「そうじゃ。よく言った。」
最後に一つきつくつむった瞳から大粒の涙が一粒こぼれた。
サラさんはついに親友と夫との誓いに勇気をもらいながら決心した。
そんな彼女の顔にはさきほどまでの危うさは微塵も感じられず、堂々とした女理事の聡明さを湛えている。
マーガレットさんもそんなサラさんの表情に安心したのか大きくうなずいた。
「ペルーシャ、アマミ。行くわよ?」
「えー、どこに行くのー?」「・・・・。」
無言でサラさんの手を握り着いていくアマミに対してペルーシャはシブシブという感じでサラさんのもう一方の手を握る。
「勇者様のお国よ?」
「え!?なにそれ行きたい!!」
目を輝かせてサラさんを見上げる彼女は、これを遠足かなにかだと思っているに違いない。
むろん、正確に現状を認識していないことは危険ではある。
しかし、恐怖で動けなくなるよりはマシだ。
私はマーガレットさんに視線を向ける。
「マーガレットさん、載ってください。」
私は膝を曲げて屈み、おんぶの体勢になる。
「すまないね。」
「お安いご用ですよ。脚には自信があるので。」
「お、さすがネズミさんだね。」
「ええ、任せてください。よっと・・・。」
小さなかけ声とともにグイッとマーガレットさんを持ち上げる。
思ったよりも軽い。
これなら、かなりスムーズに移動できるかも知れない。
「では、ヴァルハラに向けて出発しましょう。」
「そうね。」
サラさんも頷き、子供達と握っている手をギュッと固くする。子供達の耳を見ると、ペルーシャは白い猫耳、アマミには黒いうさ耳が着いているので、こう見えても移動速度は相当早いはずだ。
「よし、では行くぞ!!」
威勢の良い声とともに私は家の扉を開き、道へと飛び出した。
中心部の方向へと視線を向けるが人影はない。
すでに全員非難したのだろうか。
今度は、ちらりと外部の方向へ視線を向ける。
私はそれを見て愕然とした。
「な・・・なんでそこにいるんだ!?」
「はぁ~い!お元気にしてましたかぁあ?」
「ぐぉおお。」
それはザーテュルとレベッカと呼ばれていた片目しかない巨人だった。
悠然とコートをはためかせて道を闊歩するザーテュルは憎々しいほどに余裕に満ちあふれている。
そして、考えたくはない、考えたくはないがこいつらがここに来ていると言うことは・・・・。
「その通りですよぉおお?あの三人はこの通り・・・。」
パチンとザーテュルが指を鳴らすと、地面から這いずり出てくる三体の屍の姿。
「あ・・・ああっ!!」
サラさんの悲鳴。
「アルフレッド隊長、ヴァンさん、サーシャさんまで!!」
私は彼らの名前を叫び、サラさんは泣き崩れる。
子供達とマーガレットさんは言葉もなく唖然としていた。
あの三人が殺されるなんて・・・。
頭では分かっている。
分かってはいるのだが、心がその事実を受け入れることができなかった。
そんな悲嘆に暮れる私たちの姿を見て、狂人ザーテュルはもうおかしくて仕方が無いというように腰を折り曲げて、あの不快な笑い声を上げた。
「キヒッキヒヒヒィィィィイイイ!!ああ!!楽しい楽しい楽しい!!この声。この表情。この涙。嗚呼!すべてが素晴らしい!愛する者達を失った哀れな女の悲痛。尊敬する上司の死を嘆く男の慟哭。なんて素晴らしいんでしょう!これを見るために私は生きていると言っても過言ではない!ああ、気持ちいい!!」
ザーテュルはそう叫び、絶頂でもするかのようにビクビクと体を震わせている。
なにがそれほどまで彼を狂気させるのか私にはもはや分からなかった。
いや、分かりたくもなかった。
ただただ、憎かった。
人の不幸を歓び。
人の大切な者を踏みにじる事を楽しむ。
そんな、この狂人が憎くて仕方なかった。
一度殺しても殺し足りないぐらい憎かった。
だけど・・・・結局、なによりも憎かったのは自分でしかなかった。
どこまでいっても、なにもできず、目の前で大切なものが壊されていくのを許容するしかできない自分がただただ憎かった。
きつく握りしめた拳。
爪が食い込み、皮膚を破る。
ポタポタとしずくが地面へと滴った。
しかし、そこでザーテュルの笑い声が突然ピタリと止んだ。。
不思議に思い、私はザーテュルの顔を見る。
その瞬間まで、私はなにかその狂人にそうはいってもまだ期待していたのだと思う。
しかし・・・そんな淡い期待はザーテュルを見た途端瓦解した。
――そこには、今までよりもなお恐ろしい表情を浮かべた狂人がいたのだ・・・。
「もっと極上の悲痛を受け取る方法があるのでぇす。おわかりですかねぇ?」
首をありえない角度に曲げるザーテュル。
キヒキヒ、と引き笑いを溢すたびに首がかくかくと揺れ不気味だ。
その姿はあまりに恐ろしく、私はゾゾゾ!と悪寒が走るのを感じた。
私たちはその質問にとにかくなにも応えなかった。
これ以上酷いことなどなにがあるのか考えたくもなかったのだ。
しかし、その問いかけに対する我々の答えをザーテュル自身、期待してはいなかったのか。
私たちの答えを待たずして彼は恍惚とした表情でこう応えた。
「それは・・・・最愛の子供を目の前で無残に殺すことですよぉ!!!そして。私はそれを叶えるためだけに、わざわざこのネズミ小僧を追って、ここに来たのですぅ!!やっとこの宿願が叶えられる!」
抑えきれない興奮に瞳をギラギラ輝かせるザーテュル。
赤く充血しているからか、はたまた燃えさかる空の色が映り込んだのかはわからない。
だが、そのときのザーテュルの瞳は奇妙なほど紅く輝きをはなっていた。
「どこまでゲスなんだ・・・。」
私は抗いがたい嫌悪感に歯ぎしりする。
すると、ザーテュルは大仰に手を広げて喜んだ。
「キヒヒヒ!ありがとうございますぅ。私からすればその言葉は最大の賛辞ですよぉ!!」
高笑をあげるザーテュル。
だが、突然、ピタリと動きを止めた。
上体があり得ない角度にまで反らされている。
だが、次の瞬間、ザーテュルは顔を前へと突きだし、イヤラシい笑みと明確な殺意のこもった瞳でこちらを射る。
「ではそろそろ、殺しちゃいましょうかね。」
あまりにも冷淡なその口調。
一切の躊躇い、同情が切り捨てられている。
――一体何人殺してきたらそれほど躊躇無く殺戮を楽しめるようになるのだろうか?
私はこの目の前にいる怪物の歴史を想像し、身震いし、私は身体をかき抱いた。
そんな怪物に敢然と立ち向かう影がある。
「そんなことはさせないわよ!!私が・・・私がこの子達を守る!!だって、あの人達と約束したんですもの!!」
サラさんが三人と交した誓いを胸に立ち上がったのだ。
悲しみも恐ろしさも超えた使命を、誓いを、約束を。
それらすべてを力に変えて立ち上がったのだ!
私はそこに人間の強さを見た。
信念を守る意思。
人を思いやる心。
なによりも家族への愛。
まっすぐ、正しい生き方を突き進む美しい人。
それがサラ・カーティス、その人だった。
サラさんは腰につるしたレイピアを、勢いよく抜き放つ。
シャラン!と高い金属音を奏でるそのレイピアは細く流麗なデザインだが、切っ先はどこまでも鋭く、研ぎ澄まされている。
サラさんはそのレイピアを片手で構えると、ゆるく腰を落とした。
しなやかな四肢には無駄な力が一切入っていない。
まるで、レイピアと一体化してしまったかのようだ。
鋭く、研ぎ澄まされた殺意が彼女を纏い出す。
「さあ、かかってきなさい!!」
凜としたサラさんの声がビリリ!と空間を震わせた。
だが、敵はあくまで嘲笑う。
「キヒヒヒ。あなた程度に私が倒されるとはとうてい思えませんがねぇ。」
舌なめずりをするその舌はあまりにも長く、鮮やかな紅だった。
「まあ、良いでしょう。相手してやりなさい、レベッカ。」
「ぐぉおお!!」
巨人が一歩を動かすと大きな地鳴りが響き、突風が巻き起こる。
周りの家屋の窓ガラスが盛大に破砕し、大きな破砕音を立てる。
見上げると、そこに片目巨人の顔。
その巨人に理性があるとはとうてい思えないが、その顔にもザーテュル同様、イヤラシい笑みが浮かんでいるように思えた。
そのとき、サラさんが動いた。
長い髪をたなびかせ、片目巨人まで疾走。
巨人もあまりの速さで反応できていない。
サラさんは華麗なステップで振り下ろされた巨人の脚を躱す、と同時に、ウサギ系統の真骨頂である跳躍力を生かし、高く高く飛び上がる。
トントン!と巨人の身体を軽く蹴上がっていき、巨人の右肩横にフワリと舞う。
そして・・・。
「ハァアアア!!」
サラさんは気合いとともに猛烈な突きを巨人にお見舞いした。
「ぐぉおおぅぅ・・・。」
バランスを崩す巨人。
サラさんの一撃に、巨人はなんと地面に膝をついた。
「今のうちに、貴方たちは逃げて!!」
切迫した声でそう叫ぶサラさん。
だが、私たちがその声に反応するよりも先に。
「そうはいきませぇん。もう誰もここからは逃がさないですからねぇ!!」
ザーテュルがそう叫ぶ。
すると、アルフレッド隊長のネクロマンスが跳躍。
私たちの退路に立ちふさがった。
「そこをどいてください!!隊長!!」
私は、一縷の望みをかけてそう叫んだが、隊長の瞳は何者も映していない。
残念ながら、私の魂の叫びは、虚しく響いただけだった。
そのとき・・・。
「きゃあ!!」
そんな悲鳴が背後から聞こえた。
振り向くと、サラさんがツタによって絡め取られ、身動きを封じられてしまっている。
――あれは、ヴァンさんの植物系創成魔法「アイビー」!
ザーテュルの後ろで無表情にサラさんを見つめるヴァンさんの姿がある。
やはりネクロマンスにかかり自我を失っているようだ。
サラさんは力を振り絞り、ツタから抜け出そうと試みていたが、次第に力が抜けていき彼女の手元からレイピアが滑り落ちる。
万事休すか・・・。
私は子供達とマーガレットさんを敵から隠しながらも、そう考えた。
「ママァ!!」
黒髪の少女アマミちゃんがサラさんの方に手を伸ばし泣きじゃくっている。
マーガレットさんが抱きしめているが泣き止む様子はない。
「パパが変だよぉ!!ママをいじめないで!パパァ!!」
アマミちゃんの悲痛な叫び。
しかし、ヴァンさんはネクロマンスされており、自我をザーテュルによって奪われている。
彼はすでに、無表情に淡々とザーテュルの命令をこなすだけの傀儡となっていた。
隣にいるペルーシャちゃんも泣き叫んでいる。
「パパァ!ママァ!!返事してよぉ・・・!!なんで返事してくれないの!嫌だよ、私。こんなパパとママ嫌だよ・・・。」
だが、アルフレッドさんもサーシャさんもヴァンさん同様無表情にザーテュルの命令をこなすのみ。
「キヒヒヒ!これで残りの邪魔者はお前達だけですねぇ。サーシャ、アルフレッド!やれ!!」
「・・・・・」
「ぐはっ・・・!!」
一瞬なにが起きたのか分からなかったが身体の痛みによって私は地面に押さえつけられていることを悟る。
私は反応することもできず、アルフレッド隊長によって動きを封じられていた。
後ろ手に回された腕は限界まで引き絞られ、ぎりぎりときしむ音を立てている。
見ると、マーガレットさんもサーシャさんによって押さえ込まれ、もがいている。
「クソ・・・・逃げてくれ、お前達。」
マーガレットさんが子供達にそう言うが、二人とも恐怖によって脚がすくんで動けずにいた。
「キヒヒヒ!!よーやく、処刑の時間ですねぇ。お楽しみの時間でぇす。」
クネクネと体をくねらせ、子供達に近づいていくザーテュル。
極度の興奮によって口は半ば開き、ダラダラとよだれが垂れている。
「ヒッ・・・!!」
アマミちゃんがたまらず悲鳴を上げる。
「キヒヒヒ!!まずは君からだぁ・・・。」
「嫌だ!!」
手を伸ばすザーテュルから逃げるように身をよじるアマミちゃん。
「嗚呼!良い!!そそりますねぇ・・・。ほぉら捕まえたぁ!!」
ザーテュルは嬉しそうにそう呟くと、アマミちゃんの首を片手でつかみ、持ち上げる。
「嫌だ!嫌だよぉ!」
「アマミちゃんを離せ!!」
「ん?」
ザーテュルが鬱陶しそうに見下ろすと、そこには泣き顔でザーテュルのマントを引っ張るペルーシャちゃんの姿がある。
「ペルーシャ!!」
「なんですかぁ、君は・・・。あなたもあとで殺してあげるのでもう少しおとなしくしていてください!!」
「かはっ・・・!!」
ドスッという鈍い音とくぐもった声が響いた。
目を開けると、ペルーシャちゃんが壁に叩き着けられ、気を失っていた。
「ペルーシャちゃん!!」
私は叫ぶ。
「キヒヒヒヒ!!まだ、死んでいないから大丈夫ですよぉ。」
流し目でこちらを見る瞳は血走り、ギョロッと大きく恐ろしかった。
「さあて。ようやく舞台が整いましたねぇ、キヒヒ!」
嬉しそうにそう呟くザーテュルはコートの下からぞろりと首切り包丁を取り出した。
刃渡りは七十センチほどだろうか・・・。
肉厚な刀身。無骨な刃。
あんなもので斬られれば、子供の首などあっけなく断ち切れるだろう。
「ウグ・・・。」
アマミちゃんが苦しそうにあえぐ。
ずっと首が絞まっているのだ。
それだけでも苦しいはずだ。
「キヒッ!キヒヒヒ!このまま、窒息死というのもいいですが、私は首ちょんぱがやっぱり一番好きなんですぅ。だから、このまま首、落としちゃいますね?いいですよね?そうしましょう。」
もはや誰に対して話しているのかは不明。
ザーテュルはうわごとのように一人興奮した様子でそう呟く。
「やめて!!やめて・・・。」
アマミちゃんが涙を溢しながら懇願する。
「キヒヒィ・・・可哀想に。こんな惨めな最期になるなんてねぇ。憎むなら己の運命を憎みなさい。」
長く白い指が首切り包丁の柄をギュッと握る。
「では、お元気でぇえ!!さようならぁあ!!」
「いやあ・・・ママ・・・。」
ザーテュルが首切り包丁を振りかぶった。
「やめろぉおお!!」と私が叫んだ。
――そのとき、様々なことが起きた。
まず、ヴァンさんの植物系創成魔法「アイビー」が突然不安定になった。
それに乗じて、サラさんが体に絡まった蔓をふりほどき、神速とも言うべき速さでザーテュルに接近。
ザーテュルの心臓めがけて、サラさんは全力でレイピアを突く。
あの巨人ですら反応できなかった神速の突き。
ネクロマンサーであるザーテュルに反応でいるとは思えない。
――イケる!!
そう思った矢先、嫌な予感が走った。
私は見てしまったのだ。
ザーテュルの口元に浮かぶ狙い通りにことが運んだときに見せる、あの興奮した笑みを。
「サラさん!!」
私は彼女の名前を叫ぶ。
「キヒヒ!ざぁんねぇん!!!」
ザーテュルはそう叫び、反転。
首切り包丁を振り抜いた。
ぐしゃり。
なにかがつぶれたような音が響く。
「・・・・・な、なんで・・・、お前は子供達を狙っていたんじゃ・・・・。」
サラさんは驚きの表情。
レイピアが滑り落ちる。
すると、堰を切ったように夥しいほどの鮮血があふれだし、アマミちゃんの顔を濡らした。
「ゴフッ・・・!」
吐血しながら倒れるサラさん。
あたりは血の海と化している。
「な・・・・。なにこれ?」
茫然自失のアマミちゃんは、顔をぬぐい、両手に着いた血を不思議そうに眺める。
思考が現実に追いついていないのか、ボーと両手を見つめていた彼女であったが次第に両目が見開かれていく。
そして・・・。
「いや・・・・。イヤァァアアア・・・!!!」
割れんばかりの大声で泣き叫ぶアマミちゃん。
もはや、彼女が正気を保てているのかはわからない。
私は懸命にもがきアルフレッド隊長の拘束をふりほどこうとするがびくともしない。
「アマミちゃん・・・。」
あんな小さい子供になんとむごい仕打ちを!
私は憤りを通り越し、哀しさが押し寄せ涙が止めどなくあふれ出てくる。
もうこれ以上アマミちゃんのそんな姿を見ていたくなかった。
そのとき。
「キヒヒヒィィィイイイイ!!!」
そんな笑い声が響きわたった。
「あなた達はホントに愚かですね〜?この私がペラペラとホントの計画を話すと本気でそう思ってしまったんですか!?そんなわけないでしょう?ホントの狙いは子供の目の前で親を殺す!そうに決まってるじゃないですか!?ああ、最高ですねぇ。この泣き顔。この絶望の表情。そして、なによりこの私が死と生をすべて掌握している快感!!たまりませんねぇ・・・。」
舌なめずりをするザーテュルは悦に入り酷く楽しそうに見える。
だが、どうやらその狂人は一人の命を奪い、子供に絶望を与えて尚満足していないらしい。
ザーテュルはなにかを探すように視線を動かす。
すると、その狂人の視線が気を失って倒れている、ペルーシャに注がれ、なにかを思いついたのか口の端をつり上げた。
――まさか・・・!
「あはぁ・・・。あの子を殺せば・・・彼女はもっと良い表情になりますかねぇ?」
私はその言葉を聞いて絶望のどん底へと陥った。
まさか、この狂人は母親では飽き足らず、親友のペルーシャちゃんまで手にかけるつもりなのか!
「やめろ・・・もうやめてくれ!」
私は声をからして叫ぶ。
「キヒヒ!やめませぇん。」
ザーテュルはスキップでもするかのように昏睡するペルーシャちゃんの元へと駆け寄り、ヒョイッと首元をつかむ。
「う・・・。」
苦しそうにうめくペルーシャちゃん。
だが、相変わらずその目は閉ざされたままだ。
「さあ・・・この子も殺しますよぉ。良いですかぁ?よく見ていてくださぁい。」
そう言って、もはや茫然自失のアマミちゃんの目の前で見せつけるように首切り包丁を掲げるザーテュル。
――もう終わりだ。
これ以上の地獄がこの世にあるのだろうか?
自らの両親を殺され、さらには親友まで殺されるなんて。
なんという惨い所業。
あまりにも酷すぎるのではないか?
「もうやめてくれ・・・・。」
消え入るような声で私は最期の懇願をした。
もはや見たくもなかった。
いっそ、死にたいとさえ思った。
私はそのときすべてを諦めていた。
「う゛・・・・。」
しかし、絶望する私の耳に、そんなうめき声が聞こえ、まぶたを上げる。
「あはぁ・・・?なんですかぁ。あなたは。」
ザーテュルの視線の先を追うと、そこには立ち上がるアマミちゃんの姿があった。
顔は伏せられていて見えない。
「やめろ、アマミちゃん・・・!!」「アマミやめなさい・・・!!」
私とマーガレットさんがそう叫ぶ。
だけど、アマミちゃんは歩みを止めない。
すると、そんなアマミちゃんの姿を面白そうに眺めるザーテュル。
「キヒヒヒ!なんですかぁ?お友達が死ぬのを止めようというのですかねぇ?健気ですねぇ。泣けますねぇ。」
アマミちゃんは進む。
「だけど、それ以上進めば、殺しちゃいますよぉ?」
首切り包丁をペルーシャちゃんに向けるザーテュル。
だが、アマミちゃんは止まらない。
「キヒヒヒ!なら良いでしょう!そんなにお友達を殺してほしいのなら殺して差し上げます!死になさぁい!!」
「ペルーシャ!!」「ペルーシャちゃん!!」
ザーテュルの首切り包丁が振りかぶられる。
私とマーガレットさんの叫びがこだまする。
もはや、ペルーシャちゃんを助けることはできない、と誰もが思った。
そのとき、アマミちゃんに異変が起きた!
「う゛ぅううぁぁぁあああああああああ!!!!」
大地を震わすほどの叫び声を上げたアマミちゃん。
だが、その叫び声よりも驚くべき事がアマミちゃんの身体に起きていた。
――大きな角が一本彼女の額から突きだしたのだ!!
私は驚きのあまり声を失っていた。
だが、ザーテュルはアマミちゃんのその姿に歓喜した。
「キヒヒヒヒィイ!!素晴らしい!!君はまさかアルミラージですか!?」
アルミラージ!?
伝説上の存在とされているあのアルミラージか!?
私は声も上げられず絶句していた。
「う゛うう・・・。ペルーシャを離せ・・・。」
憎悪に燃える瞳でザーテュルを射貫くアマミちゃん。
だが、対するザーテュルは依然、飄々とした態度を変えることなく応えた。
「キヒヒヒ!!面白い事を言いますねぇ?離すわけ無いでしょう?それよりも、あなたの方こそ・・・。」
「離せって・・・・言ったんだぁああああ!!」
そう叫んだアマミちゃんの姿がかき消えた!と思った時。
「カハッ・・・!!」
ザーテュルが吹き飛び、砂埃が舞い上がる。
アマミちゃんは先ほどまでザーテュルがいた場所にペルーシャちゃんを抱いてたたずんでいる。
――すごい!!
なんと、敵を吹き飛ばすだけにとどまらず、ペルーシャちゃんまで助けるなんて。
アマミちゃんのそうやってたたずむ姿は神々しさを湛えている。
すると、アマミちゃんの腕に抱かれたペルーシャちゃんが目を覚ました。
「う・・・・アマミちゃん?」
「ペルーシャ、ちょっと待っててね?」
「うん。」
ペルーシャちゃんはそう応えると、安心したように目をつむる。
アマミちゃんは優しく微笑み、眠ったペルーシャちゃんをその場に寝かせた。
「キヒヒヒィィィ!!」
砂埃が舞う中、ゆらゆらと立ち上がる影が見える。
「なかなか、今のはキキマシタヨォ・・・?」
現れたザーテュルの顔は、鼻が曲がり、口からは大量に出血している。
その傷でなぜ立ち上がれるのか不思議なほどだ。
だが、当の本人は笑っている。
「キヒヒヒ!あなた、本当に強いですねぇ。殺したアルフレッド隊長よりも強い。だけど、私にはこのレベッカがいます。レベッカ!!」
「ぐぉおお・・・!!」
片目の巨人が吠える。
アマミはその両人を憎々しげに見つめそして・・・。
「どっちも、殺す!!!」
そう叫び、姿勢を低くした。
しかし、次の瞬間には私の視界から消えてしまい、私の目に映ったものは、片目の巨人の頭が吹き飛んだところと、ザーテュルの腹部をアマミちゃんの手刀が貫いたところだけ。
「ぐふ・・・・!!」
ザーテュルの口からは夥しいほどの血液が飛び散り、アマミちゃんの顔を濡らす。
だが、彼女一切怯んでおらず、その瞳は冷たい輝きを灯していた。
その顔は10歳の少女にはあるまじき冷たさだ。
術者が弱ると、ネクロマンスも維持できないのだろう。
拘束が緩んだ、と思い見ると、アルフレッド隊長のネクロマンスがサラサラと音を立てて崩れていく。
他のネクロマンスどもも同様だ。
しかし、ザーテュルはそれを見ても尚笑う。
「キヒヒ・・・・言い表情だ。殺し屋の私とおんなじ表情だ。」
「私とあなたを同じにするな。」
「ぐふ・・・!!」
アマミちゃんが突き刺さる手刀を更に押し込み、ザーテュルの顔に苦悶の表情が浮かぶ。
だが、やはりそれでも彼は笑った。
「キヒ・・・同じだよ。だが、まあ良い。今回は引き下がるよ・・・。」
「逃がすと思って・・・。」
ザーテュルの撤退を防ぐため、アマミちゃんがとどめの一撃を放とうとしたそのとき。
猛烈な爆発音とともに、アマミちゃんの身体が吹き飛んだ。
「くっ・・・!」
アマミちゃんは空中で一回転し、着地。
顔を上げる。
すると、彼女は驚きの表情を浮かべた。
見ると、そこには身体の前面がすべて吹き飛んだザーテュルが立っている。
かろうじて顔面だけは残っているようだが、誰がどう見ても致命傷であろう。
だが、彼の身体は転移結晶による転移を始めていた。
「キヒヒ・・・・では、またどこかでお目に掛かりましょう。」
キヒキヒヒヒ!という笑い声が次第に小さくなり、狂人ザーテュルはどこかへと消えていく。
「さよなら・・・皆さん。キヒヒ!」
そう言い残すと、彼の身体は完全に消え去り、残されたのは私たちだけになった。
アマミちゃんは先ほどまでザーテュルがいた場所を無言で見つめ続けていたが、フッと力を抜く。
すると、さきほどまで生えていた角が消え、いつものアマミちゃんに戻っていたのだった。
これでようやく狂人ザーテュルの脅威は去った。
だが、あまりにも被害が大きすぎた。
街を壊され、最愛の人を失った傷跡はこの国の人々の心に深く刻まれてしまった。
私は深い悲しみと喪失感にさいなまれ、顔を伏せた。
「アマミ・・・・。」
その声にハッとして私は顔を上げる。
サラさんだ!
サラさんはまだ生きていたのだ。
その声に誰よりも反応したのはもちろんアマミちゃんだった。
「ママ!!」
飛びつくように近寄ると、涙を溢す。
「ママ!!ママ!ママぁ・・・。」
「ふふふ、よく頑張ったわね。」
柔和な笑みでアマミちゃんの頭を撫でるサラさん。
あまりにも穏やかなその笑顔は傷の事なんてまったく感じさせない包容力だった。
私も彼女に駆けより、拙い治癒魔法をかけようとする。
だが、まったく彼女の傷からあふれ出る血を止めることができない。
「くそ!止まれ!止まれよ!!」
私は必死に自らの魔力を彼女に注ぎ込む。
だが、サラさんは私の手を優しく遮り、首を振った。
「良いんです、ありがとう・・・。」
「そんな・・!」
私の手に添えられたサラさんの手は恐ろしいほどに冷たい。
もはや手遅れなのは誰の目にも明らかであった。
「アマミ・・・。」
「なに?」
嗚咽を漏らすアマミちゃんにサラさんは語りかける。
「あなたに伝えたいことが・・・あるの。」
「うん、なに?」
アマミちゃんはサラさんの手を取り目を見つめる。
サラさんはフッと優しく微笑みそして・・・。
「愛しているわ・・・これからもずっと。」
アマミちゃんは涙を溢す。
「うん・・・・・私も、大好き。ママ。」
そう呟くとサラさんの頬にキスをした。
「ありがとう。強く・・・・。強く生きるのよ・・・アマミ。」
「うん・・・私、ママがいなくなっても強く強く生きるから!!だから・・・だから安心してね!!」
涙をぼろぼろと溢しながら必死にほほえむアマミちゃん。
それを見ることしかできない、私も涙が止まらなかった。
「ふふふ・・・・あんしん・・・したら眠くなってきちゃ・・・た。」
「うん。疲れたでしょ?」
もはや泣き顔になってしまっているアマミちゃん。
サラさんの瞳の焦点は定まらなくなってしまっている。
「最期に・・・・もう・・・一度。」
「うん。」
サラさんは、まぶたをゆっくりと下ろし、安らかな顔でこう言った。
「あなたを・・・ずっと・・・・愛していま・・・・す・・・・。」
「私も愛してるママ・・・・。」
抱き合うようにして、最期を分かち合う親子。
美しく、そして儚い光景。
私は一生忘れない。
そう心に誓う。
涼やかな風が強く薙ぐ。
「う゛ぁぁぁあああああ!!!!」
幼い少女の慟哭が閑散とした街並みに、哀しく哀しく、響きわたった・・・・。
いかがでしたか?
次からはホノボノした日常編に移っていきます。
はあ、ようやくペルーシャちゃん書けるぜ!
ウキウキワクワクしております。
また、次のお話もよろしくでーす!